自分の出産にまつわる体験、感情をまとめています。自宅出産を勧めるものではありません。

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自宅出産

出産をとおして関わった、全ての人に感謝しています。
 
31歳のとき、次女を出産しました。31〜32歳のとき(2002年頃)に書いたものです。
文中の個人名、病院名などはすべて仮名です。
当時は看護師・助産師という表現でなく、看護婦(士)、助産婦という呼び方だったので、
文中はそのままにしています。

1.なぜ自宅出産?
(1) 最初(1993年)は病院で出産
 「えっ!? 自宅? なんで?」よく聞かれる。今回のお産は2回目だ。1回目は自宅近くの総合病院で、特に産科の評判のよいところだった。ここのお産が特につらかったとか、嫌だったとかいうわけではない。ではなぜ? その理由をお話しします。
 
 私は22歳で結婚し、23歳で第1子を出産した。9年前のことである。望んでの妊娠だったので、妊娠がわかったとき、とてもうれしかった。「男かな? 女かな?」「どんなものを準備しないといけないのかな?」とそわそわと落ち着かなかった。
 しかしここで「どこで産もうかな?」という迷いは全くなかった。自宅近くのP病院。あそこ、家から一番近いし、評判がいいし、いいじゃん、そこで。決定。
 
 実家の両親は2人とも働いているし、私が里帰り出産すると、何かと大変だろう。私も夫と1〜2ヶ月離れるのはさみしい(私が住んでいるところから実家は車で6時間かかる。日帰りは困難な距離だ)。ということで、里帰り出産は却下。夫は長男で、夫の両親は私達の家の近くに住んでいる。長男のコドモ、初孫を夫の両親は待ち焦がれている。こっちで産んだ方が間近でしょっちゅう見られるし、喜んでもらえるだろう。なんていいヨメの私。
 
 夫も、お互いの両親も病院について、とやかく言わなかった。
 その時点では、私は「赤ちゃんは病院で産むもの」と思いこんでいた。だから病院以外の選択肢を探すことを考えもしなかった。
 
 「病院」という前提で、ちらっと他の選択肢も考えた。
 やはり自宅近くに大きな個人産院があった。そこは部屋がきれいで食事が豪華なことで全国的に(!)有名だった。でも、私は以前、その病院の非常階段を通った時にびっくりしてしまった。踊り場にダンボール(紙オムツやトイレットペーパー、産後のパット等)が山積みにされていたのだ。オモテはきれいで妊産婦さんはもちろんエレベータを利用しているからこの階段の実態は知らないだろう。「…これは、地震や火事のときには逃げ遅れて死ぬ人が出るな。」
 その時、「将来出産することになってもココはやめよう。」と思ったのだ。ホントに妊娠してもやはりその決心は変わらなかった。部屋がきれいでも、御馳走があっても、安全第一、とそこはあっさり却下した。
 
 電話帳を見れば様々な産院があった。でも電話帳を眺めても、どこにどんな特徴があるのか、てんでわからなかった。私は「いいとこでもバスや電車を乗り継いでいかなきゃいけない産院はやだなぁ。」とボンヤリ考えていた。要するにめんどくさがりなのだ。妊娠7ヵ月目まで仕事をしていた(その後、退職)し、これらの膨大な病院にいちいち電話したり、出かけたりして病院の特徴をつかむ時間も気力もなかった。悩むというより考えるのがめんどくさくなって、「評判もいいし、自宅に一番近いし、いいじゃん、P病院で」となったのだ。
 
 だれも、なにも、疑問をはさまず、病院は決定した。もめたのは、夫と私の実家とどちらがベビーベッドを準備するかとか、そんな産後のことばかりだった。
 
 
(2)納得いかない
    @会陰切開
 私はP病院にいそいそと通院しはじめた。医師は物腰やわらかく、にこやかだった。看護婦さんはいつもてきぱきと忙しそうだった。待ち時間はいつも2〜3時間とうんざりするほど長かったけど「これもここの先生の腕がいいから、はやっている証拠よね。」「私だけでなく、他の妊婦さんもこんなに我慢して待っているから仕方ないよね。」と納得していた。
 
 妊娠初期・中期はこうして過ぎていき、後期に入った。
 ここでだんだんお産が現実的に、目の前に迫ってきた気がして、ある日私はかねてから気になっていたことを医師に聞いた。
 「あのー、できれば会陰切開はしないでいただきたいんですけど…」
 様々な妊婦雑誌を月々買って読んでいた私は「どうやらこのごろはみんな会陰切開するというわけでもないらしい」という知識を仕入れていた。誰だって痛い目にはあいたくないだろう。私だってそうだ。
 
 医師の返事は、あっさりしていて断定的なものだった(別に威圧的ではなかった)。
「でも、どうせ赤ちゃんが出てくる時に必ず切れるんですよ。傷がぎざぎざになると治りも遅いですから。皆さん切りますから。心配しなくてもそう痛くはありませんよ。」
「…はい。」私の心の右すみに「あれ?」と小さな違和感の石ころが転がった。
 
 私は次のような会話を予想していたのだ。
私 : あのー、できれば会陰切開はしないでいただきたいんですけど…
医師: わかりました。できるだけその方向でがんばってみましょう。でも、お産の進み具合で、どうしても切らないといけない場合もでてきます。それはご了承下さい。
私 : はい、その場合はもちろん先生のご判断でお願いします。
 
 しかし現実は違った。医師は私の希望について、検討するそぶりすらなかった。私の心の中には様々な疑問が起こった。
 「…雑誌には、『必ずしも全ての人に会陰切開は必要ではない』とあったのになぁ。なんで先生は『必ず切れる』と言うんだろう。」「そもそも『皆さん切ります』と言ってたけど、切らないですむように努力したことはあるんだろうか?」「先生は妊婦雑誌なんか読まないのかなァ。」
 
 結局私は自分の疑問にむりやりフタをした。医師にこれらの疑問をぶつけて不快そうな顔をされるのもこわかったし、あの断定的な口調から考えて「出来るだけ、でいいので切らないように様子を見てもらえませんか?」と言っても「あのですね…」と出来の悪い子供に諭すように“説明”されるだけに違いないと考えた(ホントはそんなことはなかったのかもしれないが…)。この時期に病院を変える勇気もなかった。納得しないまま「ま、いっか。とにかく赤ちゃんさえ無事に取り上げてもらえるなら。」と、これ以上、会陰切開については考えないことにしたのだ。
 
 そして出産の時は会陰切開され、その傷は医師によると「ん、キレイですね。」というもので化膿などのトラブルは何もなかった。しかし座るたび、歩くたび、トイレに行くたびに痛み「『あなたの場合これこれこういう理由で会陰切開は必要だった』と言われれば納得もいくけど、私の場合、本当に必要な処置だったのだろうか。」「第一、『そう痛くありませんよ』って以前言ったけど、先生は男で、自分が切られたことはないくせに何でそんなことが言えるんだ。私にとってはたいそう痛いぞ。この位の痛みで不満に思う私のほうが我慢が足りないんだろうか。」となんだかわりきれない気分になった。
 
 「切られた会陰が痛い。」なんて恥ずかしくて家族には言えないし、家族に言っても仕方ない(何の解決にもつながらない)。医師が「キレイな傷だ。」というからには順調に治ってるんだろうから、あとは私が我慢しさえすればいい話なんだろうけど…。 
 こうして「違和感の石ころ」は心の右隅にひとつ、おきざりにされた。
 
A陣痛室
 いよいよ陣痛が10分おきになったとき、夜10時すぎに夫に送ってもらって病院に行った。病院で手続きをして夫は帰った。私は内診をしてもらい、分娩監視装置をつけられ、「いよいよになったら分娩室に移動しますからね。」と陣痛室で突然、ひとりぽっちになった。ここで「えっ!? おきざり?」とびっくりした。
 
 初産であり、イメージ力貧困な私は、病院に行きさえすれば看護婦や医師がかわるがわる横を行き交い、声をかけてくれ、腰をさすってくれ、というのをぼんやりと考えていたのだ。もちろんまったくのおきざりではない。しかし1時間おきくらいに看護婦(助産婦?)さんが様子を見に来てくれて声をかけてくれたが、それ以外はひとりぽっち、という現実はイメージとは大きくかけ離れていた。夜でもあり、なんだか心細かった。別に腰なんかさすってくれなくてもいいから、横でグースカ寝ててもいいから、夫がいればすこしは心強いのにな、と思った。23歳にもなる大人の女性が「心細い」もないだろうと思われるかもしれないが、初めての場所という落ち着かなさ、初めての痛みに対する恐怖、これからどうなるかについての漠然とした不安、そんなものがごっちゃになって、いつもより強く不安を感じたのだと思う。
 
 朝になり少しずつ不安は薄れてきた。部屋が明るくなり、鳥の声などチュンチュン聞こえるだけでもなぜかホッとするものだ。また、思いがけない助け舟もあった。私は全く知らない助産婦さんが「眠りねずみさんって、平田さんの親戚でしょう?」とたずねてきてくれたのだ。平田さんとは夫のいとこの女性であった。平田さんは以前この病院で働いており、この助産婦さんと親しかったのだという。その助産婦さんは夜勤明けでくたびれていたに違いないのに「これも何かのご縁だから」と私の腰をさすってくれた。それは「さすがプロ」と言えるもので、大変気持ちよかった。私は昨夜、緊張と不安とでほとんど眠れていなかったこともあり、あまりの気持ちよさに陣痛のあいまにうとうとしたほどだ。「本当に楽になりました。ありがとうございました。助産婦さんもお疲れでしょうから、どうぞもうお帰りください。」と何度か言ったが「遠慮しなくていいですよ。きついですねー。でもさすってもらうだけでも楽になるでしょう」「ハイ、うー、とても気持ちいいですー。」と結局言葉に甘えつづけ、お昼近くまでそうしてさすってもらっていた。このことで私は体も気持ちもすごく楽になった。あの時の助産婦さんには本当に感謝している。
 
 ただ、このことは「運がよかった」ことによるものである。親戚の知り合いが病院に勤務していて、しかも私の出産日に偶然出勤していて、かつ彼女の心が大変やさしく、勤務時間外なのに全くの好意で半日を割いてくれ、腰までさすってくれるなんてそうあることではないと思う。これらの偶然が重ならなければ、私は分娩室に移されるまで陣痛室で一人で不安および痛みと戦わなくてはならなかっただろう。
 
 「…みんなこうなのかなぁ。これが当たり前で、仕方ないことなのかなぁ。でも私はひとりぽっちはつらかったなぁ。」私の心の右隅にふたつめの違和感の石ころが転がった。
 
   B分娩台
 子宮口も開き、いよいよ分娩室に移った。本能的に、とにかくいきみたくてたまらない。でも「まだいきんじゃダメ」と、言われる。いきみたいいきみたいいきみたーい。それだけで私の頭の中はいっぱいになった。
 やっと「はい、いきんでもいいですよ。」と言われてヤッター、と私は力いっぱいいきんだ。すると「眠りねずみさん、力の入れ方が違う。ここ、おへその辺りを見て力を入れて。」「目、閉じないで。こっち見て。」とのこと。へ? どこ? うんとこしょ、どっこいしょ。こんな姿勢じゃ力はいらないよー。この時はじめて自分がずいぶん不自然な姿勢をしているな、と感じた。内診台もイヤだったし変な格好だと思っていたが、それよりも少し腰が上がったカンジ。いきんでも何だかうまく力がはいらない。感覚としては大きなウンチをだしたいのだが、こんな姿勢でウンチがでるかっ!! みんな本当にこんな姿勢でうまく力が入ったのか!? 普通のウンチだってこんな姿勢じゃでないぞ! ましてや今私は特大ウンチ、いや違った、赤ん坊を出そうとしているのに、力が入れにくい〜。不自然な姿勢に対する違和感の石ころがころん。みっつめ。
 
   C産む数分前の医師の登場
 分娩室では70代(?)の柔和なシスターがずっと私をリードしてくれていた(キリスト教系の病院だった。玄関には両手を広げたマリア様)。「なーんだ、医師が赤ちゃんを取り上げるとは限らないのか。でもこんなに優しいシスターに取り上げてもらうのも神様に祝福されているみたいでいいかもしんない。」といきんでいると「先生、はやくはやく。」と看護婦さんの声がする。ほどなく医師が手袋をしながら飛び込んできた。なにぃ!? 今の今まで私の経過を見ていたわけでなく、わたしの苦しさに付き合ってくれたわけじゃないのに、いざとなると医師がおいしいとこどり(?)するのか!? 違和感の石ころがころん。よっつめ。
 
 しかしあれこれ考えている余裕ははかった。医師に何度か力を入れる場所の注意を同じようにされて、何度目かに「そうそう、上手ですよ。」とほめられて、会陰をザクリと切られて、そうして赤ちゃんは生まれた。私は右眼の白目の所がウサギみたいに真っ赤になってしまった。力を入れすぎたあまり目の血管が切れたとのこと。「時々あるんです。自然に治りますよ」といわれたが、血管が切れるほどいきんだのかと我ながら感心した。
 
   D陥没乳頭
 何はともあれ病院に来てから約14時間後、私と赤ちゃんは無事、身二つになれた。出産で疲れきった私はようやくほっとした。「こんなにお産がきついとは思ってもいなかった。今までの人生の中で一番きつかった。こんなにつらいことに耐えられたのだから、これからの人生何があっても耐えられるに違いない。」とか「いままで自分の誕生日はたーだ、のんきに祝ってもらっていた。自分が生まれる時に母もこんなに苦しい思いをしたのなら、誕生日ってのは祝ってもらう日でなく母に感謝する日にするのがホントだよなぁ。」とか考え、「なにしろ終わった終わったー。」という気分を満喫していた。次の日からますます疲れる事態が待っていようとは思ってもいなかった。
 
 赤ちゃんが全く母乳を飲まないのである。
 何とか乳首をくわえさせようとするがイヤがり、真っ赤になって泣く。新米ハハの私は途方にくれてしまった。この病院は母児別室で決まった時間に授乳するシステムだった。何人もの赤ちゃんが新生児室にずらっと並んで寝ており、授乳時間になったら母親は自室から授乳室にゆく。みんな一斉に授乳するので嫌でも他の親子が目に入る。どの赤ちゃんもおいしそうにおっぱいを飲んでいるのに自分の赤ちゃんだけ飲まないというのは私にとってかなりショックな出来事だった。
 授乳前と授乳後に体重をはかり、一覧表に記入するシステムも私の心をさらにおちこませた。他の人は+60gとか+20gと書いているのに私だけ±0gと書かねばならないのだ。赤ちゃんがひどく泣いたり途中でおしっこが出たりするとプラスどころかマイナスになるのである。
 
 看護婦さんは「飲まなくてもこちらでミルクをあげますから心配いりませんよ」とニッコリ笑う。赤ちゃんはミルクを飲めばいいのかもしれないが、出ないならともかく、あふれるようにでるこの母乳を飲ませたいのにー、という私の気持ちはどうなる。
 
 出産翌日だったか翌々日だったか、ある助産婦さんがおっぱいのマッサージをしにベッドサイドに来てくれた。「まあ、よくでますね。」という助産婦さんに、私は「ええ、でるんですけど赤ちゃんはちっとも飲んでくれないんです…」と苦笑いをした。すると、「あら、そうなんですか?」としばらく私の胸をあっちこっち押したあと、「うーん、乳首の形が悪いから赤ちゃんが飲みにくいんでしょうね。これは陥没乳頭だわ。妊娠中にお手入れはしてました? あら、してなかったんですか。妊娠7ヶ月過ぎから赤ちゃんが飲みやすいように乳首のお手入れもしなくちゃいけなかったんですよー。」
 
 この言葉に私はショックを受け、怒りがわいてきた。
 ――妊娠中、しげしげと病院にかよったが、エコー・腹囲測定などお腹周りの診察と内診はあっても、一度も「乳首の診察を。」と言われたことはない。乳首の手入れの指導を受けたこともない。私は自分の乳首を「ちょっと扁平乳頭なのかなァ」と思ったことはあるが、他の人と見比べる機会があったわけでもなく、こんなもんかな、と思っていた。陥没乳頭とは気づかなかった。でもシロートがわかるもんかっ! 乳首の手入れが必要だということも知らなかった。知らない私の勉強不足なの? そういえば雑誌には「乳首の形が悪い場合には…」とつまんだり引っ張ったりの説明があったような気はする。でも自分の乳首の形が「フツウ」だと思いこんでいた私はそんな記事を読み飛ばしていたのかもしれない。でもでもでも、さも、手入れをおこたった私の落ち度みたいに言うけど、あなたたち(病院サイド)は診察も指導もしなかったじゃないかっ!!
 
