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39.越後路 |
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今まで、越後路は各地を何回も訪れているが、どこを焦点にして記載しようか、考え中であったが結局、直江津にした。「文月や」の句碑が佐渡航路のフェリーが航行する日本海をバックに立つ。この碑が今まで何度の七夕の夜を迎えたであろうと思うと感傷的になる。「荒海や」の句をここで朗誦しても充分サマになる。後日、高田の俳人の中村たかし氏と直江津高田を彷徨った。(2004.10.03)
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40.市振 |
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今まで100回以上は訪れている。写真は、春雪のなか、青柳志解樹とともに訪れた際の海道の松である。片面に行きが張り付いており、変わった感じがした。市振は、遊女との邂逅の場面を偲ばせるものは何もなく、この松だけがかっての面影をとどめているように感じられてならない。今年から毎年一回ここの市振小学校で俳句教室を指導することになった。(2005.02.12)
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41.越中路 |
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ここも、わが地であるので、何を紹介しようか思案中。ともかく、わが町にある「早稲の香や分け入る右は有磯海」の句碑を紹介しておこう。1818年の建立で、彫りの深い字が印象的である。今は足元の龍の玉が美しい。
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42.金沢 |
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印象的なのは、芭蕉が会うのを楽しみにしていた小杉一笑の墓がある願念寺の境内一杯に広がる菩提樹の花盛りに出会ったこと。甘い香りに包まれて2時間ほど過ごした。金沢は昔時から文化都市であり、芭蕉が訪れた後、北枝、浪化、去来などにより、蕉風が根付いたところ。また、来年もこの時期に来たいと思う。うまいものもたくさんある。(2004.06.14)
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43.小松 |
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多太神社で「むざんやな」の句で高名な実盛の兜を拝見する。まことに源氏っぽい立派なもので、これを平家に加わっていた実盛が身につけていたとは眉唾ものであるが、芭蕉が素直に感動しているから、これに従っておこう。神殿で原文を声高らかに朗誦した。現地で,文を読むのは感激する。終わって外へ出ると、先ほどの雨が上がり、秋の日がさしていた。松の枝の雫が光る。(2004.08.24)
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44.那谷寺 |
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芭蕉が訪れた頃より十日ほど早い時期であった。30度を超す残暑のなか、秋の風を感じに出かけたが、無理。もし私が芭蕉と句会を共にして、芭蕉が「石山の石より白し秋の風」を出したら、予選にも採らなかったろう。「秋の風を白しと言うのは常套であり、白しは説明である」と芭蕉に噛みついた筈。モミジが多く、古松は数えるほどしかない。紅葉の頃は素晴らしいところ。(2004.09.12)
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45.山中温泉 |
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芭蕉が八泊もし、旅の疲れを癒している。湯は将に絶品。総湯の「菊の湯」に入る。深い湯舟で、全身があっという間にあたたまる。芭蕉は、湯治の合間に大聖寺川沿いを歩いて俳句三昧に耽ったことであろう。こおろぎ橋から鶴仙峡を歩けば道明ヶ渕を経て黒谷橋に出る。ここには、芭蕉堂がある。また、西の山の医王寺は薬師が祀られており、芭蕉も足を延ばした。(2004.08.11)
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46.全昌寺 |
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病を得て、先行した曾良が前夜泊まったこの寺に、芭蕉も泊まった。ここでも芭蕉の間に座して本文を朗誦した。特に「一夜の隔て、千里におなじ」のところは胸に響く。写真の庭の柳は芭蕉の代から4代目という。庭には秋の草花が咲き乱れ、真っ白な芝桔梗がぽつぽつと咲いていた。案内の人が、7月上旬は、境内が芝桔梗で真っ白になるという。芭蕉と曾良の句碑を松の走り根がつないでいた。(2004.08.24)
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47.汐越の松 |
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芦原ゴルフクラブの中にあり、松の幹はすでに朽ちかけており、あと何年かの生命だろう。周辺の若い松林、すぐそこに見える日本海。場所的には絶好である。ゴルフ場のフロントで記名していたら、私の前の人は1ヶ月前に訪れていた。それほど観る人が少ないのだろうと思う。ぜひ今のうちに観ておかれたらと強く奨める。そしてその帰りは吉崎御坊へどうぞ。北潟湖、鹿島の森の景は絶品。(2004.09.12)
