(1)家族の心配
私は、出産方法は産む本人が決めて、周囲がそれに協力してくれるものだと考えていた。産むことで、つらい大変な思いをするのは産む本人なんだから、周囲が心配こそすれ、口を挟むなんてことを(ノンキにも)予想していなかった。しかし、「自宅出産したい」と言った途端、夫の両親と夫は大きな不安に突き落とされたらしく、様々な反応がでてきた。
まず妊娠のことを告げると皆喜んでくれた。ところが「自宅で産むつもり」というと一様に表情がこわばってしまった。
「万一のことがあったらどうするのか。」これが一番心配なようだった。赤ちゃんに、母親である私に、緊急事態が発生した時、病院ならば医師もおり、必要な器具もあるので何らかの処置ができるだろう、というのが彼らの主張だった。
何が心配なのか具体的に聞いてみると、
@私と赤ちゃんの体のこと(私に輸血や点滴・縫合の必要が生じた時はどうなるのか、病院ならば緊急帝王切開や吸引分娩になるような事態の時に、自宅ならば助産婦さんしかいなくて、器具もなくて、どうなるのか等)
A物品の準備(自宅出産するなら自分達で物品を準備しなければならないだろう、しかし何を準備すればいいのかサッパリわからない)
B自宅で出産する場合のセッティング(仮に物品を準備したとしてもそれをどこにどう置けばいいのか、部屋をどのように使うのか、イメージがわかない)
C助産婦さんが自宅に到着するのが間に合わずに出産が進行したらどうするのか
大別するとその四つに分けられた。
一方、私は「万一の事態」が生じたら救急車で搬送してもらえばいいだろう、物品やセッティングのことは助産婦さんに指導してもらえばいいだろう、と考えていた。
「自宅で取り上げるのは初めてです」という人に頼むのでない限り、準備やセッティングなど助産婦さんの方がプロなのだから聞きさえすればいいだろう、逆にそんなとんでもなく準備が大変な事態に助産婦さんはしないはずだ。出産の進行が思いがけず早かったら、という点についてはこの時も救急車で病院に行けばよいと考えていた(というか、普通、経産婦で早く進行したとしても4時間はかかるだろう、助産婦さんが出発に手間取ったとしても3時間もあれば我が家に到着するだろうから間に合うだろうと考えていた)。
夫の両親は「自宅で産むというのは心配だから(あなたがいろいろ調べて、私達に説明して)、私達を納得させてちょうだいね。今の段階では納得できていないから。」と言った。かろうじて「反対」という言葉を飲みこんだ感じだった。夫は「基本的に『自宅出産に反対』というのではないけれど、両親が賛成しないまま自宅出産をするのは反対。自分も万一の事態を考えると自宅出産は心配だ。」と言った。
そこでまず私は夫といろいろ話をすることにした。
話し合ってみると、夫の心配は(私にしてみれば)こまごまと、多岐にわたった。でも夫にしてみればその一つ一つが重要なことだったのだろう。そしてその一つ一つについて、それはこうだろう、あれはこうだろう、そのことは私にはわからないから助産婦さんに聞いてみる、と話し合いを進めていった。しかし話しても話しても何だか二人がすれ違いの話をしているような、いごこちの悪さを感じた。
私は心の中で「どうしてそんなにイロイロと心配なんだろう」と半ばあきれていたし、一方、夫の顔には「どうしてそんなにのんきに構えていられるんだ?」と書いてあった。そしてしまいには夫はこういったのだ。「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」「心配事を一つ一つ話して返事をもらっても『まだ自分には想像もつかない何らかの非常事態があるかもしれない』と思う。だから自分の心配事について全部説明してもらっても、その『自分にも想像も出来ない万一の事態はどうするんだ』という心配は消えない。」
これを聞いた時、ははーん、根っこはこの「私自身に感じているあやうさ」と「漠然とした不安」なのかぁ、とやっと胸にすとんと落ちた気がした。しかしこれはやっかいだぞ、と自宅出産について少し不安になってきた。
私はその時まで夫や夫の両親の心配事を一つ一つ解決していけば彼らは徐々に納得してくれるだろうと考えていた。しかし相手が上記の二つならばそうはいかない。特に「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」というのは私達夫婦の信頼関係が(というか夫の私に対する信頼が)脆弱だということを意味している。私はまず夫に信頼してもらう努力から始めなければならない。さてどうしよう…。とりあえず夫との第1回検討会(?)はここまでだった。
(2)妻と夫の認識の違い
時を改めて、私は第2回検討会(?)をそろそろと開始した。
私はまず夫と「おまえの『大丈夫と思う』は信用できない」について話し合おうと思っていた。夫婦なのに信用してもらってないってちょっと淋しいなァ、と思いながら。
夫はふたつのことを「『大丈夫だと思う』と言ったが全然大丈夫じゃなかった。」という事例として挙げた。
ひとつは第一子出産後の再就職時のこと。看護婦としての就職をする際(看護婦として就職するのは初めてだったので実情がよくわかっていなかったのもあるが)、「日勤は8:00〜16:30ということだから遅くなったとしても18:00には帰宅できると思う。」と言ったことだった。
実情は大きく違っていたのだ。18:00に病棟を出らればいいほうで、19:30頃まで残ることもしばしばあった。夫婦二人ならそれでも問題はなかっただろうが、私達は当時1歳半の子供を夫の両親に預けていた。夫は「オレの仕事のペースは変えられない。」と最初から言っており、いつも通りのペースで仕事をしていた。私が急に残業になったからといって仕事を無理に切り上げて早めに帰宅することはできなかった。そこでしわ寄せは夫の両親に行った。
夫は自分の両親に対して「申し訳ない」と思う気持ちが強くあった。
もうひとつは子供のケガのことである。私と子供が近所で遊んでいる時、子供がくるぶしをザックリ切った。ガラス瓶が割れたまま放置してあったのに気づかなかったのだ。日曜日の夕方のことだった。「縫合した方がいいかな」とチラッと思ったが、圧迫していたら止血したし、指も動く。「動脈も神経も切れていない」と判断し、子供も落ち着いたので病院には行かなかった。そしたら傷はケロイド状に3cm位「く」の字のまま残ってしまった。
