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『おくのほそ道』紀行


芭蕉の辿った道を平成の芭蕉気取りで。一人旅であったり、俳句仲間とであったり、とにかく楽しく旅をした。

 1    1..出発まで
更新日時:
2005/01/20 
深川は芭蕉記念館を出発点とする。記念館の裏木戸を開けて隅田川河畔に出る。芭蕉庵のことを最初は「泊船堂」と称していたらしいが、ここなら行き交う舟の艪の軋みが日夜聞こえたことだろう。小名木川との合流点に芭蕉庵史跡展望庭園があり、芭蕉像が立つ。芭蕉の目線は、清洲橋、新大橋、柳橋を経て、浅草上野方面を向いている。眼下の河畔には、車椅子の母を乗せた私と同年配の男性が散歩していた。写真は、深川採茶庵の芭蕉像。保定さん提供。ここから芭蕉が旅立ったのである。(2003.09.27)

 2    2.旅立
更新日時:
2005/02/27 
芭蕉の旅立ちのように船で千住に上陸したかったが、両国からの船便は日曜日だけだったので断念し、電車を利用した。交通量の多い千住大橋に立ち「千住といふ所にて船をあがれば」の場所はあの辺りかなと見当をつける。ゆったりとした流れは昔から変わらないものであろう。「行く春や鳥啼き魚の目は涙」の句碑の前にはコスモスが咲いていた。(2003.09.28)

 3    3.草加
更新日時:
2005/02/27 
ほほ芭蕉が辿った道なりに走る東武伊勢崎線草加駅に途中下車する。札場河岸公園を日光街道の雰囲気を味わいながら次の松原団地駅まで歩いた。途中に矢立橋、百代橋という昔時の橋を模した跨道橋がある。本当は芭蕉が泊まったのはここではないとするのが定説であるが、ここまで芭蕉に拘られれはシャッポを脱がざるを得ない。名文の「ことし元禄二とせにや」の碑がある。声にして朗読したら傍のベンチの浮浪者が驚いたように私を見た。(2003.09.28)
 

 4    4.室の八島
更新日時:
2005/03/18 
本文はまことに面白みに欠ける室の八島である。後の日光を引き立てるためとか、同行の曽良をさりげなく紹介するためとか諸説がある。でも、箱庭のような島に立ち、八社を順に参拝すると清々しい気分になる。水琴窟があった。竹筒に耳を当て聞いてみた。「キーン」という音。古事記の時代から連綿と続いている「地の霊」が呼びかけているような錯覚に陥った。(2003.11.11)

 5    5.日光山の麓
更新日時:
2005/03/18 
曾良の随行日記にある芭蕉が泊まった上鉢石町に宿泊するための場所を探した。そこに名門の日光金谷ホテルがあったが、私の乏しい予算では宿泊不可能。やむなく隣の中鉢石町に旅籠を求める。今日では芭蕉が出逢った「仏五左衛門」のような旅館の主に逢える筈もない。私邸に芭蕉句碑を持つ高野家を訪問し当主としばし歓談。仏五左衛門の雰囲気を味わう。冬紅葉の日光金谷ホテルで一杯700円の珈琲を味わう。写真は暮色の金谷ホテル。(2004.11.08)

 6    6. 日光
更新日時:
2005/03/18 
「麓」の全国大会で久しぶりに訪れた。陽明門は昔見たよりもくすんで見えたが、これも加齢による気の持ち様なのであろうか。もちろん、今のほうが杉木立にマッチしている。主宰の特選句の一つがながいとおるさんの「秋冷や人に影なき杉木立」で、私はあっと思った。私の句は「うす蒼き陽明門の秋の影」だったが、完全にシャッポを脱いだ。朝の散歩で振り仰いだ五重塔の水煙が清浄な美しさを見せていた。(2003.09.29)

 7    7.裏見の滝
更新日時:
2005/03/18 
上鉢石町を芭蕉が出発した午前8時に私も歩き出し、午前9時30分に裏見の滝に到着した。谷の紅葉はすでに盛りを過ぎ、はらはらと散っている。滝壺の真上に初冬の太陽があり、滝の飛沫のために虹がいくつも出来ていた。芭蕉時代は修験者の姿もあったところであるが、今は滝に通じる道に原色の造花の供花の石仏一体があるのみだった。滝口が崩落し、裏へ回ることは不可能。虹を狙うプロカメラマン一人がいるだけの静かな時間を堪能した。(2004.11.09)