 今考えると、この時はホルモンのアンバランスなどでいつもの精神状態ではなかったと思う。今の私があの時の私のそばに行ったら「そんなにイライラカリカリしなくてもたいしたことないよ。」と言ってあげると思う。
 
 私は赤ちゃんがおっぱいを飲まないことですごく落ち込んだ。「飲まないの。」と周囲に訴えても、みんな「病院のミルクをもらってるからいいんじゃない。」と意に介しないので「みんな私の心配をわかってくれない。」とますます落ち込んだ。乳頭のケアのことでは助産婦さんに怒りを覚えたがその感情を彼女に訴えることは出来なかった。「お世話になってるのにこのくらいのことでガタガタいうのはみっともないよね。」「いまさら言ったって仕方ないことだし。」と一生懸命思おうとした。こうして私の感情の捌け口は「まだ名前が決まっていない。」といっては夫を泣いて責めることに終始した。
 
「他のお母さんたちはみんな『太郎ちゃーん』とか『花子ちゃーん』とか名前を呼びながらおっぱいをあげてるしオムツも替えている。ウチの子だけ名前もなくて『赤ちゃーん』と呼びかけてる。」(心の中ではこのあと「だからウチの子だけおっぱいも飲んでくれないし、泣いてばかりいる。どうしてくれるのよっ!」と叫んでいた。今考えるとムチャクチャだが、当時は本気でそう思いつめていた)
 
 夫はキョトンとしていた。それはそうだろうと思う。名前を決めてないのは私も了解済みで「赤ちゃんの顔を見てからゆっくり考えよう。」と入院前は言っていたのだから。後日、彼は「あの時は途方にくれた。おまえは割と冷静な女だと思っていたのにびっくりした。」と言っていた。当時、私にまくし立てられてもキレないで「よしよし」といたわってくれた彼に感謝している(その時は「この人も私の気持ちをわかってくれない。」とおおむくれだったけど)。感情は大揺れだった。
 
 とにかくこの時、「陥没乳頭の診察や指導を妊娠中にどうして実施してくれなかったんだろう」という「納得いかない気持ち」がいつつめの石ころとして私の心の右隅に転がった。
 
 退院するまでに心の右隅の石ころは五つ積みあがり、それは思いがけない重さで私の心にくいこむことになった。
 
 
(3)フツウってなんだろう―会陰切開・分娩台について―
 退院後は私も赤ちゃんもお互いに慣れてきたのか、母乳をぐんぐん飲んでくれるようになった。そして私はこどもが1歳半のとき再就職し、仕事に、家庭に充実した日を過ごしていた。病院にいたとき感じた「違和感」「納得いかない気持ち」は忘れるともなく忘れていった。
 
 こどもが4歳になった時、転職した。新しい職場は車で1時間かかるところで、通勤時にラジオをつけることが私の習慣になった。
 ある時、通勤時のラジオでブラジルの出産についてレポートしていた。ブラジルは貧富の差、地域格差が激しく、都市部は世界の主要都市に負けないくらい「都会」だが、車で何時間か走ると掘建て小屋といったカンジだそう。フーン、そうなんだぁ、と何気なく聞いていた私は、その次の言葉にひどく衝撃を受けた。
 
 ブラジルの都市部の帝王切開率は90%だ、と言ったのだ。
 なんですと!? なんでそんなに帝王切開するのー!?
 そして恐ろしくなってきた。もし私がブラジル人で、都市部に住むくらいのオカネモチで、自分の親戚も友人も出産は病院で帝王切開をしていたら、自分もすんなり帝王切開するのだろうか。
 
 …きっとするだろう。だってみんなそうしてるんだもの。なんらかの偶然で世界の出産事情を知りでもしない限り、自分の周囲が特別だということにすら気付かないだろう。「みんなそうしてるから」「安心だから」みなと同じようにしただろう。90%、という数字から妊婦さんが帝王切開という出産を「選んだ」とはとても思えない。
 
 しかし私は日本人で、「帝王切開はそんなに頻繁に行われるものではない」と知っている。だから「帝王切開の方が母体と赤ちゃんのために安全なら帝王切開を希望するが、自然に産めるものなら経腟分娩をしたい。」と考える。「必要な部分には医療を、でもできるだけ自然に。」が私の希望だ。はぁ、世界にはいろんな出産があるもんだ。日本人でよかった。
 
 …ん? ちょっとまて。では日本の、私の出産はどうなのだ? 私の周囲から考えて「フツウ」だと思っていたが… ブラジルの例から言っても私の「普通」「自然」の概念すら世界の「普通」「自然」かどうかかなり怪しい。
 
 パッと会陰切開のことが浮かんだ。あれは「仕方のないこと」と思っていたけど本当にそうだったんだろうか。本当に私にとって「必要な部分の医療」だったのだろうか…? 各国の会陰切開率ってどのくらいなの? 次にお産の分娩台のことも浮かんだ。あれは? あれはあたりまえのことなのか?
 
 この時、本当に偶然、ラッキーなことにその時の私の職場には同僚として助産婦がいた。私はすっかり忘れていた自分の疑問を彼女にぶつけてみた。会陰切開は本当にほぼ全員、必要なものなのか?
 
 彼女はニッコリ笑ってこう言った。「そんなことないよ。ある程度お産に時間がかかるとね、よくしたもので、ちゃーんと会陰は伸びるの。助産院ではほとんどの場合は切らなくてすむよ。」「ほんとにそうなの? 何でそう言えるの?」「だって私が介助したお産、ほとんど切らないですんでるもの。」
 「ね、じゃあついでにもうひとつ聞くけど助産院は分娩台で産むの?」
 「四つんばいとかしゃがんだり… その人がとりたい姿勢を自由にとってもらうよ。」
 
 私はショックのあまり、クラクラとめまいがしそうだった。
 彼女は私に色々なことを教えてくれた。赤ちゃんのペースに合わせて、自然に産まれてきた赤ちゃんは決して青黒くなく、きれーいなピンク色であること。分娩台はとても力が入れにくい姿勢であり、妊婦さんは自由な姿勢をとったほうがずっと楽なこと。へその緒が首に巻きついた赤ちゃんは、ちゃんと自分が苦しくないように、へその緒が首を締めないようにゆっくり産まれてくること。エトセトラエトセトラ。
 
 私にとってはカルチャーショックなことばかりだった。自分がお産について考えていた「フツウ」「アタリマエ」がガラガラと音をたてて崩れていくのが聞こえた。
 
 陥没乳頭についても聞いてみた。まず「その時に文句言えばよかったのに。」と笑われた。そりゃそうだ。「でも、助産婦なら乳頭のケアもそうだけど、食事指導とかも妊娠中にするけどね。」 そうなのか… 食事指導とかもなかったなァ。イヤ、ちょっとまて「妊娠中の食事」みたいな講座は病院か保健所かどこかであったような。そういえばあったあった。講義形式で「つまんない。」「妊婦本や雑誌で知ってることの繰り返しだ。」と内容はあまり印象に残らなかったっけ。
 
 よし、もしも今度出産する機会があったら、どこで産むかは慎重に考えよう、と決めた。とはいえ、第一子出産から6年が過ぎており、ウチはもう一人っ子かなァ、とも思っていた。
 
 
(4)第二子妊娠
 その後、諸般の事情があり、私は退職を決意した。どうせ(?)仕事をしていない期間があるのならこの機会に赤ちゃんが授かるといいなァ、とボンヤリ考えていた。第一子はすでに8歳になっていた。
 
 退職して1ヶ月後、本当に赤ちゃんがおなかにやってきた。ヤッター。私はとてもうれしかった。まずは薬局に売っている妊娠判定テスターで確認した。プラス。よしよし。
 
 次に、もうしばらくしたら確認のために病院にいかないといけない、と思って、ハタと立ち止まることになった。今度は病院での出産はイヤだと思う。念のため言うがP病院が特別ひどいところだったとは思えない。むしろ対応等、いいほうだろう。友人の話など聞いても会陰切開、分娩台、陣痛室など大差ない。病院がどこもあんなかんじなら、病院はイヤだ、ということなのだ。会陰切開をできるだけしないですむように努力してくれて、分娩台でなくフリースタイルのお産を介助してくれて、赤ちゃんを取り上げる人は取り上げる瞬間だけいるんじゃなくて陣痛の時から付き合ってくれた人で、陣痛室では家族も一緒に待機させてくれる病院があるならそこでもいいのだ。でも、そんな病院を私は知らない。
 
 ともあれ検診から出産するところに行ったほうがいいだろう。では病院でなく、どこ? 助産院か? かつての助産婦の同僚は「自宅で産んだ」と言っていた。そうか、自宅という手がある。私も自宅がいいな。だって自分が一番リラックスできる空間だもの。よし、今度は自宅で産もう。決定(アッサリ決めたところは第一子と大差ない)。でもその場合、検診はどうしたらいいんだろう。私はかつての同僚に相談することにした。
 
 かつての同僚とその上司である女性が相談に乗ってくれることになった。二人とも助産婦である。彼女達は「おめでとう! 自宅? いいね〜。」と相談に乗ってくれることになった。私は百万の味方を得たような気になった。これで安心、何もかもうまくいく。ところがそうは問屋がおろさなかった。
更新日時:
2005.10.23 Sun.

2.自宅出産するために取り組んだこと
(1)家族の心配
 
私は、出産方法は産む本人が決めて、周囲がそれに協力してくれるものだと考えていた。産むことで、つらい大変な思いをするのは産む本人なんだから、周囲が心配こそすれ、口を挟むなんてことを(ノンキにも)予想していなかった。しかし、「自宅出産したい」と言った途端、夫の両親と夫は大きな不安に突き落とされたらしく、様々な反応がでてきた。
 
 まず妊娠のことを告げると皆喜んでくれた。ところが「自宅で産むつもり」というと一様に表情がこわばってしまった。
 「万一のことがあったらどうするのか。」これが一番心配なようだった。赤ちゃんに、母親である私に、緊急事態が発生した時、病院ならば医師もおり、必要な器具もあるので何らかの処置ができるだろう、というのが彼らの主張だった。
 
 何が心配なのか具体的に聞いてみると、
@私と赤ちゃんの体のこと(私に輸血や点滴・縫合の必要が生じた時はどうなるのか、病院ならば緊急帝王切開や吸引分娩になるような事態の時に、自宅ならば助産婦さんしかいなくて、器具もなくて、どうなるのか等)
A物品の準備(自宅出産するなら自分達で物品を準備しなければならないだろう、しかし何を準備すればいいのかサッパリわからない)
B自宅で出産する場合のセッティング(仮に物品を準備したとしてもそれをどこにどう置けばいいのか、部屋をどのように使うのか、イメージがわかない)
C助産婦さんが自宅に到着するのが間に合わずに出産が進行したらどうするのか
 大別するとその四つに分けられた。
 
 一方、私は「万一の事態」が生じたら救急車で搬送してもらえばいいだろう、物品やセッティングのことは助産婦さんに指導してもらえばいいだろう、と考えていた。
 
 「自宅で取り上げるのは初めてです」という人に頼むのでない限り、準備やセッティングなど助産婦さんの方がプロなのだから聞きさえすればいいだろう、逆にそんなとんでもなく準備が大変な事態に助産婦さんはしないはずだ。出産の進行が思いがけず早かったら、という点についてはこの時も救急車で病院に行けばよいと考えていた(というか、普通、経産婦で早く進行したとしても4時間はかかるだろう、助産婦さんが出発に手間取ったとしても3時間もあれば我が家に到着するだろうから間に合うだろうと考えていた)。
 
 夫の両親は「自宅で産むというのは心配だから(あなたがいろいろ調べて、私達に説明して)、私達を納得させてちょうだいね。今の段階では納得できていないから。」と言った。かろうじて「反対」という言葉を飲みこんだ感じだった。夫は「基本的に『自宅出産に反対』というのではないけれど、両親が賛成しないまま自宅出産をするのは反対。自分も万一の事態を考えると自宅出産は心配だ。」と言った。
 
 そこでまず私は夫といろいろ話をすることにした。
 話し合ってみると、夫の心配は(私にしてみれば)こまごまと、多岐にわたった。でも夫にしてみればその一つ一つが重要なことだったのだろう。そしてその一つ一つについて、それはこうだろう、あれはこうだろう、そのことは私にはわからないから助産婦さんに聞いてみる、と話し合いを進めていった。しかし話しても話しても何だか二人がすれ違いの話をしているような、いごこちの悪さを感じた。
 
 私は心の中で「どうしてそんなにイロイロと心配なんだろう」と半ばあきれていたし、一方、夫の顔には「どうしてそんなにのんきに構えていられるんだ?」と書いてあった。そしてしまいには夫はこういったのだ。「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」「心配事を一つ一つ話して返事をもらっても『まだ自分には想像もつかない何らかの非常事態があるかもしれない』と思う。だから自分の心配事について全部説明してもらっても、その『自分にも想像も出来ない万一の事態はどうするんだ』という心配は消えない。」
 
 これを聞いた時、ははーん、根っこはこの「私自身に感じているあやうさ」と「漠然とした不安」なのかぁ、とやっと胸にすとんと落ちた気がした。しかしこれはやっかいだぞ、と自宅出産について少し不安になってきた。
 
 私はその時まで夫や夫の両親の心配事を一つ一つ解決していけば彼らは徐々に納得してくれるだろうと考えていた。しかし相手が上記の二つならばそうはいかない。特に「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」というのは私達夫婦の信頼関係が(というか夫の私に対する信頼が)脆弱だということを意味している。私はまず夫に信頼してもらう努力から始めなければならない。さてどうしよう…。とりあえず夫との第1回検討会(?)はここまでだった。
 
