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レッドクリフは映画を越えた超大作 |
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久しぶりに迫力と感動を心に刻んだ映画を見たので書きました。
その題名は「レッドクリフ」。これはあの有名な三国志を描いた超大作なのです。
映画は三部作に分かれていて、その第一部が平成20年11月1日に日本公開されました。
映画大好き人間の私は、久しぶりに見応えのある映画を観賞、上映時間が瞬く間に過ぎ去っていきました。
美しい黄山の雲海、有名な離江に集結する軍艦数千隻、数万人は使ったと思われる戦闘場面。
壮大な画像の展開、上空からカメラが迫り、カメラを曳くテクニック、静止画と動画を混ぜたようなカメラワーク、全てに迫力を感じる映画です。
物語は誰でも知っている、三国志を今の時代に合わせて、圧倒的なスケールで仕上げていきます。
すごくスケールが大きい物語を、すごく面白く仕上げていて、見ている2時間余りが息もつかせない壮大なスケールと、出演者の数に圧倒しました。
そして所々に描かれている人間愛。主役の一人として日本から孔明を演じる、金城武は温和しい表情にも迫力を感じる、素晴らしい演技を見せます。
アジアと欧米の間に広がる文化や歴史の違いを超越したものにした映画、欧米の人々にとってはアジア版「グラディエーター」として楽しめたのではないでしょうか。
私たちアジアの人々にとって、お馴染みの物語がまったく違う視点で語られることを感動的に観られた映画だと思いました。
監督は黒沢明を崇拝するジョン・ウー。
トム・クルーズの大人気シリーズ『ミッション:インポッシブル』の続編の監督として起用され、2000年に公開された「M:I−2」は、世界中で約660億円もの興行収入を記録しています。その後も、ニコラス・ケイジ主演で「ウインドトーカーズ」(02)、「ペイチェック 消された記憶」(03)などのヒット作を手がけています。
音楽は岩代太郎、「血と骨」「蝉しぐれ」「春の雪」「殺人の追憶」「日本沈没」「あかね空」を手がけ、数多くの大作や話題作を手がけています。
実に見事な演奏で画像を盛り上げていきます。
そして出演者の中に日本の俳優で欠かせない役どころに金城武と元海賊の頭で、今では剣豪の達人、中村獅童が素晴らしく殺気すら感じる演技を見せてくれます。
三国志をモデルにした、赤壁(レッドクリフ)から1800年の今、制作費100億円を投じ、中国で制作されたこの映画は、アメリカの近年の映画がちゃちにすら感じる超大作です。
SFX(特殊撮影技術)とCG(コンピュータグラフィックス)などを大々的に使ったとはいえ、数万人の戦闘場面はまばたきすら忘れるようにスクリーンに釘付け。
音響が効果的に眼に耳に迫ってきます。
エンドクレジットの後に上映される第2部の予告編、4月公開が待ち遠しいと思いながら劇場を後にしました。
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「軍艦行進曲」と「海ゆかば」は名曲中の名曲です。 |
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最初に断っておきますが、マーボーの思想は右でも左寄りでもありません。(古い言い回しかも知れませんがご了承下さい)
精神的には中立、場合によって、どちらにも転びやすい性格なのです。
今日の話は日本の戦争映画に挿入される事が多い、あの有名な2大曲の感想です。
先ずは、瀬戸口籐吉の「軍艦行進曲」、そうです、平和日本になってからはパチンコ屋のオープン曲に使われる曲です。
元々マーチ・行進曲の大好きなマーボーの事。今までに何十回も聴いてきた曲でもあります。
その曲が最近聞いたCDの中に収録されていたのを耳にした時、改めてこの曲の素晴らしさに心打たれました。
精神をピリッとさせられるような曲の出始め、そして途中からの旋律的な流れの進行、そして最後には又精神を奮い立たせられるような大音響でこの曲が終わる。
マーボーは商店の新装開店、パチンコ屋の客集めに使われるのは創作者の瀬戸口籐吉氏に失礼な事だと感じています。それほど素晴らしいと思うからです。
もう一つの名曲は
海ゆかば 水づくかばね 山行かば くさむすかばね 大君のへにこそしなめ かへりみはせじ
そうです「海ゆかば」です。
もともと万葉集の詩を昭和12年、これから太平洋戦争が激化される時、信時潔が曲を付けた「国民唱歌」です。
戦前は、第二の国歌ともてはやされたが敗戦と共に封印されてしまった名曲です。
マーボーはこの曲も何十回と聴いてきた覚えがあります。
それが先日、当時のナレーションと共に聞いた時、改めて(あぁ、名曲なんだなぁ)と痛感しました。
あの重厚な曲の出だし、そしてお国のためにと、心を奮い立たされるような旋律、聞いている時目頭が熱くなるのは何故だろう。
現代感覚では、何となく聞いているにもかかわらず、戦闘意欲を高める完全なるマインドコントロールの世界に落ち込みかけた自分がありました。
当時の国民の心を、お国のため、天皇陛下万歳、そして国民を支配するような曲の創りに感心しながら「ああ名曲だなぁと感じるのは悪いのでしょうか」
既にDVDなどでレンタルされている過去の戦争映画を見られる時もあると思います。その様な時、この2大曲を挿入歌として耳にされる事もあるでしょう。
その時思い浮かべながら聞いて頂ければと思っています。
マーボーが聞いたCD、「海ゆかばのすべて」KINGからKICG3228の中で、あの渥美清が朗読・歌で語りかける場面、聞き惚れてしまいました。
このCDの中にも「軍艦行進曲」が入れられています。テンポと言い録音技術といい、過去に耳にした演奏を上まる素晴らしさに改めて拍手です。
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是非見て欲しい「男たちの大和」 |
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昨年12月17日に公開された映画「男たちの大和」が年明けと共に盛り上がるように人気が出て各映画館では盛況であると聞いて昨日見に行きました。
物語は戦艦大和に乗船していた内田二兵曹の娘(鈴木京香)が父の死後、大和が眠っている海域、東シナ海に向かうところから始まる。枕崎で生きてきた老漁師の神尾(仲代達矢)の漁船で神尾の中学生の孫と共に 小舟を走らすのだった。
映画は神尾の胸に、鮮やかに、そして切々と甦ってくる60年前の光景、戦友たちの姿が描かれていく。
同じ年頃の神尾の中学生の孫とダブって考えさせられる。
昭和19年2月、特別年少兵が、大和に乗組む。その威容に、10代の少年たちの目が輝く。厳しい訓練の中、際立って魅力的な、そして尊敬できる上官が二人現われる。機銃射手である内田二兵曹(中村獅童)と、烹炊(ほうすい)所(炊飯)の班長を務める森脇二主曹(反町隆史)だ。
10月、レイテ沖海戦に出撃する大和は、襲来する 米軍機の激しい爆撃、機銃掃射にさらされる。大和は絶対沈まない巨体を持つ戦艦と言われたように凄い戦闘にもかかわらずその巨体は堂々と海面にあった。
映画はここから人間愛にストーリー性を失っていない。僅かの時間ではあるが20年3月、出撃前最後の上陸を許される。
まだあどけなさの残る恋人との逢瀬、苦労を掛けた母との再会、馴染みの女との一夜……。あまりにも短く、切ない時間を過ごしていく十代半ばの幼さが残る少年兵達。
見ている私も、もうこの場面からは涙が止まらない。
4月6日、いよいよ大和以下10隻の艦隊が、豊後水道を南下、翌7日、アメリカ軍艦載機が来襲。全速力で進む大和に、次々に襲い掛かる、爆撃機、雷撃機。迎え撃つ46cm主砲が火を噴く。この戦闘場面が凄すぎる。
実にリアルに描かれているからだ。
私の幼い頃、まさしく丁度この戦闘場面が当時の紙芝居(今の劇画風に描かれていた)の表現がそのまま蘇ってくるのだった。
応戦する大和艦内各所で、乗組員たちの、最後の奮闘が始まった。
少年兵達は全員がこの大和と共に戦死を遂げる事を覚悟している。最後に上官からこのように言い渡された。
「お前達、故郷の方角に向かって最後の挨拶をしろ!」
この場面が実に切ない。
全員の幼い少年兵達は
「お母さ〜ん、今まで育てて頂き有り難うございました、お元気でお過ごし下さい!さようなら〜〜」
と故郷の方角に向かって叫ぶ!