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48.天龍寺・永平寺 |
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永平寺は早朝、廊下掃除の作務の終了を待って見学。修行僧の飯食の匂いや、東司の清掃等を見た。さすが天下の永平寺、芭蕉のかけらもない。天龍寺は予想に反して清楚な寺でびっくりした。境内の小石には、波打つ形に箒目が立てられ、胡蝶が舞っていた。芭蕉に倣って、松岡から福井の等栽宅まで、勝山街道を歩く。2時間半かかった。「たそがれの道たどたどし」の芭蕉の心を実体験。(2004.09.13)
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49.福井 |
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本文では、源氏物語を連想するような場面が展開し、等栽夫婦の人間性に、にやりとする。芭蕉も旅の終わりを感じ、がらりと明るい調子になっている。橋本佐内公園の像の裏手に等栽の住居跡がある。貧しくて芭蕉の使う枕がないために普請中の付近の寺から木端を貰って来て枕にしたという、その寺、顕本寺が横手にある。市内ではほかに、「あさむづの橋」の歌枕を芭蕉に倣って尋ねてみた。(2003.12.29)
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50.敦賀 |
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芭蕉が夜参した気比神社へ行く。大鳥居前の交差点には、遊行上人の「砂持ち」の像がリアルに建立されている。境内は整備されていて、清々しい気分。同行の一人がつまみを300円買うとお神酒一杯サービスという趣向に飛びつき、顔を赤くしていた。句会最中に今までの天候が嘘のように、にわかに大粒の霰が降り、東京・大阪の連中は、「北国日和定めなき」と大変喜んでくれた。ソースカツどんは旨かった。写真は石井保定さん提供。(2004.02.15)
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51.種の浜 |
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西行のますほの小貝に魅せられ、森澄雄の「白をもて一つ歳とる浮鴎」に魅せられ、そして芭蕉の文に魅せられて来た。交通至難の地と聞いていたが今は原発道路でスイスイ。でも産小屋が残っていたり、半島突端の立石岬に波の花が飛んでいたり、人も風景も手付かずの自然を感じた。本隆寺で、等栽の真蹟を見るのが目的であったが、ここを訪れた俳人達の色紙、短冊に驚いた。ますほの小貝は、今も卓上にある。写真は同行の石井保定さん提供。(2004.02.14)
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52.大垣 |
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結びの地である。かってここを訪れたのは、名古屋のホテルの朝刊で加藤楸邨の死を知り、暗然としながら、川灯台の袂に佇んでいた時だから平成5年7月4日だったろう。コールタール塗り立ての川灯台の匂いと、そばの柘榴の花が印象的だった。次に訪れたときは、秋たけなわ、昼の虫を聞いていた。今度訪れるのは、おくのほそ道歴訪の最後と決めている。したがって、この文章は動く。
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俳句作品集 |
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『おくのほそ道』断章(1)
−「麓」平成17年2月号同人特別作品よりー
冬紅葉金谷ホテルで珈琲を 日光山の麓
珈琲を置く束の間の尉鶲
滝あふぐ押さへて湿る冬帽子 裏見の滝
透かし見る滝の裏側日短
冬日さす傍の小滝のほうが好き
朴落葉仮面にしたき白さもつ
落葉手に数へてあるく化け地蔵
茶が咲いて修験光明寺跡の坂 黒羽
神留守に武運成就を謝しをりぬ
満水の鏡が池の冬木立
細注連をめぐらし鏡池澄めり
荒れている神社でよろし鵙の贄
黄落の犬追物跡晴れてきし
身に入みて見て見ぬふりの千体仏 殺生石
鹿の湯へ下る坂道落葉急
伝説の殺生石に枯葎
柳散る一人のこゑの出てきたり 芦野
ひつじ田の柳の下が生え残り
柳精に呼ばれ振り向く秋の暮
冬に入る遊行柳の立姿
『おくのほそ道』断章(2)
ー北陸地区現代俳句大賞応募作品ー
萩咲いて芭蕉庵には裏出口 深川
流鏑馬の馬場となる径水引草 日光
雪形は種蒔く合図文知摺草 しのぶの里
落椿見よと参道掃いてあり 医王寺
武者幟子供ゐやうとゐるまいと
顔ひとつ叩いて見上ぐ朝桜 塩釜
押してきし大河完結青葉潮 石巻
花満開金華山まで見えぬなり
ずんだ餅訛りて食うぶ青葉濃し 尿前の関
燻されて裏口に出る八重桜 封人の家
土嗅いで登る山刀伐木下闇 山刀伐峠
みちのくの田植のなかをタクシーで 尾花沢
産声の洩るる山寺夏の雲 山寺
筒鳥のこゑ待つ間羽黒巫女 羽黒山
御神体のぼり裸足をよろこべり 湯殿山
引つぱりし能因島の浦島草 象潟
佐渡行きの埠頭時雨の水たまり 越後路
吊されし御成りの朱駕籠糸蜻蛉 那谷寺
楸邨澄雄料峭の種の浜 種の浜
長居せし川燈台にきりぎりす 大垣
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