 
(2)妻と夫の認識の違い
 時を改めて、私は第2回検討会(?)をそろそろと開始した。
 私はまず夫と「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」について話し合おうと思っていた。夫婦なのに信用してもらってないってちょっと淋しいなァ、と思いながら。
 
 夫はふたつのことを「『大丈夫だと思う』と言ったが全然大丈夫じゃなかった。」という事例として挙げた。
 ひとつは第一子出産後の再就職時のこと。看護婦としての就職をする際(看護婦として就職するのは初めてだったので実情がよくわかっていなかったのもあるが)、「日勤は8:00〜16:30ということだから遅くなったとしても18:00には帰宅できると思う。」と言ったことだった。
 実情は大きく違っていたのだ。18:00に病棟を出らればいいほうで、19:30頃まで残ることもしばしばあった。夫婦二人ならそれでも問題はなかっただろうが、私達は当時1歳半の子供を夫の両親に預けていた。夫は「オレの仕事のペースは変えられない。」と最初から言っており、いつも通りのペースで仕事をしていた。私が急に残業になったからといって仕事を無理に切り上げて早めに帰宅することはできなかった。そこでしわ寄せは夫の両親に行った。
 夫は自分の両親に対して「申し訳ない」と思う気持ちが強くあった。
 
 もうひとつは子供のケガのことである。私と子供が近所で遊んでいる時、子供がくるぶしをザックリ切った。ガラス瓶が割れたまま放置してあったのに気づかなかったのだ。日曜日の夕方のことだった。「縫合した方がいいかな」とチラッと思ったが、圧迫していたら止血したし、指も動く。「動脈も神経も切れていない」と判断し、子供も落ち着いたので病院には行かなかった。そしたら傷はケロイド状に3cm位「く」の字のまま残ってしまった。
 
 さらに、「オマエの言うこと、することは一事が万事この調子なので思い出せないけど他にもイロイロあった気がする。とにかく何か信用できない」と言うことだった。
 私はいろいろと湧きあがる感情があり、心の中でひとしきり叫ばなくてはならなかった。
 
 「再就職の時、仕事でどんなにつらくったって、私がしたいといって始めた仕事だからと思ってあなたには弱音をはかなかったじゃない。『18時には帰宅できると思う』と言ったのは確かに私だけど、それが守れなかったのは私のせいなの? それにその負担はあなたの両親にかかって、義父母は『大変だけどこれはこれで楽しいからいいのよ』と言ってくれた。あなたは文句を言うばっかりで、実際に助けてくれたことはほとんどないじゃない。」
 
 「日曜日の怪我のことだって、『自分は疲れているから』とテレビを見てごろごろしていたんじゃない。私だって疲れていたわ。でも子供は元気が余って、だから私が外に連れ出した。子供のケガを家に帰って処置した時に『病院に行かなくても大丈夫と思う』と言ったのは確かに私だけど、その場にあなたもいたじゃない。後でグジグジ言うくらいなら『イヤ、俺ははどうしても心配だ』と自分が病院に連れて行けばよかったじゃないの。第一、傷が残ったって言っても場所は顔じゃなく、くるぶしだし、本人も気にしていない。足を引きずっているわけでもない。傷跡は成長すればもっと目立たなくなると思うし、私としてはこれは十分『大丈夫だと思う』と判断して『大丈夫だった』例なのよっ!!」
 
 そして心の中で思いきり叫んだあとで、思考があっちこっちにいかないよう、一生懸命落ち着こうとした。
 「イヤイヤ、待て。今、この心の中の思いをそのまま言ったら多分『何を!』『何よ!!』と論点がずれたケンカになってしまう。夫の意見は納得できない。納得できないから、いずれ少しずつ話合うとしても、今は過去の二つのことを話合う時ではない。私は今日は『おまえの大丈夫と思うは信用できない』という夫の思いを変えることはできないのか? ということを話合いたいのだ。でないと自宅出産について夫はずっと否定的だろうから。…よし、今日何を話合うべきかは再確認できた。いくぞっ!!」
 そして慎重に言葉を選んで、静かに言った。
 
私 : そのふたつについては、その通りで申し訳なかったな、と思うよ。
  でも、それ以外ってそんなに何があったかな。
 
夫 : 思い出せないけどなんかいろいろあったよ。おまえはいつもそうなんだ。
 
私 : うーん… 私も思い出せないのよね。
  で、私の記憶の中には『しまった、大丈夫だと思ったけど大丈夫じゃなかったことをまたしてしまった!!』みたいな感情も残ってないのよね。
  でも、あなたにはその感情は残ってるのよね。ということはやっぱりあなたは強くそう思ったということだろうね。
  …ね、これは二人が同じ体験をしていても、受け取り方が違うってことじゃないかしら。どっちがいいとか悪いとか正しいとか間違ってるとかいうことではなく。
  二人が同じ場にいて同じ体験をしてもあなたは「大変なことだった。」という感想を持ち、その感情が強く残る。私は「何とかなった、たいしたことなかった。」と思い、事柄も感情も特に記憶に残らない。
 
夫 : ……
 
 話しながら私は次のように考えていた。
―――そうか、そうかもしれない。夫は表現としては「信用できない」といったけど、それは「おまえがどうしてそんな のほほんとしていられるのかわからない」ということなのかもしれない。するとそれは「おまえを信用できない」ということではなく、気持ち的に「しんじられーん」ということであり、「夫は二人の認識の違いに気付かないまま苛立っていた」ということではないか? これは二人の物事の捉え方、感情の持ち方がとても違う、という結果なんだ。考え方や感情を人と全く同じようにするなんて無理だし、しかたのないことなのではないか? でも、お互いに相手を認め合ってお互いの感情に配慮することはできるかな? 少なくとも今、夫は「こいつと自分は物事の捉え方がかなり違う」ということには気付いたと思うが。―――
 
 夫がどう考えたかはわからない。でも私の中では「これは、どっちかが譲るとか努力するとかして解決する問題じゃないから、『お互い捉え方が違うな』とお互いを認め合うことしかできないのではないだろうか。」と結論が出た。
 夫が黙っていたこともあり、私の思考は次の段階に移っていった。
―――夫は私よりも「物事に慎重で、結果に対しても評価が厳しく、負の感情を持ちやすい」のだから、ではその夫が少しでも安心する材料があるか、探してみよう。――
 
私 : ね、以前「自宅出産について心配事を一つ一つ話して返事をもらっても『まだ自分には想像もつかない何らかの非常事態があるかもしれない』と思う。だから自分の心配事について全部説明してもらっても、その『自分にも想像も出来ない万一の事態はどうするんだ』という心配は消えない。」って言ってたよね。
 
夫 : うん。
 
私 : そう言われると、私としてもとまどうのよね…。
  心配なことを具体的に挙げてもらえれば「これはこう、それはそう」と解決していって、それで少しづつ安心してもらえるかな、と思っていたから。
 
夫 : それじゃ安心できないよ。
 
私 : そうか。ただ逆に私はあなたと違ってそんなに医者や病院を信用していないのよね。医者がいても、病院でも何かある時はあってしまう、というか… 
 
夫 : そりゃそうだよ。でも医者がいても何かが起こってしまったのなら「医者のせいだ」と責められるじゃないか。
 
私 : そうかな? よっぽど明らかなミスをしたときは責められるだろうけど、医者が良い腕でも、いい器具があってもどうしようもないことってあるとおもうよ。
 
夫 : それでも自宅出産で万一のことが起こったら、自分の中で「やっぱり病院であれば、医者に見てもらえれば、結果が違ったのではないか」という思いはずっと残るよ。オレだけじゃなくオヤジやオフクロもそう思うんじゃないかと思うよ。
 
私 : (…それを言い出したら、自宅出産はできないよ。万一の事態が起こったときに助産婦さんに「あんたのせいだ」って言うってことじゃん。私だって、ホントに助産婦さんのミスだと思うなら文句言うけどさ、そうじゃなくてどうしようもない事態なのに「あんたのせいだ」って言われたら、助産婦さんはたまんないよね。助産婦さんにそこまでの迷惑をかけるわけにはいかない。あぁぁ、ウチは自宅出産はできない家庭だったか。撃沈だ。撤収…)
 
  うん、そうか…。私だって「絶対大丈夫」って思っているわけじゃないよ。やっぱり万一のことがあるかもしれないとは考えているよ。ただ、私は万一のことが起こっても、運命というか、仕方のないことというか、それは誰のせいでもなく起こってしまったことだ、と考えると思うのよね。でもあなたは自宅出産だと、そうは思えないのよね…。もし本当にそういう事態になってしまった時に、あなたが一生「こうしていれば…」と苦しむのは私にとって本意じゃないよ。
 私は「できたら自宅出産をしたい」という希望がある。でも「まわりが何と言おうと、私のことだから、私が決めたからこうするんだ」とは思ってないよ。万一の時どうしてもあなたがそういう感情を抱いてしまう、というのなら、それはどうしようもないよね…。
  それなら自宅ということでなく助産院や病院を検討しなくちゃいけないね。
 
夫 : イヤ、一生苦しむというか…。 もしそうなったらオレだって結局は「仕方ないことだったんだ」という納得の仕方をしないといけないとは思ってるよ。だからオレも助産婦さんの話しをいっしょに聞こうと言ったんじゃないか。
 
私 : (…へ? なんだか雲行きが違う方向へ???)……。
 
夫 : オレだって「自宅出産には絶対何がなんでも反対」というわけじゃないよ。ただ絶対にリスクはリスクとしてあるはずなんだ。それがはっきりしないから心配なんだ。
  おまえは自宅出産について、オレが何を聞いても「〜だから大丈夫と思う」としか言わないじゃないか。それは変だ。そんなことはないはずなんだ。
  だからオレは助産婦さんにそこを聞きたい。結局は助産婦さんがメリットもデメリットもきちんと説明できる人か、信用できる人か、ってところでしかオレは判断できないと思う。とにかく、会ってから考えるよ。
 
私 : そうか。 …それにしてもあなたは助産婦さんに対してはそんなに慎重なのに医者だったら会っていなくても信用するのね。
 
  私も第一子目の時は、病院に対する期待が今のあなたに近かった部分があったと思うの。産むのは私だし生まれてくるのは赤ちゃんの力なんだけど、今はそう思うけど、あの時は自分のことなのにヒトゴトというか「ちゃんと産ませてよね、取り上げてよね。」みたいに医者に「よろしくたのむよ」というか、まかせるような気持ちが強かった。でもこんどは「医者に産ませてもらう」のではなく、「自分で産みたい」と思うの。病院に行くとどうしても「お医者さんのところにこちらがお邪魔します」みたいになってしまう。そうじゃなくて、自分のことだから自分が一番落ち着く環境に居て助産婦さんに対して「私達の家にいらっしゃいませ。私も赤ちゃんもがんばるから助産婦さんもサポートよろしくね。」というスタンスでいきたいの。
 
夫 : うん…。ただ自分は基本的に「産むのはオレじゃない」と思ってるから、(産む場所がどこだとしても)立会いとか、へその緒を切るとか、そういうのはちょっと…。
 
私 : いやなことはもちろんする必要ないよ。ただ、わたしは、別に腰をさすってくれなくても、手を握ってくれなくてもいいから、あなたが近くに居てくれると心強いな、とは思うけど。
 
夫 : うーん…。
 
 この時の話し合いはここまでで終わった。
 私は「自宅出産の危険性を夫にいろいろ話しても不安を大きくするだけだし、そうすると自宅出産に反対されてしまう。病院には別種の危険性があるわけだし、自宅でも病院でも別々のメリットとデメリットがあるから、アイコだわ。」と判断して話しをはしょっていた。勝手だったなァ、夫にはお見通しだったなァ、と反省した。
 
 そして、私と夫の認識の違いについては、お互いの性格の違いも大きいが医療関係者か否か、ということの影響も大きいだろう、と改めて思った。
 
 私は自分が看護婦だったことがあるせいか、病院に過剰な期待をしていない。病院にかかって医師も患者も一生懸命努力しても、どうしようもないこともあると思っている。医師にもウマイ・ヘタがあるし、看護職の人間性もいろいろだ。「どのような医師・看護職がいいか」と言ったってそれぞれ技術の得意・不得意分野があるし、患者さんとの相性もある。100人が100人、「この人」という人なんていないと思う。医師も看護職もいつでも発展途上だから一概に「コイツとコイツは医療関係者として、失格だ。」と簡単に断罪もできない。
 
 だから患者さんや家族の病院によせる期待、これは一体なんだろうととまどう。看護婦の時も、今もだ。みんな病院を魔法のお城と思っているのではないか、患者として自分が横になればチチンプイプイと何とかしてもらえると思っているのではないか。医師も看護職も人間で、感情も揺れるし、疲れもする。限界だってある。そのことが患者さんに対してマズイ対応をとった時の言い訳になるとは思わないが、患者さんやその家族は医療関係者にどこまで求めるのだ? その要求はまるで底無し沼のようではないか、とやりきれない気持ちになったこともある。
 
 しかし一方で看護婦として3年半しか経験がない自分だからこそ、看護婦になる前の記憶もある。健康で病院とは縁がなかった自分こそ「病院に行きさえすれば何とかなる。」と思っていたひとりだ。医師や看護職が病気や治療について丁寧に説明してくれようとしても「イヤイヤイヤ、私には難しいことはわかりませんから。お任せしますから。病院を信じてますから。」と自分の病気・体について、知り・考えることを面倒くさがっていた。なぜ自分の体が悪くなるのか・良くなるのかよくわからないくせに(わからないからこそ?)、自分は特に何か気をつけるということをしないまま「医師が治そうとしてくれているから治るハズ。」と妙な自信を持っていた。家族や周囲の人だって似たようなものだった。
 
 だから夫や夫の両親が「病院にいさえすればかなり危険なことがあっても何とかなるのではないか。」と期待を持つのもわかる。「最新の器具や施設・医師が揃ったところで手を尽くしても悪い結果が出たのなら諦めもつくが、そのどちらもないところで悪い結果がでたら諦めがつかない。」と不安がり、「どういう時に、何が起こるのか? それは器具や施設・医師か助産婦かに左右される問題なのか。」を吟味しないままおびえる気持ちもわかる。
 
 医療関係者か否か、という違いによる病院に対する期待の差は「口でいくら言っても埋まらない溝かなぁ」というあきらめも半ばある。しかしだからといって「どうせわからないから」と最初から半端な説明しか実施しないのは、やはり失礼だろう。そしてそのような姿勢ではお互いの理解も深まらないままである。
 少しずつ、いろんな話をしていこう。
 私にとってはとても有意義な話し合いだった。夫にとってはどうだったのだろうか?
 