見ている観客は涙が止まらない。僅か17〜8の少年と思えば尚更だ。
最後に目も覆いたくなる戦闘、悲しいかな巨体を誇った戦艦大和も東シナ海に巨体を沈めていくのだった。
私はこの映画に何故、これだけの関心があるのかと言えば、父がこの戦艦大和に守られて南方セレベス島に着任した記憶があるからです。
幼い私の手を引いた母と共に父の乗船前夜、この映画にも描かれているように、今の広島・呉港まで見送りに行った事を微かに覚えていたからです。
観客は中年以後の年代が多かったが、中に若いカップル、それに映画の主人公と同年代の若者も混じっていたのは嬉しかった。
映画は今までの戦争映画の様な綺麗事の様な描き方はしていないと思います。
それは当時の模様を忠実に、そして現実的に描かれているようでした。
是非とも若い年代の「戦争を知らない子供達」にも鑑賞をしてほしいなぁ!と願っています。
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老舗が閉館、寂しい限りです。 |
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京都一の繁華街、河原町・新京極一帯の映画館、京都スカラ座・京都宝塚劇場・京極東宝1.2.3の5館が1月29日(日)を持って閉館します。
これらの劇場は東宝直営館として、1935年10月に開場し70余年に渡り京都の映画ファンに親しまれてきた老舗の劇場です。
昨年、JR二条駅前にオープンしたTOHOシネマズ二条が映写・音響・環境とも好評の様で、新旧入れ替えの表れかと思われます。
この二つの映画館ビルの跡地には衣料量販店「ユニクロ」を核にした複合商業施設とビジネスホテルが出来るようで、京宝ビルは9階建てに建て替えてユニクロを展開するファーストリティリングがビルの運営を受託、ユニクロの新ブランドを含めた(常店の2倍)衣料・飲食・スポーツジム等が入ります。京極東宝ビルは10階建てに建て替えビジネスホテルが営業し、繁華街の立地を生かして観光客の利用を見込んでいます。
映画館は両ビルとも完全に姿を消すようです。
映画館。坪単価の売り上げには、よほど集客率が悪いのでしょう。両ビルは京都でも屈指の一等地、映画館を経営するよりテナントビルにした方が収入の安定化が図れるのかも知れません。映画メーカーが持っているビルにしては寂しい限りですね。
これで河原町・新京極一帯には、映画館としてMOVIX京都(12スクリーン)と東宝公楽・弥生座1.2の15スクリーンのみになるのは、映画ファンとしては悲しい限りです。
さよならイベントとして下記懐かしの作品が日替わり上映されます。
<<<1月28日(土)29日(日)[ラストショー]の上映作品>>>
『太陽がいっぱい』『十戒』『ローマの休日』『日本のいちばん長い日』『用心棒』『また逢う日まで』『戦場にかける橋』『ジョニーは戦場へ行った』『海底軍艦』『日本沈没』『七人の侍』『ベン・ハー』『街の灯』『荒野の七人』『慕情』『帰らざる河』
いずれも懐かしい作品が並んでいます。上映劇場、上映時間は東宝のHPを参考にしてください。
また、この機会に映画館の映写室も公開されるので日頃見られない映画館の裏側が見られます。
<映写室見学の日時> 場所:京極東宝会館4F 映写室(京極東宝2&3)
28日(土) 1回目 14:20から14:40頃
2回目 17:40から18:00頃
29日(日) 1回目 12:50から13:10頃
2回目 15:50から16:10頃
特に京都宝塚劇場は、終戦後米軍に撤収されていた劇場、返還後には宝塚歌劇の上演も行われた想い出が残る老舗中の老舗です。これらの劇場に「長い間ありがとう」と言う言葉を贈ります。
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シネコンで働く人は映画が好きなのが条件! |
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映画館で働いている人、又これから働こうとしている人、おそらく自分の希望通りの
職場でないと感じるでしょうね。今の時代、シネコンの超近代的設備など(外観は)
映画好きの若者にはあこがれの就職先でしょうが、でも期待はずれを経験する事多いでしょうね。
その@は、映画界はシネコン時代になってもソフトのコストが高い割に水揚げが案外低い事
Aこの割合は、入場者数により経常利益にまともにひびきます。(思ったより儲かって
いないと言う事です)。
B華やかに見えても、近場に競合シネコンがある場合は、頭から5割以下の入場者になってしまう。これは人口密度の低い地方ほど響くでしょう。
C映画の内容によっては数人しか入らない回があるでしょう。あれは完全に赤字ですね。
Dそれで考え出された一つが、これもシネコンの古里と同じやり方で、アメリカンないずされたポップコーン、コーラなど、副ソフトの販売です。ホントは映画に没頭するなら
上映中にぺちゃくちゃされるのは、迷惑なんですけどね。案外儲け頭なんでしょうね。
苦肉の策なんですよ
E最も基本的なのは、シネコン経営者は今も「映画屋」なんです。映画産業は
昔から典型的な水商売なんです。当たればメガヒットし巨額な儲けになる変わり
ポシャレば数十億の損失が出て屋台骨すら、ぐらついてしまう、これが映画界です。
「不安定」な商売なんです。昔は「やくざ」な商売と言われていました。すなわち
安定感がないのです。営業計画を組んでも計画通りには結果だ出ないでしょう。
Fつまり経営者は普通の企業と違い、現在になってもある面、封建的な存在なんです。
働きにくいと感じる人もあるでしょうね。
Gシネコンも豪華に見えて、案外脆いのではないでしょうか
近くに新規オープンでもあれば、映画ファンは、倍には絶対なりません。
今までの半分以下の入場者に、「その日」からなるでしょうね。
Hだから一般会社に就職するつもりで働こうとするのは止めるべきでしょうね。本当に映画が好き、その職業に誇りを持って、つらいが、お客様を喜ばそうと、努力する事に生き甲斐を感じる人のみが働ける所でしょうね。
だから、私が本当に望んでいる、映画鑑賞の雰囲気をシネコンで望むのは無理でしょうね。
今のシネコンは、殆どが写しているだけなんですね。経営陣にはそんなに余裕はありませんよね。
私に資金があり若ければシネコンの経営をしたいですね。前方舞台には真っ白い幕があり
本編の始まる場合は徐々に場内の照明が暗くなると、幕が静かに開いて行く、場内は序曲から大音響とともに映画が始まっていく。
終わるときも、静かに幕が左右から閉まり、その上に今見た映画のスタッフ・キャストのエンドクレジットが写されてラストミュージックが流れている。観客は最後まで席を立たずに、見てきた内容、その余韻を楽しんでいる。
・・・・・理想ですが。
(この文章は今年、私がある専門投稿スレッドに投稿した内容を抜粋したものです)
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映画館の様変わりは進む! |
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8月31日に書き込んだ続きです。
京都は今、JR二条駅前に話題のTOHOシネマズ二条がオープンして、新京極にMOVIX京都とメガコンと言ってもよい大きなシネコンが中心部に2つも出来ました。
もう、数ヶ月も以前から京都スカラ座と京都宝塚劇場の看板が真っ白けで「やる気あるの!」って思っていました。
河原町に出かける度に思わされたので、思い切って東宝にメールで問い合わせしたところ
「1500席近い大劇場での宝塚歌劇、古川ロッパ一座の芝居や東宝映画のモダニズム、戦後の進駐軍の6年半にも及ぶ接収後、再び『きょうほうさん』と呼んで愛して頂ける多くのお客様の存在があったからこそ、70年もの長きに亘って営業を続けて
こられたものと深く感謝しております。
一番長い歴史を持つ京宝会館の閉館は断腸の思いでの決定で多くのお客様の想いと同じように私共もこの京都の劇場を愛する気持ちは同じです。
今後は新しく出来る施設が再び河原町通りのシンボルになるよう京都の皆様から愛されるものとなるように努力して参ります。」と結ばれていました。
要するに一流劇場でも設備が古くなり、お客に安全に安心して映画を提供出来なくなったという事のようです。
致し方ない事でしょうね。私は、むしろ流石に東宝の直営館だけあるなあ、と感じています。
この京都宝塚劇場、京都スカラ座、京極東宝1・2・3は京都を代表する大劇場で学生時代の青春からお世話になった映画館のせめてもの終演ぐらい華々しく終わらせて貰いたいとメールを結んで送りました。
ところが、
先日、京都宝塚劇場の前を通った時、真っ白けであった看板が上映映画の案内看板で埋められていたのを見た時は、嬉しくなり目頭すら熱くなってきました。
流石、東宝と感激したものです。
東宝の返信で「再び河原町通りのシンボル・・・・」と言って頂いているように、
この地に最新の設備を整えた新しい東宝の直営館が出来る事を期待していようと思います。
映画館も様変わりする時代なのです。
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映画は観ている自分が主役だ。 |
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映画、それは映像を通じての娯楽。何故映画は平均した娯楽を保っていられるのか。
一時的にテレビに映像の王者を奪われた格好で映画の人気は下火になった時期もあったが、シネコンのような箱(映画館)が出来、映画の公開システムが新しい形になってから、急激に人気が盛り上がってきた。
それはテレビの不甲斐なさ、買い物ついで、ゲーム感覚で映画を見に行ける。
最大の原因、それは何時の時代になっても自分が映画の主役に取って代わってヒーローになった気分が味わえるからだ。
映画の中に飛び込める感覚、見ているその間だけは自分が主役なのだ。
映画が全盛を築いた時代、日本は高度成長期にあった。
その頃は生きるが為に精一杯働いた。
その時も一瞬であったが、鞍馬天狗になって悪事を働く輩(やから)をやっつける爽快感を味わった。
今も同じ事が言える。例えば韓流ブームのヒーローになりきりたい、悪と戦かう主役になりたい。その様に映画のスクリーンの中にはいつも自分がいるのだ。
映画は、これからも魅力ある作品がある限り、いつも娯楽の王者に君臨する事だろう。
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映画鑑賞人口が増加! |
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昨年、映画鑑賞の人口は1億7009万人と1983年以来21年ぶりに増加、記録的だったとか。
1983年というと『E.T.』や『南極物語』が大ヒットした年、それに匹敵する観客動員、おめでとうと言いたい。
シネコンの増加と邦画、洋画とも安定した観客が訪れたからと言いたいが、ビデオレンタルより映画館で見た方が感激度が違うと感じた映画ファンが増加したのも原因か。
しかし、50年程前は今の数倍の観客が映画館に殺到、満員御礼立ち見承知で鑑賞したものです。
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新しい物に負け、廃館になる大劇場。 |
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もう映画は、昔のように映画を見に行くと言う感覚からかけ離れてきた。
ビデオショップでビデオを借りる感覚で見に行くのだ。
これには他にも理由がある。
核家族の影響で遠慮無く家を長時間空けていても気兼ねが要らない。それと家にいたくない人達、外をふらついていたい人達。生活環境が大きく変化してきたのも理由の一つである。
数年前までは、映画は、大都会の大劇場でのロードショーから公開が始まったものだ。
1ヶ月ほどして地方の劇場、田舎の場末館と順次フイルムが廻っていったのだが今、アメリカ式のシネコンが竹の子のごとくショッピングセンターに付帯的に出来てくれば、日本全国総ロードショーの時代になってきた。何処にいても同じ映画が同時期に見られるようになってきたのだ。
それでも映画人口はそんなに増えていない。たまたま、アメリカ映画のヒット作が目白押しに公開されたので話題性で増えたようなものだ。
日本映画に至っては、映画全盛期の10分の一位程度しか製作されていない現状だ。
シネコンが最新式の映写方法、音響設備、鑑賞環境などで淘汰されると、既存の映画館は完敗状態だ。廃館、立て替えに追い込まれている。都会の大劇場といえども安穏とはして居れない。
おまけに、シネコンが乱立した為に、シネコン同士の客の奪い合い、閑古鳥の鳴いているような所もある。5〜6年前に出来たシネコンでも、最近同地区にオープンした新しい物には勝てない。閑古鳥さえ鳴いている現状が見受けられる。
私の住んでいる京都を例にとると、今年になってから松竹直営のMOVIX京都が7スクリーンから12スクリーンに増築オープンすれば、東宝直営のTOHOシネマズ二条が11スクリーンで6月にオープン。一挙に17スクリーンが増えた勘定。途端に旧劇場の京都宝塚劇場・京都スカラ座・京極東宝の廃館が決まった。東宝公楽も追順しそうだ。
