[大連]
大連は人口広域で590万、中心部で300万と称し、歴史的に日本やロシアの面影を残してはいるが、経済成長率が中国平均7.8%に対し14%と活気がある。月給は1万円から外資系で3万円、IT関係では10万円とも言われている。食費は外食しなければ月5000円で済むという。しかし住居は高く、1平方米当たり、5万円、少し良いところでは10万円、景色の良い所は15万円するという。
初日旅順を観光してから大連の友好広場の近くの凱莱大酒店にチェックインし、二日目午前大連の主要観光スポットとして中山広場、老虎灘、星海公園を観光し、テレビ塔内のレストランで昼食をとってから、午後列車で瀋陽へ向かったが、正直な所やや物足りなかった。しかし第7日目に夕刻ハルピンより大連に戻り、最終日フリータイムで繁華街を練り歩き、又最終ツアーでロシア風情街を歩いてようやく大連を観光した気分になった。しかも瀋陽や長春のような中共のいやらしい歴史認識を押しつけられる機会がなく、さっぱりした気分で満州を後にすることができた。
(友好広場)
友好広場は大連駅の東南、中山広場の西にあり、凱莱大酒店はその直ぐ南にある。広場の中央には巨大な球形の装飾があり、夜間には色彩が時間と共に変化して洒落た感じがする。初日と7日目は日曜と土曜だったせいか、新婚のカップルとホテルの入り口で一緒になった。
(中山広場)
大連の街の中心にあり、公園のような円形の広場の周囲から10本の道路が放射状に延びている。更に広場の周囲には日本の統治時代の特徴のある欧風建築物が現在も中国各機関として利用されている。
バロックのヤマトホテル(現大連賓館)、ゴシックの大連警察署(現遼寧省対外貿易経済合作庁)、典型的な折衷主義の横浜正金銀行(現中国銀行遼寧省分行)などがある。ヤマトホテルのロビーは大理石の重厚な造りであった。又広場の中には音響システムが設置されていた。多分時々音楽を流しているのであろう。
ここから大連港、旧満鉄本社、三八広場、日本人街などをバスの車窓から眺めた後、次の目的地老虎灘に向かった。
(老虎灘)
市南部の海岸に位置するリゾートセンターで、巨大な数匹の虎の石像が印象的であった。尚「タン」という発音でも、灘は砂浜を意味し、潭は絶壁を意味するそうである。尚この敷地内にはアシカの芸を見られる海洋動物表演館、約100種2000羽の鳥を放し飼いしている鳥語林、人魚の衣装を着た女性の水中ショーを見学できる水下世界などかあると言うが、僅かに虎の石像とロープウェイを眺めただけで何も見ずに次の星海公園に向かった。
(星海公園)
老虎灘から西に黄海沿いに北大橋、いろは坂など、眺めの良い風景区をバスで走って大連最大の海浜公園に到着する。日本の統治時代の1909年に創建された星ヶ浦公園の一部だそうである。入り口の近くの聖亜海洋世界という水族館は通り過ぎ、海水浴シーズンも過ぎたので、一面の石畳と共に甚だ漠とした印象であったが、、幸いにして好天には恵まれた。多分夏は海水浴で賑わうことであろう。近くでスカイダイビングを行っていた。
(テレビ塔)
テレビ塔内のレストランで昼食をとり、6皿の前菜、10皿のおかず、スープ、そして炒飯とフルーツというコースであった。ここは緑山という高台で、眼下に市内最大の総合公園である労働公園が展開し、大連市街から大連港まで眺められ、眺望は絶景であった。
(大連駅)
昼食後大連駅に行き、13:00発の瀋陽北駅行きの列車に乗る。駅が改装中であったこともあり、どこも人、人、人であった。軟座車両であったが、数年前とは様変わりで中国人も多数乗り合わせていた。車内販売も飲食物以外に、音が出たり箱ごと回転する独楽の実演など思わず孫の土産に手が出てしまうよなものがあり、退屈もせず17:10瀋陽北駅に到着した。尚途中は一面玉蜀黍の畑が多かったが、所々の町には殆ど7階建てのアパートが立ち並んでいた。7階まではエレベーターをつけなくてもよいからだそうである。
(天天漁港)
7日目ハルピンから空路大連に戻り、天天漁港というレストランで夕食として海鮮料理を食べた。満州の中華料理は中国の北部の系統らしく、あまり美味しくは感じなかったが、流石に大連の海鮮料理は大変美味しくいただけて幸せであった。尚大連は港と空港を結ぶ道路が一切信号のない高速道路になっていて、外国から大連港に入った貨物を大連空港から国内各地に廃そうするのに、港から空港間の物流の合理化を図っていたのには感心した。
(市中繁華街縦走)
最終日午前10:50までフリータイムということで、8時半にホテルを出て、友好広場→普照街→天津街→勝利広場→青泥窪橋街→五恵路→友好路と歩き、途中から名もなき街路を歩いて友好広場に戻った。
勝利広場は大連駅の直ぐ南にある大きな広場で、東芝のネオンサインもあった。又勝利広場の西側には南北に青泥窪橋街が通っているが、特に勝利広場より南の部分は車の通れぬ歩行者天国になっており、通りの両側には商店街が連なり、気持ちの良い繁華街であった。この地には元来大量の上等な青泥が沈殿していると伝えられ、人々がそれを掘り起こして家を建てたため、遂に窪地となり、橋が架けられ、青泥窪橋と呼ばれるようになったという。南端は労働公園にぶつかり、東西に五恵路が走っているが、その沿線で目下老朽家屋を倒して大規模な地域再開発を行っていた。
(ロシア風情街)
10:50にホテルをでて旧日本橋を越えて旧ロシア人街であるロシア風情街に行き、しばらく街を歩きながら風情に浸った。やはりまだ多少ロシア的雰囲気が感じられる。市内繁華街縦走と合わせて、ようやく大連という街にやや馴染みを覚えて空港へ向かった。
(大連周水子空港)
12時に空港に着いたが、出発は13:45、全日空NH904便で約3時間、時差1時間を入れて17:40成田空港に到着した。同行者全員無事故でツアーを修了し解散した。
尚大連空港の外部には、三角の青い屋根の住宅が見渡す限り連なっており、他の空港では見られぬ特徴的な景観で印象深かった。
(つづく)
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