 
 (3)私はどんなふうに産みたいのか
 夫の両親と夫の反応を見て、「いろいろな捉え方、考え方があるなぁ」と気づいた。ではここで、「私はなぜ自宅出産をしたいと思うのか」整理しなおして考えてみることにしよう。
 
 第一子の時を振り返ってみると、お産を具体的にイメージすることすらできていなかった。産むのは私だし、生まれてくるのは赤ちゃんなのに「病院で取り上げてもらう」「先生、ちゃんと産ませてよねー」といった感じで漠然と最初から人任せ、施設任せの考えだった。この考え方は通院するたび、医師とやりとりがあるたびに強化されていった。
 でも、お産が終わって、何だか疑問点と釈然としない思いが残った。それはそれらの問題を解決しようとしなかった私の責任だ。
 
 では、今回はその問題を解決するために医師に要望を伝えることができるか? 病院での出産のメリットとデメリットを考えながら、できるだけ私の希望がかなうように、私と医師が一緒に可能性を探ることができるか? それを考えた時「この病院ならば」「この医師ならば」というところを思い浮かべることができなかった。
 
 さきほど「患者さんや家族は病院に対する期待が大きすぎる。」と書いたが、医師にもそれを助長している人が多いと思うのだ。あるいは医師自身が本当に「病院でありさえすれば、自分か、他の医師でコトに当たればなんとかなる。」と思ってるようにも見える。そこには「患者は何を望むのか、何を恐れるのか。」という視点が欠けている。そして患者が希望を言っても「それは優先すべき問題ではない」とあっさり一蹴するのだ。だが、患者の体が患者のものであり、患者にある程度の判断力があるというのに「それは優先すべき問題ではない。」となぜ医師が判断できる? あるいは医師も忙しすぎて患者と一緒に考える時間など取れないのかもしれない。
 
 もともとそう沢山の病院を知っているわけではないが、友人や知人から聞いたところはどこも「会陰切開をしており」「陣痛室では一人で耐え」「分娩台で」「助産婦さんが直前までついていてくれるが結局取り上げるのは医師」であった。
 
 私の希望は「私は頑張って産むし、赤ちゃんも頑張って生まれてこようとしているから、助産婦または医師はそんな私と赤ちゃんをサポートしてほしい。」「お産の苦しい部分はできるだけ減らしたい。」「陣痛と出産の間ずっと、夫と娘に(二人が嫌がらなければ、の話しだが)同じ空間に居てほしい」「可能ならば会陰切開はしないでほしい」「問題がない限り、私と赤ちゃんのペースでお産をすすめたい。」「分娩台でなく自分が楽な姿勢で出産したい。」である。
 
 自分の希望を考えた時、私の出産をサポートしてもらうに際して一番理想的な人は助産婦さんであり、一番理想的な場所は自宅であった。
 
 ただ、ここで考えなければならないことがひとつ。それは「夫と夫の両親が反対する状況は避けたい」ということであった。これは夫と夫の両親のニーズというだけではなく、私のニーズでもある。
 夫と両親の気持ちを考えると、というのが第一の理由。夫および両親とは産後も、これから何十年もつきあっていくのだからアチラに腹立ちの種を植え付けたままでは先々の付き合いにも支障が生じるだろう、それでは私もツライ、というのが第二の理由。
 
 そこで私は夫と夫の両親に対して「自分の希望は自宅出産」ということをはっきりさせたうえで、できるだけ納得してもらえるように「なぜそこまで自宅出産したいというのか」説明し、わかってもらう努力をしなくてはならないと思った。
 夫とは先日の話合いで「とりあえず自宅出産することを前提に助産婦さんと会う」というところまで合意がとれた。夫の両親が「絶対に反対」という姿勢でなく助産婦さんと会うことに合意してくれれば、次の段階として実際に助産婦さんの話しを聞いてから最終的に自宅出産にふみきるかどうかを考えることになる。話しを聞いても納得してもらえない場合は第2候補として助産院、第3候補として病院を検討するしかない。
 
 私達夫婦と夫の両親は家三軒をはさんだだけの近所である。今までさんざん娘もお世話になっている。夫と両親が顔を会わせるのは1〜2週間に1回だが、私と両親は顔を見ない日はない。いままで濃いお付き合いをしているし、これからもそうだろう。
 周囲が了承しないまま自分の希望を押し通すという手もないわけではないが、それをすると後で2倍・3倍返しで面倒くさいことになるのは火をみるより明らかである。今、説得工作がどんなに面倒くさくてもココで頑張ったほうが後がラクになるのである。そう、私は自分がラクをするためならどんな苦労もいとわないのだ。本質的に面倒くさがりというのは昔も今も変わらないのである…。
 
 
 (4)夫の両親に了解してもらうために
 私はとりあえず気持ちを伝える為に夫の両親に手紙を書くことにした。口頭で話していると、相手の質問や合いの手が入って論点がどんどんずれていくのを恐れたからだ。相手が何も言わなくてフンフンと聞いていてくれてもずれていってしまうかもしれない。私が言いたいことはアレもコレもあったし、私はもともと物事を順序だてて話すのが下手なのだ。
 
 少なくとも前回の出産で納得いかなかった5点は書きたかった。夫とどんな話合いをしたかも。元の職場で同僚の助産婦がどんなことを言ったかも書きたかった。ぶっつけ本番で書くなんてとてもできないからパソコンで推敲しながら書いた(打った?)。そうこうしているとA4用紙13枚の大作ができてしまった。
 
 自宅にプリンターを持っていないのでフロッピーディスクに保存して、夫の職場で印刷してもらった。その際に夫にも読んでもらった。夫は「話している時に(おまえの気持ちは)大体わかったつもりだったけど読んでみて改めてそうだったのか、と気付いた部分もあった。」と言った。同時にこうも言った。「『え? 自分の発言はこうとられていたのか』と驚いた部分もあった。そんなつもりじゃなかったのにな、と。」
 お互いに認識のすりあわせというのは努力と時間の要るものであるなぁ、少なくとも私と夫の場合は「黙っていてもわかりあえる」ということはありえないな、とつくづく思った。
 
 「この文書を夫の両親に渡す」ということは夫の了解が得られた。そこで「お父様とお母様、お二人で読んでください。」と、渡した。
 
 
 (5)8歳の長女を出産に立ち会わせることの是非
 数日後、私達夫婦と夫の両親とで話し合いの場が持たれた(長女は隣の部屋で寝ていた)。私は夫の母から、まずこう言われた。
 
 「あなたの手紙を読んで私たちもいろいろ考えたわ。で、私たちが認めるとか認めないとか言うのは変だとは思うけど、自宅出産を認めるなら3つだけ条件があるの。
 
 @あなたたち夫婦の認識にズレがないように、十分に話し合いを重ねること
 A助産婦さんにお世話になるとは言っても、いざという時に行く病院は確保しておくこと
 B孫(私たち夫婦の娘:当時8歳:小学校2年生)は出産には立ち会わせないこと
 この3つだけは確実に約束してほしい。」
 
 私は「@は努力します。Aは順調な経過をたどったとしても採血とか病院で診察してもらわないといけない部分もあるので確実に確保します。」これはスンナリ言えた。しかしここから少し迷った。
 Bは…。せっかく自宅で出産するのだから、今いる家族で新しい家族を迎えたい。どうしてそれがだめなのか? 刺激が強すぎると思っているのか?
 
私 : Bは… 生まれる時に娘を足許に行かせて生まれる瞬間を見せるというのはヤメにして、私の枕もとにいさせてもダメですか?
 
義母: それもダメ。特に孫は今、感受性が鋭い時期だし、その場にいることで一生、出産や結婚自体に恐怖を抱くことも考えられるわ。私達(夫の両親)は断固、それら(恐怖体験?)から孫を守ってやらなくてはならないと思っているの。
  私、この三つは昨日寝ないで考えたのよ。これだけは譲れないわ。
 
私 : (寝ないで、か…。ある意味私より悩んじゃってるかもしれないなぁ。私とは別の部分で。むむむ。。。)
  あの、お義母様。娘自身は、赤ちゃんが生まれるところを見たい、とやる気マンマンなんですが…。
  赤ちゃんが血まみれかも知れないから、ビックリするかも知れないということをご心配なんでしょうか?
 
義母: それもあるけどそれだけじゃないわ。
 
私 : お義父様も同じようにお考えですか?
 
義父: うん。そうだ。出産の瞬間だけでなく、陣痛が始まった時期から孫はその場から遠ざけるべきだ。昔は自宅出産は頻繁にあったが、その場合でも、子供はその場には近よらせないものだった。とにかくああいう場に子供をいさせるものじゃない。
 
義母: 母親が苦しむのを見て、母親をこんなに苦しめた存在だ、と赤ちゃんを憎むようになるかもしれない。母親がいつもと違う様子でうなったり苦しむのを見て、出産後、母親に近寄りがたい思いをするかもしれない。いろいろ考えても、見せることでいいことはひとつもないわ。
  とにかくお願いよ。どうしてもこれだけは譲れないわ。聞き入れてくれないなら、わたし、孫を連れて家出しちゃうから。(←これは涙ぐみながら)
 
私 : (「いいことはひとつもない」ってなぜ断言できる…。それにしても今は義母も義父も感情的になってるからいろいろ話してもすれちがう気がする。今日は相手の言い分だけ聞いて、切り上げよう。)
  …私達と娘のことを本当にいろいろと考えて、ご心配下さって、ありがとうございます。 …3つめについては夫とよく話合って、考えたいと思います。
 
 で、話合いはとりあえずここで終了。夫は終始無言だった。
 自宅に帰って夫に「どう思う?」と聞いたところ、夫は「交換条件というか、あれを聞きいれれば自宅出産でいいというんだから、呑んでもいいんじゃない? おまえが今までいろいろ話して、手紙も出して、オヤジとオフクロはあそこまで譲歩したんだろう? 正直、最後まで(自宅出産に)反対するかと思っていたから、よく譲ったと思うよ。娘を立ち会わせないと自宅出産の意義が半減するっていうなら考えるけど、そういう訳じゃないんだろう?」
 
 私は黙り込んでしまった。
 確かに夫の両親が、自宅出産でもいいみたいなことを言うのは大進歩だと思う。
 でも、娘は赤ちゃんが生まれるところを見たいと言っているのだ。確かに「見たい」と言っていても途中で気分が悪くなることも考えられる。「断固最初から最後まで立ち合わせる」としたら、それが娘にとってマイナス体験にならないとは断言できない。だから娘の様子を見ていて「まずそうだ」と判断した時点で誰かが途中で連れ出してもいいではないか。彼女がショックを受けたとしても、オヤだもの、私が一生かけて後のフォローをする。なぜ、陣痛の段階からそこにいてはダメなのだ? 確かに出産にはショッキングな面もあるかもしれないが、子供は大人が気をもむよりもスンナリと現実にまむかえるのではないだろうか。なにより私の娘はそれを受け入れるだけの度胸と柔軟さは持っていると思う。それは普段の言動を見ていればわかる。ワクワクしながらその時を待つと思う。
 
 私にとって1回目の出産は苦しかったけど、きつくて嫌な思いだけだった、ということではなかった。苦しさの向こうに充実感も達成感もあった。
 
 だから今回の出産で、娘もそれを感じられると思う。マイナスイメージしか残らないということはないと思う。
 出産の一部始終を見せるということは、死にゆく一部始終を見せるのと同じ位(私はもちろん自分が死ぬ瞬間も子供に見せたいと思っている)、子供にモノを考えさせる重要な機会を提供することではないだろうか。生まれるというのはどういうことか、生きるというのはどういうことか、おじいちゃんやおばあちゃんとパパやママ、子供とのつながりはどういうものか…。一生に一度か二度しかない(と思われる)ビッグチャンスなのに、この機会を逃すのは惜しい。あまりにも惜しい。
 
 …しかし義父母はなぜあんなにも頭ごなしに強硬に娘の立ち会いに反対するのか? 
 もしかして義母のお産はとても重くて、つらくて大変で、死ぬ思いをしたのだろうか? だから「あんな修羅場は見せられない」と考えるのだろうか? では義父は?「ああいう場に子供をいさせるものじゃない」というけれどそもそも出産を見たことはあるのだろうか? もしないとすれば、ないのになぜ断言できるのだろうか???
 
 二人とも「その世代の価値観」で出産=ケガレということなんだろうか。もしそうなら言葉を尽くして説得しても徒労に終わるだろう。60〜70有余年をその価値観で生きてきた人にいまさら何を言っても・・・
 
 イヤ、これらは推測に過ぎない。あきらめるのは早すぎる。何か手はないだろうか?
 それにしてもお義母様は感情的になってるからなァ。娘の受け取り方として、良い面をいくら言っても悪い面も可能性としてある以上、こういう良い面もある、でもこういう悪い面もある、で水掛け論だなァ。
 
 なし崩し作戦というのはどうだろうか。陣痛の最初の方はきつくてもきつくないフリをして娘をできるだけ長くそばにいさせて、だんだん苦しくなってきた時にジジ・ババが連れにきても「イヤー、ママのそばにいるー。」と言わせるような状況に持っていったら…。それでも「コドモがこんなトコにいるもんじゃありません。」と連れていかれてしまうかな。そうやって無理やりその場から連れ去る方が、娘に「ムム、今から私が見ないほうがいいくらいオソロシイことが始まるのか。」と出産に対して恐怖心を抱かせる原因になりそうな気がするが。
 
 なんとか娘を出産の場にいさせる(あくまで本人が望めば、である。本人がその場を出たがれば、もちろん出させればよい。)方法はあるだろうか?
 