 8    8.那須
更新日時:
2005/03/18 
ここは、「麓」全国大会の後のオプションツアーで訪れた。美味しい料理を堪能した後、真剣な句会を行った。私の句が2句とも高点句になり困ってしまった。句会終了後、女性の露天風呂に蛍が舞っていたそうである。見たかったなあ。その蛍はもしかして「かさね」の化身だったかもしれない。写真は、その後単独で訪れた玉藻前神社の源実朝の「もののふの矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」の歌碑。(2003.09.29)

 9    9.黒羽
更新日時:
2005/03/18 
芭蕉公園の一角の浄法寺家の旧居跡の小高い場所に加藤楸邨の筆になる「山も庭もうごき入るるや夏座敷」の句碑がある。教え子の島木悦子さんが駆けつけて、抱えるようにして碑文をなぞっている。「随分若い時の楸邨先生の字だわ」。本当に心から楸邨を慕っている様子が見える。そんな素晴らしい師を持つ悦子さんを羨ましく思った。写真は、ほほ1年後再訪した時のもので、紅葉が美しかった。(2003.09.30)

 10   10.雲巌寺
更新日時:
2005/01/19 
見上げると急な石段の上にどっしりとした山門。朱塗りの橋の下には清流が美しい風景を造っている。山門に登ると目の前に伽藍。コスモス、秋海棠が咲き乱れ、秋日が降り注ぐ別天地があった。裏山の仏頂禅師がかって庵を結んだと言われる辺りを眺める。めったに来られない場所だけにしっかり風景を目に焼き付けておこうとあちこち歩き回った。「木啄も庵はやぶらず夏木立」の句碑の前に人だかりがしていた。写真は保定さん提供。(2003.09.30)

 11   11.殺生石
更新日時:
2005/03/18 
殺生石を見るために那須湯元温泉に向かう。芭蕉はこの道中で「野を横に馬ひきむけよほととぎす」と詠んだ。馬上で意気揚々とした姿が見えるではないか。殺生石はおどろおどろした雰囲気を漂わせていた。私は「鹿の湯」に入浴することが楽しみであった。タオルを頭に載せ、かぶり湯を百回ほど浴びる「シャカッ、シャカッ」という音が響く。前をタオルで隠している人は観光客だけ。常連は自然体で堂々としている。そっと隠し撮りしてみた。(2004.11.08)

 12   12.芦野
更新日時:
2005/01/01 
遊行柳はまだ葉をすこし残していた。思いのほか若々しい姿態を保っている。おそらく何代にも亘って植え継がれてきたものだろう。私のほかに病後のリハビリのために杖をついた私よりは若い男性と、介添えをする20歳そこそこの息子と思われる二人連れのみ。思い切って声をかけると不自由ながら会話が通じた。立冬の長閑な午後のひとときであった。1時間ほど粘って10句ほどつくり、設置されている俳句ポストに投函したが、まだ何も言ってこない。(2004.11.07)

 13   13.白河の関
更新日時:
2005/06/09 
ほぼ芭蕉が通った時期に合わせて13名で訪れた。最初に新関と呼ばれるみちのくと関東の境「境の明神」に立ち寄り、それから古関の白河神社へ。参拝の後、全員で白河の一章を朗読した。「青葉の梢は猶あはれ也」を体感するひとときであった。卯の花が見られなかったのは残念であったが、誰か心効いた地元の関係者がそっと植えておけばよいのにと思った。写真は樹齢八百年の「従二位の杉」の梢である。日曜画家がキャンバスを立てていた。(2005.06.05)
 

 14   14.須賀川
更新日時:
2005/06/09 
かげ沼で、物影の写りを確認した後で須賀川市役所へ。そこには句友の国分衣麻さんが待っておられ、可伸庵跡を案内していただいた。四代目の軒の栗は、青葉が照り輝いていた。花が咲けばさぞと思い巡らした。ここでも朗読。私が石に座っていたが、気がついてみると「世の人の見付けぬ花や軒の栗」の芭蕉句碑であった。衣麻さんの案内で芭蕉記念館へ。そこには須賀川に八日間滞在した芭蕉の足跡が展示されていた。さらに二階の牡丹や田植風景の襖絵は見事なものだった。(2005.06.05)