設備環境が最近のシネコンには追いつかないからだ。
また隣町の大津市にある、シネコン二館も客足が落ち込んだらしい。大津市は元々京都、大阪の衛星都市的地区なのだが、新しいシネコンがオープンすれば京都に客が戻ったのだろう。
劇場はハード、映画はソフト、両方の環境・内容がかみ合ってこそ客は入る。
これからの内容如何によってはシネコン自体も苦しい状態に落ち込みそうだ。
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音響はこのようにして現在があるのです。 |
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「映画大好き!」このお話を続けていく為には、過去のオーディオに触れる必要があるような気がしてきた。
何故なら、今の映画は音響重視主義なのだから。
過去の遺産になったレコードのお話。しばらく付き合って下さい。若い人は知らないと思いますよ。たぶん「そ〜うなの」と言うに決まっていますから。
今の家庭用オーディオセットはコンパクト化されていて、CD・MDなどが主流、HDも入れれば、全てがデジタル化されています。
では私が若い頃の音楽は、どの様なシステムで聴いていたのでしょうか。
@私が子供の頃はSPレコードが主流でした。
一部のお金持ちの家には、蓄音機が備え付けられて、レコードを聞く場合は、レコード盤を蓄音機のターンテーブル(レコードを置く所)に乗せ、レコード盤を回転させるために横に着いているハンドルを時計方向に廻します。鋼を締め付けていくようなもので、徐々にゆるむ時、ターンテーブルが回転するのです。その速度は一分間に78回転です。
そのレコードに刻まれた溝に針(ピックアップ)を置きます。
レコードは音の強弱・音程などが波状に刻まれています。それを針がトレースしていくのです。この頃のピックアップは紙のような物に伝達、振動(振るわす)して音が出る仕組みになっていました。
音楽を聴くのに人力が必要でした。(一部モーター式もありました)
音はと言えば、レコード盤を削っているような(実際は削っているのですが)で今聞けば耐えられないでしょうね。酷い音でしたね。
Aやがて、私が高校生の頃、画期的なレコードが出現しました。
LP・EPレコードの開発で一挙に音楽が生活の潤いになって、音響もハイファイ(忠実に原音を再生する事)時代になってきました。
LPは30センチ33回転1/3、EPは17センチ45回転。音を拾うピックアップは振動方式のクリスタル。電気信号で拾うマグネチック方式が取り入られていました。
SP時代は、鉄の針で数回掛ければ針の交換をしていたのが、この頃にはサファイヤ・ダイヤモンド針が取り入れられて、長時間交換無しに楽しめたものです。
アンプ(増幅器)は全て真空管式でした。
この頃から、音キチが増えてきました。アンプ・スピーカーを自作するマニアの人、音楽喫茶で名曲にウットリする人。今のデジタルと違い、アナログながらゆとりのある暖かい感じの音響が今でも印象深く残っています。
当時ヒットしたポピュラー音楽に「エデンの東」「風と共に去りぬ」「砂に書いたラブレター」「ラブミーテンダー」など、それに多くの学生に人気のあった、モダンジャズの世界、勿論クラシックファンも多く定着しました。ロカビリー、ビートルズ、プレスリーもこの時代からでした。
当然、私も音キチオタクのひとりです。友達とアンプの製作、勿論プッシュプル方式のハイファイです。スピーカーボックスも大工さんに手伝って貰って畳み一枚の大きさのボックスを左右に、各々30センチウーハー(低音用)を2本、それに中音用のスコーカー、高音用のツイーターをセットしたものです。
私の好みはクラシックからジャズ、ポピュラーに歌謡曲、それこそ選り好み無しです。
音キチだから、三波春夫の「チャンチキおけさ」のあの歯切れの良い声が自作のシステムから出て来た時は感激ものでした。
このLP・EP(ドーナツ盤と言っていました)時代は3〜40年と長く続きました。
今はCDなどのデジタル時代です。アナログとデジタルは音響に大きな差があります。
アナログは先にも書きましたが、柔らかい、そしてダイナミックな音響です。
それに比べるとデジタルの音響は、どちらかと言えば硬い、耳にキーンと来る音響に最初は惑わされました。
映画も10年程前までは、フイルムの端に刻まれた磁気をヘッドが拾い上げるアナログ方式でしたが、今はご存じのようにデジタルで聞かす5.1Ch方式の音響に変わってきました。
以上がレコードの時代なのでした。
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映画は光ファイバーでやってくる。 |
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昨日発表されたのがフイルムを使わない映画の規格をハリウッドでソニーなど7
社合意で統一された。
高画質を実現する解像度や映画館用の大型プロジェクターの仕様などを統一、世
界規格となる。
以前から私マーボーが書き続けた未来の映画(「映画館へ行こう」のHPスレッドでも)
の実現の時が来たようです。
思った通り、映画を撮影(おそらくTVキャメラの様なもの、それもハイビジョンクラス)。
データーをコンピューターに保存。この段階で編集と修正・合成・仕上げ。完成
した映画は人工衛星を使って、光ファイバーを経由高速大容量のインターネットで
配信され、映画館の大型プロジェクターから上映される方式になるでしょう。
実現すれば、今のDLPより格段に進化して、ひょっとすれば名古屋万博で公開
されているようなレーザー光線を使用したプロジェクターかも?。
いずれにせよ、これからはシネコン全盛時代。少人数のスタッフでコストを抑え
た興業システムに向けては喜ばしい限り。
今、私マーボーが不満に思っている、スクリーンの後退(過去の遺産になった7
0mm、シネラマなど大画面)は一挙に飛躍し、未来のシネコンでは巨大スクリーンが
復活するかもしれない。
世界何処でも全く同じ時間にロードショーは間違いないだろう。
実際は時差があるため、繰り返し配信される映画を、いつでも取り込める方式に
なるでしょうね。
DLP、それは単にフイルムと競合したシステムだけではなかった。
将来、映画は放送と同じく衛星を通じて配信され世界同時公開、このために、
あえて故障・トラブルが多いにも拘わらず、上映し続けなければならないシステ
ムなのだ。
そして、トラブル原因は集約され、現在必死になって改良が行われている事だろ
う。
前にも書き込んでいるが、次のオリンピックでは、シネコンのスクリーンに競技
のクライマックスが上映されるかもしれない。
真の映画ファンは夢を追い続けて必ず実現するものと確信していれば、それは現
実となるものです。
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Gの衝撃が味わえる映画 |
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全世界を破壊するステルスの暴走を阻止せよ!!
映像化不可能といわれた、Gの衝撃!未体験の音速バトルを、体感せよ!!
映画はここまで進化した!
史上最強のステルス戦闘機VS精鋭パイロット3人のエア・バトル−−−。
映画の題名は「ステルス」。勇気、希望、友情。世界の危機に立ち向かう人間の愛を描いた感動の超大作!
これが10月ロードショーの宣伝文句だ。
Gの衝撃と謳われているように、おそらく音状による身体に感じる重圧感を味わえるのではないだろうか。
先日もスピルバーグ監督・トムクルーズ主演による「宇宙戦争」で椅子と床、壁が揺れ動く体験をさせられたが、この映画はどの様な体感を味あわせてくれるのだろうか。
またまた古い話になるが、その昔(50年程前)あのシネラマ公開時期に巨大スクリーンで味わった体験を少し話してみよう。
確か空軍基地の滑走路にガラス張りの箱の中に3台のキャメラが据えられて、前方から物凄いスピードで迫ってくるジェット戦闘機、即座にキャメラは180度回転すると後方からジェット機がキャメラの真上から瞬時に前方に。その時のスピーカーは無音だ。ジェット機が遠ざかった頃、物凄い音響(音圧)と共に箱の中に設置されたキャメラ、ガラスが割れ散る。この時の迫力は今の映画でも味わえなかった。
50年も前に、すでに映画はこのような迫力があったのだ。しかもアナログ時代に7チャンネル音響が。その時、重低音も鳴っていた。
10月公開の「ステルス」では、どの様なGを体験させてくれるのか。デジタル時代の驚異的な音響と映像を体験させてくれると思えば今から楽しみだ。
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企業化された活動屋 |
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ワイドスクリーン、シネラマ・シネマスコープ・ビスタビジョン・70MMなどの巨大なスクリーン時代があったという事はもう過去の遺産に過ぎない事なのです。
マーボーは時々ある映画のスレッドに投稿していますが、そこでこの話をしても、今の20代の諸君には理解して貰えず、悲しい思いすらする事があります。
殆どの若い人はシネラマ・70MMなど見た経験がありませんから、仕方がない事なのですね。シネコン全盛時代ですから、旧の大劇場で湾曲したスクリーンで映画鑑賞した時違和感を感じたとの話、全く驚きものでした。
音響は確かにアナログからデジタルに進化してメリハリのある音になっているが、映像自体はこれで進化しているのだろうかと疑いたくなるような感じです。
これも時代の変化なのですね。
映画館も昔のように活動屋さん根性の人がいなくなり企業として客を集める時代になってきたのですね。
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スター・ウォーズ『エピソード3 シスの復讐』鑑賞後記 |
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7月9日、TOHOシネマズ二条へ、スター・ウォーズ『エピソード3 シスの復讐』の初日に行ってきた。
チケット売り場で「18時の回、THX・DLP上映の分」と言って買い求めれば「大変申し訳御座いません、トラブル発生のため25分遅れで上映していますが、いいでしょうか」
THX・DLPで見なければ意味がないので、フイルムに変更になっていないか確認すれば「間違いなく予定の映写方法で、スクリーン1での公開で御座います」
まあいいや、待つ間、下のゲーセンでも行って時間つぶしするか。
遅れた分、少しでも早く入場させるべく(回復運転?)早めの入場案内、
結局は遅れの予定通り?18時25分より場内は暗くなった。
上映終了後、驚いたのはスタッフが出口で「本日は、上映が遅れましてお客様には大変ご迷惑をお掛けしました。申し訳御座いませんでした」
と大きなそれで持って、ハッキリした声で、退場してくるお客様に謝っていた。
さすが東宝直営だけあり、オープン時には会長自らテープカットしたTOHOシネマズ二条だなあと感じた。
近来のシネコンの中でもスタッフの態度は気持ちよく、頭の下がる思いがした。
トラブルしてもアテにして来る客のため、頑張ってDLP上映してくれてありがとう。
そのTOHOシネマズ二条のTHX・DLP上映で感じた事を少し個人の感覚として寄稿しておきます。
DLPについては、最新設備の機材を使っているのでフイルムとあまり違和感なく見られた。
画面もかなり明るくなっている。フイルムよりシャープ感はアップしているように感じた。
只、撮影条件までわがままを言えないためピントの甘さは逃れられない。いっそのこと制作から上映までDLP方式のみで完成させればなあと思った。NHKのハイビジョン技術が動員されれば最高の画像構成が出来そう。
エンドクレジットにソニーと富士フイルムが大きく表示されていたのは、日本人として嬉しい思いがした。
それに映像の最高技術を持つNHKの名前が出ればなあ。
THX認定の音響は、やはり4Wayスピーカーを使用しているのと認定館のためサイド左右12本、リア6本ともスーパーツイーターが設置されているらしい。
音質は既存のシネコンの様な低音の濁りはなく低音不足かな!と思えば、澄んだ音でしっかりと出ている。
左右後方の音質も文句を言うことないだろう。音の動きもメリハリがある。
先日同劇場スクリーン10で見た「宇宙戦争」は椅子から壁まで揺れ動いていたが、その様な事は無かった迄も音量は不足していなかったし耳障りな事もなかった。
低音に濁りがないのは4Wayにして身体にまで響く重低音と音として感じる低音を5〜60Hzあたりで分離しているのだろうなあと感じた。
音響、映像とも人それぞれが感じる事は異なると思うが、今日嬉しかったのは、上映時間の遅れを、お客を送り出す時の気持ちよいスタッフの態度だった。
教育された直営館。東宝系はここで、松竹系はMOVIX京都で、これから分けて観ようと思って劇場を後にした。
