『わたしの福音書』
わたしがキリストに出会った経験の証しです


6   人生の目的を求めて  (「はこぶね」184号より、五十嵐 陽子 記)
更新日時:
2006.01.24 Tue.
 「人は何のために生きているのか。人生の目的とは?」中二の女子生徒が昼休みのおしゃべりのテーマにするには堅い内容です。でも、あの日、仲間の一人が急にこのテーマを私達に投げかけたのです。当時、私は札幌のあるカトリックの学校に通っていました。家はキリスト教とは無縁でしたし、学校も週に一度神父さんによる倫理という授業がある程度の、宗教色の薄い所でした。その場にいた数名で冒頭の質問に対する答えを考えましたが、誰も見つけられません。そのうち一人が「考えてもわからない問題は、もう考えるのを止めよう」と言い、その場はそれで終わりました。
 でも、私は思いました。「考えてもわからない問題は考えなくてもいいの?現実に自分は生きているのに、目的がわからなくて生きていていいのか。」いいはずはありません。しかし、私には分かりませんでした。その頃私は何か分からないことがあると、いつも親や兄弟達に尋ねていました。しかし、この問いに関してだけは誰にもききませんでした。きいてもムダ。わかっていないと直感したのです。
 
 さて、その大切な疑問は時がたつにつれ、進学の問題などに阻まれ、私の頭の片隅に追いやられ、ついにはどこかへ消えてしまいました。それから数年後、私は東京に出て大学生になり、新しい友人のグループができて毎日とても楽しく過ごしていました。ところが、いつ頃からか、夜布団に入ると、「これでいいのか。」「いや、だめだ」という自問自答が始まりました。中二の時のあの問いが頭をもたげてきたのです。自分は経験がないから答えを出せないのだと思い、たくさん本を読んだり、いろいろなアルバイトをしてみましたが、やはりわかりませんでした。そのうち、大学を卒業し、私は札幌へ戻りました。そして、今でいうフリーターを始めたのです。その頃、私には一つの夢がありました。それはヨーロッパに住むということです。中学時代に見た洋画に出てくる景色の美しさ!それ以来、ヨーロッパに行く夢がずっとあったのです。
 
 それで、私は英語学校にも通いました。どこにしようか電話帳で調べ、月謝が一番安いSDAの学校に決めました。そこで私は、毎週金曜日の夜に先生宅で開かれるバイブルクラスがとても楽しみになり、聖書に関心を持つようになりました。
 そんな生活をしばらくした後、姉と私はついに日本を離れました。フランス、スイスを経て、最終的にはイギリスに約1年滞在しました。新聞広告を出し、住み込みのお手伝いさんを2軒の家でやりました。しかし、私の周囲の人は、教会にかかわるのは人生で3度、誕生、結婚、葬式の時だけといった感じで、私はずい分失望しました。道徳的には、キリスト教を知らない日本人の方がはるかにレベルが高いように感じました。SDAの教会に行きたいと思いましたが、働いていた家は2軒とも田舎にあり、近くにSDAの教会はありませんでした。そんな時、札幌の英語学校でお世話になった先生に手紙を出すと、「預言の声聖書通信講座」が送られてきました。一人で聖書を開いても全然わからなかったので、とても助かりました。その後、しばらくして帰国しましたが、1年振りの日本は以前にも増して住みづらく感じ、私はしばらくボーッとして何をする気もなく、家にこもっていました。ところがある日、隣の部屋の姉の机の上にある一冊の本が目に留まりました。三浦綾子の「道ありき」です。私は一気に読み、自分がこれから生きていくよりどころはキリスト教しかないと確信しました。
 
 私は再びSDA札幌教会を訪ねました。今度は、英語ではなく、聖書の学びのためです。そこで、柴田栄治牧師の「人生の目的」という私にぴったりの講演会に出席し、はっきりと長年の問いに対する答えをつかみました。うれしくてたまりませんでした。聖書研究が始まってしばらくして、三育小学校の教師になりませんかという誘いを受けました。1,2年生の複式のクラスです。私は大いに悩みました。そしてピリピ4:6,7の約束に賭けました。「神様、あなたの助けがなければ、不器用な私はとてもこの仕事にはつけません。約束を信じますので、よろしくお願いします。」
 入学式の前日、私はバプテスマを受けました。それ以来、この聖句は私の一番好きなものになりました。今までの自分を振り返った時、神様を知るずっと以前から、神様は私を信仰に導いていてくださったのだとわかりました。
 
 中二の時、友人があの疑問を投げかけなかったら、自分はどんな生活をしていたのか。又、SDAの英語学校ではなく別の学校へ行っていたら、自分はクリスチャンになっていたのか。これからも、この聖句により頼んでいきたいです。
 
 「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ4:6,7)

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