Architecture

近代から現代に至る建築史

| Back | Index | Next |

1851年万博会場水晶宮
 イギリスにおいて産業革命が起こり、新工業材料として鋼鉄の大量生産およびその品質の均一化が可能となった。19世紀半ばのことである。また同様にガラスについても同じ頃、価格の急激な低下が起こった。
 それまでは、西洋の主要な建築材料は、石、であったために高層な建築物および広いスパン(柱間)の建築物は不可能であった。
 このころこれらを積極的に使って、新しい空間を創造しようという動きが起こった。その代表が1851年のロンドン万博で発表された「水晶宮(クリスタル・パレス)」である。
1851年万博会場水晶宮

 クリスタル・パレスはイギリス人ジョセフ・バクストンが温室作りの技術を発展させて作り上げたもので、当時の建築家たちからは、建築であると認めてもらえなかったようである。しかしこの22mのスパンを持つ明るい空間は大きな反響をもたらした。建築物の革命と言えよう。建築の発展が建築家以外の手によってもたらされたというのは皮肉でもある。
 この水晶宮の建設にはこのような話がある。上の前回写真を見ていただくと中央やや左よりに屋根からアーチ状のドームが出ているのがおわかりだろうか?これは万博会場に生えていた樹木の伐採に反対した住民の意思を尊重したバクストンによって変更された部分である。つまりそれを建物内部に伐採することなく取り込んだのである。右の写真にその樹木が描かれている。
水晶宮内部
水晶宮内部

エッフェル塔
1889年のパリ万博において、あまりにも有名なエッフェル塔が建造された。これは技師ギュスタヴ・エッフェルの手による作品である。高さ300m、工期わずか26ヶ月のこの塔は万博限りで解体される予定だったそうである。同じ会場には技師コンタマンと建築家デュテールによって作られた「機械館」があった。これはスパン115m、全長450mという巨大な物だった。これらも水晶宮と同じく、建築とは認めてもらえなかったようである。しかしこれらによって、鋼構造物の世界が広がり、建築は新時代に入ってゆく。
エッフェル塔



戻る

メールはこちらまで。