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音響の進歩、映像の後退! |
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映画の映像と音響の進歩状態はどの様になっているのでしょうか。
私の子供が(30ウン才・もう大人ジャんと言われますね)よく言っていました。
テレビで映画(フイルム版)を見るのと、完全にビデオで録画された映像のドラマを見るのでは臨場感が違うと。録画映像はフイルム映像に比べて画像そのものに奥行き感が無く平べったい感じがすると子供の頃から言っていたのを思い出します。
映画館でもフイルムの映画とDLPの感覚の差がこれだと思います。
確かに将来はDLP映像が中心になってくるかもしれません。でも迫力から言えばまだまだ研究が必要ではないでしょうか。
長年貧乏生活をしてやっと買う事が出来た、ハイビジョンの液晶TV、このハイビジョン映像には溜息が出る程の美しさに感動します。
案外、今名古屋万博で公開されている、レーザー光線を使った映像、ハイビジョン映像まで映画の画質はアップするのではと期待しています。
アナログでは限界がありますが、これからの時代デジタルには未知数の期待が持てるように思います。
確かに今の「宇宙戦争」「SWファイナル」でも音響面ではアナログ時代より遙かに躍進しています。
ですが映像面ではコンピューターを使った処理は優れていますが、フイルムの表現の進歩性は今一歩です。
今となっては、若い人たちに、あの70MMとか本物のビスタビジョンの映像を見て頂けないのが残念ですが、これからは、少人数のスタッフで対応出来るシネコンが活躍出来るような映像の開発を映画関係者はしてくれるでしょうね。
ある熱心な映画ファンは言いました。旧の大劇場で見た映画、この映画館はスクリーンが湾曲になっていたので違和感に感じたと。
でもいにしえの大型スクリーンの時代はこの湾曲スクリーンは大劇場、ワイドスクリーンの象徴みたいなものだったのです。
今のスクリーン、ビスタサイズとかシネスコサイズと表現されていますが、殆どがスーパー35で制作されたスタンダードと思って下さい。
前にも寄稿していますが、シネコンの時代、少ないスタッフで多くのスクリーン数を受け持つには、今後も映像面では簡略を強いられるのは必至だからです。
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スピルバーグとトムの映画は良かった。 |
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先週オープンしたばかりの京都のTOHOシネマズ二条(11スクリーン)で
初日の「宇宙戦争」を観てきました。
《世界初4wayスピーカー/全館トライアンプ起動》と唄っているだけあって、
音響の凄さは表現できないほどの迫力がありました。
宇宙人の襲来シーンなどでは金属音と重低音で椅子から劇場の壁、
床まで響き渡る音響は身体で感じる体感。
それでも不思議に耳に威圧感を感じない音作りには改めて
新しいシネコンの驚異に、久しぶりに映画の醍醐味を堪能してきました。
映画の創りもスピルバーグらしく最後まで引っ張っていく手法。
主演のトムクルーズも従来の格好良さをあえて見せず、庶民感覚の
役作りに好感を持てました。
また子役の演技が素晴らしく、恐怖の終末が迫る中でも家族愛に
満ちあふれた映画になっています。
内容的には50年程前の「宇宙戦争」のリメークでありますが、
特に目玉のろくろく首の様なシーンと宇宙人の姿は当時の映画を思い出すが、
ラストシーンの落ちは全く新しい感覚に出来上がっていました。
久しぶりに好感を持てる「空想科学映画・・・」だったと思いました。
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これからのシネコンの形 |
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京都の中心に巨大シネコンが2つも相次いでオープンした。
先々月オープンしたのが12スクリーンのMOVIX京都。
そして今日(23日)開業したのが11スクリーンのTOHOシネマズ二条だ。
映画の都、目の肥えた京都人が満足出来るシネコンになるには並のシネコンでは駄目だ。
それが映画の先進都市、京都だ。
先ず、MOVIX京都ではDLPを使って舞台をそのままスクリーンで見せる手法。
東京の歌舞伎を映画館で見せる。もう2作目が公開された。
それに名作の「砂の器」を デジタルリマスターで公開中だ。
その内、寅さんもお目にかかれるかもしれない。
今日、オープンしたTOHOシネマズ二条は、昨日の開館イベントで
わざわざ千葉から近日公開される映画のモデルになった像を担ぎ出し
式典には東宝の松岡功会長らがテープカット、気合いの入れ方が違う。
面白いのは、ここでも名作公開だ。黒沢明の七人の侍、あのタイタニック
小早家の秋、マイノリティリポートは入場料が決まっていない。
見たお客さんが判断してチャリティーで支払うと言う試しみ。
それにこの両シネコンとも全てのメジャー映画を公開するとは限っていないようだ。
戦国自衛隊・・・、交渉人・・・等はMOVIX京都では公開してない。
サハラ、ホステージ・・・ミリオンダラー・・・等はTOHOシネマズ二条では公開しない。
旧大劇場とのバランスも考えての公開システムを取っているようだ。
今、映画を大事に思う京都人に歓迎されるシネコンが誕生したのだ。
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頑張れ独立系の映画館 |
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シネコンが次々オープンして、メジャーの映画が日本全国何処でも同時に観られる時代になって来たが、案外頑張っているのが独立系の映画だ。
海外から単独で買い付けたメジャー以外の映画。国内で作られた自主製作映画。
これらの中には大手映画会社も抜くようなストーリー展開の名作が生まれる。
昔からチエーン展開以外に名作劇場、小劇場でこのような作品は公開されてきたが、今もシネコンでは公開されない小作品の数々を選りすぐって公開している劇場が健在である。
マーボーの住居地・京都にも、みなみ会館がオーナーの努力で、いつも新鮮な小作品を公開してくれている。又この春オープンした、京都シネマ(3スクリーン)もファンが定着しつつある。
これからも頑張って欲しい限りである。
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映画鑑賞はその気になって! |
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今夏の映画、何故か楽しい気持ちにさせられる。
ジョージ・ルーカスのスター・ウォーズ『エピソード3 シスの復讐』とスティーブン・スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演の『宇宙戦争』だ。
いずれも6月から7月にかけて公開される。
スター・ウォーズに至っては初回の前売り券が売り切れた劇場も多い。
それに日本もアメリカ並みになってきたようだ。と言うのは、カウントダウンの初回を見に来る客は、コスチュームに着飾ったファンも多く観られるようだ。
全く楽しい限りだ。
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これから潰れるシネコンもあるのでは。 |
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シネコンのワーナーマイカルシネマズが期間限定で3回観ると一回無料のキャンペーンを行っている。
やはり懸念していた事が現実に起こっているのか。
シネコンが竹の子のごとく、あちらでもこちらにもニョキニョキと出来たせいで客の奪い合いが始まっているのは間違いない。
昔は映画館と言えば、大都会を中心にロードショー、地方に行く程遅れて公開された物だ。
それが今は、シネコンがどんな田舎でも林立し何処へ行っても同じ時に同じ映画が見られる様になった。
それはそれで、平等になり良い傾向だと思うが、今も毎日のようにシネコン(映画館)が出来ている。
過去場末館が二館程しかなかった人口10万弱の町にシネコンが3ッツも(スクリーン数20程)が出来るとは異常な現象だ。
必然的にお客の奪い合い。古いシネコン程客の入りも悪くなる。
これから益々過激な競争が目立つようになり取り残されたシネコンは潰れていくだろう。
映画ファンとしては便利になった事だけを喜んではいられない。
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東京の舞台が京都でも観られます。 |
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DLP(デジタル・ライト・プロセッシング)方式とはフルデジタル映像技術の総称です
この方式はパソコンでお馴染みのハードディスクにおさめられている デジタル化された映画のデータがDLPシネマ用の映写機でスクリーンに映し出される方式です。
映画が誕生してから100年が経過しましたが、映画にはずっとフィルムが使われてきました。
しかし、「監督が思い描いた色あいをそのまま再現できものかと」と考えるようになり、これをデジタル映像という方法を使って実現したのがDLP方式です。 DLPによるデジタル投射のいちばんの魅力は、きれいな映像を再現できるということ。
上映を繰り返しても画質が落ちない事です。
製作過程も変わってきます、従来のようなフイルムを使わないので、後処理で簡単に監督の思惑通りの表現が可能なのです。
例えば昼撮影しても夜の場面とか、エキストラを数倍に膨らませるとか、差し込みによる迫力の増強も簡単です。いわゆる撮影時より大幅に違う画面構成がいとも簡単に作れます。
写真でもフイルムカメラとデジタルカメラの差はご存じですね。フイルム写真は現像焼き付けは写真店に依頼しますが、デジカメは撮影時の失敗は消せばいいし、パソコンに取り込んでから、明るさ・コントラスト・カッティング・色の追加・文字入れなど自由自在に出来ますね。
DLP方式はこのように表現が変えられる便利さがあります。次時代の映画の基本になる事は間違いないでしょうね。まだまだ改良されるでしょうが。
例えばこの4月にオープンしたMOVIX京都では、新しい試しとして歌舞伎・演劇の舞台をDLP方式で撮影して公開しています。今公開中なのが、「髑髏城の七人」です。
4月のオープン時には『野田版 鼠小僧』。これは人気歌舞伎演目をフルデジタルで再現!したものの上映でした。
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映画はゲームになった。 |
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映画鑑賞も変わりつつあります。
この夏公開される『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』は、長く続いたこのシリーズのファイナルです。
前作と同じようにファンは異常な興奮状態に陥る事間違いない。
公開当日の大騒ぎは目に見えている。
上映劇場ではカウントダウンが行われるだろう。
今から熱烈なるファンは、仕事も勉強も手に付かない毎日を過ごしているようだ。
キャラクターは集めるは、初回はどの劇場(シネコン)で鑑賞するのか
今から大騒ぎを醸しだしている。
多くのファンは2回、3回と鑑賞するだろう。
オタクにでもなろうものなら、数十回は見に行くらしい。スター・ウォーズが映画の域からゲーム感覚に変わりつつある。
これからはこの手の映画は、もう映画ではない。殆どゲームだ。観客はスクリーンの中に取り込まれて、スター・ウォーズと一体になる感覚だ。
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映画の歴史を少しだけ。 |
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懐かしい映画と言えば、40年ぐらい前の頃、娯楽の王者だったのは、当時
もちろん映画でした。
そのころの洋画は、今程でも無く、中心は日本映画でした。
東宝・松竹・東映に大映・日活・新東宝の六社があり、後にいわゆる五社協定と
言う規格に俳優たちは縛られ、専属契約と言うものがほとんどのスターに当てはめられてこの協定で他社には出演できない様になっていたのです。
各社でお得意のシリーズがドンドン公開されたのもこの時期でした。
それに有名スターの登場もこのころでしたね。東宝は、用心棒・七人の侍・天国と地獄、若大将シリーズ・駅前シリーズ等で、黒沢明監督・三船敏郎・森繁久弥・加山雄三等
東映は片岡千恵蔵・市川右太衛門・中村錦之助・高倉健などの旗本退屈男
金さんシリーズ・笛吹童子・時代劇・やくざ映画など、