さらに、「オマエの言うこと、することは一事が万事この調子なので思い出せないけど他にもイロイロあった気がする。とにかく何か信用できない」と言うことだった。
私はいろいろと湧きあがる感情があり、心の中でひとしきり叫ばなくてはならなかった。
「再就職の時、仕事でどんなにつらくったって、私がしたいといって始めた仕事だからと思ってあなたには弱音をはかなかったじゃない。『18時には帰宅できると思う』と言ったのは確かに私だけど、それが守れなかったのは私のせいなの? それにその負担はあなたの両親にかかって、義父母は『大変だけどこれはこれで楽しいからいいのよ』と言ってくれた。あなたは文句を言うばっかりで、実際に助けてくれたことはほとんどないじゃない。」
「日曜日の怪我のことだって、『自分は疲れているから』とテレビを見てごろごろしていたんじゃない。私だって疲れていたわ。でも子供は元気が余って、だから私が外に連れ出した。子供のケガを家に帰って処置した時に『病院に行かなくても大丈夫と思う』と言ったのは確かに私だけど、その場にあなたもいたじゃない。後でグジグジ言うくらいなら『イヤ、俺ははどうしても心配だ』と自分が病院に連れて行けばよかったじゃないの。第一、傷が残ったって言っても場所は顔じゃなく、くるぶしだし、本人も気にしていない。足を引きずっているわけでもない。傷跡は成長すればもっと目立たなくなると思うし、私としてはこれは十分『大丈夫だと思う』と判断して『大丈夫だった』例なのよっ!!」
そして心の中で思いきり叫んだあとで、思考があっちこっちにいかないよう、一生懸命落ち着こうとした。
「イヤイヤ、待て。今、この心の中の思いをそのまま言ったら多分『何を!』『何よ!!』と論点がずれたケンカになってしまう。夫の意見は納得できない。納得できないから、いずれ少しずつ話合うとしても、今は過去の二つのことを話合う時ではない。私は今日は『おまえの大丈夫と思うは信用できない』という夫の思いを変えることはできないのか? ということを話合いたいのだ。でないと自宅出産について夫はずっと否定的だろうから。…よし、今日何を話合うべきかは再確認できた。いくぞっ!!」
そして慎重に言葉を選んで、静かに言った。
私 : そのふたつについては、その通りで申し訳なかったな、と思うよ。
でも、それ以外ってそんなに何があったかな。
夫 : 思い出せないけどなんかいろいろあったよ。おまえはいつもそうなんだ。
私 : うーん… 私も思い出せないのよね。
で、私の記憶の中には『しまった、大丈夫だと思ったけど大丈夫じゃなかったことをまたしてしまった!!』みたいな感情も残ってないのよね。
でも、あなたにはその感情は残ってるのよね。ということはやっぱりあなたは強くそう思ったということだろうね。
…ね、これは二人が同じ体験をしていても、受け取り方が違うってことじゃないかしら。どっちがいいとか悪いとか正しいとか間違ってるとかいうことではなく。
二人が同じ場にいて同じ体験をしてもあなたは「大変なことだった。」という感想を持ち、その感情が強く残る。私は「何とかなった、たいしたことなかった。」と思い、事柄も感情も特に記憶に残らない。
夫 : ……
話しながら私は次のように考えていた。
―――そうか、そうかもしれない。夫は表現としては「信用できない」といったけど、それは「おまえがどうしてそんな のほほんとしていられるのかわからない」ということなのかもしれない。するとそれは「おまえを信用できない」ということではなく、気持ち的に「しんじられーん」ということであり、「夫は二人の認識の違いに気付かないまま苛立っていた」ということではないか? これは二人の物事の捉え方、感情の持ち方がとても違う、という結果なんだ。考え方や感情を人と全く同じようにするなんて無理だし、しかたのないことなのではないか? でも、お互いに相手を認め合ってお互いの感情に配慮することはできるかな? 少なくとも今、夫は「こいつと自分は物事の捉え方がかなり違う」ということには気付いたと思うが。―――
夫がどう考えたかはわからない。でも私の中では「これは、どっちかが譲るとか努力するとかして解決する問題じゃないから、『お互い捉え方が違うな』とお互いを認め合うことしかできないのではないだろうか。」と結論が出た。
夫が黙っていたこともあり、私の思考は次の段階に移っていった。
―――夫は私よりも「物事に慎重で、結果に対しても評価が厳しく、負の感情を持ちやすい」のだから、ではその夫が少しでも安心する材料があるか、探してみよう。――
私 : ね、以前「自宅出産について心配事を一つ一つ話して返事をもらっても『まだ自分には想像もつかない何らかの非常事態があるかもしれない』と思う。だから自分の心配事について全部説明してもらっても、その『自分にも想像も出来ない万一の事態はどうするんだ』という心配は消えない。」って言ってたよね。
夫 : うん。
私 : そう言われると、私としてもとまどうのよね…。
心配なことを具体的に挙げてもらえれば「これはこう、それはそう」と解決していって、それで少しづつ安心してもらえるかな、と思っていたから。
夫 : それじゃ安心できないよ。
私 : そうか。ただ逆に私はあなたと違ってそんなに医者や病院を信用していないのよね。医者がいても、病院でも何かある時はあってしまう、というか…
夫 : そりゃそうだよ。でも医者がいても何かが起こってしまったのなら「医者のせいだ」と責められるじゃないか。
私 : そうかな? よっぽど明らかなミスをしたときは責められるだろうけど、医者が良い腕でも、いい器具があってもどうしようもないことってあるとおもうよ。
夫 : それでも自宅出産で万一のことが起こったら、自分の中で「やっぱり病院であれば、医者に見てもらえれば、結果が違ったのではないか」という思いはずっと残るよ。オレだけじゃなくオヤジやオフクロもそう思うんじゃないかと思うよ。
私 : (…それを言い出したら、自宅出産はできないよ。万一の事態が起こったときに助産婦さんに「あんたのせいだ」って言うってことじゃん。私だって、ホントに助産婦さんのミスだと思うなら文句言うけどさ、そうじゃなくてどうしようもない事態なのに「あんたのせいだ」って言われたら、助産婦さんはたまんないよね。助産婦さんにそこまでの迷惑をかけるわけにはいかない。あぁぁ、ウチは自宅出産はできない家庭だったか。撃沈だ。撤収…)