 このことに関しては夫は「娘がいい影響を受けるか悪い影響を受けるかわからない以上、両親の希望に添えばいいじゃないか。どうしてそう立ち会わせたい、ということにこだわるんだ?」「むこうも本当は病院で産んでほしいのをこれだけ譲っている。それなのに、おまえの方は一切譲らず、自分の希望を押し通すというのでは、オレにはワガママにしか思えない。」「娘に生理が始まって、性や出産にある程度の理解がある年頃ならともかく、8歳の今、立ち会わせることはないじゃないか。」という考えだった。
 
 夫自身「出産に立ち会うのは気が進まない。」「血を見るのはちょっと…。」「へその緒を切るのは、自分は絶対にしたくない。怖いから。」「陣痛の間は(おまえが望むから)できるだけ長くそばにいようとは思うけど、自信がない…。」と言っている。
 夫は高校の教師である。クラス担任の生徒達への性教育で、出産シーンのあるビデオを見せるところにも同席したことがあるが、「生徒達は実に一生懸命、ビデオを見る。ただあれは、“知らない人の出産”で“現場じゃない”から(自分も生徒も)見られるんだと思う。」と解釈している。
 夫は出産に関してもともと怖いと思っているので、夫の両親が心配している「ショッキングな場面に対する恐怖」への共感が強いのだろう。
 
 自宅出産そのものに対しては、夫といろいろ話し合ったことで「自分は病院での出産でいいと思っていたけど、おまえがそんなにイヤな体験があったということは知らなかった。おまえがそんなに望むのなら、こちらもできるだけの準備をすれば自宅でもいいか…。」と言うようになっていた。しかし娘の立ち会いについては、この調子では夫が私の援軍につくことは期待できない。
 
 …手詰まりだ。
 
 そこで私は信頼・尊敬する人の意見を聞くことにした。
 ひとりめ、実家の母。産前1週間くらいから産後3週間くらいまで私達の家に来ておさんどんを手伝ってくれるように頼んでいる。彼女に自宅出産のことを告げたときには「病院の方が安心じゃないの? でもまあ、昔はみんな自宅で産んでたからね。大丈夫だろうけど。」とあっさりしたものだった(実家の父は最後まで反対していた)。私と実家の母とで電話で話した。
 
私 : お母さん、これこれこういう話になってるのよ。どういうふうに話したら向こうの気が変わるだろうか。
 
実母: あら、そりゃ無理よお。そのトシの人が、そんなに強硬に言うことを、若いあんたがいくら言ったって変わるもんか。
  世代による価値観の差かって? でも例えばお母さんは、農家で育ったから、自分の弟や妹が生まれる時には産婆さんを呼びに言って、いろんな手伝いもして、そのまま自然に立ち会うようなカンジになって、別にいやな思い出はないけどね。
  自分が一生懸命手伝った分、産まれた赤ちゃんもかわいいもんよ。お産が大変だった子こそ、より一層かわいがったねぇ。周りもみんな似たようなもんだった。別に大丈夫と思うけどね。世代の差っていうよりあちらのお義母さんは都会育ちだし、お母さんみたいな環境じゃなかったんだろうね。とにかく、そう思いこんでるんだもの、説得するなんて無理無理。あきらめなさい。
  あんたがどうしても立ち会わせたいなら、お母さん、何も知らないふりして「さあー、Aちゃん、赤ちゃん生まれるとこ見に行こうねー。」って連れてきちゃおうか。むこうが「あっあっ」って感じで文句言っても「まあまあ、いいじゃないですか。」みたいに強引に。お母さんは産後いるだけで、その後、帰っちゃうから、恨まれても、どうってことないしさ。
 
私 : (―――さすが親子、私と同じ思考パターンとノンキさだ。)
    イヤ、気持ちはありがたいけど強引に連れてくるとかはしなくていいよ。お母さんもその後居づらくなるだろうしさ。
 
 ―――うーん、やっぱり無理かなあ。よし、次、二人目。分娩の時にサブでついてくれる助産婦の小田さん(メインでついてくれる助産婦の堀井さんにも相談したかったが、この時はまだメールアドレスを知らなかったし、電話で長々と相談するのは迷惑な気がした)。
 私と小田さんでメールのやりとりをした。
 
私 : これこれこういう話になってるんです。3つめの条件、呑むべきでしょうか。よろしければご意見をお聞かせください。
 
小田:う〜ん、また大きな壁に当たってしまいましたね。この問題は年齢の差、性に対する認識の差、難しくとらえるなら生命倫理…。私は当然、娘さんは立ち会わせる、と思っていました。それが自宅分娩の良さのひとつですものね。
 
  今の小学校の現場は、学校の差こそあれ1年生から性教育を教えています。ペニス、バギナ、などの言葉はもう娘さんは知っているのでは? こんなに生きた性教育、命の大切さを教える絶好の機会はないのではないでしょうか。今は中学生からコンドームの使用方法を教える時代ですものね。小学校2年生だったら赤ちゃんがどうやって出来るのか(性交)、どこから産まれてくるのか、遅かれ早かれそのうち学習すると思います。
 
  たしかに出産の現場はグロテスクかもしれません。お産を見学している学生や立ち会ったご主人が気分が悪くなる方もおられますからね。そして、性教育の伝え方次第では、お産を「怖い」と感じる子がいる事も確かのようです。
 
  (元の職場の同僚で助産婦の)浅井先生、自宅出産の介助を多くしている(今回の出産で分娩にメインで関わってくれる予定の)堀井先生だったらもっと生のご意見が聞けそうですね。そして性教育のパイオニアの(浅井さんの上司で助産婦の)佐山先生にもご意見が聞けたらもっと参考になると思います。まずは今の性教育の現状をお母様にお伝えしてみては?
 
  お母様のお気持ちも十分、理解出来るので、難しい問題ですね…。
 
 
 ―――やっぱりそうですよね、当然立ち会わせると思いますよねーっ。でも、性教育の現状を伝えても「実際に見るのとは訳が違う」と言われそうな気がする…。ハイ、次、三人目。私の元職場の同僚の助産婦、浅井さん。
 私と浅井さんでメールのやりとりをした。
 
私 : これこれこういう話になってるんです。3つめの条件、呑むべきでしょうか。よろしければご意見をお聞かせください。
 
浅井:とにかく最初にメールの本文を読んで驚愕しました。正直言って傍で聞いてても(読んでても)腹が立った。
 
  お産を何だと思っていらっしゃるのかしら…。一緒にお産に付き添って母親が声をあげる様子に子どもも怯えながら、生まれた後、母親は今までとはうそのように感動にむせぶところに何か理解が深まると思います。
 
  もちろん子どもの反応は一様ではありません。でもバーチャルではない世界で生きる子どもは絶対、何かを得るというのは教育者たるお義父様の理解の深いところではないでしょうか。(筆者註:義父は元高校教師であった)
 
  ただ、このような反応は非常に多いですね。家族によって内容はまちまちですがこれが家族の現実だと思います。これは我慢するようにと言っているのではなく「大丈夫、あなたが特殊ないじわるにあっているんじゃないよ」って励ましたいから言っているのですが…。まぁ、いじわるなんて思っていないのはわかっています。
 
  でもお義母様のお考えは本当に貞操教育をしている某高校と同じですヨ。あそこで性教育をした経験は非常に貴重でした。親の代表挨拶でも「まだまだ子どもでいてほしい」みたいなことを話していましたがその瞬間、性が不潔なものになってしまいますよね。映画を母娘で楽しむのと同じに、美味しいものでも満足ゆくまで食べたらもう終わりと同じように、一緒に性の一瞬の欲望と快楽とそこにある女性(産める性)からみた尊重を語ってほしいんですけどね。お義母様も、性を不浄なものと捉えていらっしゃるのでしょうね。
 
  あと、もう、あなたは春野助産院に行って隔離されて産んでもいいのかとも思います。あなたの希望では、夫と一緒に産むことより、生まれる、産むことの尊重を挙げている気がするんです。
 
  でもあなたはまた話し合いに取り掛かるんだろうな。それはあなたの力だと思います。素敵なことだから、苦しいかもしれないけど、話し合いを選択したら頑張ってね。
 
  お話を聞くことぐらいしかできないけど、納得いく新家族お迎えをしましょう!!
 
 
 ―――ははっ、あの人らしい。でも、怒ってくれてうれしいな。私、これが怒っていい事態かどうかわからなくて、怒れなかったよ。しかし、ふーむ、助産院か…。
 
 この時点で、私は「夫の両親の気持ちが変わる」ことへの期待をほとんどなくした。
 
 夫と夫の両親が出産に対して恐怖心を持っている以上、その気持ちを変えることはとても困難に思われたからだ。例えばクモが怖くてたまらない人に「ほら、毒もないし、ふわふわしてるし、きれいだし、かわいいよ。」といくら言ってもクモを手のひらにのせるなんてとてもできない、というのと同じように。そしてもう一度自分がどういうお産をしたいのか、実際に可能なのはどの部分か整理することにした。
 
 
(6)望むお産、可能なお産
 元同僚で助産婦の浅井さんの意見はいつも私に新鮮な驚きと発見をくれる。前回のメールもそうだった。私は自分のお産に対して、もっとも、何を望むのか。そこをもう一度考え直すことにした。
 
 私は第一子のお産では納得できない部分があった、というところから出発して今回のお産に対して「一番いいのは自宅」と思い、その方向で物事を考え、準備を進めてきた。
 
 この時、「一番落ち着く環境」として自宅を選んだが、その「環境」の中には夫と娘がそばにいることも入っていた。「自宅」と決めた時点では夫や娘、周囲の意見を確認することなく、なんとなく「この二人はずっとそばにいるもの」と思っていた。
 
 自宅出産が不可能になることもあるかもしれないと考えたが、それは私の妊娠経過に問題があるとか、自宅出産はお金がかかるとか、助産婦さんが私の家まで来るのが不可能だとか、そのような理由を考えていた。「周囲の気持ちの問題」は自宅出産をあきらめたり、その形態を変えるほどの障害とは考えていなかった。
 
 しかし思いがけず娘の立ち会いには強硬な反対が入った。夫は「娘が立ち会わないことで自宅出産の意味が半減する、というのでなければ別にいなくてもいいじゃないか。」と言った。しかし私にとって娘がいない、ということは半減、とまでは行かないかもしれないが1/3減くらいの残念なことだ。
 
 夫の立ち会いもかなりあやしい。夫が立ち会いに積極的でないことは承知していたが、正直、ここまで腰が引けているとは思っていなかった。夫は「いざ出産が始まったら(部屋を)出ていく。」「陣痛の時は、どれだけそばにいることができるかわからないけれど、できるだけいる。」と言っている。極端な場合、陣痛が始まって、助産婦さんを呼んで、助産婦さんが到着するくらいまでは(多分)そばにいてくれると思うが、到着したとたん「後はよろしく〜。」と退室することも考えられる。夫もそばにいないなら、さらに1/3減で残念。自宅出産の意味が2/3減になってしまうとしたら…。
 
 助産院で出産しても「会陰をできるだけ切らない。」「分娩台でなく、自分がラクな姿勢で出産する。」「出産のときだけメインの介助者が入るのではなく、陣痛のときからケアしてくれた人が出産まで一貫してついていてくれる。」という希望はかなうだろう。それに夫の両親にとっても、夫にとっても、「助産院で出産する。」ということは(病院ほどの安心感はないとしても)「ちゃんとした施設で出産を迎えるのか。」と大きな安心につながるだろう。
 
 助産院で、最初から娘も夫もいないものと思いさだめて産めば、それは「そういうもの」と思うこともできるが、自宅出産をしていて早々に夫が退散したら「もう少しそばにいてくれてもいいのに。」と恨みがましく思うかもしれない。
 ただ、ここで問題なのは私の自宅と、勧められている春野助産院との距離である。隣県であり、3時間はかかるだろう。浅井さんは出産予定日以前から春野助産院に泊まりこむ案も提案してくれたが、娘を立ち会わせない、つまり娘も一緒に泊まりこむわけにはいかない以上、娘と離れてまでお産のために数日を過ごすのは現実的ではない。
 
普通、陣痛が始まってから15分間隔になるくらいに病院に入院するのが一般的だが、それより前、30分間隔ぐらいの時にタクシーに乗ればちょっとツライかもしれないがたどり着けないことはないかもしれない。…陣痛だけならまだしも、破水があるかもしれないから無理かなぁ。
 
 勧められている春野助産院でなく、自宅に近い七瀬助産院にするという方法もある。しかし、今まで私は自宅出産を前提として、春野助産院の助産婦さんにもいろいろ相談をしていた。元同僚の浅井さんとその上司の佐山先生が勧めてくれるところなら安心だという信頼感もある。全く行ったこともなく、したがって助産院や助産婦さんの方針もわからない七瀬助産院に変更するのは不安もある。
 
 それならいっそ、メールで相談に乗ってくれた助産婦さん(自宅出産する場合、サブで入ってくれる予定になっている小田さん)が、探してくれた、自宅出産の場合の提携病院になる予定の病院にしてしまうか。病院なら夫の両親も夫も諸手を挙げて賛成するだろう。そこにはお産を自然に運んでくれる、会陰切開もできるだけしない方針の医師がいるということだった。でも分娩台での出産ではあるということだが…。だんだん本来の希望とかけ離れていくなぁ。クスン。
 
 とりあえず、夫の意思を確認してみよう。夫は「できるだけそばにいる」とは言ったが、実際にどこまでいるのか、いようと思っているのか、はっきり確認はしていない。おそらく彼自身「どの時点までは頑張ろう」とハッキリ考えていないのではないか。
 
 考えた事がないのなら、ここで考えてもらおう。そして夫が「助産婦さんが到着したら、後は自分はいつ退室しても構わないんだろう? どこまでいようとかいたいとか考えていないよ。わからないよ。」と、あくまで「私と一緒に頑張る姿勢」が感じられないようなら、施設での出産を本格的に検討してみよう。
 自宅出産がだめだとしても、どんな形になっても、少しでも自分の希望に近いお産になるよう、方法は模索しつづけよう。
更新日時:
2005.10.23 Sun.

3.そのとき周囲は
(1)夫の変化
 私は夫に第三回検討会を申し入れた。
 
私 : ねぇ、この前、お義母様とお義父様に娘の立ち会いを反対されたじゃない?
 
夫 : うん?
 
私 : 最終的には娘を連れ出すとしても、途中まで同じ部屋にいさせて、娘の様子を見ていて、いい頃合に連れ出す、でいいと思うんだけどそれじゃだめかな?
 
夫 : それじゃオヤジやオフクロは納得しないよ。こないだ、あんなに言ったじゃないか。
 
私 : うん…。ね、こないだあなたは「娘がいないからって自宅出産の意義が半減するということじゃないだろう。」と言ったでしょう? で、わたし改めて考えたんだけど、半減とまではいかないかも知れないけど1/3減くらいに残念な出来事なのよ。それにね、あなたは出産の時、どこまで一緒にいようと思ってる?
 
夫 : イヤ、はっきりとは考えてないけど、できるだけいようとは考えているよ。
 
私 : ハッキリ考えた事がなかったのなら、いまここで考えてみて。あのね、娘は最初からいないでしょう? で、あなたが最初ちょっといたとしても、その後ほとんどいないとしたら、私が自宅で出産する意味ってすごく大きく損なわれてしまうのよ。「家族が誰もそばにいないんなら、自宅でなくてもいいじゃん」ってことになってしまうの。
 
 私、なぜ自宅がいいかってことを言ったときに「自分が一番リラックスできる環境」っていったでしょう? その「環境」にはあなたと娘も入ってたのよ。自宅って決めた時点では娘とあなたがいるかどうか確認したわけじゃなかったけど勝手にいるものと考えてたからね。
 
 でも、ここまで検討してきて、娘が同席するのは無理とわかった。で、あなたがどこまでいるかはハッキリしない。あなたが「長くいるのは無理かな」と思うんなら、自宅じゃなく施設を検討してみようと思うの。
 
夫 : だって会陰切開はイヤなんだろう? 分娩台も。
 
私 : それは助産院なら大丈夫だと思うし。陣痛が30分間隔位でタクシーに乗れば3時間で春野助産院について、なんとかなるかな、と…
 
夫 : 陣痛が始まってから隣県の春野助産院に行く気か? 正気か? そりゃ無茶だよ。
 
私 : それなら、いっぺん近くの七瀬助産院に行ってみてもいい。で、方針が合わなそうだったら、病院にしてもいいし。(自宅出産の時サブでつく予定の)助産婦の小田さんが紹介してくれる病院なら、できるだけ会陰切開しない方向で介助してくれるらしいの。分娩台ではあるけれど。
 
夫 : えーっ?
 …自宅にしようよ。
 
 おまえが最初「自宅で産みたい」って言ったとき、オレはそりゃあビックリしたんだぞ。最初は反対だった。でもいろいろ話をしているうちにおまえの気持ちもだんだんわかってきた。心配は残るけど自宅でもいけるか、と思えてきた。
 
 おまえは元同僚の浅井さんや佐山先生と話をして、その人たちのお産の方針と自分のしたいお産の方針とが合っているから、その人たちを信頼しているんだろう? その人たちの紹介だから、ウチに分娩の介助で来てくれる予定の助産婦さんたちも信頼できるんだろう? 方針が合うっていうのは一番大事なことだし、むずかしいことだと思うよ。七瀬助産院に行っても方針があうとは限らないじゃないか。
 