松竹は、君の名は、後に寅さんシリーズ、など比較的現代劇など明るい映画が多かった。
大映は懐かしい、長谷川一夫・京マチ子・若尾文子・勝新太郎などのシリーズ物が多く
日活は、石原裕次郎・小林旭・浅丘ルリ子などのアクション娯楽作品、永遠のマドンナ吉永小百合もここの出身です。各社とも毎週新作が二本立てで封切られ、東映などは一系統だけでなく、第二東映なる系統が出来、毎週四本の新作公開、年間○○○本製作と忙しかったと思います。
京都の太秦(うずまさ)に東映映画村なる副産物が出来たのもこの影響です。今では観光コースになっていますね。
当時はまだテレビは初期段階で殆どの家庭には無く、ニュースも映画館で公開されていました。
実際は一週間遅れの出来事をスクリーンを通じて観ていたのです。場内が暗くなると先ず5分程(話題5話ぐらい)のニュースが始まり、次が次週公開とオールスターの大作(近日公開)の予告編があり、それから本編(2本立て)が上映されたものです。
当時はこの系列館の他、地方などでは、例えば松竹と東映・大映と東宝などの
組み合わせ二本立て公開もありました。大都会などでは、ニュース専門のニュース館と言うユニークな映画館も存在しました。
当時のニュースには、毎日ニュース・読売ニュース・国際ニュース・もちろん朝日ニュースがありました。ニュース館は四大ニュースにディズニーの漫画映画等(ドナルド・ミッキィー等の短編)を組み合わせて、1.5時間ほどの時間構成で公開していました。
わが京都にも四条河原町を南に行った所に「田園ニュース館」と市役所前に「??ニュース館」が存在しました。
今はシネコン時代です。しかし、このような昔の映画が土台になって、今のシネコンが存在します。
ゴジラも第一作はこの頃の公開です。ヨン様(テレビ)で騒がれていますが
日本では松竹の、君の名は、と言う恋愛大作が既に公開されていました。
黒沢明の時代もこの頃からスタートです。アメリカ映画で盛んにリメイクされ
洋画の師匠的存在になりましたね。
今の映画の規格である、シネマスコープ・ビスタビジョン・パナビジョンもこの頃
開発されたものです。そして今、DOLBYとか、DTS・SDDSと皆さんは話題にされて
いますが、3本のフイルムを3台の映写機で映し出す、シネラマでは
音響専門にもう一本のフイルムが使われ、アナログながら、凄く迫力ある音響で
楽しませて貰いましたよ。
余談ながら今のデジタルの音質より当時のアナログの方が柔らかく、全身が包み
込まれるような音響でした。CDの音質の堅さに比べて、ダイアモンド針で
トレースするレコードのアナログ音はダイナミックレンジの広い、ハイファイ音
ですね。あれに近かったですよ。もちろん6チャンネルの超立体音響を自慢して
いたと記憶します。
男はつらいよ、のスタートもこの時代の後半です。
娯楽の王者、それが映画です。そして今、シネコン時代の全盛と共に、映画
という娯楽が蘇ってきたのだと実感するのは私だけでしょうか。
ですから二度と映画の暗黒時代・衰退は来てほしくないと私は思います。
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またまた大騒ぎになるスター・ウォーズ |
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アメリカで「スター・ウォーズ」の最新作(最終章)の公開が始まりました。
公開初日は勤務を休むなど経済損失莫大と報じられている程期待されている作品です。
日本公開(2005.7.9公開予定)も、まもなくですが、公開当日はカウントダウンなど大騒ぎになるでしょうね。作品の好き嫌いはともかく監督・脚本 がジョージ・ルーカス(George Lucas)が魅力です。この監督は映像と音響、特に映画館の音響システムには気を使っての映画製作に専念、音を聞くだけでも価値あると見受けられる。
映画ファンのみならず音キチマニアにも公開が待ち遠しいですね。
この「スター・ウォーズ」シリーズ第一作から20年以上。最初に見た6才の少年が最終章を見るのが20代後半になっているとは、息の長〜い映画です。
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5.1ch音響が楽しめるDVD |
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観客は何時になっても怪獣映画が好きなようだ。先日公開された「エイリアンvsプレデター」。
劇場での公開を見のがしたのでDVDを借りて見た。
南極の氷の下深くピラミッドが見つかった。このピラミッドの中で繰り広げられる、エイリアンとプレデターに加え人間との死闘。
最後にはプレデターを味方に付けてプレデターと人間が勝利するというストーリーは単純そのものだが、5.1chデジタル立体音響(DTS)は家庭でも結構な音響が味わえる。
最後にプレデターが宇宙に帰って行く場面で戦死した戦士の腹からエイリアンの子供が密かに誕生する場面で映画は終わる。
又、続編が作られるように。旨く設定しての終わり方はアメリカ映画らしい。
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愛して映画の公開を! |
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確かに場末の劇場では、便所くさい、ひどい音響、フイルムも切れ切れという館も多かったのは事実です。
幸いなことに私は一応一流劇場に恵まれた都会で育ちました。
劇場のオーナー(直営館含む)が映画オタクな人がフイルムを回す、本当に映画を愛した館主が多かった時代です。
他のコーナーでも一部書きましたが、感動作ではエンドマークが出て、幕が静
かに降り終わっても暫くは、場内を明るくしないで、観客に余韻を楽しんで貰
おうと気の利いた、映写技師も多かった時代です。確かに今のシネコンは日本
全国、何処でも綺麗でゆったり座り、超立体音響のデジタル化された音ととも
に楽しめると思いますが、反面スクリーンの大きさもワンパターンです。
よき時代では、シネラマ・シネマスコープ・ビスタビジョン・70ミリ(トッドAO・パナビジョン)等多種多様で映画の内容によって制作会社も挙ってサイズ分けをして公開していた物です。
音響も確かにアナログで今のデジタルには及ばないかもしれませんが、割れか
けた低音、高音、これも作品に同化して愛嬌な物でした。それとロードショー
・2番館・場末館・名画館とフイルムが回り、客は好きなところで映画を楽し
めました。今も少数居られますが本当に映画を愛した館主が多かったのです。
そんな時代でしたが、映画の全盛期で日本でも松竹・東宝・日活(ロマンの前
進)大映・東映の五社協定が厳しい時代。洋画もウエストサイド物語。サウンド
オブミュージック・ドクトルジバゴ・ベンハー・王様と私・その前はシェーン・ひまわり・鉄道員・等々数え切れない程の力作が目白押しに公開された物です
映画を愛して下さる映画館・シネコンが観客を少しでも映画の中に引きずり込んで、上映して欲しいと思っています。
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公開内容に努力しようシネコン各社。 |
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シネコンが全国的に出来てからは、ロードショーは何処の小都市でも観られる時代になりました。一昔前は人口の多い大都市でしか映画は観られなかったので家庭の一般娯楽はテレビ全盛でした。
それで一挙に映画人口が増えました。それには最近のテレビの不味さ、やらせ的な番組、同じような番組、魅力無い内容が多いせいでもあるでしょう。
それに最近の映画は実写とコンピューター処理、音響が飛躍的に発達、迫力ある内容に魅力がありますね。(ただ最近訳の分からぬ近未来内容が多いのが将来の映画の為に心配していますが。
レンタル全盛時代ですがビデオもDVDも映画を観る家庭のテレビから映しだされる場面では迫力に不満を覚えるようになりました。映画館の大画面には叶いません。
若者を中心にしてシネコンが格好の遊び場所、映画鑑賞に浸れる所として受け始めてきたのは確かです。
そのブームで竹の子のごとくあちらこちらにシネコンが乱立するようになりました。
シネコンが乱立すれば、必ず行き詰まる時が来るでしょうね。
それで提案です。昔はロードショーが済むと、二番館、三番館と順次期間をおいて
その映画が回った物です。例えばロードショーでは¥1800円とすると、二番館では
¥1200円で観られるし三番館では2本立で¥1000円で観られるといった具合です。
それに一部では行われていますがリバイバルと再映、例えば「風と共に去りぬ」「ベンハー」「ウエストサイド物語」などもう一度大画面で観たくないですか。
ビデオ・DVDでは大画面の迫力は望めません。
シネコンも8スクリーン以上ともなれば、箱(劇場)も余っているのではないでしょうか。
これから、益々乱立傾向にあると思われます。今の内に対策を立て生き残りを考
えなくては、特に小都市にシネコンが2つも3つもある場合、閑古鳥がなく所も出て
くるのではないでしょうか。いやもう既にガラガラで上映している所があるはずです。
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機械的に客をさばくシネコン。 |
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最近の映画館(シネコン含む)ムード無いですね。ただ機械的に上映を繰り
返して居るのみに思います。
一昔前の映画館といえばスクリーンの前に白い幕があって、その前に緞帳がある劇場が多かったのですよ。
制作されたフイルムにもよりますが、まず座席に座り、これから始まる内容を想像しながら場内が暗転する時間を待つこと暫し、やがて、軽やかなブザーでロビーにい
た客も指定された(自分で決めた)席に全員が着席、場内がワンランク暗く
なりました。
前面、左右、後方から流れてくるこれから始まる映画の序曲、まだ前
方のスクリーンは幕の中、5分程で序曲が終わり、やがて場内が一段と暗く
なると、前方の幕が左右に(劇場によっては上方へ)静かに開き、映画会社
のマークとタイトルが大音響とともに観客を映画の中に誘い込むテクニック
長時間の映画(ベンハー等)なれば途中で休憩、後半も音楽とともに始まる
と言う、まるでオペラか、ミュージカルの劇場にでもいるような感覚に誘われたものでした。
やがて映画も最後のエンドマークが出ると、静かに幕が降り始め(左右から閉まり
始め)、最終回なれば重厚な緞帳が重なるように下りてきて、まるで「如何
でしたか、お客さーん、見て頂いた映画は満足して頂きましたか、本日は
ありがとうございました、また、次回もお越し下さいね。心よりお待ち申して
いますよ!!」と劇場がいっているような、気持ちになったものです。
今の映画館、シネコンなどは確かに音響は発達して迫力あるデジタルになって
いますが、スクリーンは剥き出しで、ムードもあったものではないですよね。
人それぞれですが、私は映画って、その中に溶け込んでこそ、後々印象深く
心に残ると思いますがこのような考えを持つのは私だけでしょうか。
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これからの映画館情勢。シネコンが何故オープンするのか。 |
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日本の映画界には東宝、松竹、東映の大手3社の劇場が独壇場であった時代の映画地図が大幅に塗り替えられたのがシネマコンプレックスの登場です。
又、海外の映画会社にしてみれば、先の3社に委ねなければならなかったのが
自社のネットワークを通じて公開出来るメリットもあった。それが益々シネコン
のオープンに拍車をかけているのが今の現状でしょう。
シネマコンプレックスと言えば、複合映画館の事で、アメリカでは普通に見られた事です。
日本は映画興行界の封建的な形態で、鎖国的な興業形態をずっと取ってきたため
娯楽の変化に気付くのが遅れ、1958年をピークに年々館数の減少が見られ
映画人口もピーク時の1割程度まで落ち込んだのです。
長い低迷期を経て業界に活気をもたらせたのがシネコンの上陸でした。
それは、1993年に海老名市に「ワーナーマイカルシネマズ海老名」のオープンから始まりました。
マイカルという大型ショッピングセンターに併設されたのが、日本でのお手本的存在になり、これを皮切りにマイカル・イオンなどショッピングセンターの中に次々とオープンしていきました。
ユーザー側の興業システム。自由に組める興業プログラム、定員入れ替え制で
立ち見のないゆったりした椅子。音響設備、スクリーンの明るさなど配慮がなされ
駐車場も完備して、映画鑑賞のあと食事、買い物と顧客意欲を満足させたため
大都会主義だったロードショーが地方都市にも、次々とオープンしていったのです。
もう一つシネマコンプレックスが成功したのには「失楽園」「もののけ姫」「タイタニック」「踊る大捜査線」近々では「ハリーポッター」「スターウオーズ」などメガヒット作もシネコンのオープンに拍車をかけていったのです。
