秋田県は昔から各種鉱山が栄え、中でも金、銀、銅、は全国でも有数の産出量を誇り、一大産業を形成していました。その二次産業として発展したのが秋田金銀細工の始まりとされています。
とりわけ秋田藩三代藩主、佐竹義処公(さたけよしずみ)のお抱え金工師、正阿弥伝兵衛(しょうあみでんべえ)の名は全国に知られており、延宝3年(1675)より享保8年(1723)までのおよそ50年の間に作出された刀装具等の数々の名作は、当時、全国の諸大名、高級武士らに人気を博し一世を風靡したものであり、その文化と技術力の高さを今に伝えています。後に七代に渡り佐竹家に仕えた秋田正阿弥系統にあっても、初代の伝兵衛は、その作風、創造性、技術力において他から一歩も二歩も抜きん出ており、当時から全国の地方金工師の筆頭格と認められていました。
金鍛金張合地(金杢目金)はその初代正阿弥伝兵衛が編み出したとされる技法です。
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