うん、そうか…。私だって「絶対大丈夫」って思っているわけじゃないよ。やっぱり万一のことがあるかもしれないとは考えているよ。ただ、私は万一のことが起こっても、運命というか、仕方のないことというか、それは誰のせいでもなく起こってしまったことだ、と考えると思うのよね。でもあなたは自宅出産だと、そうは思えないのよね…。もし本当にそういう事態になってしまった時に、あなたが一生「こうしていれば…」と苦しむのは私にとって本意じゃないよ。
私は「できたら自宅出産をしたい」という希望がある。でも「まわりが何と言おうと、私のことだから、私が決めたからこうするんだ」とは思ってないよ。万一の時どうしてもあなたがそういう感情を抱いてしまう、というのなら、それはどうしようもないよね…。
それなら自宅ということでなく助産院や病院を検討しなくちゃいけないね。
夫 : イヤ、一生苦しむというか…。 もしそうなったらオレだって結局は「仕方ないことだったんだ」という納得の仕方をしないといけないとは思ってるよ。だからオレも助産婦さんの話しをいっしょに聞こうと言ったんじゃないか。
私 : (…へ? なんだか雲行きが違う方向へ???)……。
夫 : オレだって「自宅出産には絶対何がなんでも反対」というわけじゃないよ。ただ絶対にリスクはリスクとしてあるはずなんだ。それがはっきりしないから心配なんだ。
おまえは自宅出産について、オレが何を聞いても「〜だから大丈夫と思う」としか言わないじゃないか。それは変だ。そんなことはないはずなんだ。
だからオレは助産婦さんにそこを聞きたい。結局は助産婦さんがメリットもデメリットもきちんと説明できる人か、信用できる人か、ってところでしかオレは判断できないと思う。とにかく、会ってから考えるよ。
私 : そうか。 …それにしてもあなたは助産婦さんに対してはそんなに慎重なのに医者だったら会っていなくても信用するのね。
私も第一子目の時は、病院に対する期待が今のあなたに近かった部分があったと思うの。産むのは私だし生まれてくるのは赤ちゃんの力なんだけど、今はそう思うけど、あの時は自分のことなのにヒトゴトというか「ちゃんと産ませてよね、取り上げてよね。」みたいに医者に「よろしくたのむよ」というか、まかせるような気持ちが強かった。でもこんどは「医者に産ませてもらう」のではなく、「自分で産みたい」と思うの。病院に行くとどうしても「お医者さんのところにこちらがお邪魔します」みたいになってしまう。そうじゃなくて、自分のことだから自分が一番落ち着く環境に居て助産婦さんに対して「私達の家にいらっしゃいませ。私も赤ちゃんもがんばるから助産婦さんもサポートよろしくね。」というスタンスでいきたいの。
夫 : うん…。ただ自分は基本的に「産むのはオレじゃない」と思ってるから、(産む場所がどこだとしても)立会いとか、へその緒を切るとか、そういうのはちょっと…。
私 : いやなことはもちろんする必要ないよ。ただ、わたしは、別に腰をさすってくれなくても、手を握ってくれなくてもいいから、あなたが近くに居てくれると心強いな、とは思うけど。
夫 : うーん…。
この時の話し合いはここまでで終わった。
私は「自宅出産の危険性を夫にいろいろ話しても不安を大きくするだけだし、そうすると自宅出産に反対されてしまう。病院には別種の危険性があるわけだし、自宅でも病院でも別々のメリットとデメリットがあるから、アイコだわ。」と判断して話しをはしょっていた。勝手だったなァ、夫にはお見通しだったなァ、と反省した。
そして、私と夫の認識の違いについては、お互いの性格の違いも大きいが医療関係者か否か、ということの影響も大きいだろう、と改めて思った。
私は自分が看護婦だったことがあるせいか、病院に過剰な期待をしていない。病院にかかって医師も患者も一生懸命努力しても、どうしようもないこともあると思っている。医師にもウマイ・ヘタがあるし、看護職の人間性もいろいろだ。「どのような医師・看護職がいいか」と言ったってそれぞれ技術の得意・不得意分野があるし、患者さんとの相性もある。100人が100人、「この人」という人なんていないと思う。医師も看護職もいつでも発展途上だから一概に「コイツとコイツは医療関係者として、失格だ。」と簡単に断罪もできない。
だから患者さんや家族の病院によせる期待、これは一体なんだろうととまどう。看護婦の時も、今もだ。みんな病院を魔法のお城と思っているのではないか、患者として自分が横になればチチンプイプイと何とかしてもらえると思っているのではないか。医師も看護職も人間で、感情も揺れるし、疲れもする。限界だってある。そのことが患者さんに対してマズイ対応をとった時の言い訳になるとは思わないが、患者さんやその家族は医療関係者にどこまで求めるのだ? その要求はまるで底無し沼のようではないか、とやりきれない気持ちになったこともある。
しかし一方で看護婦として3年半しか経験がない自分だからこそ、看護婦になる前の記憶もある。健康で病院とは縁がなかった自分こそ「病院に行きさえすれば何とかなる。」と思っていたひとりだ。医師や看護職が病気や治療について丁寧に説明してくれようとしても「イヤイヤイヤ、私には難しいことはわかりませんから。お任せしますから。病院を信じてますから。」と自分の病気・体について、知り・考えることを面倒くさがっていた。なぜ自分の体が悪くなるのか・良くなるのかよくわからないくせに(わからないからこそ?)、自分は特に何か気をつけるということをしないまま「医師が治そうとしてくれているから治るハズ。」と妙な自信を持っていた。家族や周囲の人だって似たようなものだった。
だから夫や夫の両親が「病院にいさえすればかなり危険なことがあっても何とかなるのではないか。」と期待を持つのもわかる。「最新の器具や施設・医師が揃ったところで手を尽くしても悪い結果が出たのなら諦めもつくが、そのどちらもないところで悪い結果がでたら諦めがつかない。」と不安がり、「どういう時に、何が起こるのか? それは器具や施設・医師か助産婦かに左右される問題なのか。」を吟味しないままおびえる気持ちもわかる。
医療関係者か否か、という違いによる病院に対する期待の差は「口でいくら言っても埋まらない溝かなぁ」というあきらめも半ばある。しかしだからといって「どうせわからないから」と最初から半端な説明しか実施しないのは、やはり失礼だろう。そしてそのような姿勢ではお互いの理解も深まらないままである。
少しずつ、いろんな話をしていこう。
私にとってはとても有意義な話し合いだった。夫にとってはどうだったのだろうか?