 15   15.あさか山
更新日時:
2005/06/10 
芭蕉の文に倣い、日が山の端にかかるころ、ここを訪れた。芭蕉の頃も少なくなっていた歌枕の「あさか沼」は水田、宅地化されて面影もないが、「かつみ、かつみ」と探した甲斐あって郡山市が市花としている一輪に出会うことが出来た。これが「みちのくのあさかの沼の花かつみかつ見る人に恋やわたらむ」かと感激。花ことばは「私を認めて」であった。その後、もう一つの歌枕「山の井」を探して安積山の山裾まで尋ね歩いた。どうやら、あさか山は探すのが似合っているらしい。(2005.06.05)

 16   16.しのぶの里
更新日時:
2005/01/01 
退職記念の最初の足跡を文知摺石に印す。まだ周りの木々は芽を出し始めたところで、この石を木漏れ日の中で見ると良いだろうなと思う。百人一首の「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに」の河原左大臣の歌を口ずさむひとときであった。桜が満開、桃の花が三分咲きほど、吾妻連峰の雪形が、この地方の農作業の到来を告げていた。(2004.04.12)

 17   17.医王寺
更新日時:
2005/01/25 
紙幟が迎えてくれた医王寺。「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」の芭蕉句にぴったり。境内の真紅の落ち椿に息を呑んだ。なぜか蕾をつけるのに咲かないで落ちてしまう乙和椿に心引かれる。義経を守り果敢に戦った佐藤継信、忠信兄弟の嫁が甲冑に身を固め、年老いた母に「継信、忠信ただいま凱旋」と告げたという秘話に涙するのは、私も年老いた証拠か。(2004.04.12)

 18   18.飯坂温泉
更新日時:
2005/01/01 
芭蕉が、ここで、粗末な旅籠で雨漏り、蚤や蚊にせせられ、おまけに持病さえおこりて消え入るばかりになったところ。本文を記した芭蕉の碑は、宿泊地と伝えられる場所に建立されているものの、管理不十分で、ごみ、伐採枝が散乱していた。おまけに温泉街の通りには倒産したホテルが無残な姿をさらけ出し印象悪し。駅前の立派な芭蕉像もそらぞらしい。ここで芭蕉が思い直して気力を取り戻し「道縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」の本文にあるとおり、飯坂温泉にがんばってもらいたい。(2004.04.12)

 19   19.岩沼宿
更新日時:
2005/01/01 
岩沼の武隈の松は、夕刻に近く訪れた。芭蕉は、よほど松が好きらしく、末の松山、汐越の松などを訪れているが、この松は姿もよく、印象的。もちろん芭蕉時代のものではないが、歌枕を守ろうとする地元の熱気がこのような雄姿になって残るのだろう。「めでたき松のけしきになん侍りし」と何回も口ずさみながら、私も感動した。(2004.04.12)

 20   20.笠島
更新日時:
2005/01/03 
写真は、藤の中将藤原実方の塚のある入り口あたり。塚は随分と朽ちていたが、竹落ち葉が掃かれ、地元の人に大切にされているのが解る。まさに暮れなんとする時刻であったが、訪れて良かった。清少納言と恋仲になったり、些細なことで喧嘩したりと、都での実方の生き様に人間らしいものを感じる。最後もまた神の祟りに触れて落馬して死ぬなど、実方らしい。(2004.04.12)

 21   21.仙台
更新日時:
2005/01/26 
仙台は、いつでも行けるとの思いで後回しになっている。今までも何回となく訪れ、青葉城、広瀬川、定禅寺通りの欅並木は熟知しているが、芭蕉を意識した旅でなかったのでこの欄に掲載しお茶を濁すようなことはしたくない。宮城野の萩、玉田、よこ野、つつじヶ丘をきちんと回りたい。また、画工加右衛門のような風流人にも会いたいものだ。今は跡もないらしいが、「みさぶらひ御笠と申せ宮城野の木の下露は雨にまされり」の東歌の地をさまよってみたい、今年中に必ず。

 22   22.壷の碑
更新日時:
2005/01/26 
今は鞘堂に鎮座している壷の碑を、芭蕉が苔蒸している上から指でなどって読み、千歳の記念に涙している。私は、そばの説明書きに、越中に国司として赴任していた万葉の歌人大伴家持の最後の赴任地がここ、多賀城であることを発見して喜んだ。最後は大伴家を守るために、ついに歌わぬ歌人になってしまったが、東北鎮撫の要職は、家持にとって武門の栄誉であったろう。でもこれも短い任期で失脚してしまう。結局現在までに残るのは、万葉歌人としての家持の名声のみである。(2004.04.13)
 