 オレがどこまでそばにいられるかってことだけど、予定日の2週間前から1週間、中国への出張が入ってるだろう? その期間にお産がはじまってしまったら、中国から途中で仕事を切り上げて帰ってくるってことは無理だと思う。でも、それ以外なら、できるだけそばにいようと覚悟をしたんだぞ。職場で仕事をしていても、よほどのことがない限り早退できると思うし。
 
 「自宅出産でいくか」と覚悟を決めた時から、自分もできるだけそばにいて頑張ろう、と思ってるんだぞ。病院ならお任せすればいいけど、自分の家でするなら、助産婦さんは家の勝手がわからないだろうし、おまえも大変だろうし、オレもできるだけの事をしないと…。
 とはいっても、オレに何ができるのかな、そばでうろうろすることしかできないんじゃないかな、とは思うけど…
 
私 : そっか、そこまで考えていてくれたんだ。ありがとう。
 
 
 ―――驚いた。本当に驚いた。まさか夫の口から「自宅にしようよ」という言葉が飛び出すとは思わなかった。私が「病院でもいいか」と言ったら「おまえがそれでもいいなら、そりゃその方が安心だよ。」と言うだろうと思っていた。
 
 私は何だか胸がジワーッと暖かくなるような気がした。「いつまでいられるかわからない。」という点は変わらないけれど、夫は「早々に退散しよう。」と思っているわけではなかった。「いつまでいられるかわからない。」というのは逃げ腰の結果じゃなくて、「頑張ってできるだけ長くそばにいようとは思ってるけど、本当にどこまでいられるか自信もないし、わからないんだ…。」と、安請合いはできないタイプの彼なりの、誠実な回答だったのだ…。
 
 それならやっぱり自宅でいこう。夫の両親の申し入れは受けて。
 
 
(2)娘の気持ち
 私は夫の両親の強硬な反対を受ける前は、娘を出産の場に同席させるつもりでいた。だから娘が出産の時に余計なショックを受けないよう、折に触れて、少しづつ出産について一緒にイメージするようにしていた。娘はそれらの時間をとても楽しそうな表情で過ごしていたし、私も娘も一緒に出産を楽しみにしていた。
 
 だから「同席させない」と彼女に告げるのはつらかった。しかし仕方ない。「夫の両親の申し入れを受ける」と決めたのは私だから、それを告げるのも私の役目だろう。
 
私 : ねえ、Aちゃん(当時小学校2年生/8歳)、ママ、赤ちゃんが生まれる時はAちゃんも一緒にいて、応援してね、って言ってたよね。Aちゃんはお産の時は一緒にいたい?
 
娘 : うん、絶対いる! 赤ちゃん生まれるの楽しみねー。 Aちゃん、ヘソの緒も切りたいなー。
 
私 : それがさぁ、一緒にいれないかもしれないんだ。
 
娘 : えっ! なんで!?
 
私 : んー、赤ちゃんが生まれるとき、大騒ぎになってAちゃんがびっくりしちゃうかもしれないし…
 
娘 : びっくりしないよ!! だってママがいろいろ教えてくれたでしょう。「赤ちゃん生まれる時はママが大声出したり、うなったりするかもしれないけど、それは赤ちゃんのせいじゃないし、生まれるまでのことで、生まれたら平気になるんだよ」って。
 
私 : (…ハイ、確かにそう言いました。)
 血が出てビックリするかもしれないし…
 
娘 : それも聞いた! 「赤ちゃんに血がついててビックリするかもしれないけど、ママも赤ちゃんも死なないし、生まれる時は血が出るのが普通だからびっくりしなくていいよ」って言ったでしょ!。
 
私 : (…ハイ、言いました。しっかりおぼえてんなぁ。)
 ただね、話しを聞いてて「そうかー。」と想像しているのと、実際に見るのとではビックリの度合いが違うから、実際にその場にいるとやっぱりびっくりしちゃうかもしれないでしょう。
 
娘 : びっくりしない!! 赤ちゃんはおしっこの穴とウンチの穴の間の通り道から産まれてくるって、Aちゃん、知ってる!!
 
私 : (ええ、そう教えましたとも。頼もしいなぁ)……。
 
娘 : なんでいたらいけないの?
 
私 : みんなAちゃんのことが大好きだから、好きで好きでたまらないから、心配なのよ。大丈夫かも知れないけど、もしか、Aちゃんがびっくりしすぎたり、こわくなったりしたら可哀想だなー、って。
 
娘 : ……おじいちゃんとおばあちゃんがダメって言うの?
 
私 : (ひえーっ、なんてカンのいい…。ここまでしっかりしてるならホント、大丈夫だと思うがなぁ)
 …あのね、みんなAちゃんのことが大好きなの。だから心配なの。意地悪のためにダメって言ってるんじゃないの。生まれる時にそばにいないとずっと赤ちゃんに会えない、ってことじゃないからね。生まれたらすぐにAちゃん呼んで、赤ちゃんに会わせてあげるから。
 
娘 : Aちゃん、赤ちゃんが生まれる時にそばにいたいけど…。おじいちゃんとおばあちゃんがダメって言うなら別にいいや。
 
私 : ……。
 
 
 あまりのききわけのよさに、娘が何だかかわいそうになってきた。
 この会話の後、娘は今までと変わらず私の腹をなで、「赤ちゃーん、げんきー?」と話しかけ、時折ひとり言のように「へその緒切りたいなー」とか「生まれるの見たいなー」とは言うが、私に対してはっきり要望としてそれらのことを言うことはなくなった。
 
 そんな娘を見ていて、私は娘に対して何ができるだろうと考え込んでしまった。
 
 
 (3)私から夫の両親への要望
 娘に「お産の時は一緒にいようね」と言っておきながら「やっぱりダメ」と一方的に約束をやぶったのは私だ。一緒にいられなくても、少しでも娘にとっていいお産が迎えられるよう、どうしたらいいだろうか…。
 
 いろいろ考えると、私は夫の両親にお願いをしなくてはならないな、という結論になった。私が考えたのは以下のことだ。
  1. 娘を義父母の家に連れて行く時「コドモはこんなとこにいるものじゃありません。」みたいなお産を否定する言葉で連れ出すのはやめてほしい。「終わるまで待っていようね。」とか「おじいちゃん、おばあちゃんとあっちの家で遊んでようね。」とか、ソフトな言い方をしてほしい。
  2. 娘が待っている間、義父母には娘のフォローをお願いしたい。放っておくのではなく一緒に遊んだり、話したりしていてほしい。
  3. 義母はお産の間、こちらの家には来ないで、自分の家で待っていて欲しい。
 3について少し補足すると…
 義母は大変やさしい人で、心配なことがあるとオロオロしてしまう。そして落ち着かない。
 
 例えば、出産の時は私達夫婦の家と両親の家を何度も行ったり来たりし、「苦しそうにうなってたわ。」とか「まだまだかかりそうよ。」とか、自分の家に帰ってから義父や娘に興奮気味に話す、と言うのは十分考えられることだ。
 
 娘は「ママはお産を見せたいけどおじいちゃんやおばあちゃんがダメって言ったから私は見られないんだろう。」と気づいている。娘にしてみれば「私は行っちゃダメなのに、(禁止した)おばあちゃんが行くのははなぜ?」という気持ちになるだろう。また、実際にそばにいないからこそ娘が義母の話や興奮ぶりから「お産というのは大変で、オソロシイものなのだなぁ。」と感じるかもしれない。それは困る。
 
 だから、この三つの要望を出そう。そして出産予定日まであと5ヶ月あるので、万に一つ、義父母の気が変わることがないかのアプローチをしつつ、その時を待とう。まだ助産婦さんにも会っていないので、助産婦さんに最初の診察をしてもらったときに両親の状況も説明し、アドバイスをもらおう。
 私の心は決まった。
 
更新日時:
2005.10.23 Sun.

4.スタッフをどう選ぶ?
(1)助産婦さんをどう選ぶか
 話しが少し前後するが、私が自宅出産をするにあたって、どのようにして「この助産婦さん」と決めたのかお話ししたい。
 
 第二子妊娠がわかった時点で「自宅出産にしたいなぁ」と元同僚・その上司に相談したことはすでに述べた。その時、上司の佐山先生は「隣県の春野助産院にいたベテラン助産婦、堀井さんがいいわよ。」と紹介してくれた。その人は今は自分で開業している。自宅出産を何例も取り上げた実績があるという。
 
 私は佐山先生をとても尊敬し、信頼している。だから、その佐山先生の紹介ならば、と技術・人格の面で堀井さんに不安は抱かなかった。ただ、いい人でお互いに悪意がなくとも何となく相性が悪い、ということはありうる。それを確認するためにはまず会ってみなきゃいけないなー、と思った。
 
 あと、不安な点が一つ。堀井さんが隣県からくる、ということである。JRの特急で来るとしても我家まで3時間はかかるだろう。高速を使って車で来るとしたら4時間くらいか? 経産婦とはいえ、お産には6〜8時間はかかるだろうから間に合わないということはないと思うが…。
 
 私の友人にはお産が早く進行して2時間半で産まれた人もいる。私は第一子の時、病院に行ってから15時間かかったから、いくらなんでもそう早く生まれることはないだろう。…しかしお産はそのたび違うというし、どうなるかはわからないもんなぁ。もし間に合わなかったら…、救急車呼んでもらうしかないかな。まぁ、お産が思いがけず早く進行したとしても死にゃあしないだろう。
 
 ところがというか、やはりというか、「隣県の助産婦さんを紹介してもらった」というと、夫も夫の両親も難しい顔をした。「間に合わなかったらどうするの」と予想通りの反応。「救急車呼べばいいかな、というか間に合うと思うけど…」と言うと、「またこのノンキ者が…」とあきれた顔をされた。
 
 しかし正直「間に合わなかったら」という心配は私にもあった。そこでもう一度佐山先生に「せっかく紹介してもらったが、家族が隣県ということで心配している。もっと近くにいる助産婦さんをご紹介いただけないか。」とお願いした。
 
 佐山先生は「お産の時はお母さんと赤ちゃんの両方に何かがあってもどちらにもかかりきりになれるよう、助産婦は2人で行くのが原則である。堀井さんが隣県ということが不安だったら、その2人のうち1人は堀井さん、もう1人を同じ県から選べばどうか。」ということで同じ県内に住む小田助産婦さんを紹介してくれた。
 この方は病院の産婦人科に8年間勤め、病院では何人も取り上げているが、開業助産婦さんとしてはまだ駆け出しでとのこと。自宅出産で取り上げた実績はない。
 
 この2人にお願いする場合、赤ちゃんを実際に取り上げる人は堀井さん、サブの立場で入るのが小田さんとなる。万が一、堀井さんが間に合わなかったとしても、小田さん1人でも十分取り上げることはできるだろう、ということだった。
 
 まずは同じ県内の人が駆けつけてくれる、ということで少しホッとしたが、少しでも安心の度合いを高めるために、同じ県内の助産婦さんを他に探してメインの助産婦さんになっていただく、ということはできないか、電話帳で調べたり、知人に聞いたりした。すると、同じ県内のベテラン助産婦さんの名前が挙がった。ベテランもベテラン、70台の後半である。
 
 同じ県内であるし、佐山先生の紹介であるし、小田さんにはまず確実にお願いしよう、と小田さんに自宅出産サポート依頼の電話をし、相談した。すると自宅出産のサポートをすることは快諾していただいた上で「大ベテランの助産婦さんはハッキリ言って自分は勧めない。昔ながらのお産というか、妊婦指導も農村女性を想定したような内容だし、取り上げ方も病院の分娩台が家庭に移っただけ。体位も仰向けになって、うーん、といきんで、というカンジである。自由な体位で産んでいい、いきまなくていいという堀井さんの方針のほうを自分は勧める。」ということであった。
 
 そこで小田さんに(赤ちゃんを取り上げる)メインの助産婦さんになっていただくことはできないかたずねたところ、「メインの助産婦は自分はやってやれないことはないが、堀井さんにメインになってもらったほうが、あなたがラクだと思う。赤ちゃんを取り上げる技術も実績も自分はとてもかなわない。」ということだった。
 
 自宅から近くで経験豊富という安心感を優先させて70代後半の方にお願いし、多少お産が自分の方針とずれても目をつぶるか、自宅の近くでお産の方針が自分に合うということを優先させて小田さんに頼み込み、(自宅出産メイン介助の)経験はないということには目をつぶるか、お産の方針が自分に合うことと経験豊かなことを優先させて堀井さんにお願いし、「もしかしたら堀井さんは間に合わないかもしれない」という覚悟をするか・・・
 
 夫と相談した結果、方針が合うことと経験が豊かなことを最優先させることにした。そして堀井さんに依頼の電話をした(本当に万一、間に合わないときは小田さんに取り上げてもらうつもりで)。
 
 堀井さんは「あなたの住む県とは違うが、やはり隣県での自宅出産をサポートしたことがある。その時はお産が9月で、台風が来ていて、ちゃんとたどりつけるかとヒヤッとした。あなたのお産は12月だから、道路の凍結や雪の影響が考えられる。だから『確実に間に合います』とは約束できない。そのことを承知した上で、『家族が賛成している』『提携病院が確保できる』という条件が整えばお受けしてもよい。」と言われた。
 
 勝手に、なんとなーく「提携病院は助産婦さんが紹介してくれる」とアテにしていた私は「こりゃぁ、自分も準備の時から病院の手配とか動かないといけないわけね…。どうしよう…。」ととまどいながら「わかりました。病院等、わかったら連絡します。」と言って電話を切った。なるほど、考えてみれば堀井さんも自分の県でのネットワークはあるだろうが、隣県の病院事情まではしらないだろう。
 
 小田さんは私と同じ県に住んでいるし、(同じ県の)病院に勤務した経験もある。私は堀井さんの話の内容を連絡すると共に提携病院について心当たりがないか尋ねた。「当たってみます。」という返事をもらった。
 
 こうして私は堀井さんにメインの助産婦さんに、小田さんにサブの助産婦さんになってもらうという前提で様々な条件を整え、準備を進めることにした。
 
付記:準備をはじめてすぐ「私も自宅出産のサポートをさせてください。勉強のためなので料金はいりません」と申し出てきた助産婦さんがいる。村下さんだ。「いいですよ」ということで、実際の出産にはメイン堀井さん、サブ小田さん・村下さんの3人体勢で臨んだ。
 
 
(2)提携病院をどう選ぶか
 まだ自宅出産できるかどうかわからない(自宅出産をサポートしてくれる助産婦さんが確定しない)が、ココで私はすでに妊娠3ヶ月目に入っていた。元同僚の浅井さんに「自宅出産するにしても採血したり、病院でないとできない検査をする為に何度かは病院に行かないといけないし。」とアドバイスを受け、とりあえず第一子を出産したP病院に行くことにした。経過を見てもらうという目的がひとつ。あと、提携病院になってもらえるかどうか打診するという目的がひとつ。ココに提携病院になってもらえれば、近いので通うにしても便利である。イザというときも近いというのは心丈夫だ。
 