(3)私はどんなふうに産みたいのか
夫の両親と夫の反応を見て、「いろいろな捉え方、考え方があるなぁ」と気づいた。ではここで、「私はなぜ自宅出産をしたいと思うのか」整理しなおして考えてみることにしよう。
第一子の時を振り返ってみると、お産を具体的にイメージすることすらできていなかった。産むのは私だし、生まれてくるのは赤ちゃんなのに「病院で取り上げてもらう」「先生、ちゃんと産ませてよねー」といった感じで漠然と最初から人任せ、施設任せの考えだった。この考え方は通院するたび、医師とやりとりがあるたびに強化されていった。
でも、お産が終わって、何だか疑問点と釈然としない思いが残った。それはそれらの問題を解決しようとしなかった私の責任だ。
では、今回はその問題を解決するために医師に要望を伝えることができるか? 病院での出産のメリットとデメリットを考えながら、できるだけ私の希望がかなうように、私と医師が一緒に可能性を探ることができるか? それを考えた時「この病院ならば」「この医師ならば」というところを思い浮かべることができなかった。
さきほど「患者さんや家族は病院に対する期待が大きすぎる。」と書いたが、医師にもそれを助長している人が多いと思うのだ。あるいは医師自身が本当に「病院でありさえすれば、自分か、他の医師でコトに当たればなんとかなる。」と思ってるようにも見える。そこには「患者は何を望むのか、何を恐れるのか。」という視点が欠けている。そして患者が希望を言っても「それは優先すべき問題ではない」とあっさり一蹴するのだ。だが、患者の体が患者のものであり、患者にある程度の判断力があるというのに「それは優先すべき問題ではない。」となぜ医師が判断できる? あるいは医師も忙しすぎて患者と一緒に考える時間など取れないのかもしれない。
もともとそう沢山の病院を知っているわけではないが、友人や知人から聞いたところはどこも「会陰切開をしており」「陣痛室では一人で耐え」「分娩台で」「助産婦さんが直前までついていてくれるが結局取り上げるのは医師」であった。
私の希望は「私は頑張って産むし、赤ちゃんも頑張って生まれてこようとしているから、助産婦または医師はそんな私と赤ちゃんをサポートしてほしい。」「お産の苦しい部分はできるだけ減らしたい。」「陣痛と出産の間ずっと、夫と娘に(二人が嫌がらなければ、の話しだが)同じ空間に居てほしい」「可能ならば会陰切開はしないでほしい」「問題がない限り、私と赤ちゃんのペースでお産をすすめたい。」「分娩台でなく自分が楽な姿勢で出産したい。」である。
自分の希望を考えた時、私の出産をサポートしてもらうに際して一番理想的な人は助産婦さんであり、一番理想的な場所は自宅であった。
ただ、ここで考えなければならないことがひとつ。それは「夫と夫の両親が反対する状況は避けたい」ということであった。これは夫と夫の両親のニーズというだけではなく、私のニーズでもある。
夫と両親の気持ちを考えると、というのが第一の理由。夫および両親とは産後も、これから何十年もつきあっていくのだからアチラに腹立ちの種を植え付けたままでは先々の付き合いにも支障が生じるだろう、それでは私もツライ、というのが第二の理由。
そこで私は夫と夫の両親に対して「自分の希望は自宅出産」ということをはっきりさせたうえで、できるだけ納得してもらえるように「なぜそこまで自宅出産したいというのか」説明し、わかってもらう努力をしなくてはならないと思った。
夫とは先日の話合いで「とりあえず自宅出産することを前提に助産婦さんと会う」というところまで合意がとれた。夫の両親が「絶対に反対」という姿勢でなく助産婦さんと会うことに合意してくれれば、次の段階として実際に助産婦さんの話しを聞いてから最終的に自宅出産にふみきるかどうかを考えることになる。話しを聞いても納得してもらえない場合は第2候補として助産院、第3候補として病院を検討するしかない。
私達夫婦と夫の両親は家三軒をはさんだだけの近所である。今までさんざん娘もお世話になっている。夫と両親が顔を会わせるのは1〜2週間に1回だが、私と両親は顔を見ない日はない。いままで濃いお付き合いをしているし、これからもそうだろう。
周囲が了承しないまま自分の希望を押し通すという手もないわけではないが、それをすると後で2倍・3倍返しで面倒くさいことになるのは火をみるより明らかである。今、説得工作がどんなに面倒くさくてもココで頑張ったほうが後がラクになるのである。そう、私は自分がラクをするためならどんな苦労もいとわないのだ。本質的に面倒くさがりというのは昔も今も変わらないのである…。
(4)夫の両親に了解してもらうために
私はとりあえず気持ちを伝える為に夫の両親に手紙を書くことにした。口頭で話していると、相手の質問や合いの手が入って論点がどんどんずれていくのを恐れたからだ。相手が何も言わなくてフンフンと聞いていてくれてもずれていってしまうかもしれない。私が言いたいことはアレもコレもあったし、私はもともと物事を順序だてて話すのが下手なのだ。
少なくとも前回の出産で納得いかなかった5点は書きたかった。夫とどんな話合いをしたかも。元の職場で同僚の助産婦がどんなことを言ったかも書きたかった。ぶっつけ本番で書くなんてとてもできないからパソコンで推敲しながら書いた(打った?)。そうこうしているとA4用紙13枚の大作ができてしまった。