 
 

 23   23.末の松山
更新日時:
2005/01/26 
有名な歌枕も芭蕉の時はすでに墓原となっていたようであるが、現在も松が数本あるのみで真に寂しいところ。清少納言の父親、清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは」の小倉百人一首を思い出すが、わたしは、それよりも東歌の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」のほうが情緒があって好きだ。(2004.04.13)

 24   24.塩釜の明神
更新日時:
2005/01/26 
満開の桜に迎えられ、私はいたって満足。和泉三郎寄進の古き宝塔も確認し、境内から塩釜の港も一望した。枝垂れ桜を狙っているプロらしきカメラマンの横に立ち、同じアングルで狙ってみたが果たして旨くいったかどうか。町で名物の「塩釜桜」のお菓子を買ったが、まことに不思議な味で、後を引くおいしさであった。芭蕉に倣って昼近く船で松島へ向った。(2004.04.13)

 25   25 松島
更新日時:
2005/01/26 
松島の本文は、躍動する湾内の島々の部分と雄島に上陸してからのしっとりとした味わいの部分からなるが、後者が好きだ、この写真は雄島の修行僧が穿ったトンネルの中から見仏堂跡を見たところ。観光コースからはずれ、しんとした島内に咲く紅椿が印象的。もし落椿となれば静かな波の上に浮かぶのだろうか。(2004.04.13)

 26   26. 瑞巌寺
更新日時:
2005/01/26 
門を入ったところにある紅白の臥龍梅が見ごろを迎えていた。伊達政宗が朝鮮から持ち帰ったものとか。若い画学生がスケッチしていた。全体を書くものと思っていたら花びらの一つを丹念に写生していた。牧野富太郎の植物図鑑を思い出し、植物の特徴を捕まえるのには写真では駄目で、ひとつひとつ描くことだなと感じ入った。開眼のひととき。エッセイをご覧あれ。(2004.04.13)

 27   27.石巻
更新日時:
2005/01/26 
夕暮れの日和山公園から北上川が太平洋に注ぐところを満開の桜の上に見た。斉藤茂吉の「わたつみに北上川の入るさまのゆたけきを見てわが飽かなくに」の歌碑に遭遇。金華山を目にすることが出来なかったが、去り難い場所だった。夕方のニュースの時間に合わせて民放二社が、夜桜に向けての中継準備をしていた。鄙の地のなんと賑やかなことか。
(2004.04.13)

 28   28.平泉
更新日時:
2005/01/26 
高館に登り、北上川を眼下に「夏くさや兵共が夢の跡」の句を偲んだり、金色堂で「五月雨の振り残してや光堂」を味わったが、私には中尊寺からハイキングコースで1時間ほどのところにある師の師、加藤楸邨の「邯鄲やみちのおくなる一挽歌」の句碑に見えたことが嬉しい思い出。そのあと達谷の岩屋にも足を運び、楸邨の「もうひとつのみちのく」というエッセイの世界に浸った。(2004.04.14)

 29   29.尿前の関
更新日時:
2005/01/26 
富山県の仲間、とおる、としこ、悦子と4人でここから象潟まで行動を共にしたが、写真は私のデジカメの取り込み失敗でなし。残念なことである。小雨の尿前の関は、何もないところ、だからかえって良かった。封人の家は分水嶺になっている堺田駅を降り立ち、少し歩いたところにあった。茅葺の大きな家。雨が上がっているのに茅葺から雨だれがしきりに落ちている。囲炉裏の煙でいぶされた目に季節外れの八重桜が綺麗であった。句にしようとし、まだ出来ないでいる。(2004.05.17)

 30   30. 山刀伐峠
更新日時:
2005/01/26 
わざわざここを歩くためにハイキングスタイルで来た。芽吹きの峠への道をゆっくりと小一時間。ぶなの林は樹液を吸い上げ、早くも春蝉が聞こえる。頂上の「高山森々として一鳥声聞かず」に始まる楸邨の碑を心を込めてなぞるひとときであった。齊藤美規先生の「木の芽出て山刀伐峠ざわざわす」の世界がそこに広がっていた。峠を行きつ戻りつ、同行者も集まったり、ばらばらになったり、思い思いに楽しんだ。何時間でもとどまっていたいところ。(2004.05.18)

