異文化探訪記


Tuesday, 15 October,2002    大連からハルピンへ8日間(その4)
 
[瀋陽]
 
 瀋陽はモンゴル国家である元が中国全土を統一し、廃墟となっていた地に城郭を造ってから、政治、経済、交通等の重要性が注目されるようになった。瀋水(渾河)の北に位置するので瀋陽路と名付けられた。清朝建国の祖ヌルハチが清朝の前身である後金の都を瀋陽に移すと、その名はあまねく知られるようになった。尚満州国時代は奉天と呼ばれていた。
 瀋陽は遼寧省の省都であり、人口も660万を超え、東北三省の中では最大の都市である。市内には満州族、回族、朝鮮族、シボ族、モンゴル族など29の少数民族が住んでいると言われている。
 
(瀋陽到着)
 瀋陽北駅は駅前が大変広く開放感があり、しかも駅の直ぐ傍に大連と同系列の凱莱大酒店があった。ただ大連より遙かに立派なホテルで、ロビーではクラシックのヴァイオリンを演奏していた。近くのレストランで夕食をとったが、給仕の女の子は20才と称していたが、ふっくらとした可愛い子であった。翌日第3日目は丸一日市内観光となる。
 
(瀋陽故宮博物院)
 北京の故宮に比べると断然規模が小さいが、それでも崇政殿、八角の大政殿、その手前の十王亭があり、二代目皇后の清寧宮や第五夫人の永福宮などもあった。清朝初代皇帝のヌルハチと二代皇帝太宗ホンタイジがここに住んだが、三代順治帝以降山海関を越えて北京に入場し、北京の故宮に居住した。約2万坪の故宮には、20余りの庭園と大小90余りの建築物があるという。
 
(北陵公園)
 太宗ホンタイジと皇后の陵墓があり、正式名称は昭陵で、市の北部にある。下馬碑、神橋、石碑坊、大紅門をくぐるとバスで移動するような長い神道があり、獅子、麒麟、馬などの石獣が対になって並んでいる。更に北に行くと隆恩門を経て方城の中心として隆恩殿がある。その後方に月牙城と宝城があり、その中心にコンクリートで固めたような宝頂があり、その下にホンタイジと皇后が埋葬されているという。人工湖や庭園もあるが面積は百万坪もある広大な公園となっている。
 
(東陵公園)
 一旦瀋陽北駅付近に戻り、凱莱大酒店の近くの格林大飯店というホテルのレストランで12品の昼食をとってから、東の郊外にある東陵公園に行く。ここは初代ヌルハチの陵墓で、正式名は福陵という。建物などは北陵と殆ど同じであるが、神道が短い代わりに最後は108段の階段を登るようになっており、又宝頂はコンクリートで蓋をしていないので、墓は一面草茫々であった。
 
(日本領事館)
 東陵からわざわざ南の渾河のほとりまで廻り、新聞やテレビをにぎわした日本領事館の前をバスで徐行して見せてくれた。アメリカ領事館の隣にあり、領事館の周囲にはアメリカ領事館より遙かに多数の警備員が立っていた。
 
(九・一八歴史博物館)
 満州事変の発端になった柳条湖事件の起きた、市内東北部の線路際に建てられたもので、支那と共に満州という言葉を嫌って九・一八事変と称している。出口には江澤民の署名入りで「勿忘九・一八」と書いた石碑があるが、当時テロ集団であったと自称する中国共産党が如何に関東軍と戦ったかを中心に、一方的な歴史観で反日宣伝を行っており、日本人にとっては誠に不愉快な博物館である。江澤民は日本にとって本当に悪い奴だと思わざるを得ない。
 
(名物料理と雑技観覧)
 故宮の北側の繁華街中街にある、170年の歴史を誇る老辺餃子館で、夕食として13種類の餃子を食べた後、希望者だけで近くの夢幻という名の雑技精品晩会に入り、中国特有の曲芸的体操を見物し、博物館の悪印象を振り払った。その後凱莱大酒店に戻り、翌日第4日目早朝列車で長春へ出発した。

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