メッセージ&証し
主に、教会の機関紙「三育はこぶね」に掲載されたメッセージや証しなどをご紹介したいと思います。


| Back | Index | Next |

 [21]   VBSで感じたこと
 学生だった頃の私にとってVBSは特別な日でした。なぜなら土曜日にしか会えないお兄さん、お姉さんに3日間連続で会えたからでした。もちろん工作をしたり、歌を歌ったりすることも楽しかったのですが、スタッフの方々に会うのを一番楽しみにしていたように思います。
 
 自分も、来てくれる子供たちにとってこれに近い存在になればいいなと思いながら、今回ボランテイアをさせていただきました。 3日間、子供たちと過ごすなかで、感じたことがいくつかありました。
 
 まず、子供たちの一生懸命な姿に驚きました。何をするにしても本当に一生懸命でした。賛美歌を歌う時、全力で賛美し、前に立って賛美している私たちを楽しませてくれました。また、聖書の話を聞く時も身を乗り出すように聞いている子供が多くいました。お話を理解しようとしていることが感じとれました。ただ、何となく賛美をして、心からの賛美をしたり話を聞く時にそこから何かを得ようとする姿勢をもつことを忘れてはいけないと思いました。
 
 次に、VBSは伝道の働きであることも再確認しました。VBSに来ていたある2年生の女の子がこんなことを言っていました。「わたしも、三育の小学校に通いたいな」とつぶやいていました。何がこの女の子にそう感じさせたのかは分かりません。でも、きっと自分が現在通っている小学校と、このキャンパスにある小学校の違いを感じ取ったのだと思います。この女の子が三育を知ることで、教会につながってくれたらいいなと思いました。
 
 VBSのように、こんなにたくさんの子供たちが教会に集まってくる機会はそう多くはないと思いますから、VBSは大切な伝道の一つだと感じました。もっと多くの子供たちがVBSを通して、三育を知り、教会を知ってくれることを願っています。
 
            (「はこぶね」第177号より、海老原 望 記
update:
2008/06/05

 [22]   『貧しい人』
 私はマタイ5章から7章までの「山上の説教」が大好きです。マタイはキリストがあちこちで話された説教をこの箇所でまとめたと思われますが、ここには教理や儀式、規定や教会の壁が感じられません。まことに霊的な教えで、外形的な行為を一切述べていません。第一の祝福は「心の貧しい人は幸い」とありますが、ルカ6:20では「心の」がなくて、「貧しい人は幸い」としかありません。”貧しい”は、ギリシャ語では”プトコス(働かないと生きてゆけない程度の貧しさ)”と”ベネイス(物乞いをして人に施してもらってしか生きられないほどの貧しさ”を使うそうですが、聖書のこの場所は後者の語句を当てています。
 
 私たちは誇り高く、人によく見られたいといつも思い、簡単に頭を下げることをしません。五木寛之氏が『他力』という本を書かれました。この語に惹かれている自分はさっそく読みましたが、キリスト教もまた神に依存して生きる宗教であり、信仰者の姿勢もまた生かされている、愛されている、支えられているという人生観が生涯を支配する生き方です。
 
 聖書はこの世の価値観を逆転した見方で満ちています。主は底辺に生きた庶民の間に生きて慰め、励まし、生きる喜びや幸せを教えられました。なんとすばらしいメッセージではないでしょうか!
          
           (「はこぶね」172号より、曽根田 健二 牧師 記)
update:
2008/06/05

 [23]   『最後の大仕事』
 自宅裏のがけから落ち一ヶ月入院した町内の独居婦人が「全然覚えていない。歩けないはずなのに玄関までどうして行ったのか、余り知らないあの方の番号をどうして廻せたのか、今でも不思議!」と話されました。聞きながら、「自分の時もそうだったな」と思いました。二階の高さから落ちて、皆様から「こわかったでしょう、痛かったでしょう!」と同情されたのですが、落ちた時も、倒れた時も一切記憶にないものですから答えられませんでした。
 
 人間には危機の時忘却機能が働いて、自分を守り、深刻な危機を乗り越えさせるように思います。
 病院に運ばれ、頭のけがを心配した医師が問診をすると、「はっきり応答していた」と家族が証言するのですが、本人は全然覚えていないのです。それ以来、『死』とはこんなことかと思うようになりました。寝たきりになり、見えなくなり、声も出なくなりますと、周囲は「苦しいだろう、しんどいだろう、淋しいだろう」と同情しますが、本人は違うのではないでしょうか。聞こえているのですが、忘却機能が働き、安らかさが訪れていると思うのです。
 