 まず診察を受け「妊娠経過は順調」と言われた。ホッ。
 私は「自宅出産を希望している。自宅出産を介助してくれる開業助産婦さんを自分で探すことはできそうなので、来ていただこうと思っているが、自宅で産むにしても何かあったときは病院に行く必要がでてくるし、途中経過も何度かDrの目で見ていただきたいので、提携病院がいる。こちらに提携病院になっていただけないか。」と切り出した。
 
 医師は「自宅ですか?」と驚いた様子で「提携病院については確認してみますので少し待ってください。」と言われた。診察室を一旦出た私は15分ほどして再び呼ばれた。診察室にはさっきとは別の医師、産科の科長が待っていた。彼は「自宅を希望ということですが、こちらの病院では助産婦の派遣はしていないのですよ。」と切り出した。
 
 何だか話しがずれている。私はもう一度説明しなおした。すると、「ほうほう、開業助産婦さんに…。 しかしね、お産は何があるかわからないし、医師もいない、助産婦さんだけで自宅、というのは危険ですよ。ウチの助産婦さんたちもそりゃあ一生懸命やってますが、自宅で一人でとりあげるというのはどうでしょう…。おそらくできないでしょう…。」「考え直した方がいいですよ。お産を甘く見ちゃ、いけません。『赤ちゃんは元気に産まれてくるもの』と思っているかもしれないけど、そうとは限らないんです。病院なら緊急時も対応できますけど、自宅ではねぇ。」
 
 ・・・私が聞きたいことについての返事が一言もない。私は改めて「こちらの病院に助産婦さんの派遣を依頼するのではありません。助産婦さんは自分で確保します。緊急時や途中経過のフォローをお願いする提携病院になっていただけるかどうかをお聞きしたいのです。」と言った。
 
 すると「それはできません。お産のとき何かある場合、お母さんよりも赤ちゃんに何かあることが多いんです。ここはNICUを持っていませんので、自宅で出産されて『緊急だ』とこちらに搬送されても対応できません。私は自宅出産には反対ですが、どうしてもなさると言うのなら、NICUをもつ市立病院に提携病院をお願いしてはどうですか。」ということだった。
 
 そのあと、母子手帳交付に必要な書類を受けとるために、看護婦さんに別室に呼ばれた。そこで看護婦さんに「自宅出産は心配です。病院のほうがいいですよ。」と諭された。「ご心配いただいてありがとうございます。自分なりにいろいろ調べて、考えてから決めますので。」と言うと看護婦さんはホッとした表情で「そうなさるといいですね。」と言った。私が自宅出産をやめる方向で検討すると勘違いしたようだった。
 
 私はそれ以上は言わず「病院側は『病院ならばいざというときも安心』と言うけど、『新生児の急変には対応できないからNICUに搬送する』というのは自宅でもこの病院でも条件は同じじゃないか。」と矛盾を感じながら病院を後にした。
 
 一方、助産婦の小田さんは以前自分が勤めていた個人産院のU産婦人科医院はどうだろうと推薦してくれた。妊娠経過を見ていくのは別に大きな病院でなくていいし、何らかの原因で自宅でなく病院での出産に切り替える時というのは「お産が進行している途中で緊急事態になって搬送する」というよりも妊娠後期に「これは自宅出産は無理だ」と判断して「いざ陣痛が始まったら病院に行き、出産しましょうね」というケースだろう、ということだった。
 
 「この病院の先生は人柄もとてもいい先生なんです。」と。私は近医のP病院に提携病院を断られたいきさつについて話し、「U産婦人科医院でお願いします。」「では今度診察に行きましょう。」となった。
 
 これで提携病院は決まった…とはいかなかった。
 後日、小田さんから電話があった。U産婦人科医院は提携病院になることを断ったというのだ。「産婦さん主体にお産の進行を見守ってくれるいい先生なんです。自宅での出産にも理解があると思っていたのにやはり『病院で産む方がよい。自宅は心配』と。あの先生までそんなふうに言うなんて…。」とショックを受けている様子だった。
 しかしさすが小田さん、すぐに別のところをあたってくれていた。市立の産院である。ここは以前から自宅出産の提携病院になっている実績があるということだった。
 
 先ほど、「どの助産婦さんに頼むか…」と迷っていた時に、同じ県内の大ベテランで70代の助産婦さんの名前が挙がったことについて述べたが、「彼女らが自宅での出産を介助する際にも提携病院は確保しているだろうから『県内に提携病院になってくれるところがない』ということはないだろう」とは思っていたが、実際に探すと、提携病院の確保はスンナリとはいかないものだなぁ、という印象を受けた。
 
 しかしとりあえず、私の提携病院は確保できた。そしてそれが、今までに自宅出産の提携病院になったことがある病院というのは心強かった。「提携病院にはなりますけど、自宅はホントはやめたほうがいいですよ」といちいち言われるのではかなわない。
 
 こうして今度こそ本当に、提携病院は決まった。
 
 提携病院と助産婦さんに今までの妊娠経過のデータを渡すために、P病院に紹介状を書いてもらった。紹介状は「病院宛てなら2200円、医院宛てなら2900円。」ということだった。開業助産婦さん宛ては? と思ったが聞くのも面倒くさく、市立産院の名前を出した。2200円だった。
 
 紹介状は「謹啓 益々ご清栄のことと拝察申し上げます。今回、下記の方が(里帰り分娩、転居)のため、貴院での診察、分娩を希望しておられます。宜しくお願い申し上げます。」で始まっていた。
 
 「紹介状が欲しい」と言った時に「里帰りですか? お引越しですか?」と聞かれたのはなるほど(里帰り分娩、転居)のどちらかに○をつけるためだったのだ。私は「そのどちらでもありません」と言ったのでマルはついていなかった。選択肢に最初からこの二つしかないのは「医師と方針があわないから変える」とか「病院の対応に納得いかないから変える」とか「変えないけどセカンドオピニオンになって欲しいと希望している」とかそういったことは想定していないのだろう。
 
 
更新日時:
2005.10.23 Sun.

5.助産婦:堀井さん
(1)初めて自宅に来てもらう 
 夫は「自宅出産でいこうよ」、夫の両親は「3つの条件をのんでもらえるのなら自宅出産でもいいわ。」と言った。提携病院は決まった。
 
 私は改めて堀井さんに「条件が整いましたのでよろしくお願いします。」と電話で依頼した。彼女は「わかりました。」ということで、堀井さん・小田さん・私の夫の日程を調整し、自宅に来てもらう日を決定した。その日は妊娠5ヶ月目に入る日だった(3ヶ月のときにP病院に行ったきりなので、4ヶ月の検診はとばしたことになる)。
 
 堀井さんは当初の約束の時間より1時間半遅れ、「迷ってしまいました〜。ゴメンナサイ〜。」と登場した。
 
 私は「堀井さんに聞くことリスト」を一応作っていた。彼女はそれにざっと目を通し、「ん〜、これらはみんな具体的なことですね。ではまず、全体的なことからお話ししましょうか。」と話し始めた。私と夫は時々質問をはさんだ。サブでついてくれる予定の小田さんは聞き手に徹し、堀井さんや私・夫に「小田さんはどう思われますか?」と水を向けられた時しか口を挟まなかった。
 
 そして、話す話す、聞く聞く…。そのあと食事指導、診察、夫に対して「ここをこんなふうにマッサージしてあげるといいですよ。」という指導。すべてが終わった時はなんと3時間が経過していた。聞きたいことはまだまだあったが「どうしても今日聞いておきたい」ことはひととおり聞けた。
 
 なんと贅沢な時間だったことだろう! 病院の診察に比べて、時間も、内容も。私は満足だった。
 夫は今まで自分が考えていた「常識」と違うことを一度にたくさん言われたので、少し混乱しているようだった。翌日「堀井さんの話、わかった?」「納得できないところはなかった?」と聞いても「うーん…」と唸っているばかりだった。消化するのに少し時間がかかるかもしれない…。夫はすこしそっとしておいて、時間をおいてまた話し合おう。
 
 
(2)堀井さんが話したこと
 まず、お産に100%はありえません。「絶対に無事に」とか「必ず元気な赤ちゃんを」とかいうことはお約束できません。それはよろしいですね。
 
 病院の出産と自宅出産とのもっとも大きな違いは、医師か、助産婦か、ということがあります。病院は「医師がいる」「設備がある」「医療機器が整っている」という安心感があります。これは病院の利点ですね。
 また、自宅で医師や医療機器が必要な事態が生じた場合、搬送のロスタイムが生じます。病院ならば5分で処置ができたところが自宅ならば搬送が必要で、それだけで30分かかるかもしれない。これは明らかに自宅で出産する場合に不利な点です。
 
 では自宅は設備がない、医療機器がない、ということで不利なばかりでしょうか? いいえ、自宅には安心できる、リラックスできるという利点があります。これは「なんだそんなことか」と言われることかもしれません。しかし場合によっては「自宅である」という安心感は「医師がいる」「設備がある」という安心感よりも大きな力となるかもしれません。また、自宅で産むことでお母さんは産む主体になることができます。これは産む時はもちろん、のちの育児にも影響してきます。
 
 自宅で生まれた赤ちゃんと病院で生まれた赤ちゃんは明らかに顔が違います。自宅で生まれた赤ちゃんの方が穏やかな顔をしています。「なぜ違うのか」「何の影響なのか」と聞かれても、私には答えられません。わからないのです。でも、顔が違うということはハッキリ言えます。それはもう本当に、明らかに違うのです。
 
 「自宅で出産する」と決めたからといって必ず自宅で産めるとは限りません。お産が進まない場合や赤ちゃんの心音が早い段階で弱くなった時、産んだ後の出血が止まらない時などは医療にバトンタッチします。
 
 ただ、前提として、仮にある人が無事に出産できる確率が50%だとします。病院は医師の力、薬、医療機器など医療の介入によってこの確率を90%まで上げようと努力するでしょう。助産婦は食事や運動の指導によって体力をつけること、本人にリラックスしてもらう要因を増やすことなどによってこの確率を90%まで上げようとします。
 
夫:でも、医師は必要だと思うから薬を使ったり器具を使ったりするわけですよね。
 
堀井:そうですね。どこで必要と思うかですよね。例えば子宮口が10cm開いて、1〜3時間経ったとします。それでも生まれないと、医師は「これ以上は待てない」と判断して薬や吸引によって強引に産ませようとするでしょう。でも、お産は非常にバリエーションがあるんです。私はいろいろ見て、「まだ待てる」と判断したら、そのような場合でも待ちます。
 
夫:堀井さんはどこを見て「まだ待てる」と判断するのですか?
 
堀井:一番は赤ちゃんの心音ですね。あとは出血とかお母さんの具合です。姿勢を変えたり、動いたり、そうこうしているうちにお産がちゃんと進むこともあるんです。
 
夫:なぜ医師は待たないのですか?
 
堀井:おそらく待ったことがないのです。学校でも、この位待って、それでもお産が進まないならこうしなさい、と習うのでしょう。そして現場でも一定の時間が経ったら介入する。そのようにして経験を重ねるものだから、そういうものだと思って、待てない。
 
私:姿勢は自由に変えていいんですよね。
 
堀井:いいですよ。分娩台というのはとても産みにくいですもんね。
 
夫:どうして分娩台はいけないんですか?
 
堀井:ご主人、こんな姿勢で(床に寝転がって実演)、力が入るかどうか、試してみてください。
 お産の歴史的なところから振り返ると、分娩台が使われるようになったのはルイ14世の頃ですが、その頃まではこう、産み綱につかまったり(再び実演)、椅子を用いての座産だったり、だったわけです。
 なぜ分娩台が使われるようになったかというと、介助しやすいから。分娩台は産む人の都合で作られたものではなく、介助する人の都合で作られたものなんですね。
 この姿勢はWHOで「胎児仮死が増加する」と、はっきり勧告されているんです。(図を書いて)このように、ココに大きな動脈や静脈が走っていますが、この姿勢では大きなおなかでココを圧迫します。血流も酸素もいきにくくなるわけですから、お母さんも赤ちゃんもとても苦しくなるわけです。
 
夫:WHOで、胎児仮死が増えるとはっきり勧告されているのに、どうしていまだに分娩台が使われているのでしょうか。
 
堀井:さあ、どうしてでしょうね…
 
私:自宅のお風呂で産むこともできますか?
 
堀井:できますよ。階段でもいいし、台所でもいいし、自分が好きなように移動していいです。
 
夫:それでは衛生的なことはどうなりますか? 病院は分娩台を使い、分娩台そのものはあまり出産には向かないとしても、その周辺は厳重に消毒されているわけですよね。自宅は、ただでさえ病院よりも不潔なのに、「ココで産む」と場所を設定して厳重に準備して、それでも不十分だと思うのに、そんなにうろちょろしたら衛生的ではないですよね。
 
私:病院の方が常在菌とかいて、家より不潔だよ。何度も言ったじゃない。
 
夫:それはおまえの考えだろう? 普通の人間は、病院は家より清潔だと思うもんだ。
 
堀井:一応布団を敷いて、その上にレジャーシート、その上にシーツかバスタオルさらにその上に滅菌シーツを準備します。でも奥さんが動くようなら滅菌シーツだけいつでも広げられるような状態にして助産婦は奥さんの後をついて回ります。それはそうとして…。
 赤ちゃんは無菌の状態にずっといるわけにはいきません。病院で産まれたとしても、この家に帰ってくるわけです。この家には「眠りねずみ家にいる菌」が普通にいます。これがこの家の普通。私の家には「堀井家にいる菌」がいます。これが堀井家の普通。眠りねずみ家の菌と堀井家の菌は一部同じで、一部異なります。この家の赤ちゃんですから、眠りねずみ家の菌の中に生まれてきて大丈夫です。
 病院は様々な人が出入りし、眠りねずみ家の菌よりもさらに雑多な菌がいます。病院の方が自宅よりも感染の機会は多いですよ。
 
夫: ………(なんだか納得しきれていない表情)
 
 
(3)診察と指導
 診察は問診、腹囲測定、子宮底測定、腹部触診、乳頭の診察、足首を持って重いかどうか(見た目よりも重いと水がたまりやすいとのこと)、足首の関節をぐるぐる回す(ここが硬いと脚の付け根も大体固いとのこと)、大腿部の筋肉を押す(この筋肉が硬いと子宮口も硬いとのこと)があった。この診察をしながら夫に「ほら、ご主人、こっちに来て足首を持ってみてください。時々こうして足首を暖めてあげてください。」「太ももをこんなふうに押してみてください。そうそう、そんな感じ。これも時々やってあげるといいですよ。」など夫への指導もあった。
 
@食事指導
  • 果物は体を冷やすので、摂らないように。
  • 牛乳は東洋人の体ではあまり吸収されないし、むしろ害になることもあるので積極的にはとらないように。カルシウムは、豆類や海草など日本に昔からあるものからとりましょう。
  • 白米よりも玄米や3分づき米、雑穀入りのごはんがよい。体内の毒物を排泄してくれる。
  • 食事は規則的に。おやつやお菓子はできるだけ食べない。どうしてもおなかがすくようならば、おやつでなく、おにぎりや芋など食事の一部になるような内容にし、1日3回食でなく4回食としてもよい。
  • 食事の時間は規則的に。
  • 食べた内容を毎日書いてください。(食事表のフォーマットを渡される) 書いたものを2週間ごとくらいに、FAXかメールで送ってください。それをもとにさらに指導します。
 