「ダイハード」に至っては当時無名だったブルース・ウイルスを一挙有名にしたのも、公開時僅か15館でスタートしたのが、口コミで人気が出て、最終的には600館の公開まで漕ぎ着けたのはやはりシネコンがあってこそでした。
遅ればせながら大手の松竹・東宝も「MOVIX」「TOHOシネマズ」等、シネコンに力を入れだしています。それに都市部の大劇場も改築が施されて都市型シネコンのオープンも増えるでしょう。
これから、大手電鉄会社、大手企業も各地にシネコンを作っていくのではないでしょうか。全国ネットなら強いのはJRですけどね。私なら交通の便利さを利用して駅型シネコンを各地に開業するでしょうね。
5.1chホームシャーターでもビデオ・DVDでは映画程の迫力は望めないのです。
劇場の大スクリーンでの鑑賞を買い物ついでに見ようとする時代が、大方ではないでしょうか。
「今日は子供を連れてスターウオーズを見た後、中華でも食べて、明日の買い物をしましょうか」
「宇宙大戦争を見てから、お茶して、Tシャツ買って帰ろうよ」この様な会話が
もう家庭で標準的に話されているのでしょうね。
この文面は。私があるサイトに投稿した物を書き直しています。
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同じ作品を二館以上で同時に公開出来ます。 |
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シネコンは、8スクリーン程の映画館を持った劇場です。そのため映画のヒット状況で一度に数スクリーンで同時に公開してお客をさばく方法が取られる事があります。その方法はインターロック方式と呼んでいます。
インターロック方式は1本のプリントを複数の映写機に掛けて、複数のスクリーンに映し出すこと。映写室が1つにまとめられたシネコンにはインターロック用の設備があるところもあります。
これはシネコンならでは出来る芸当です。
当たる映画は瞬時に複数のスクリーンで同時公開が可能です。映写室が離れている場合はこの方式をとるのは不可能でしょうが。
元来「インターロック」とは、人は間違いを起こしやすいので、機械的に操作条件をクリヤーしないと操作できないようにしてあるシステムのことです。
例えば、自動車のギアが入っているとエンジンがかからない(インターロック)ブレーキかクラッチを踏むとエンジンがかかる(インターロック解除)間違い防止機能です。
いわゆる誤操作防止用の装置のことなんですね。受け売りですが。
要するにフイルムが順調にスクリーン間を流れて映写出来る装置の意味で付けられたのではないでしょうか。
昔からインターロック方式らしき上映方法はありましたね。「当時は一本のフイルムを2館で時差を設定し廻していたのです。
自転車の荷台にフイルム缶をくくりつけ、おじさんが二つの映画館の間を運んでいました。」
一本のフイルムを二館で同時に使用していたのです。
これは終戦からの復興時期でフイルムが高価だったための策だったようです。
後に同じビル内にある映画館ではシネコン以外にもヒット作で急遽2館でフイルムを回して客をさばいた映画館も実際ありました。
以上の場合はフイルムを人手で移し替えなければならないのでインターロック方式とは言わないでしょう。シネコンはフイルムの長さがまとめられているので、フイルム自体が順番に流れていくのです。映画界でこの言葉(インターロック方式)が使われるようになったのはシネコンが出来てからの事です。
この文面は私が、あるサイトに投稿していたものを書き直しています。
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映画に必要なトリック撮影のお話です。 |
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トリック映画、それは実写では表現出来ない画面を作る事と理解しています。
観客を騙す。すなわち映画に迫力を持たせる、その様な制作技法です。
昔のトリック映画は、画面合成法が主でした。一人が二役で同じ画面に出て来る場面、これには二度演技をして、そのフイルムを合成して二役に見せていました。
又は、天気なのに雨降りのシーンを表現する技法、昔のフイルムは感度も悪く、どうしても明るい状態で撮影されていました。雨降りシーンでも晴天の明るい状態で撮影された事がありました。画面の上半分を後で雨降りのシーンを差し込んでいたのです。
怪獣映画、これはミニチュアの建物の前でぬいぐるみを着た演技者が暴れ回ってあたかも本物の様に撮影する技法。あのゴジラは殆どの画面がこれで撮影されていました。
フイルムでのトリック撮影方法には限界がありました。
ところが今はデジタル時代です。コンピューターというマシンで処理されています。画面上で人間の目を騙すのは朝飯前です。
フイルムで撮影された画面を一度コンピューターに入れて、例えば大平原に1人で演技している俳優に大群衆を貼り付ける。
グラフイックで制作された大群衆に囲まれたシーンが、いとも簡単に出来上がります。迫力満点の大スペクタル映画も制作費を抑えて出来上がりますね。
このように映画にトリック撮影が無くてはスペクタル場面は制作出来ません。
また、トリック撮影があってこそ私たちは映画を面白く見られるのです。
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直営館は衰退していく。 |
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昔から映画興行界は、自社の専門劇場を持っていたのが常識でした。
東宝・松竹・東映それに洋画(松竹洋画系・東宝洋画系)海外の興業主による系列。等です。
ある作品は、その系列を配給元として、決まった劇場で公開されていたものです。
そのため、経費も多く掛かりました。ロードショーは大きな都会でお客さんのたくさん入る大劇場のみで公開されていました。地方都市ではロードショー落ちを2本立てで、安い料金設定でお客を集めていたのです。
その直営館制度も近年シネコン(複合型映画館)が各地に出来てから様子が変わりました。
何故シネコンが多くできたのかと言えば、一つのシネコンに8館ぐらいのスクリーン数を持ち、映写室を中央に設置してスタッフを少人数で済ませます。それによってコストを低く抑える事が出来、地方都市、田んぼの中でも経営が成り立つようになってきました。これには車社会も貢献しています。
それらのシネコンは東宝系も松竹系も東映も洋画も公開します。そのため今までの系列は急激に分解していきました。只、都会に残る直営館のみが今でも系列を守っていますが、それも設備の良いシネコンに押されて次々と廃館に追い込まれています。
将来的には、系列は排除されて配給会社として残るでしょうね。
私の生息地・京都の場合、4月に松竹直営のMOVIX京都が12スクリーンになると同時に東宝作品・東宝洋画系も公開します。近くには東宝直営館が6館もありますが、同作品を公開するので、いつまで共存出来るか気がかりです。
次は映画の醍醐味トリックについて説明しましょう。
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| 33
都会の大劇場がなくなる! |
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今、都会にある大きな映画館が閉館に追い込まれています。
先日も日比谷にある「みゆき座」「日比谷映画」のような由緒ある映画館が閉館に追い込まれました。この傾向は全国の有名館にも及んでいます。
映画は今「ハウルの動く城」「ハリーポッター」など、ヒット作も多いのに何故でしょうか。
皆さんもシネコン(シネマコンプレックス・複合型映画館)に行かれた事があるでしょう。
50年も昔は、娯楽が今程ありませんでした。そのため映画が復興時期の楽しい娯楽で、映画ブームの時代でした。
やがてテレビ・ビデオなど娯楽の変革時代の到来で大きく変わりましたね。
娯楽の中心は映画ではなくなりました。
その低迷時代が長く続き、映画館の閉鎖もあちらこちらで目立ってきました。
ところが、映写室を中心にしてスクリーン数を8〜12もあるシネマコンプレックスという映画館が郊外、特にスーパーなどの駐車場が多く取れる場所に竹の子のごとく出来てきました。
映写室を一つにまとめてありますから、少人数のスタッフで8館〜10館の映画館分を動かせます。コストも安く付きます。
そこへ「タイタニック」から始まって近年「ハウルの動く城」などヒット作も目白押しで、今まで映画館のなかった田んぼの真ん中にもシネコンがオープンしてきました。
映画は街へ出て見たものですが、もう車で買い物がてらに普段着で行けるようになりました。
旧大劇場と最新式の設備を持ったシネコン、当然設備の格差があります。
映画を気持ちよく見る事の出来るシネコンにお客さんは集中します。
最近では、直営館を中心に都会にあった大きな映画館も建て直してシネコン化される傾向があります。
次は映画の配給制度が変わりつつある事をお話しします。
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昔、喫煙。今ポップコーン。それが映画館 |
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禁煙は禁煙でも、昔の映画館は、スパスパとたばこを燻らしての映画鑑賞をしていたものです。
これも一流館では多少の後ろめたい気持ちはありましたが、二流館、場末館と言えば、もう平然としていました。
映写室からスクリーンに投射される光に煙が雲のごとく うごめいていました。しかも吸い殻はポイ捨てです。
最終回が終わった映画館では、吸い殻掃除のおばちゃんが忙しく掃除していたのが目に焼き付いています。
それが、どうでしょう今は、吸いたくても環境が許さなくて、クリーンな気分で映画鑑賞が出来るようになりました。
新しくオープンしていくシネコンは椅子もゆったりとして、コーラホルダの設置もされています。
殆どの若者は入場前にコーラとポップコーンを購入、鑑賞中は食べ乍らの鑑賞がパターンになっているようですね。またこのポップ・・・旨い。
シネコンの営業上、このコーラとポップコーンの売り上げが、大きな利益確保に繋がっているようにも聞きます。
時代が変われば映画館も変わる。映画鑑賞のパターンも変わっていくものですね。
次は、いにしえの大劇場が閉館に追い込まれているお話です。
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あッ!スペクタルだ!巨大な映画 |
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スペクタル映画、何時でも劇場で観る、それは映画ならではの醍醐味です。
当時、70mm巨大ワイドスクリーン等に展開されたのが、「ベンハー」であり「十戒」「アラビアのロレンス」「スパルタカス」に代表するスペクタルな映画でした。
「アラビアのロレンス」は、70ミリの画面に現れる砂漠の美しさと、真っ白いアラブの衣装、砂漠に立つロレンスの雄姿に圧倒される。
「十戒」は旧約聖書劇『十誠』を巨額の製作費を投じてリメイクされたスペクタル史劇、チャールストン・ヘストン、ユル・ブリンナーの2大俳優が演じる迫力ある画面は、今も目に焼き付いている。特に紅海が真っ二つに割れ、海底に道ができるクライマックスの特撮シーンはアカデミー賞特殊効果賞受賞した作品。
スペクタル映画の中でも特に好きだったのは、チャールストン・ヘストンの「ベンハー」でした。
70ミリの巨大スクリーンには、アカデミー賞作品賞など、11部門受賞の快挙と当時での54億円という巨費を投じて、堂々3時間半強のスペクタクル史劇超大作。
ユダヤ人、ベンハーと、ローマ人メッサーラは親友でしたが、その親友メッサーラに裏切られたベンハーは反逆罪として奴隷になってしまいます。
奴隷時代の戦艦の戦闘シーン。
どのような撮影の仕方をしたのかと思わせる迫力ある戦車競争のシーン。
スペクタルの連続の画面に、母と最愛の妹の不治の病、愛する故にキリストの処刑当日、荒れ狂う嵐の中、奇跡的に完治する病、そのシーンに思わず涙する演技。
この頃のスペクタルシーンの撮影は、全て数千人規模のエキストラを使っていました。また、その殆どが実写で撮影されていました。
最近公開された、『トロイ』『HERO(英雄)』などのスペクタル映画には、CGをふんだんに使っています。いまや、スペクタル巨編にはCGの活用が不可欠です。
「ベンハー」「十戒」などが作られたのは、もう50年以上も前になります。当時のこれらの映画、今見ても決して衰えは感じない、むしろ実写で作られた迫力は、今以上だと思います。
次は、映画館とポップコーンのお話です。
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ついに、宇宙人が襲来してきた。 |
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緊急です!!
