[9] イランの情報
新聞はペルシャ語だかアラビア語だか分からぬが、アラビア文字のようなものが多く、飛行機で英字新聞を要求しても、3頁位英字であとはアラビア文字のようであった。
テレビも殆どペルシャ語で、たまに英語放送が混じっていた。革命勝利記念日の雪の降りしきる中でのハメニイ師の長時間の演説を繰り返し放送していたが、少なくも原稿の棒読みではなく、熱弁を奮っていた。町では英語を話せる人もいて、こちらが日本人と分かると「おしん」「おしん」と話しかけてくる。東南アジアと同様「おしん」はイランでもかなり受けたようである。
電話も外線はオペレーター経由が多く、容易にパソコンに接続できる状態ではなかった。
というような状態で、情報面ではあまりオープンではなく、イラク情報は時々報じられていたが正確には理解できず、丁度開会中の長野オリンピックの情報などは殆ど接することができなかった。
しかし町中は落ち着いた雰囲気で、治安は極めて良く、多分並の先進国以上であろう。
[10] イランの衣服
男物の長袖シャツは殆ど化繊の地味なペルシャ模様で、一枚1000円から1500円位であった。コートはまちまちで皆適当なものを着ている。流行性はあまり感じられなかった。
女物の中味は分からぬが、黒いチャドルで全身を隠している者が圧倒的で、集団で迫ってくるといささか不気味な感じがする。黒いスカーフはバザールで3ドル以下であった。反物屋には多くの女性が集まっていたが、皆自分で縫製するのであろうか?既製服は少ない。尚民族衣装はあまりじっくりと鑑賞する機会がなかった。
[11] イランの食事
何と言っても禁酒は徹底している。ホテルでもアルコール抜きのビールしか置いていない。それは決して不味いわけではないが、毎日ワンパターンの食事にはかなりの忍耐力がいる。
朝はナン或いはパン、ジュース、玉子、ソーセージ、ハム、紅茶と比較的欧米に近い。野菜やヨーグルトが出ることもある。珈琲は頼めば出るが、ミルクはなくてあまり美味しくない。砂糖も角砂糖を囓りながらお茶を飲むのが一般的である。
昼と夜は同じで、カレー風スープ、冷たくなったナン、ヨーグルト、野菜(生の胡瓜、トマト、白菜、ピーマン、人参など)、ケバブ(焼き羊肉又は鶏肉)、フォレッシュ(牛肉と茄子の煮込み)、それに山盛りのご飯(サフランの入ったぼろぼろの長米の炒り飯)である。栄養的にも量的にも充分すぎるが、変化に乏しく、たまに小エビのフライなどが出るととても美味しく感じられた。デザートではプリンのようなものと紅茶が出る。ガイドが気を利かせてよくオレンジを買ってきてくれた。一度イラン風中華料理を食べたが、結構美味しく感じられた。
[12] イランの住居
あまり高層建築はない。銀行は何処へ行っても立派な建物を構えているが、一般の住宅は外壁をレンガで囲み、屋根は丸く土を固めて覆っている。雨が少ないので助かっているが、雨、雪、地震に弱い。このため屋根は2〜3年で補修するという。貧富の差は大きく、大きさもまちまちである。
上等の家では大理石の床に絨毯が敷き詰めてある。アパートのようなものはあまり見かけず、1階が商店で2階が住居になっているものが多かった。
都市はオアシスに限られているが、周辺は無人の砂漠だらけなので、一体土地代といった概念があるのかどうか確かめ損なった。変わっているのはトイレで、ホテルの客室以外はどこでも男女とも和式便器の金隠しのないようなもので、紙は使わず、ホースからの水流でお尻を洗滌するようになっていた。
自転車やバイクも3〜4人乗っている例もあり、タクシーなども7〜8人乗っているのを屡々目撃した。確かに貧しい、あちこちに無人の廃墟があるが、他国でよく見かけるスラム街のようなものはみかけなかったし、ホームレスも見かけなかった。しかしたまにバザールで乞食は見かけた。
(おわり)
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