[第3日目・5/17(土)]晴 ニース→サン・ポール・ド・ヴァンス→カンヌ→マルセイユ
本日よりパリまで運転手は陽気なジャン・ノエル君、マルセイユのガイドは山口さん。
(ニース)
06:30起床、朝食、荷物出しの後 08:30ホテル出発、北やや西へ向かう。途中ルノワールが晩年11年間過ごしたカーニュの町を通過。
(サン・ポール・ド・ヴァンス)
08:55マチスやシャガールなど数多くの芸術家に愛された鷲の巣村サン・ポール・ド・ヴァンス(人口3,000人、16世紀の街並みが残る)に到着。ここも坂道や階段で山登り。村の入り口のホテル・コロンブドールは画家が宿代代わりに残した絵画が一杯という。ついで南仏のスポーツであるペタンク広場とイブ・モンタンが経営していたカフェの脇を通る。町のメインストリートの石畳は花模様で、参事会管理教会(12世紀創建)の高い塔は元鐘楼で、19世紀まで牢獄として使われていたという。16世紀のペニタンブラン礼拝堂を経て、中世の水汲み場、洗濯場であった大噴水を見てから、町を抜けて村の墓地へ行き、シャガールのお墓を見る。ユダヤ教なので墓の上には小石が並んでいた。山を下る狭い小道には商店が立ち並び、大きな窓に色鮮やかな人形や絵画が展示されていた。又麓には小綺麗な住宅が建ち並び、少し離れた所にはプール付きの家が沢山あり、緑も豊かであった。10:20出発。
(カンヌ)
南に下りて西に向かい、約1時間走って 11:20 カンヌに到着。人口7万人、ローマ時代からの小さな漁村で、1838年ニースでコレラが蔓延した際、英国貴族がカンヌに逃避して有名になり、現在は毎月5月の映画祭で有名になる。5月15日から映画祭が始まり、町は大賑わいでバスも走れず、海岸沿いのクロワゼット大通りで下車し、砂浜の海岸や港を左手に、瀟洒なビル街を右手に眺めながら歩き、1982年に出来たホール正面の赤い絨毯の目立つ映画祭の会場まで行く。その手前にはスターの手形とサインが石に刻まれて置かれており、黒沢明。大島渚両監督の手形もあった。西の高台にはゴシックのノートルダム・ド・レスペランサ教会と11世紀の時計台が眺められ、しばらく港前市場で時間調整をする。流石に南仏の明るい風景画を売る店が目立った。
12:00昼食 LE CAVEAUX 30 (ルージェのテリーヌ、チキンのカレー風味、ムースケーキ)
13:15カンヌを出発、西南に向かう。途中の葡萄畑はフランスで最初にフェニキア人が作ったという。又セザンヌの愛したサント・ヴィクトワール山を別の角度から眺める。
(マルセイユ)
途中15分休憩して 15:50 マルセイユに着く。人口80万人、フランス第3の都市、但し貿易港としてはNo.1である。BC600年頃ギリシャ人の植民市マッサリアが町の始まりである。BC49年、ポンペイウスとシーザーの戦いにポンペイウス側についたばかりに、シーザー側の勝利で、この町はシーザーに悉く破壊され、反面シーザー側についたアルルは優遇されたという話を初めて聞いた。
まず海岸の戦没者慰霊碑とモンテクリスト泊の舞台となった沖合のイフ島を眺め、次いで港の見張り台のようなノートルダム・ド・ラ・ギャルド寺院(海抜 162m、1864年完成、頂上に金色の聖母子像)に登り、合わせて高台なのでマルセイユ周囲の眺望を堪能した。ついでカビエル通りを東にロンシャン宮(19世紀に給水所として造られた宮殿風建築)に入る。丁度土曜のせいか新婚さんが噴水の手前で写真をとっていた。次いでカビエル通りを戻り、マルセイユの町の始まりである旧港に行き、しばらくフリータイムとなる。気が付いたら、港の路面には西アフリカから来たと思われる真っ黒な人がかなり沢山いて、物売りなどしていた。
18:20 夕食 CHEZ LOURY (ブイヤベース、シャーベット) 後、19:40ホテルに到着。
尚ブイヤベースという料理は、元来マルセイユ近辺の漁師が網に掛かった売り物にならぬ雑魚を大鍋で煮たのが始まりだそうである。
本日の歩行数 9,300歩、マルセイユのホリデイ・イン・サントルに宿泊。
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