A生活指導
  • 1日2時間は歩きましょう。ホントは5時間歩いてもらいたいくらい。とはいえ、最初からは無理でしょうね。30分でも、まずはできる時間からチャレンジしてください。歩いた時間は食事表のはしのMEMO欄に記載してください。排便の回数と朝夕の体重も。
  • 難産は文明病とも言えます。体をとにかく動かすこと。
  • あなたの身長(157cm)と、妊娠前の体重(48kg)から考えて、体重増加は8kgまでに抑えましょう。
  • 乳頭のケアはもう少し経ってからでよいでしょう。時期が来たら乳頭のケアと会陰マッサージの方法を指導します。
  • 腹帯を巻きましょう。おなか周りに何もないと赤ちゃんも裸と同じです。保温のためと、文化的な意味もありますのでサラシの腹帯がいいです。マタニティガードルよりもサラシをしましょう。
  • 靴下を履きましょう。下半身を冷やさないように。
 
B資料
  • プリント:食事表の記入例、食事の注意点、牛乳を飲まない方がいいという説明書き、食事の陰陽の資料
  • スクラップブックの貸出し:自宅出産の新聞記事
  • ビデオの貸出し:タイトル「生まれておいで」/1人目は助産院で、2・3人目は自宅で出産した人のドキュメント
 
 
(4)私の感想
 「腹帯をする目的が腹部の保温とサポートなら、なぜサラシの腹帯でなければならないのだろう? マタニティガードルでよいのではないか?」「靴下を履くように言われたけど、冬ならばともかく、夏でこんなに体がカッカしているのに履かなければいけないのだろうか?」など、納得できない点はいくつかあった。しかし全体としてとらえると、堀井さんの話しは納得のいく点が多かった。説明の仕方もわかりやすかった。
 
 堀井さんが帰った後、話を思い出したり資料を見たりしているうちに「今度のお産は助産婦さんに手伝ってもらうけど、あくまで『サポートしてもらう』のであって、産むのは私。生まれてくるのは私と夫の赤ちゃん。お任せではなく私が主体的に取り組まなければ。」「お産はある意味突然ではあるのだが、降ってわいたようなものではなく、妊娠期間の1日1日の積み重ねなのだなぁ。その1日1日は私が積み重ねていくんだなあ。」「象が、猫が、牛が赤ちゃんを産むように私も哺乳類のヒトの一人として落ち着いて出産を迎えられるといいな」という思いを抱くようになった。
 
 
(5)夫の感想
 後日、もう一度初めての診察について尋ねると「オマエが納得できたのなら(あの助産婦さんにお願いして自宅出産で)いけるのかな、とは思った。」「食事の話しは納得できた」「感染についての話は『常在菌』とか専門用語が出てくるし、わかりにくかった。それに『あなたたちシロートにはわからないでしょうけど』っていうカンジの医療従事者っぽさがあって、あまりいい印象を受けなかった。ま、医療従事者はみんなそんなカンジだから、堀井さんについて『だからかかるのをやめる』というほどの悪い印象はない。あんなもんだろう。」「食事や運動は(受けた注意を守ることは)、オマエは今は専業主婦だからできるけど、仕事してたら絶対無理だよな。仕事している人はどうしているんだろう。あの人にしたって自分が産む時、仕事をしながら(指導の)あの内容を実践できるのだろうか? それは強く疑問に思った。」
 
 ―――私は堀井さんの話しを聞いて、夫がお産についてどう考えたのか、私達のお産についてはどう向き合っていきたいと思っているのかを聞きたかった。しかし夫の口から出るのは、なんだか評論家みたいな感想ばかりで少しガッカリした。お産を自分たちのこととして考えているのかナァ…。
 
 
更新日時:
2005.10.23 Sun.

6.自己管理
(1)運動
 自分なりに、まずは1日30分を目標にして歩き始めた。気候のいいときなら家事が一段落したところで歩くとよいのだろうが、なにしろ8月。9時にはもう外に出るのが億劫になる暑さである。私は朝5:30に起き、手早く着替えて洗濯機を回し、30分歩くことにした。こうすると帰宅して洗濯物を干すと6:15。夫と娘を起こして一緒に6:30のラジオ体操に行くことができる(娘は夏休みなので朝のラジオ体操があるのだ)。
 
 最初の2週間は、ほぼ毎日30分〜1時間の散歩ができた。ところが、私はもともと3日坊主である。次の2週間は1週間に1回、30分をやっと歩くという体たらく。イヤイヤ、これではいけない真面目にやろうと心に(再び)誓った時は9月になっていた。
 
 今年の夏は暑い暑いと思っていたが、急に朝晩が冷え込んできた。すると私は風邪をひいてしまった。たかが風邪と思うなかれ、私は喘息様気管支炎にかかったことがあり、風邪をひくと、ひどくなりやすいのだ。案の定、3日で喉がヒューヒュー言いはじめて、自分の家の2階に昇るのでさえ途中で休憩がいる始末。家事も休み休みに少ししかできないのだ。歩くなんてとてもできない。「やるぞ」と決心するのも言うのも簡単だが実行するのは大変だ。自己管理のできない自分を情けなく思いながら、風邪が治ったら、今度こそちゃんと歩くぞ、と みたび心に誓う私であった。
 
 ついでに薬について。私が風邪をひくと決まっていく耳鼻科の病院が近所にあった。お馴染みになっている私には「風邪で行ったらコレ」という内服薬が数種類あった。この時は妊娠23週(6ヶ月)だったが医師は「できるだけ赤ちゃんに影響がないように」と内服薬は処方しなかった。かわりに処方されたのは点鼻薬と吸入薬である。これでは、いつもの内服薬ほどすっきりと咳や痰、息苦しさはとれなかった。しかし点鼻と吸入で息苦しさはだいぶ楽になった。
 
 こうして、歩いたりサボったりしながら日を過ごすうち、朝のリズムができてきた。毎日5:00起床、トイレに行ってお茶を一杯飲んで着替えて、朝食及び夫の弁当を作る。5:30〜6:30頃まで歩いて帰宅、娘を起こし配膳、6:45朝食、といったカンジである。
 
 うれしいオマケとして、尿酸値と中性脂肪値を気にしていた夫まで一緒に歩き始めた。夫とは日頃同じ部屋にいて同じ時間を共有しても、それぞれが新聞を読んだり読書をしたりでおしゃべりすることなどあまりない(夫婦になってもう9年にもなるのだ)。けれど一緒に歩いていると、黙っていても手持ち無沙汰なので何となく「今日、娘がこんなことを言った」「お産がこうなるといいな」など話すようになった。夫も職場であったことなどぽつぽつ話す。たいした話をするわけではないが、楽しいひとときとなった。
 
 そうして11月になると、夫は体重が2kg減、肝機能を示すデータも改善し、中性脂肪値・尿酸値もグンと下がった。私は妊娠前・中ずっと便秘はなかったが、夫はもともと便秘がちだった。その便秘まで調子よくなってきたという。体調がいいと実感できると、やる気もわくようで「これから寒くなるけど、毎朝歩こう!」と夫のほうから言うほどであった。ただ、「オマエが産後歩かなくなったら一人では続ける自信がないなぁ。」と言う程度のやる気ではあるが…(私の心の声:自分の健康管理くらい自分でして下さい。オトナなんだから…)
 
付記:やはり産後は二人とも歩かなくなってしまった。ただ、夫は「自覚症状はないから」と10年くらいほおっておいた高尿酸値を気にするようになり、職場の近くの病院に通院するようになった。
 
 
(2)食事
 堀井さんの診察のあった次の日から、食事表をつけ始めた。
 夏休み中なので、遊園地、プール、夏祭りと出かけることも多く食事はバランスの取れたものとは言い難かった。また「牛乳や果物は取らないように」と言われても義父母と一緒に食事をした時や、実家に帰省した時に出された食べ物から、残すのは気が引けた。(イエ正直に言いましょう。私が、食べたかったのです…)
 
 また(先ほども述べたが)私は9月始めに風邪をひいてしまった。「風邪の時はビタミンをたっぷりと(果物)、消化のよいものを(プリンやヨーグルト)」という先入観があった私は「体調が悪い時は好きなものを食べられるだけ食べた方がいいよね」とまたしても自分に甘いのであった。
 
 しかしここで思いがけないことが起こった。夫が私よりも熱心に「食事はちゃんとしようよ」と言い出したのである。彼は毎日アイスクリームを食べるし、脂っこいカロリーのあるものが好き。私が食事を和風に変えたら文句を言うと思っていたのに。
 私たちは玄米が炊ける炊飯器を購入し、主食は玄米、副食は肉より魚、野菜をたくさん摂る、という食生活に徐々に変わっていった。助産婦さんが勧める「マクロビオティック」に少しでも近づくように。
 
私は果物や乳製品についてやめる必然性は相変わらず感じなかったが、ためしに2〜3ヶ月(つまり出産まで)やめてみるか、という気になり、人と一緒に食事をする時以外はそれらを断つことにした。きっかけはマザークラスでのある助産婦さんとのやりとりである。
 
私 : 果物や乳製品のいいところもテレビや本で言っています。それらの情報と接すると、摂りすぎはいけないにしても少量摂るくらいなら、果物も、乳製品も、むしろ摂ったほうがいいのではという気になるんですけれど…。
 
助産婦:いままで甘いものや果物、乳製品をとらない生活というのをしたことありますか?
 
私 : (キッパリ)「ありません」
――考えてみれば物心ついてずっと、給食には牛乳、家に帰っても毎日アイスやおやつがあった。果物や乳製品を摂らない日が3日も続いたことはないのではないだろうか。
 
助産婦:じゃあ、試しにやめてみれば? それで自分の体がどんなふうに変わってくるか。
 
私 : (へ? それって全然論理的・科学的な説明になってない…。でも、ま、果物や乳製品を摂らないと死ぬってわけでもないから試しにやめてみてもいいかも…)・・・。
 
 こうして私は試しに、果物や乳製品をやめてみることにした。やめてみて1週間くらいは、食事を十分摂っているにもかかわらず無性に「ケーキ食べたい」「アイスが欲しい」「チョコでもいい」「パイナップルやメロンが食べたーい」と頭の中が甘いものだらけになり、つい食べたりもした。食事の時はクリームシチューやトローンと溶けたチーズが恋しくなったりもしたが、こちらへの執着はそれほどでもなかった。「なんでこんなに甘いものが食べたいんだろう???」考えてもわからない。理屈でなく、体が欲しがっているかんじ。
 
――何だか甘いものへの依存症みたいだなぁ。この欲しがり方は病的っていうか…ヘン。
 やめてみて初めて気づいたことだった。ただ、甘いものをやめたので体がスッキリするとか、疲れにくくなるとかそういったことは特になかった。
 
 そして時々は甘いものを食べながら10日位たつと、あんなに欲しくてたまらなかったお菓子や果物への執着がなくなった。やっとケーキ屋さんの前を平然と通り過ぎることができるようになった。
 
 助産婦さんは「できれば家族も健康のために一緒にやめた方がいいけど」と言ったけれど「こういう理由でやめたほうがいい」という理屈が私にはどうしても納得できなかったので、夫や子供には特にそれらは制限せずにいた。なので夫も子供もアイスやヨーグルト、お菓子なんかを以前同様摂っていた。
 
 
 (3)お灸
 10月初旬の診察(妊娠8ヵ月)の時、堀井さんから「そろそろお灸を始めましょうか」と言われた。三陰交・足三里と言うツボにお灸をしましょうとのこと。モグサなんて見るのも触れるのも初めてだった。
 
堀井さんが手本を見せてくれた。こうやってモグサをちぎって、こう、ヨリヨリっとして、場所はココ。いーい? 火をつけるわよ。と線香で着火。
アッツーイ・・・と悶絶した。
 
 「どうしても無理と思うなら、モグサ使わなくて、せんねん灸でもいいし、それも無理なら指でこの場所を押すだけでもいいから。」「できそうなら、三陰交は3回/日、足三里は2回/日から始めて徐々に増やしていきましょう」と言われた。
 お灸をした部分はかさぶたになった。かさぶたがはげた日は皮膚が弱いのでお灸は中止し、それ以外の時は実行した。かさぶたがあっても、かさぶたの上にモグサをのせるのである。
 
 熱いし、つらかったが「これをしておくとお産がいい具合にすすむようになる」「赤ちゃんは気持ちいいはず」と言われたので頑張って続けた。不思議なことに、毎日、お灸を始めると赤ちゃんがおなかの中でよく動くのである。ある時心配になって堀井さんに「赤ちゃんは苦しくて動いているの? 気持ちよくて動いてるの?」と聞いた。「気持ちいいんですよ」と言われた。真相はわからない。本人に聞けないし。私は「赤ちゃんが動くときイヤなかんじはないし、(私も)何だかうれしい感じだから、よろこんでるんだろう、きっと」と解釈した。
 
 今も足には跡が残っている。
更新日時:
2005.09.29 Thu.

7.様々なマザークラス
 このように妊娠経過が進み、時ははや10月。妊娠が判明した5月から5ヵ月が経った。周囲の人も巻き込みながら、状況が変わり、私や家族の考え・行動も変化した。
 
 このような中、私は堀井さんの勧めで助産院主催のマザークラス(母親学級みたいなもの)を受けることにした。受講料は1回1500円(一人で受けても、夫と一緒に受けても)。長女を妊娠したときは、病院や保健所主催の母親学級はいずれも無料だった。それから考えれば「有料?」という印象だったが、2時間のお勉強で1500円と考えれば安い。内容は@食育クラス Aアクティブバース Bマザリングだった。私の場合、アクティブバースには夫も一緒に、後は一人で受講した。
 
 また、助産院主催のクラス以外にも様々な催しがあった。参加したものが二つある。「いいお産の日」(11/3)にちなんだイベントと、助産婦会主催の母乳トラブル対策の講座である。
 
 
 (1)食育クラス
 振り返ってみると、第一子の妊娠の時は病院や保健所で食事指導を受けたが、いずれも妊婦=生徒で、助産婦=先生の学校の授業方式か、妊婦と保健婦が1対1だが妊婦の話しを聞くというよりも保健婦が一方的にだーっとしゃべる(指導する?)個人指導方式か、しかうけたことがなかった。どちらにしても「そんなにいっぱいいっぺんに言われてもわかんないよう」「それは雑誌やTVで読んだこと・聞いたことがあるから知ってるよ」「そりゃ理想はそうだろうけど、現実的に、ソレ、本当にできるとお思いか!?」という感想を持つことが多かった。要するに「ためになった」「よし、私の生活では今日聞いた話しのこの部分をとりいれよう」と思ったことは少なかった。
 
しかし、助産院での食育クラスは少し違った。まず、マクロビオティックについての話と、様々な本や食材の紹介があった。これはまあ、授業方式だったが、その次に、参加者の食生活や思いをそれぞれ言ってもらい、それについて助産婦が指導したり、他の妊婦が質問や感想を言ったりといった時間があった。第6章で述べた、私が甘いものや果物を「試しにやめてみよう」