4) 歴史の面影・世界遺産の数々
スロヴェニアは四国程度の小さな国で、世界遺産もシュコツィン鍾乳洞しかなく、今回は訪れなかった。一方九州の1.5倍の広さのあるクロアチアには、ポレッチのエウフラシウス聖堂、既述のプリトヴィッツェ湖群国立公園、古都トロギール、スプリット史跡群とディオクレティアヌス宮殿、ドブロブニク旧市街など沢山あり、スロヴェニアを含めて、それ以外の所も殆ど世界遺産になってもおかしくはないという感じがした。
[ポレッチ・エウフラシウス聖堂]
ポレッチは現在人口7,600人で、南スラブからクロアチア人が移動してきたのは6世紀頃であるが、既にローマ時代からイストラ半島の政治的中心として栄えてきた港町である。旧市街はローマ時代の古代都市を土台として、ビザンツ帝国、ヴェネツィア共和国、オーストリア・ハンガリー帝国などの支配を受けた為、それらの影響を受けた歴史的建造物や遺跡が数多く残されている。
中でもエウフラシウス聖堂は3世紀以来だが、現在の聖堂は6世紀ビザンツ帝国時代、エウフラシウス司教によって建てられたもので、聖堂入口の門や聖堂内外にある金色のモザイクタイルは見事であり、又聖堂内の柱はコンスタンチノーブルから運ばれた物という。又門の隣の白い石造りの司教館も世界遺産だとガイドは説明していた。
一方町中には、色鮮やかな蝋燭立てばかり売っている店や、大きな貝殻ばかり売っている店などもあった。
[古都トロギール]
トロギールは人口10,500人、スプリットの西30kmに位置し、東西に長いほぼ矩形の小さな島で、東端に近い所で、北の本土と、又南のチオヴォ島と、それぞれ橋で結ばれている。又城門として、やはり島の東端に近い所に、北には土地の門があり、守護聖人イヴァン・ウルシニの像が立っており、南には海の門がある。
町の起源はギリシャ時代にまで遡り、ヴェネツィア公国時代に町が作られたというが、狭い島内には様々な時代に亘る教会や歴史的建造物がひしめいている。中でも島の東端にある聖ロブロ大聖堂は素晴らしく、クロアチアを代表する教会である。1240年名工ラドヴァンによって彫られた、ライオンの上に乗ったアダムとイブの像が両端にある聖堂入口の門は、中世クロアチア宗教美術の傑作と言われ、ルネッサンス様式の聖イヴァン礼拝堂をはじめ見所が多い。
又近くには古典的な市庁舎や時計塔があり、時計塔の下には裁判所があり、正しい裁判のため窓がない建物になっている。
南の海の門を出て、椰子の並木のさわやかな海岸通りを西に歩くと、島の西端の南にはカメルレンゴの砦、ついで北には聖マルコの砦が聳えている。更に北側の遊歩道には緑地帯もあり、島全体が公園の様であった。
[スプリット・ディオクレティアヌス宮殿跡]
ザダルの南約160kmに位置するスプリットは、古代都市が残る神秘な町として、又アドリア海に浮かぶリゾート島への拠点として知られる。人口250,000人のクロアチア第二の都市であり、アドリア海沿岸最大の都市であるが、旧市街の中心には、貴重なローマ遺跡が残っている。
ローマ遺跡とは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスが退位後住んだ、295〜305年にかけて建てられたディオクレティアヌス宮殿で、真四角の頑丈な城壁で囲まれ、東西南北にそれぞれ銀の門、鉄の門、正門、金の門を構え、宮殿内にはロマネスク様式の大聖堂やアーチ型の天井を持つ神殿が残され、周囲には様々な時代の建物が並び、宮殿と珍しく混然一体となった特異な町を形作っている。
大聖堂は、元来3世紀に皇帝の霊廟として建てられたが、9世紀にキリスト教徒により大聖堂に造りかえられた。又神殿は元来ユピトル神殿であったが、やはり9世紀にカトリックの洗礼堂となった。ここにある大人も入る石の洗礼箱の表面に、珍しいプレ・ロマネスク様式で12世紀のクロアチアの王様を浮き彫りにしている。又地下に入って宮殿の基礎部分も見られる。尚宮殿として見られるようになったのは約90年前からという。
[ドブロブニク旧市街]
クロアチアの首都ザクレブから南東713kmに位置する、アドリア海沿岸ではクロアチア最南端のドブロブニクは、市内の人口50,000人、旧市街では4,000人であるが、「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアきっての観光地である。15〜16世紀にはヴェネツィアと並ぶ貿易都市として栄えた歴史を持ち、今日も旧市街に当時の面影が色濃く残っている。
旧市街は、8〜16世紀に建造された一周約2kmの城壁で囲まれているが、城壁内はオレンジ色の瓦屋根の家々がぎっしりと詰まっている。敷き詰められた大理石の石畳が光沢を放つ目抜き通りのプラツァ通りを中心に、左右に細長く狭い路地が延び、飾らない人々の暮らしが垣間見られる。又教会や修道院が数多くあり、フランシスコ会修道院には、クロアチア最古、ヨーロッパでも3番目に古い薬局がある。又12人の議員が1ヶ月毎に総督になるシステムをとっていた旧総督邸など歴史的建造物も多く、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。
1991年のクロアチア独立戦争では、旧ユーゴスラビア連邦軍の攻撃でかなりの被害を受けたといわれるが、今は修復されて昔の面影を取り戻している。又城外の旧港からは近くのロクロム島などへボートが出ている。
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