自宅にプリンターを持っていないのでフロッピーディスクに保存して、夫の職場で印刷してもらった。その際に夫にも読んでもらった。夫は「話している時に(おまえの気持ちは)大体わかったつもりだったけど読んでみて改めてそうだったのか、と気付いた部分もあった。」と言った。同時にこうも言った。「『え? 自分の発言はこうとられていたのか』と驚いた部分もあった。そんなつもりじゃなかったのにな、と。」
お互いに認識のすりあわせというのは努力と時間の要るものであるなぁ、少なくとも私と夫の場合は「黙っていてもわかりあえる」ということはありえないな、とつくづく思った。
「この文書を夫の両親に渡す」ということは夫の了解が得られた。そこで「お父様とお母様、お二人で読んでください。」と、渡した。
(5)8歳の長女を出産に立ち会わせることの是非
数日後、私達夫婦と夫の両親とで話し合いの場が持たれた(長女は隣の部屋で寝ていた)。私は夫の母から、まずこう言われた。
「あなたの手紙を読んで私たちもいろいろ考えたわ。で、私たちが認めるとか認めないとか言うのは変だとは思うけど、自宅出産を認めるなら3つだけ条件があるの。
@あなたたち夫婦の認識にズレがないように、十分に話し合いを重ねること
A助産婦さんにお世話になるとは言っても、いざという時に行く病院は確保しておくこと
B孫(私たち夫婦の娘:当時8歳:小学校2年生)は出産には立ち会わせないこと
この3つだけは確実に約束してほしい。」
私は「@は努力します。Aは順調な経過をたどったとしても採血とか病院で診察してもらわないといけない部分もあるので確実に確保します。」これはスンナリ言えた。しかしここから少し迷った。
Bは…。せっかく自宅で出産するのだから、今いる家族で新しい家族を迎えたい。どうしてそれがだめなのか? 刺激が強すぎると思っているのか?
私 : Bは… 生まれる時に娘を足許に行かせて生まれる瞬間を見せるというのはヤメにして、私の枕もとにいさせてもダメですか?
義母: それもダメ。特に孫は今、感受性が鋭い時期だし、その場にいることで一生、出産や結婚自体に恐怖を抱くことも考えられるわ。私達(夫の両親)は断固、それら(恐怖体験?)から孫を守ってやらなくてはならないと思っているの。
私、この三つは昨日寝ないで考えたのよ。これだけは譲れないわ。
私 : (寝ないで、か…。ある意味私より悩んじゃってるかもしれないなぁ。私とは別の部分で。むむむ。。。)
あの、お義母様。娘自身は、赤ちゃんが生まれるところを見たい、とやる気マンマンなんですが…。
赤ちゃんが血まみれかも知れないから、ビックリするかも知れないということをご心配なんでしょうか?
義母: それもあるけどそれだけじゃないわ。
私 : お義父様も同じようにお考えですか?
義父: うん。そうだ。出産の瞬間だけでなく、陣痛が始まった時期から孫はその場から遠ざけるべきだ。昔は自宅出産は頻繁にあったが、その場合でも、子供はその場には近よらせないものだった。とにかくああいう場に子供をいさせるものじゃない。
義母: 母親が苦しむのを見て、母親をこんなに苦しめた存在だ、と赤ちゃんを憎むようになるかもしれない。母親がいつもと違う様子でうなったり苦しむのを見て、出産後、母親に近寄りがたい思いをするかもしれない。いろいろ考えても、見せることでいいことはひとつもないわ。
とにかくお願いよ。どうしてもこれだけは譲れないわ。聞き入れてくれないなら、わたし、孫を連れて家出しちゃうから。(←これは涙ぐみながら)
私 : (「いいことはひとつもない」ってなぜ断言できる…。それにしても今は義母も義父も感情的になってるからいろいろ話してもすれちがう気がする。今日は相手の言い分だけ聞いて、切り上げよう。)
…私達と娘のことを本当にいろいろと考えて、ご心配下さって、ありがとうございます。 …3つめについては夫とよく話合って、考えたいと思います。
で、話合いはとりあえずここで終了。夫は終始無言だった。
自宅に帰って夫に「どう思う?」と聞いたところ、夫は「交換条件というか、あれを聞きいれれば自宅出産でいいというんだから、呑んでもいいんじゃない? おまえが今までいろいろ話して、手紙も出して、オヤジとオフクロはあそこまで譲歩したんだろう? 正直、最後まで(自宅出産に)反対するかと思っていたから、よく譲ったと思うよ。娘を立ち会わせないと自宅出産の意義が半減するっていうなら考えるけど、そういう訳じゃないんだろう?」
私は黙り込んでしまった。
確かに夫の両親が、自宅出産でもいいみたいなことを言うのは大進歩だと思う。
でも、娘は赤ちゃんが生まれるところを見たいと言っているのだ。確かに「見たい」と言っていても途中で気分が悪くなることも考えられる。「断固最初から最後まで立ち合わせる」としたら、それが娘にとってマイナス体験にならないとは断言できない。だから娘の様子を見ていて「まずそうだ」と判断した時点で誰かが途中で連れ出してもいいではないか。彼女がショックを受けたとしても、オヤだもの、私が一生かけて後のフォローをする。なぜ、陣痛の段階からそこにいてはダメなのだ? 確かに出産にはショッキングな面もあるかもしれないが、子供は大人が気をもむよりもスンナリと現実にまむかえるのではないだろうか。なにより私の娘はそれを受け入れるだけの度胸と柔軟さは持っていると思う。それは普段の言動を見ていればわかる。ワクワクしながらその時を待つと思う。
