[第10日目・5/24(土)]雨・曇 トゥール→273km→モン・サン・ミッシェル→53km→サン・マロ
(トゥール)
06:00起床、荷物出し、朝食、07:50ホテル出発。のどかな景色に囲まれ、一般道を北上する。ロワール地方のル・マン(24時間自動車耐久レースで有名)を通り、ブルターニュ地方のかつての中心地フジェールの町を通過して、12:00ノルマンディ地方の目的地モン・サン・ミッシェルに到着。
(モン・サン・ミッシェル)
12:05昼食、RELAIS DU ROY(魚のテリーヌ、僧院名物巨大スフレ・オムレツ、リンゴタルト)
13:30僧院観光。王の門を通り、大通り参道を通って、標高80mの昔から霊場として崇められていた岩山に築かれた僧院に登る。708年オベール司教の夢枕に、大天使ミカエルがその山に自分を奉じるようにと現れ、僧院の建設となった。それがベネディクト修道院となって行く。12世紀からロマネスク様式の聖堂が建てられ、13世紀にゴシック様式となり、最盛期を迎える。その後宗教戦争の際は砦となり、フランス革命後は牢獄として使われ、19世紀に再建され、最近は世界遺産となって毎年300万人が訪れる。
修道院の内部は3層に別れ、ベネディクト会の階層序列を反映して、一般巡礼者を迎える低層階、貴賓客や騎士をもてなす中層階、修道士達が日々生活する教会の階が上層階となっている。一般の観光は上層階の西のテラスから始まる。
(上層階)
西のテラスから見える塔の上の聖ミカエルの像は金色で、高さ3m、重さ450kgという。中央部を占める大修道院付属教会は、西側の半分は11〜12世紀のロマネスク様式、東側は15世紀のゴシック様式で、僧院はすべて花崗岩で出来ている。驚異の3階建てゴシック建物ともいう。北側の回廊は13世紀に作られ、柱が交互に2列に並び、アーチ部分にはレリーフが見られる。その隣の僧院食堂は光が差し込む広大な部屋で、修道士達はここで朗々たる聖書の朗読を聞きながら、沈黙を守って食事したという。尚修道士はかつては60人いたが、現在は僅かに4人しかいないという。
(中層階)
まず貴賓室を覗く。王や多額の寄付をした人の為のダイニングである。更に大車輪と称する人力荷揚げ装置があり、4人で車輪を廻して最大2トンの荷揚げができるという。中層階には四つの礼拝堂があり、その内サンティティエンヌ礼拝堂は葬式の為の礼拝堂で、隣は病院、反対側は墓地である。又太柱地下礼拝堂は15世紀に作られ、周囲5mという太い柱で上層階の教会を下から支えている。その他ロマネスク様式の礼拝堂も壁の厚さが2〜3mもある。又修道院を支える騎士団をもてなす騎士の部屋は、印刷技術のない時代に修道士達が写本をする仕事部屋として使われたが、ここには暖炉があった。
(低層階)
更に下へ行くと、一般巡礼者用の施物分配室や貯蔵庫がある。これで一通りの観光を終えて外部に出ることになる。ただどこにあったか定かではないが、何故かジャンヌ・ダルクの像が少なくとも3箇所にあり、デジカメに記録されていた。
狭い坂道を下りる途中には土産物屋が並んでいるが、この町の住民は現在45人だという。又昔は満潮時には孤立した島になったと言うが、現在は連絡道路が出来て本土と常時連結されている。生憎の雨で遠景写真も撮りにくかったが、15:40バスに乗り、サン・マロに向かう。
(サン・マロ)
16:30ブルターニュ地方の通称「海賊都市」サン・マロに到着。人口5万人、16世紀の街並みで、第2次大戦で旧市街の80%が破壊され、その後再建した。
13世紀には王の許可を受けて敵国の船を襲う「公の海賊」(私掠船)が活躍し、16世紀には4年間独立国であったこともあり、今なおサン・マロっ子はフランス人ではなく、サン・マロ人と呼ぶという。
サン・マロ出身者としてはロマン派の作家シャトー・ブリアン、カナダの発見者ジャック・カルティエが知られている。
夕食までの時間町を散策する。城門から城壁の中に入り、市庁舎や城塞を眺め、サン・ヴァンサン大聖堂に入ってみたら、丁度土曜日のせいか、結婚式が行われていた。その後城壁に登り、町を囲む城壁を半周しながら、港をはじめ城壁内外の風景を眺める。更に夕食後も尚明るく、又潮も引いたので、海岸から少し離れた島の要塞まで、砂浜づたいに歩いてみたりした。
19:00夕食、LE FRANKLIN(リンゴ酒、サーモン、ポーク、バニラ&苺アイス)
本日の歩行数24,200歩、城外のオセアニア・サン・マロに泊まる。
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