異文化探訪記


Tuesday, 28 January,2003    麗しの雲南ハイライト9日間(その7)
第5日 2002年12月29日(日) 麗江 北方郊外 市内 観光
 
[白沙村・大宝積宮]
 8:00にホテルを出て北へ12km、今は鄙びた村落であるが、明・清時代は麗江地域の政治・文化の中心地であった白沙村に8:30到着。白沙で最も有名なのが壁画で、かつての豪族木氏土司がナシ族、漢族、ペー族、チベット族の画家に描かせた麗江壁画、中でも規模が大きく保存状態がよいのが白沙の大宝積宮にある壁画で、高さ2m、巾4.5mもあり、大乗仏教、チベットのラマ教、道教などが融合しているという。
 白沙村は後に訪れる四方街、束河村と並んでナシ族の古い800年の歴史のある村で、東巴芸術の看板や、色鮮やかな染物や飾り物、古音楽隊などが目につく。
 
[玉峰寺]
 1756年に建立されたチベット仏教の寺で下から約100段の階段を登り、10:00玉峰寺に到着。流石に2500mを超える高地のせいか息が切れる。寺から更に登った所に「山茶之王」と称する樹齢500年の椿の古木がある。毎年立春から立夏にかけて2万以上の花を咲かせるそうであるが、たった1輪しか咲いていなかった。それでも記念撮影が殺到し、そのお相手をするナシ族の民族衣装をつけた女が引っ張りだこであった。
 
[雲杉坪]
 麗江の北15kmにある玉龍雪山は最高峰5596mであり、この地域の最高の見物である。これを眺める絶好の場所と言われているのが雲杉坪という丘である。麓から非常に長い距離のリフトに乗り、板張りの歩道を歩いて11:20丘の上に到着した。ナシ族の女が待ち伏せていて、半ば強制的に長い羽のついた毛皮の帽子と赤いマントのような衣装を着せられて記念写真を撮らされた。かなり気温が低くて寒かったが、生憎雲がかかっていて目の前に見える筈の玉龍雪山は見られなかった。もっとも年間で60日見えれば良い方だそうである。
 
 再びリフトで麓に降り、13:00玉龍山荘で昼食をとる。1卓8人でビール2本がサービスででるが、初めの頃は追加していたが、段々追加しないで済ますようになった。
 
[束河村]
 14:30束河村にきて散策する。ナシ族の素朴な村で、村は宋代から、家は明代からのもの。石を束ねた土台に日干し煉瓦の家が印象的であった。白沙村同様東巴画廊があったり、華やかな染物や衣装が展示してあったり、しばし当地では珍しい珈琲休憩をとったりした。
 
[黒龍潭(玉泉公園)]
 16:00市内北部にある黒龍潭を訪れる。その名の通り、少し黒ずんだ美しい湧き水をたたえた泉があった。大理石で作られた玉帯洪橋と彫刻が美しい四角三層の得月楼の彼方に玉龍雪山が聳え、山が手前の湖面に映ると素晴らしい光景となる。泉からは猛烈な勢いで水が川へ流れ込んでいたが、その脇に大きな孔雀が繋がれていた。。湖の北の方には1601年創建の福国寺五鳳楼の優美な建築があった。
 
[東巴博物館]
 16:30五鳳楼の近くの東巴博物館を見学する。ナシ族の伝統文化や風俗、完璧な象形文字である東巴文字などを紹介している。又西洋人がこのあたりはシャングリラだといった写真もあった。尚東巴(トンパ)とは元来「智者」という意味だそうである。
 
[四方街] 
 麗江の北半分は1996年の大地震で壊滅し、今はすべて新建築となっているが、南半分は数百年変わらぬ街並みが残っており、2階建ての瓦屋根の長屋が続き、狭い道路がくねくねと続いている。1997年に世界遺産に登録され、麗江古城と称されている。17:10到着し、しばらく南下するとその中心地が四方街という広場になっている。ついでに隣接している獅子山に登り、山の上から一面瓦の海のような麗江古城を眺め、甚だ印象的であった。
 
 一旦ホテルに戻り19:00阿丹挌大酒店で夕食をとる。旅行社よりソーメンが提供された。食後森龍大酒店に戻り入浴、就寝。但しお湯の温度がやや低かった。
 
 

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