私にとって1回目の出産は苦しかったけど、きつくて嫌な思いだけだった、ということではなかった。苦しさの向こうに充実感も達成感もあった。
だから今回の出産で、娘もそれを感じられると思う。マイナスイメージしか残らないということはないと思う。
出産の一部始終を見せるということは、死にゆく一部始終を見せるのと同じ位(私はもちろん自分が死ぬ瞬間も子供に見せたいと思っている)、子供にモノを考えさせる重要な機会を提供することではないだろうか。生まれるというのはどういうことか、生きるというのはどういうことか、おじいちゃんやおばあちゃんとパパやママ、子供とのつながりはどういうものか…。一生に一度か二度しかない(と思われる)ビッグチャンスなのに、この機会を逃すのは惜しい。あまりにも惜しい。
…しかし義父母はなぜあんなにも頭ごなしに強硬に娘の立ち会いに反対するのか?
もしかして義母のお産はとても重くて、つらくて大変で、死ぬ思いをしたのだろうか? だから「あんな修羅場は見せられない」と考えるのだろうか? では義父は?「ああいう場に子供をいさせるものじゃない」というけれどそもそも出産を見たことはあるのだろうか? もしないとすれば、ないのになぜ断言できるのだろうか???
二人とも「その世代の価値観」で出産=ケガレということなんだろうか。もしそうなら言葉を尽くして説得しても徒労に終わるだろう。60〜70有余年をその価値観で生きてきた人にいまさら何を言っても・・・
イヤ、これらは推測に過ぎない。あきらめるのは早すぎる。何か手はないだろうか?
それにしてもお義母様は感情的になってるからなァ。娘の受け取り方として、良い面をいくら言っても悪い面も可能性としてある以上、こういう良い面もある、でもこういう悪い面もある、で水掛け論だなァ。
なし崩し作戦というのはどうだろうか。陣痛の最初の方はきつくてもきつくないフリをして娘をできるだけ長くそばにいさせて、だんだん苦しくなってきた時にジジ・ババが連れにきても「イヤー、ママのそばにいるー。」と言わせるような状況に持っていったら…。それでも「コドモがこんなトコにいるもんじゃありません。」と連れていかれてしまうかな。そうやって無理やりその場から連れ去る方が、娘に「ムム、今から私が見ないほうがいいくらいオソロシイことが始まるのか。」と出産に対して恐怖心を抱かせる原因になりそうな気がするが。
なんとか娘を出産の場にいさせる(あくまで本人が望めば、である。本人がその場を出たがれば、もちろん出させればよい。)方法はあるだろうか?
このことに関しては夫は「娘がいい影響を受けるか悪い影響を受けるかわからない以上、両親の希望に添えばいいじゃないか。どうしてそう立ち会わせたい、ということにこだわるんだ?」「むこうも本当は病院で産んでほしいのをこれだけ譲っている。それなのに、おまえの方は一切譲らず、自分の希望を押し通すというのでは、オレにはワガママにしか思えない。」「娘に生理が始まって、性や出産にある程度の理解がある年頃ならともかく、8歳の今、立ち会わせることはないじゃないか。」という考えだった。
夫自身「出産に立ち会うのは気が進まない。」「血を見るのはちょっと…。」「へその緒を切るのは、自分は絶対にしたくない。怖いから。」「陣痛の間は(おまえが望むから)できるだけ長くそばにいようとは思うけど、自信がない…。」と言っている。
夫は高校の教師である。クラス担任の生徒達への性教育で、出産シーンのあるビデオを見せるところにも同席したことがあるが、「生徒達は実に一生懸命、ビデオを見る。ただあれは、“知らない人の出産”で“現場じゃない”から(自分も生徒も)見られるんだと思う。」と解釈している。
夫は出産に関してもともと怖いと思っているので、夫の両親が心配している「ショッキングな場面に対する恐怖」への共感が強いのだろう。
自宅出産そのものに対しては、夫といろいろ話し合ったことで「自分は病院での出産でいいと思っていたけど、おまえがそんなにイヤな体験があったということは知らなかった。おまえがそんなに望むのなら、こちらもできるだけの準備をすれば自宅でもいいか…。」と言うようになっていた。しかし娘の立ち会いについては、この調子では夫が私の援軍につくことは期待できない。
…手詰まりだ。
そこで私は信頼・尊敬する人の意見を聞くことにした。
ひとりめ、実家の母。産前1週間くらいから産後3週間くらいまで私達の家に来ておさんどんを手伝ってくれるように頼んでいる。彼女に自宅出産のことを告げたときには「病院の方が安心じゃないの? でもまあ、昔はみんな自宅で産んでたからね。大丈夫だろうけど。」とあっさりしたものだった(実家の父は最後まで反対していた)。私と実家の母とで電話で話した。
私 : お母さん、これこれこういう話になってるのよ。どういうふうに話したら向こうの気が変わるだろうか。
実母: あら、そりゃ無理よお。そのトシの人が、そんなに強硬に言うことを、若いあんたがいくら言ったって変わるもんか。
世代による価値観の差かって? でも例えばお母さんは、農家で育ったから、自分の弟や妹が生まれる時には産婆さんを呼びに言って、いろんな手伝いもして、そのまま自然に立ち会うようなカンジになって、別にいやな思い出はないけどね。
