(まえがき)
2003年5月15日よりフランスへ旅行し、29日に帰国した。取りあえず6月2日にこの異文化探訪記に「帰国報告」をのせ、次いで約700枚のデジカメ写真を修正してその内130枚を説明記事付きでフォトギャラリーに掲載し、6月14日に完成した。残りは旅日記で、添乗員の島村友美さんの報告書によるところ大であるが、自身の体験を含めてここに順次報告する次第である。
[第1日目・5/15(木)]晴 成田→パリ→ニース
07:25東急多摩川線沼部発→蒲田→日暮里→成田空港09:38着。途中JRで一時信号故障でストップしたが、時間的余裕があったので間に合った。前日預けた荷物をABCより受け取り、10:05成田空港第1ターミナルに集合した。
12:15エールフランスAF275便成田空港を離陸、ほぼ満席状態。日本とフランスの時差がサマータイムで7時間あり、飛行時間12時間10分、17:25パリのシャルル・ド・ゴール空港に着く。飛行中は各座席に各種番組を選択表示できる液晶表示装置があり、各種飲み物もあるので、エコノミー席でもあまり退屈しない。所が乗り換え時間の余裕がないのに、到着検査が入り、これに入国検査、出発検査があって、時間すれすれで間に合い、18:40AF7708便パリ発→20:15ニース・コートダジュール空港に到着した。
荷物の通関も終わり、空港より大型バスで15分程で20:55ラディソン・サス・ホテルに到着する。大変長い一日であった。
パリもニースも空港のビルはガラス張りで大変しゃれた感じであった。フランスは日本に比べると北に位置しているのと、サマータイムを採用しているので、夜は21時頃でもまだ明るい。ホテルのある海岸沿いのメイン・ストリートであるプロムナード・デザングレは、椰子の木が植えられており、到着時でも自動車の往来が激しかった。尚フランスの特徴の一つは道路の駐車が多いことで、ひどい所は道の両側に駐車し、バスで通るのがやっとである。
本日の歩行数6,700歩。ニースのラディソン・サス・ホテル泊。
[第2日目・5/16(金)]晴 ニース→モナコ→エズ→ニース
本日のガイドはせつ子さん、運転手はアルベールさん、バスは2階建て゛60人近く乗れ、15人ではもったいない位。
(ニース)
07:00起床、朝食後、09:00ホテルを出発してニースの市内観光に出る。ニースは人口47万人、フランス第5の都市で、紀元前ギリシャ人によりニカイヤ(勝利)という名の植民都市として造られた。19世紀にはイギリス人貴族などを迎える避寒地として開けた。工事と停年延長政策反対のストで新市内は大渋滞であった。プロムナード・デザングレから東に旧港(ランピア港:水が青く澄んでいる港)を経て、モン・ボロン(標高172m)の展望台に行き、ニースの高級住宅街、天使の港、新市街、紺碧のコートダジュールを一望する。ギリシャ人の造った旧市街は港より東である。次いで旧市街を散策し、クール・サレイヤ広場の花市、野菜・果物・魚の朝市を眺め、次いでマセナ広場(1860年イタリア領からフランス領になった時の調印者がマセナ将軍)に出る。更に河川埋め立て地のアクロポリスから、高級住宅地を経て、ニース北部にある「国立・聖書のメッセージ・マルク・シャガール美術館」を訪れる。シャガール(ユダヤ人)が旧約聖書を主題に「人類の創造」から始まる17枚の大作を寄贈したものが展示され、デジカメにしっかりと記録してきた。
ついでプロムナード・デザングレに戻り、LA CANNE A SUCREで昼食(サラダ、タラとラタトゥイユ、アイスクリーム)をとり、ワインとデザートにコーヒーを注文した。昼食後12:45次の目的地モナコに向かう。
[モナコ]
ニースより海岸線を東に幾つかの話題の小さな町を通過して約30分、13:15モナコ公国(人口は37,000人、内モナコ人は7,000人で直接税がないので外国人居留者が多い。面積は凡そ皇居の2倍しかない)に着く。
最初モンテカルロ地区で立派なホテルやグラン・カジノを眺め、ふと道端の等身大の親子の彫像に妙な親しみを感じたりした。次いで王宮地区に廻り、海洋博物館から大聖堂(1875年建立の堂々たるネオロマネスク様式)に出る。交通事故でなくなったグレース・ケリーの結婚式と葬式の行われた所で、彼女の墓には花が絶えないという。その先に王宮広場・王宮があり、中は覗けなかったが、高台にあるので、海と山に囲まれたモナコの展望ができた。陸地は税金対策の住民登録者のマンションだらけで、海にはヨットが溢れ、狭い曲がりくねった道路がF1のモナコ・グランプリ・コース(1周3.3km×78周、1周は約1分)として準備され、あちこちに観覧席が設けられていた。15:00モナコを出て西に向かう。
[エズ]
15:20エズに到着。標高440m、12世紀、サラセン人の侵入を防ぐために要塞化したが、18世紀ルイ14世の名で取り壊され、その後再建された。山の頂部はサボテンを主とする熱帯植物園になっており、山頂には要塞の残骸が幾つか残っていた。高い所に登るのは苦手であるが、団体行動なので何とかついて行けた。眼下には文字通り紺碧のコートダジュールが展開し、一服の清涼剤となった。1時間程で16:20エズを出てニースに戻る。
[ニース]
17:00ニースのホテルに戻る。夕食まで少し時間があるので海岸に出てみた。昔40年以上前に1度来たことがあるが、砂浜ではなくてがっかりしたことを思い出した。しかしよく見ると、なかなか綺麗な小石で、裸で直接寝ることはできないが、布かビニールシートでも敷けば、海岸に寝そべる事も出来る。まだ時期的に早いと思うが、既に海岸に来て、海に入って泳いでいる人もいたが、もはや自ら海に飛び込む元気はなくなった。
19:00ホテルで夕食(野菜テリーヌ、ポーク、アップルタイト)
本日の歩行数12,700歩、ニースのラディソン・サス・ホテルに宿泊。
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