やっと、予告編の公開で、ベールを脱ぎます。
スチーブン・スピルバーグ監督とトム。クルーズ主演で、6月29日から公開される。その名も「宇宙戦争」
思えば、半世紀程前に公開された「宇宙戦争」、ある夜、南カリフォルニア州の小さな町に隕石が飛来、それは火星人の襲来でした。
突如飛来した奇怪な円盤群。やがて街を焼き払い、その威力は人類の最後かと思われる程の攻撃力でした。
当時、この映画は空想化学映画として、大ヒットしたものでした。
今回、スピルバーグとトム・クルーズは、リメークするわけですが、何処まで見せ場を作り込んでいるか、期待でワクワクさせられます。
6月29日(水)全世界同時超拡大ロードショーと謳われています。
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楽しかったなあ、ミュージカル映画!! |
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ミュージカル映画、それは、あたかも映画の中に私たちを誘ってくれるような、映画を想像して下さい。
唄で自分の想いを相手に伝える、バックミュージックは旋律と感情を伝えてくれる。その様な素敵な表現がミュージカル映画なのです。
最近のミュージカル映画には「オペラ座の怪人」があります。パリのオペラ座で行われたオークションから物語が始まる。仮面をかぶった謎の怪人ファントムと奇怪な事件、今、劇場・シネコンでヒット公開中です。
記憶に残るミュージカル映画をさかのぼれば、
1950年のドリス・デイ、ゴードン・マクレーの「二人でお茶を」、「アニーよ銃をとれ」、ジーン・ケリー、レスリー・キャロン「巴里のアメリカ人」、1952年・ジーン・ケリー、デビー・レイノルズで有名な「雨に唄えば」。
ビスタビジョン第一回作品の「ホワイト・クリスマス」。将軍を元気づけるために開かれた、パーティで唄われるホワイト・クリスマスの曲、終盤に開いて行く扉から目に飛び込んで来るのは真っ白い雪景色、感動的なラストシーンでした。
ワイドスクリーンと立体音響時代に入って、「オクラホマ!」
ユル・ブリナーとデボラ・カーがダイナミックに踊り回ったシャルウイ・ダンスの「王様と私」。
それに「回転木馬」
魅惑の宵・バリハイ等のヒット曲を生み出した「南太平洋」。
エルビス・プレスリーが若く甘く唄う「ブルー・ハワイ」。
ロミオとジュリエットをニューヨークの街に置き換えたミュージカル超大作、今でも愛されている「ウエストサイド物語」。
貧乏な花売り娘から、社交界の花形レディに見事な変身ぶりを見せる、一番美しかった頃のオードリー・ヘップバーンが演じた「マイ・フェア・レディ」。
ジュリー・アンドリュースの「メリー・ポピンズ」。最も印象深いミュージカルとして、同じく、ジュリー・アンドリュースが修道院を抜け出し、アルプスをバックに踊り唄う「サウンド・オブ・ミュージック」。トラップ大佐一家にまつわる実話をミュージカルに仕立てた、感動的な映画でした。曲目もサウンド・オブ・ミュージックの他、ドレミの歌など後世に残るヒット曲を生み出しています。
この後も「ドリトル先生不思議な旅」「スター」「チキ・チキ・バン・バン」「オリバー!」「屋根の上のバイオリン弾き」「ラ・マンチャの男」「サタデー・ナイト・フィーバー」「グリース」。
また近年も「ダンサー・イン・ザ・ダーク」、それに今公開中の「オペラ座の怪人」と続きます。
スペクタルも、ヨン様も良いでしょうがミュージカルも良いですよ。
ここに記していますミュージカル映画は、殆どが映画館で見る事はもう出来ません。
でも最近デジタル処理され綺麗な映像になって、DVDで販売されています。レンタルでも置いてあるショップがありますので、是非とも見ることをお勧めしたい作品群です。
次は数千人というエキストラを配して作られた、スペクタル映画のお話です。
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スリラーの巨匠、ヒッチコックは青春でした。 |
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1899年8月13日、英国ロンドンで生まれた、アルフレッド・ヒッチコックは20歳の時、パラマウントの前身の会社に採用され、字幕作成の仕事をしていました。
26歳の時、「快楽の園」で監督デビューを果たし、、「レベッカ」では40年度アカデミー作品賞を受賞しました。
精神病院の恐怖を描いた「白い恐怖」(1945年)、あのモナコの王妃になられた、グレース・ケリーを主演に「ダイヤルMを廻せ!」(1954年)、「裏窓」(1954年)、「泥棒成金」(1955年)と連続で製作。美しいグレース・ケリーファンを数多く作り上げました。
その「裏窓」では、共演のジェームズ・スチュアートが怪我で足を骨折、車いす生活の最中、裏窓から向かいのアパートを覗いていた事から事件に巻き込まれていく恐怖。
「知りすぎていた男」(1956年)では、チャーミングな歌手で女優のドリスデイを起用、事件に巻き込まれ拉致された1人息子を探し出すストーリー。ラストシーンでは、愛する息子を助け出すため、あの有名なヒット曲「ケ・セラ・セラ」を愛息に聞こえるよう歌い上げるシーンは、ドキドキの連続でした。
「北北西に進路を取れ」(1959年)では、アメリカの身の隠しようのない広大な平原で、飛行機に追いかけられるシーンの迫力。
ヒッチコックは、このようなスリリングな映画を数多く手がけた巨匠でした。
晩年は、テレビにも進出、「ヒッチコック劇場」は、長年ファンに親しまれたものです。1980年ロサンゼルスに近いベル・エア市の自宅で帰らぬ人となりましたが、その時は80歳でした。
このヒッチコックで映画の面白さを体験した人々は、懐かしく思って読んで頂いている事でしょう。
最後に、忘れられないのが、ある日突然、あの可愛い鳥たちが凶暴になり、人間を襲う映画「鳥」は、まるで未来を予言しているような恐怖ある映画でした。
次は、ミュージカル映画の魅力についてお話しします。
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愛知万博で見られる映画! |
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大阪万博から、早30数年。もうすぐ名古屋で愛知万博が開かれます、
前にも、お話ししていましたが、万国博覧会は展示ブースに、映像文化が役立っています。大阪の時は70MM映像を展示の一環として公開したパビリオンが数多くありました。
そのお陰で、映画館のスクリーンも巨大化していきました。
では、今度の愛知万博では、どのような映像文化を見せて貰えるのでしょうか。
それは間違いなく、DLP方式で公開されるのでしょう。(DLPも前にお話ししています)
フイルムを使わない映写方式、デジタルとハードディスク、プロジェクターが活躍するでしょうね。
この万博には、ここで発表された映像方式が、次世代の映画を暗示していると思います。
愛知万博に行かれたら、その様な見方も面白いと思いますよ。
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あの、とぼけた森繁久弥は、父さんのようだ。 |
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森繁久彌は、大阪は枚方市の生まれです。
大学時代から、既に演劇熱が嵩じて中退、後に現、東宝の東京宝塚劇場に入り、東宝劇団では、馬の足など苦難の時代を経て、緑波一座では古川緑波から一目置かれた存在でした。
緑波一座を退団してからは、NHKアナウンサー試験を受験し、昭和14年合格、満州の満州電信電話株式会社の新京放送局勤務となり敗戦まで中国大陸で過ごしました。
帰国後は、1947に映画「女優」(衣笠貞之助監督)へ出演し、これが映画初出演となりました。以後「鐘の鳴る丘」(菊田一夫・作)に出演。順調に俳優としてのステップを踏みしめていきました。
1950年には映画「腰抜け二刀流」で初主演を果たし、1952年には主演映画「三等重役」が高評価を得て喜劇俳優として人気を不動のものにしていきました。
1955年には淡島千景と「夫婦善哉」で共演、この映画が注目を集め、とぼけた俳優としての評価を得ることとなりました。
その後、「駅前喜劇」「社長」シリーズなどの喜劇をヒットさせ、不動の人気を獲得しました。
その後も「恍惚の人」などに出演、300本を越える映画に出演しました。
森繁久弥は、映画だけに留まりませんでした、テレビには創世記から積極的に主演を果たし『ナショナル劇場/七人の孫』(TBS)がヒット。『だいこんの花』(NET)では、共演の竹脇無我と本物の親子以上の親子を演じました。
音楽の方面でも才能を発揮「知床旅情」は、今なお愛唱されています。
舞台活動での評価も凄い物です。上演900回を記録した「屋根の上のヴァイオリン弾き」は記録的なロングランとなりました。
森繁久弥という俳優、日活作品1955年の「警察日記」に印象が残っているファンも多いのではないでしょうか。
若い頃の森繁さんが、当時、可愛いい子役を演じた二木てるみと、街の駐在さんを、ほのぼのと演じきった姿を、目に焼き付けている人も多いのではないでしょうか。
国民的俳優、森繁久弥は御年92才、東宝映画に森繁あり、日本俳優連合理事長として長老のいま、もっともっと長生きしてほしいですね。
次は、洋画の思いでを書いてみます。先ずアルフレッド・ヒッチコック。あの巨匠のお話です。
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これからの映画は、どのようになるのでしょうか・その2 |
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ここで、シネコンのおさらいです。
シネコンとは、1つの建物に複数のスクリーンの映画館があり、例えば、10スクリーンある映画館なれば、劇場間の中央に映写室があって、数人のスタッフだけで、全ての映写が可能に設定された映画館の事です。
そうです、シネコン(シネマコンプレックス)が今、日本全国に出来ています。
若者を、中心に映画ファンが、ここ数年急増してきたのも、シネコンの貢献が大です。
では、絶望的な下降線を辿った映画界、何故、シネコンが出来て、ファンが急増するのでしょうか。
一つの原因に、ビデオでの家庭映画鑑賞には、物足らなくなってきたのです。テレビ放映の映画は、コマーシャルが邪魔になるし、ビデオでは、音が満足でないのと、画面が小さすぎる、音響の発展と共に大画面で、映画を見たい。その欲望で、映画館へ足を運ぶ若者が増えてきました。
それに、シネコンの観客席、椅子は広く、ソフトで、コーラキャスター付き、ポップコーンとコーラーを持ち込んで映画鑑賞、これが若い人にアピールしたのです。
では、これからはどうなるのでしょうか。
今、開発されているのが、DLP、デジタル・ライト・プロセッシング方式です。
フイルムを使わない映画。
今は、アナログ時代から、デジタル時代に変わってきています。
テレビも地上波のアナログ放送から、地上波デジタル放送に、衛星ハイビジョン放送と、日夜進歩しています。
これからの映画、映画館で個々に映写する時代は過去の物になる日も近いですね。