 31   31.尾花沢
更新日時:
2005/01/26 
芭蕉は、鈴木清風の世話でここに十泊して旅の疲れを癒している。ここへは十七年ぶりの訪問。芭蕉が泊まった養泉寺の前の高台の風景、「涼しさを」の句と共に私の脳裏に焼きついて離れなかった場所。夢の中で何回も見ている。そこへ立ち、葉山から早苗田を渡ってくる風を全身に浴びる。今回は、山吹が咲いていて思い出にまた新しい風景が加わる。これでここへ来るのも最後だろう、妙にセンチになった。(2004.05.18)

 32   32.立石寺
更新日時:
2005/01/26 
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の芭蕉句の真髄を探ろうとした一人旅。山内を巡っていると芭蕉の名文が心をよぎる。閑さの正体、それは、単にその場だけの静けさではなく、眼下の街並み、大自然の静けさであった。山上の、とある仏閣から赤ん坊の泣き声が聞こえた。ここにも命の誕生があった。そうして歴史が繰り返されていくのだろう。(2004.07.01)

 33   33.大石田
更新日時:
2005/01/26 
富山のメンバーと訪れたときは、最上川沿いの蕎麦屋で眺めを楽しみながら、ビールと蕎麦を食べた。芭蕉の宿泊地を訪れたり、芭蕉の句碑めぐりを楽しんだ。リュックを担ぎ知らない町を彷徨い歩くのもいい。斉藤茂吉が戦後暮らした「聴禽書屋」の清らかな座敷、虹の断片,逆白波の歌碑が印象的であった。写真は、再訪時に撮った夕暮れの大石田の郊外である。(2004.05.18)

 34   34.最上川
更新日時:
2005/01/26 
大石田から酒田まで移り変わる最上川を楽しんだ。芭蕉は舟下りをしているが、今回は、車中から舟下りを堪能した。第1回の訪問のときは、最上川の夕焼を河口の酒田で楽しんだが、一人旅のときは、蛇行する川面の夕映えを見ることができた。最上川が恋の歌枕とは知らなかった。「最上川上れば下る稲舟のいなにはあらずこの月ばかり」は、覚えておこう。(2004.05.18)

 35   35.羽黒山
更新日時:
2005/01/26 
写真は、芭蕉が宿泊した南谷。今は建物はなく、礎石が転がるのみ。しかし、そこは周りが杉などの大木に囲まれているが、空が開けていた。ここで「ほの三日月」を見ることが出来ればどんなに素晴らしいことだろう。観光コースからはずれ、人に遭わない静かなひとときであった。旅はやはり、目的を持ったものでありたいと、つくづく思ったのである。(2004.07.02)

 36   36.月山・湯殿山
更新日時:
2005/01/26 
標高1984メートルの月山。よく芭蕉が登ったものと呆れる。私も芭蕉と同じコースを辿ったが、今は8合目までは車で行ける。写真は、月山山頂から湯殿山へのコースを眺めたところ。月山山頂の山小屋で一泊したが、その日は満月。幽玄な山頂であった。芭蕉が感激した峰桜を探したが、すでに葉桜となっていて残念。湯殿山のことは、古式に倣って書かないことにする。(2004.07.03)

 37   37.酒田
更新日時:
2005/03/18 
「暑き日を海に入れたり最上川」の芭蕉句をそのまま目にすることが出来た。酒田の日和山公園で、私たち5人は、ボカンとして沈む夕日をながめていた。その日はホテルに帰り、一人10句の句会を開催。芭蕉も酒田で俳諧一巻をなしており、我々もこれに従った形である。この灯台は日本最古の現役の木製灯台。私たちが帰る頃、いつの間にか灯っていた。これも感激の一瞬。(2004.05.18)

 38   38.象潟
更新日時:
2005/03/18 
鳥海山がでんと横たわる象潟は、田植えも終わり、山の影を田にわずかに浮かべていた。まるで外国の風景を見るような素晴らしい景色であった。能因島は思ったより小さな島でびっくり。「象潟は、うらむがごとし」そのままの何か寂しさを感じさせる地勢ではある。駒留島の浦島草、舟つなぎの石のそばの水馬等が印象的。合歓は、まだ休眠状態であった。(2004.05.19)


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