 ですから、「主にあって死ぬ死人は幸いである。・・・労苦を解かれて休み」(ヨハネの黙示録14:13)と聖書は約束しているのです。一生涯働き続け、疲れてきたからだに、主は「もう働いた。ゆっくり休みなさい」と語りかけられるのではないでしょうか。それが永遠の福音であり、生きている時だけでなく、最後の時にも平安を与えるものです。
 
 指で数えられる年月しか残らなくなった自分の人生ですが、『死』という人生最後の大仕事に主が立ち向かわせて下さっていると感謝しながら、こんなことを考えている私です。
         (「はこぶね」175号より  渡辺 恒義 名誉牧師 記)
update:
2008/06/05

 [24]   「和をもって日本となす」
 聖徳太子の憲法17条の最初に、「和をもって尊しとなす」の語があります。当時の官僚たちへの勧めであり、混乱した日本の統一を果たした太子の意図がよく現れていると思います。これをもじったのでしょうか、電車の広告に、「和をもって日本となす」という本が紹介されていました。ロバート・ホワイテングという方の著書で、おそらく日本の企業のあり方なのか、政治の世界のことか、日本人社会の風潮を風刺した内容であろうと察します。毎日のように死傷者が報道されるイラクの事態を思えば、「和」は大事、国会でのののしり合いや汚い野次の飛び交う政治の世界に、「和」は大事。なぜ話し合いで物事が進まないのかに失望しますが、一方で「和」は事なかれ主義にも偉力を発揮し、臭いものにふたをして、なんでもまあまあとばかり適当にごまかすことにも使われそうです。
 
 先週、偶然にも3回ほど、近ごろの高校生たちの公共での非常識な行為を糾弾するテレビの報道番組を見ました。登校、下校する生徒たちが電車内で歩く隙間もないほど集団で座り込み、あるいは線路を歩き回り、果ては電車の網棚に寝る姿を映し、気を使って間を歩く一般乗客を思って注意を促す報道アナウンサーに「うるせーんだよ」「シバクぞ」と反撃し、女生徒も「アハハハ!」と笑っている始末です。うっかり注意すれば命の危険もありという時代です。番組の最後に、「あなたは注意できますか?」という 問いかけがありました。自分は教師だから黙っているわけにはいかないーと心の中で言いましたが、実は「和をもって」逃げそうな気がしました。今週の教師礼拝のテーマソングに、「正義と偽りを教えるみ言葉」という部分があり、道徳的な勇気の必要を教えられるこのごろです。
                       
           (「はこぶね」176号より、 曽根田健二牧師 記)
update:
2008/06/05

 [25]   「華やかではないけれど」
 夏は全国各地で華やかなお祭りが行われます。私はお祭りが大好きです。お祭りムードというのは独特なもので、周辺の雰囲気がガラッと変わってしまいます。それがたまらないのです。その華やかさという非日常的な雰囲気の中で、普段考えもしないようなことを考えたり、感動することが少なくありません。華やかさというものは人間の心を変える力があるのかもしれません。
 
 私たちはお祭りのような非日常的な状態にならなければ、神様に出会うことができないかのような錯覚に陥ることがあります。神様は静かに働くのではなく、大胆に、そして力強く、パーッと派手に働くのだと無意識のうちに考えてしまっていることがあります。誰が見ても「すごい!」と叫び声をあげたくなるような奇跡だけが、神様の働きであるかのように考えてしまうことがあります。しかし、神様は時としてささやくように静かに語りかけ、働いてくださいます。
 
 「主は、『そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい』と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(列王記上19章11,12節)
 
 不安と恐怖のため山奥に逃げ込んだエリヤの前に現れようとされた神様は、風の中にも、地震の中にも、火の中にもおられませんでした。そのような派手な自然現象の中に神様はおられませんでした。しかし、神様は静かにささやく声でエリヤに話しかけました。華やかさや派手は、自然現象の中でしか神様に出会うことができないという固定観念があったら、静かにささやく声を耳にすることができなかったことでしょう。
 
 神様はいつでも、どこでも私たちに語りかけてくださっています。派手な語りかけもあれば、地味な語りかけもあります。派手な語りかけに気づくことはそれほど難しいことではありません。しかし、地味な語りかけに気づくためには、心を静めて耳を傾けていなければなりません。絶えず私たちに語りかけてくださっている神様の声に、心を静めて耳を傾ける毎日を送りたいものです。
 
         (「はこぶね」166号 中学校チャプレン青木泰樹記)
update:
2008/06/05



HOME

メールはこちらまで。