自分が一生懸命手伝った分、産まれた赤ちゃんもかわいいもんよ。お産が大変だった子こそ、より一層かわいがったねぇ。周りもみんな似たようなもんだった。別に大丈夫と思うけどね。世代の差っていうよりあちらのお義母さんは都会育ちだし、お母さんみたいな環境じゃなかったんだろうね。とにかく、そう思いこんでるんだもの、説得するなんて無理無理。あきらめなさい。
あんたがどうしても立ち会わせたいなら、お母さん、何も知らないふりして「さあー、Aちゃん、赤ちゃん生まれるとこ見に行こうねー。」って連れてきちゃおうか。むこうが「あっあっ」って感じで文句言っても「まあまあ、いいじゃないですか。」みたいに強引に。お母さんは産後いるだけで、その後、帰っちゃうから、恨まれても、どうってことないしさ。
私 : (―――さすが親子、私と同じ思考パターンとノンキさだ。)
イヤ、気持ちはありがたいけど強引に連れてくるとかはしなくていいよ。お母さんもその後居づらくなるだろうしさ。
―――うーん、やっぱり無理かなあ。よし、次、二人目。分娩の時にサブでついてくれる助産婦の小田さん(メインでついてくれる助産婦の堀井さんにも相談したかったが、この時はまだメールアドレスを知らなかったし、電話で長々と相談するのは迷惑な気がした)。
私と小田さんでメールのやりとりをした。
私 : これこれこういう話になってるんです。3つめの条件、呑むべきでしょうか。よろしければご意見をお聞かせください。
小田:う〜ん、また大きな壁に当たってしまいましたね。この問題は年齢の差、性に対する認識の差、難しくとらえるなら生命倫理…。私は当然、娘さんは立ち会わせる、と思っていました。それが自宅分娩の良さのひとつですものね。
今の小学校の現場は、学校の差こそあれ1年生から性教育を教えています。ペニス、バギナ、などの言葉はもう娘さんは知っているのでは? こんなに生きた性教育、命の大切さを教える絶好の機会はないのではないでしょうか。今は中学生からコンドームの使用方法を教える時代ですものね。小学校2年生だったら赤ちゃんがどうやって出来るのか(性交)、どこから産まれてくるのか、遅かれ早かれそのうち学習すると思います。
たしかに出産の現場はグロテスクかもしれません。お産を見学している学生や立ち会ったご主人が気分が悪くなる方もおられますからね。そして、性教育の伝え方次第では、お産を「怖い」と感じる子がいる事も確かのようです。
(元の職場の同僚で助産婦の)浅井先生、自宅出産の介助を多くしている(今回の出産で分娩にメインで関わってくれる予定の)堀井先生だったらもっと生のご意見が聞けそうですね。そして性教育のパイオニアの(浅井さんの上司で助産婦の)佐山先生にもご意見が聞けたらもっと参考になると思います。まずは今の性教育の現状をお母様にお伝えしてみては?
お母様のお気持ちも十分、理解出来るので、難しい問題ですね…。
―――やっぱりそうですよね、当然立ち会わせると思いますよねーっ。でも、性教育の現状を伝えても「実際に見るのとは訳が違う」と言われそうな気がする…。ハイ、次、三人目。私の元職場の同僚の助産婦、浅井さん。
私と浅井さんでメールのやりとりをした。
私 : これこれこういう話になってるんです。3つめの条件、呑むべきでしょうか。よろしければご意見をお聞かせください。
浅井:とにかく最初にメールの本文を読んで驚愕しました。正直言って傍で聞いてても(読んでても)腹が立った。
お産を何だと思っていらっしゃるのかしら…。一緒にお産に付き添って母親が声をあげる様子に子どもも怯えながら、生まれた後、母親は今までとはうそのように感動にむせぶところに何か理解が深まると思います。
もちろん子どもの反応は一様ではありません。でもバーチャルではない世界で生きる子どもは絶対、何かを得るというのは教育者たるお義父様の理解の深いところではないでしょうか。(筆者註:義父は元高校教師であった)
ただ、このような反応は非常に多いですね。家族によって内容はまちまちですがこれが家族の現実だと思います。これは我慢するようにと言っているのではなく「大丈夫、あなたが特殊ないじわるにあっているんじゃないよ」って励ましたいから言っているのですが…。まぁ、いじわるなんて思っていないのはわかっています。
でもお義母様のお考えは本当に貞操教育をしている某高校と同じですヨ。あそこで性教育をした経験は非常に貴重でした。親の代表挨拶でも「まだまだ子どもでいてほしい」みたいなことを話していましたがその瞬間、性が不潔なものになってしまいますよね。映画を母娘で楽しむのと同じに、美味しいものでも満足ゆくまで食べたらもう終わりと同じように、一緒に性の一瞬の欲望と快楽とそこにある女性(産める性)からみた尊重を語ってほしいんですけどね。お義母様も、性を不浄なものと捉えていらっしゃるのでしょうね。
あと、もう、あなたは春野助産院に行って隔離されて産んでもいいのかとも思います。あなたの希望では、夫と一緒に産むことより、生まれる、産むことの尊重を挙げている気がするんです。
でもあなたはまた話し合いに取り掛かるんだろうな。それはあなたの力だと思います。素敵なことだから、苦しいかもしれないけど、話し合いを選択したら頑張ってね。
お話を聞くことぐらいしかできないけど、納得いく新家族お迎えをしましょう!!
