秋田正阿弥派は京正阿弥の流れを引いており、祖は慶長年間、水戸の佐竹家に従って移住した正阿弥伝内と伝えている。現存するものは江戸中期以降のもので、伝兵衛、伝内、伝七、それに後藤家十一代通乗門の重広などがいる。伝兵衛は秋田正阿弥派第一の名工で、慶安4年(1651)庄内に生まれ、寛文8年(1668)江戸に出て武州正阿弥門に入り、延宝元年佐竹家の臣舟尾氏に従って秋田に移り、佐竹義処のお抱え工となった。享保12年、七十七歳で没している。作域は広く、肉堀り地透かしに象嵌を加えたものをはじめ、伝兵衛の着想による 「ぐり堀り」 は漆芸の堆朱(ついしゅ)のように、銅や赤銅などを何層にも重ね鍛接した地金に渦巻状の曲線を深く掘り出したもので、彼はこれを刀のツバや縁頭に取り入れて独特の味わいを見せている。しかしこの技法はかれの一面であって、かれの特色はやはり蕗図つば、雲竜透しつば、糸巻き透しつばなどにみられる正阿弥の伝統を受け継いだものにある。地方に発達した正阿弥派には、これらの他に、庄内、会津、伊予、阿波の各正阿弥派があった。
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