異文化探訪記


Saturday, 28 June,2003    フランス紀行・異文化の印象
 
 ユーラシア旅行社のフランス物語15日間というツアーに参加して、フランスの南部から西部、北部と周辺の市町村を廻ってみて、今までのパリを中心とするフランスと大分異なる印象を受けた。端的に説明することは難しいが、記憶を辿って説明を試みる。
 
1) 自然の美しさ
 各地で高速道路をバスで走ってみて、意外に道路が良いことと、周囲の景色が素晴らしいことを実感した。道路の周辺には広告や看板の類は一切なく、時期が良かったせいもあるが、一面緑で覆われ、森林も少なくない。このような環境はやはり観光にとって必須でもあろう。
 又コート・ダジュールなどの海も名前の通り紺碧であり、小高い丘の上からの眺めは絶景である。又昔から変わりはないが、ニースの海岸は砂浜ではなく、小石の浜辺であるが、それでも砂浜同様綺麗に使っている。又北のドーヴィルで見た海岸の板敷きの散歩道「プランシュ」なども気が利いている。
 
2) 古代の面影
 パリでは余り経験しなかったが、特に南部の各都市では、地中海のシチリア島同様、ギリシャ、フェニキア、ローマ等の面影を今も残している。
 紀元前にニースやマルセイユを初めとしてギリシャ人がやってきて開いた町はいくつかあったが、フェニキア人がやってきて葡萄畑をつくり、それがフランスのワインの始まりになったとは初耳であった。
 又流石大土木帝国であったローマの遺跡が各地に残っているが、ニームの円形闘技場などは現在も闘牛やコンサートに使っているとは驚きであった。又ローマ時代に作られたギリシャ神殿風の建物が今でも残っている所は少なくない。しかしマルセイユにローマ時代の遺跡がないのは、かつてシーザーとポンペイウスの戦いに、マルセイユがポンペイウス側についたばかりに、後に勝ったシーザーにより徹底的に破壊されたからだという。
 西北部のブルターニュはBC6世紀頃イングランドから渡来したケルト人が住み着き、ローマ帝国の統治時代を経て5世紀に、アングロ・サクソン族に追われて再びケルト人がやってくる。16世紀にフランスに統合されるまで独自の公国を維持し、今でもブルトン人として独自の文化と言語を保っているという。
 
3) 中世の隣国の影響
 イギリス海峡に面したノルマンディには、10世紀頃北欧からバイキングとしてノルマン人がやってきた。彼等はノルマンディ公国を作り、11世紀にはイングランドを征服した。以後も独立政権がつづいたが、13世紀にフランス王国に併合された。
 14世紀にはローマから法王庁がアヴィニオンに移され、約100年間、7人の法王が君臨したが、法王庁跡はまるで城塞のようであった。又14世紀に英仏100年戦争が始まり、ジャンヌ・ダルクの活躍で終結に向かったが、シャルル7世はその後ロワール地方に止まり、城を築いた。15世紀末イタリア戦争で遠征してルネッサンスに出会い、レオナルド・ダ・ヴィンチを初め、イタリアから連れ帰った芸術家たちによる装飾的で優雅な城とその庭造りが始まった。今やロワール地方の城は1000を数え、有力な観光資源となっている。
 大聖堂を初めとする建築もヨーロッパの建築様式の影響を受け、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックと変化するが、特に14世紀後半から後期ゴシックとして、炎の様に見えるフランボワイヤン・ゴシック建築が北フランスの都会に集中している。
 南仏には中世相次ぐ侵略者から身を守るため、人々は山の上に城壁で囲んだ「鷲の巣村」を築いたが、現在では重要な観光資源となっている。又ニースがイタリア領からフランス領になったのは1860年というから、明治維新の少し前であり、ドイツ、イタリア同様、フランスも現在の形になったのは比較的新しく、やはりヨーロッパの一部ということでヨーロッパ連合のような形に進んだものと思われる。
 
4) 絵画の観光利用
 ドイツでは音楽家や作家が観光資源になっていたが、フランスでは画家が完全に観光に利用されている。又フランス人でないレオナルド・ダ・ヴィンチ、ヴァン・ゴッホ、マルク・シャガールなどもまるで自国人であるかの如くに利用されてている。
 ニースのシャガール美術館はよいとして、サン・ポール・ド・ヴァンスなどシャガール夫妻のお墓を目玉にしている。ゴッホも各地で話題を呼んでおり、アルルではゴーギャンと仲違いして片耳を切り落とした像が夏の公園にあり、数ヶ月入院していた病院が見物になっている。更にサン・レミでも1年間入院して150点以上絵を描いた精神病院が見られる。更にエクサン・プロヴァンスのセザンヌのアトリエ、モネに描かれて有名になったルーアンの大聖堂など、主として印象派以降の画家が話題を呼んでいる。
 
5) 地方分権
 フランスでも第2次大戦後、従来の96の県を22の地方にまとめ、地方分権が大分進んだという説もあった。たしかに地方へ行くと、それぞれが独自の歴史と文化を誇っているようにも見え、茅屋や貧民街は見当たらなかった。
 然し未だに国営のものも少なくないようで、公務員の数もかなり多いらしい。たまたま3年ばかり民間より早い公務員の年金支給開始時期を遅らせて民間に揃える政策が打ち出され、之に反対するストが行われているのにぶつかった。といっても地方ではポワティエだけで、あとはパリであった。大体公務員にストを許すのもおかしいが、美術館や教会までストライキで閉館するというのはいささか異常ではなかろうか? このあたりにフランスの意外な後進性を感じた。
 又都市部の駐車場不足から道路の駐車がひどく、その隙間を塗って車を走らせるのは、フランスに限らないかもしれないが、みっともない。
 
 以上、フランスもなかなかに多面的であり、あまり単純に割り切るべきではないという印象を今回の旅行を通じて得た。異文化の体験としては貴重な経験であったと思う。やはりフランスも、文明の生態史観によるユーラシア大陸の民であり、島国の日本人とは根本的に異なることは再確認した。
 
 
 

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