異文化探訪記


Saturday, 1 November,2003    スロヴェニアとクロアチア11日間(その7)
 
5) 訪れた町の印象
 
 既に述べた、自然の美しい観光地や世界遺産の町以外に、今回訪れた町の印象を順番に一言ずつ触れてみたい。
 
[プーラ] 人口62,500人 
 イストラ半島の南端にありローマ時代通商の中継地として賑わった港町で、1世紀に建てられた円形大劇場やアウグストゥス神殿など、数多くの遺跡が残っている。円形大劇場は現存するものの中では世界で6番目の大きさだそうであるが、6世紀にやってきたクロアチア人が、現在もコンサートや映画祭に利用しているのはちゃっかりしている。
 
[オパティア] 人口9,000人
 イストラ半島の東北端にあり、海岸遊歩道を散策した。1845年にイグニオ・スカルパが建てたアンジョリーナ莊がやがてクロアチア初のホテルトなり、今は30軒のホテルが並んでいる。海岸で眺めが良いのでリゾート・ホテルには絶好の場所である。
 
[リエカ] 人口180,000人
 オパティアの東北の隣町で、クロアチア最大の貿易港であり、アドリア海の大型フェリーの拠点でもある。ローマ時代からの古い町で、海岸近くに旧市街がある。メイン・ストリートのコルゾ通りでは中世からリエカ・カーニバルが行われている。旧市街には歴史的建造物が多いが、国立オペラ劇場や活気溢れる露店の青果市場もある。又町の背後には城塞の丘トルサトがあり、毎年8月15日に巡礼者が集う聖母マリア教会やローマ軍の要塞から始まるトルサト城があり、ここから見下ろすリエカの町とアドリア海の眺めは最高である。
 
[リュブリャナ] 人口260,000人
 500年に亘る神聖ローマ帝国の支配の後、オーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれ、ハプスブルグ家のもとで発展を遂げてきた。現在はスロヴェニアの政治・経済の中心地であり、ルネッサンス・バロック、アールヌーボーなど各様式の建築物が調和した小さな芸術の都であり、今回訪問したスロヴェニアでは唯一の都市である。
 市の南にはローマ時代からの軍の基地で、緑の丘にリュブリャナ城が建っており、現在は結婚式場となっている。城から市内は一望でき、遠くにユリアン・アルプスが望める。城を囲むようにリュブリャニツァ川が流れており、その内側が旧市街となっており、三本橋を渡って外側に出ると新市街となる。その正面のプレシェーレン広場には、国歌の歌詞を作った詩人プレシェーレンの像が立ち、正面にイタリアの影響を受けたピンクのフランシスコ教会が断然目立っている。時間の関係でティボリ公園や美術館・博物館を廻ることができなかったが、高層建築もなく、落ち着いたなかなか洒落た町であるとの印象を受けた。
 
[ザグレブ] 人口1,200,000人
 クロアチアの首都であり、美しい古都でもある。ザグレフ市街は中央駅を起点に北へ拡がっている。中央駅から東西に走るイリツァ通りまでが新市街で、整然と大小の通りが縦横に走り、植物園、公園、美術館、各種博物館、国立劇場などが点在している。
 旧市街は共和国広場から二つの小高い丘へと拡がる北側を指し、東のカプトル地区と西のゴルニイ・グラド地区に分かれ、11世紀以来の聖母被昇天大聖堂や聖マルコ教会などを中心に、ゴシック様式やバロック様式の重厚な建物が多い。新旧いずれも緑に囲まれた街並みである。
 1991年にスロヴェニアと共にユーゴスラビアから独立したが、伝統を大事にしつつ新しい文化を取り込み、大きく飛躍しようとするパワーがみなぎる首都である。
 
[ザダル] 人口76,500人
 今なお中世に作られた城壁が残る小さな港町で、旧市街は西北にアドリア海に突きだした半島上にあり、城壁は600u程の広さである。ローマ帝国、ビザンツ帝国、ヴェネツィア共和国と支配され、第二次大戦中はイタリアの支配下にあったので連合軍に攻撃された。1991年の独立戦争でも猛攻撃を受けたが、それでもザダル旧市街は、6世紀の石畳、9世紀や12世紀に建てられた教会やヴェネツィア公国の宮殿など昔ながらの面影を残し、世界各国から観光客を呼び寄せている。正門外の入江のレストランなどは眺めが良くて気が利いている。トロギールなどと似ている面もあり、旧市街が世界遺産になってもおかしくない感じがした。
 

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