異文化探訪記


Sunday, 22 June,2003    フランス物語15日間旅日記(その7)
 
[第8日目・5/22(木)]晴 ボルドー→249km→ポワティエ→102km→トゥール
 
(ボルドー)
 今日は少しゆっくりして07:30起床、朝食、荷物出し、09:30出発。本日はボルドー郊外のシャトーでワインを試飲し、ポワティエを経由してロワール河畔のトゥールへ向かう。
 09:50グラーブ(砂利)地区のペサックの町にある[シャトー・パペ・クレマン]に到着。ここは13世紀、後に法王になるクレマン5世が所有していたが、法王になってアヴィニオンに移る際、ボルドーの大司教に譲り、その後500年間教会が管理していた。フランス革命時没収され、その後色々な所有者の手に渡ったが、現在ベルナール・マグリーとレオ・モンターニュの二人で経営している。(1950年代町の中にシャトーが50あったが、現在は3つしかない。)
 お城のような住居の前に、32haの葡萄畑があり、害虫チェックの為、周囲に真っ赤なバラが植えられている。赤葡萄酒が主であるが、、工場と貯蔵所があり、1994年産のシャトー・パペ・クレマン赤をグラスに一杯試飲したが、流石に味わい深かった。11:25ボルドー市内に戻る。
 12:00昼食、サン・レミ通りのANDRE THIBEAUD(魚のスープ、シーフード・サラダ、ポーク、シュークリーム)
 13:25出発、一面葡萄畑の中を北やや東のポワティエに向かう。
 
(ポワティエ)
 16:45到着。ポワティエは人口8万、郊外を含めると12万人。クラン川に開けた町で、ローマ時代からパリとボルドーを結ぶ交通の要衝であった。732年フランク軍がイスラム教徒を撃退したトゥール・ポワティエの戦い、1356年フランス王が英国のエドワード皇太子に敗れたポワティエの戦いと、歴史的な戦争の舞台となった。又1431年にはポワティエに大学が設立され、留学生が多い。
 クラシックな感じの[市庁舎]の前でバスを降り、少し歩き出したら、例の年金制度改定反対ストのデモ隊に遭遇した。人形の形のプラカードを掲げ、陽気な連中であった。ジャンヌダルクの尋問が行われた[裁判所]の前を通り、お目当ての[ノートルダム・ド・グランド教会]に行く。
 1130〜1145年に建てられたポワティエ・ロマネスク様式の教会で、三角屋根の両側に松ぼっくりの様な二本の尖塔が立っているのが正面で、入り口のファサードには、初代司祭とその弟子、更に十二使徒を加えた14体の見事な彫刻で飾られている。内部に入ると、高い天井を支える柱は、それぞれに異なる色鮮やかな幾何学模様が施されており、更に祭壇奥のステンドグラスは未だ嘗て見たこともない鮮やかなもので、聖母子像をはじめ、暗い所ながら極めて明快な写真が撮れた。
 帰途、裁判所裏の[12世紀の宮殿]と勇ましい[ジャンヌダルクの立像]を眺め、17:45バスで更に北やや東のトゥールに向かう。郊外にはハイテクなテーマパークが見られた。
 
(トゥール)
 19:05ロワール古城巡りの拠点となるトゥールに到着。ホテルは少し西の郊外のサン・ピエール駅の近くであった。
 20:00夕食、ホテル(生ハム、ビーフのブフゴルギヨン、アイスクリーム)
 本日の歩行数20,600歩、キリアド・ホテルに泊まる。
 

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