―――ははっ、あの人らしい。でも、怒ってくれてうれしいな。私、これが怒っていい事態かどうかわからなくて、怒れなかったよ。しかし、ふーむ、助産院か…。
この時点で、私は「夫の両親の気持ちが変わる」ことへの期待をほとんどなくした。
夫と夫の両親が出産に対して恐怖心を持っている以上、その気持ちを変えることはとても困難に思われたからだ。例えばクモが怖くてたまらない人に「ほら、毒もないし、ふわふわしてるし、きれいだし、かわいいよ。」といくら言ってもクモを手のひらにのせるなんてとてもできない、というのと同じように。そしてもう一度自分がどういうお産をしたいのか、実際に可能なのはどの部分か整理することにした。
(6)望むお産、可能なお産
元同僚で助産婦の浅井さんの意見はいつも私に新鮮な驚きと発見をくれる。前回のメールもそうだった。私は自分のお産に対して、もっとも、何を望むのか。そこをもう一度考え直すことにした。
私は第一子のお産では納得できない部分があった、というところから出発して今回のお産に対して「一番いいのは自宅」と思い、その方向で物事を考え、準備を進めてきた。
この時、「一番落ち着く環境」として自宅を選んだが、その「環境」の中には夫と娘がそばにいることも入っていた。「自宅」と決めた時点では夫や娘、周囲の意見を確認することなく、なんとなく「この二人はずっとそばにいるもの」と思っていた。
自宅出産が不可能になることもあるかもしれないと考えたが、それは私の妊娠経過に問題があるとか、自宅出産はお金がかかるとか、助産婦さんが私の家まで来るのが不可能だとか、そのような理由を考えていた。「周囲の気持ちの問題」は自宅出産をあきらめたり、その形態を変えるほどの障害とは考えていなかった。
しかし思いがけず娘の立ち会いには強硬な反対が入った。夫は「娘が立ち会わないことで自宅出産の意味が半減する、というのでなければ別にいなくてもいいじゃないか。」と言った。しかし私にとって娘がいない、ということは半減、とまでは行かないかもしれないが1/3減くらいの残念なことだ。
夫の立ち会いもかなりあやしい。夫が立ち会いに積極的でないことは承知していたが、正直、ここまで腰が引けているとは思っていなかった。夫は「いざ出産が始まったら(部屋を)出ていく。」「陣痛の時は、どれだけそばにいることができるかわからないけれど、できるだけいる。」と言っている。極端な場合、陣痛が始まって、助産婦さんを呼んで、助産婦さんが到着するくらいまでは(多分)そばにいてくれると思うが、到着したとたん「後はよろしく〜。」と退室することも考えられる。夫もそばにいないなら、さらに1/3減で残念。自宅出産の意味が2/3減になってしまうとしたら…。
助産院で出産しても「会陰をできるだけ切らない。」「分娩台でなく、自分がラクな姿勢で出産する。」「出産のときだけメインの介助者が入るのではなく、陣痛のときからケアしてくれた人が出産まで一貫してついていてくれる。」という希望はかなうだろう。それに夫の両親にとっても、夫にとっても、「助産院で出産する。」ということは(病院ほどの安心感はないとしても)「ちゃんとした施設で出産を迎えるのか。」と大きな安心につながるだろう。
助産院で、最初から娘も夫もいないものと思いさだめて産めば、それは「そういうもの」と思うこともできるが、自宅出産をしていて早々に夫が退散したら「もう少しそばにいてくれてもいいのに。」と恨みがましく思うかもしれない。
ただ、ここで問題なのは私の自宅と、勧められている春野助産院との距離である。隣県であり、3時間はかかるだろう。浅井さんは出産予定日以前から春野助産院に泊まりこむ案も提案してくれたが、娘を立ち会わせない、つまり娘も一緒に泊まりこむわけにはいかない以上、娘と離れてまでお産のために数日を過ごすのは現実的ではない。
普通、陣痛が始まってから15分間隔になるくらいに病院に入院するのが一般的だが、それより前、30分間隔ぐらいの時にタクシーに乗ればちょっとツライかもしれないがたどり着けないことはないかもしれない。…陣痛だけならまだしも、破水があるかもしれないから無理かなぁ。
勧められている春野助産院でなく、自宅に近い七瀬助産院にするという方法もある。しかし、今まで私は自宅出産を前提として、春野助産院の助産婦さんにもいろいろ相談をしていた。元同僚の浅井さんとその上司の佐山先生が勧めてくれるところなら安心だという信頼感もある。全く行ったこともなく、したがって助産院や助産婦さんの方針もわからない七瀬助産院に変更するのは不安もある。
それならいっそ、メールで相談に乗ってくれた助産婦さん(自宅出産する場合、サブで入ってくれる予定になっている小田さん)が、探してくれた、自宅出産の場合の提携病院になる予定の病院にしてしまうか。病院なら夫の両親も夫も諸手を挙げて賛成するだろう。そこにはお産を自然に運んでくれる、会陰切開もできるだけしない方針の医師がいるということだった。でも分娩台での出産ではあるということだが…。だんだん本来の希望とかけ離れていくなぁ。クスン。
とりあえず、夫の意思を確認してみよう。夫は「できるだけそばにいる」とは言ったが、実際にどこまでいるのか、いようと思っているのか、はっきり確認はしていない。おそらく彼自身「どの時点までは頑張ろう」とハッキリ考えていないのではないか。
考えた事がないのなら、ここで考えてもらおう。そして夫が「助産婦さんが到着したら、後は自分はいつ退室しても構わないんだろう? どこまでいようとかいたいとか考えていないよ。わからないよ。」と、あくまで「私と一緒に頑張る姿勢」が感じられないようなら、施設での出産を本格的に検討してみよう。
自宅出産がだめだとしても、どんな形になっても、少しでも自分の希望に近いお産になるよう、方法は模索しつづけよう。
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