まるで、放送局から電波を飛ばすごとく、あるキーステーションから、映画を上映(放送)します。映画館では、飛んできた映画の電波を、受信機で受け、プロジェクターを通じて、スクリーンに映しだす。
もう、全日本、いや、全世界同時公開です。
おそらく、24時間、休み無く連続放映すれば、時差など関係なく、受けたい時間が、お客に見せる、上映時間に設定出来るでしょうね。キーステーションでは、数十カ国語の言葉で飛ばせば、今のDVDの様に聞きたい言葉で受ければいいのですから、字幕版・吹き替え版も自由自在です。
映画館は、無くなる事は、ないでしょうね。
何故なら、家庭のテレビが、幾ら発達しても、あの大スクリーンには、叶いません。
将来の映画、まず、フイルムから、デジタル記録方式、当面はハードディスクへ記録して、劇場へ運ぶ方式になると思います。
次は、お笑いからスタートした、ベテラン森繁久弥のお話をします。
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これからの映画は、どのようになるのでしょうか・その1 |
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トーマスエジソンが貢献した映画は、100年以上の歴史を経て、これから、どのように変化していくのでしょうか。
少し、歴史を振り返ってみましょう。
映画の始まりは、箱の中を覗き込んで、ぱらぱらめくりの動画から始まりました。
やがて、セルロイドフイルムが発明されると、レンズを通して光を、壁面に映しだす。これが映画の誕生でした。この頃の映画は、音が挿入されていません。
まだ、録音という技術は発明されていませんでした。
前にも、お話ししていますが、映画館には、活弁士という専門の語り手が、映画の進行に合わせて、講談風に語っていました。
やがて、録音の技術が進行すると、映画も進歩してきました。トーキーの誕生です。
あの有名なチャールス・チャップリンは、無声映画とトーキー映画の両作品を経験した大監督そして俳優でした。
それでも、映画は白黒時代でした。カラー作品はまだまだ先の話です。
やがて、太平洋戦争が終わり、日本も復興の時代になり、30年代になると、やっとカラー作品が登場してきました。
ちなみに、あの歴史に残る大作「風と共に去りぬ」は戦時中に、アメリカでカラーとして制作されていました。今の映画にひけを取らない、出来映えですね。
日本のカラー映画の記念すべき第一作は、木下恵介監督、高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」です。
純国産のカラー作品で、フイルム提供はフジカラーでした。
当時は、初めての方式で、万一、色の発色に失敗があれば、大損と大恥をかきます。
そのため、さすが、大監督です。同時進行で、モノクロフイルムでも撮影されていました。これが、日本の総天然色の始まりでした。
今から、50年前、個々にはお話ししましたが、今までのスタンダード画面から、一気にワイドスクリーンの時代に突入しました。
ここで、お話ししますが、万国博覧会は映像文化に大いなる貢献をしている博覧会です。
大阪で行われた、大阪万博、初めて月世界に人類が降り立った頃でしたね。
アメリカ館では、あの月の石が展示され、何時間も並んで見た経験が蘇りますが、映像展示の博覧会でもありました。
ソ連館には70MM映写での紹介、他のパピリオンでも大型スクリーン展示での紹介が多くをしめていました。
今回の愛知万博、この万博については後でお話しします。
映画館でも、大型映画の時代に突入していきます。
しかしシネマスコープ・ビスタビジョン・シネラマ・70MMなどのワイドスクリーンも。長くは続きませんでした。
撮影には、大がかりな設備と照明が要ります。人材も大がかりです。映写もスタッフを多く抱えねばなりません。
近年は、映画館も変わってきました。
都市型大劇場の衰退と、郊外型シネコンへの転出です。
映画鑑賞も、おしゃれして、繁華街で見る時代から、日常の買い物がてらに車で行く時代になって来たのです。
ですから、郊外に、スーパーと併設した、駐車の出来る映画館(シネコン)が喜ばれるようになってきたのです。
あわせて、1シネコン10スクリーン(劇場数)を少数の映写技師で映写出来ますので、人件費も抑えられるからです。
郊外型シネコンは、1フロアー形で外資系が多く、日本のメジャーなどは、従来の大劇場を建て直して、上に伸ばす、縦型シネコンの建築に、巻き返しを計っています。
お話が、長くなりますので、これからの映画界のお話は、次回、続いてお話しします。
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これからの映画は、デジタル方式だ! |
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今日の映画のお話は、DLP(デジタル・ライト・プロセッシング)のお話をしてみましょう。
DLPとは何でしょうか。今までの映画は、フイルムで撮影した映画を、フイルムに焼き付て映写機からスクリーンに映しだされていました。
しかし、近未来的な映画を考えると、フイルムでの上映方式は、上映初日と、終了日では、フイルムの使用頻度により、見づらくなるのは、仕方のない事でした。
それに、いちいちフイルムを映写機に掛ける手間から、人手も多く必要で、人件費も嵩みます。その様な、デメリットを考えると新しい上映方法はないものかと。
その様な事から考えられたのが、デジタル上映方式です。
ホームムービーで、プロジェクターから壁に向かって投射するシステムを大きな電気店等で見られた事もあるでしょう。
あの方式を映画館に持って行ったのが、DLP方式です。
この方式ですと、例えば上映開始初日も1ヶ月のロングラン最終日も、同じ綺麗な画面を見る事が出来ます。
それにハードディスクに取り込んでいる映画の内容をスイッチ1つで、上映出来ますから、1人の映写技師で、10のスクリーン(劇場数・シネコンの場合)でも担当出来るようになります。
まだまだ、問題はありますが、将来は、全ての映画が一切フイルムを使わず、ハイビジョンカメラで撮影された画像を、直にハードディスクへ取り込み、DVDの様なディスクで、全国の映画館のスクリーンで公開される日も近い事でしょう。
今、既に一部の映画館では、(ハウルの動く城)等、この方式で上映されています。
しかし、まだまだ、改良されなくては満足とは言えない面もあります。今、画素数のアップと光源の問題を改良するように研究されています。
次は、映画の歴史と、これからの展望をDLPを含めて、お話しします。少し長くなりますが、是非見て下さいね。
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市川雷蔵は、あこがれの人であった。 |
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「眠狂四郎」シリーズの雷蔵、怪しくも、華麗なる剣さばきと、引きつけられる眼差し。
市川雷蔵。その人は、勝新太郎と、人気を分かち合った剣豪の俳優でした。
当時の大映は、長谷川一夫を筆頭に、この二人、女優陣は、京マチ子・若尾文子・南田洋子・山本富士子が、週替わりで劇場に登場していました。
もう40年以上も前になります。
市川雷蔵、その人は好きな俳優の一人でした。
もう、没後36年になりますが、「新・平家物語」、当たり役の「眠狂四郎」シリーズ、時代劇の傑作といわれた「薄桜記」、歌舞伎の題材から「弁天小僧」、三島由紀夫の「金閣寺」を市川昆監督がメガフォンをとった「炎上」、珍しい現代劇で「ある殺し屋」等々、今一度、劇場公開を要望する声が多いですね。
全国で6年前、特集上映が行われ、ブームになり、若いファンが急増。「雷様」といわれ、雷蔵のスクリーンだけ光って見えるらしいでよ。
4月15日まで大阪で映画祭が開かれていますが、またまた、人気に火がつくかも知れません。
市川雷蔵の主演作は、DVDで多く販売されています。デジタル処理で、当時の映像を再現しています。古いビデオは映像が、落ちますので、DVDでの鑑賞をお勧めします。
テレビでは田村正和が「眠狂四郎」に主演して、人気を博しましたが、元祖、雷蔵の「眠狂四郎」は背筋がゾクっとするような、魅力でした。
次は、フイルムではなくデジタル上映方式のお話をします。
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ビスタビジョンは、鮮明な画面だった。 |
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シネマスコープが開発されて、各社がその方式でワイドスクリーンの映画を製作しだした頃、大手のパラマウント社が開発したのが、ビスタビジョンという方式でした。
この方式は、特殊なカメラで従来は縦に流れているフイルムを、横に走るように改良しました。
スタンダードの2駒分を使って1駒に撮影し、プリントする段階で1駒に縮小(一般の映写機に掛けるため縦方向)、するので、広角レンズで拡大映写しても凄く鮮明な画面が確保。スタンダード画面の上下にマスクして、1×1.85のワイド画面で上映をしていました。
シネマスコープが圧縮して拡大映写するのに対して、ビスタビジョンは撮影した画像を縮小してから拡大映写するのですから、鮮明なハイビジョン的映写が可能でした。
ビング・クロスビー 、ダニー・ケイ 、ローズマリー・クルーニーの「ホワイトクリスマス」が第一回作品で、「十戒」「めまい」「O.K牧場の決闘」「北北西に進路をとれ」等が制作されました。
今は制作されていませんが、シネコンなどで上映される時と、DVD・ビデオ等で画面サイズとして(ビスタサイズ)名前だけは残っています。
古いお話ばかり続きますが、先輩達が積み重ねた過去の歴史も知る必要がありますよね。
次は大映の看板スターであった、市川雷蔵を取り上げます。
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松竹映画は明るくて楽しかった。 |
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松竹は1920年に歌舞伎で興行会社の松竹合名社が当時日活に対抗出来るよう強力な映画会社を目指して、その名も松竹キネマを操業させました。1908年(明治41年)に創業者、白井松次郎の松と、大谷竹次郎の竹を一字づつ取って、松竹が誕生したのです。
アメリカから機材を輸入して東京に蒲田撮影所を作りました。
当時の日活は時代劇中心でしたが、松竹映画は洗練された都会風のユーモアに溢れ、「蒲田調」と呼ばれて小津安二郎らによって最盛期を迎えました。
撮影所も大船に移ってからも「大船調」として受け継がれています。
この頃、京都にも太秦(うずまさ)に松竹京都撮影所、下鴨に傍系の京都映画撮影所を作り、時代劇の制作にも力を入れ始めました。高田浩吉・嵐寛寿郎・美空ひばりなどで東映とは、又趣の違った時代劇を制作したものです。唄の挿入された、日本調ユーモアミュージカルの様な時代劇でした。
その松竹で、戦後大ヒットした作品に、戦後のラジオ・連続放送ドラマ「君の名は」3部作のメロドラマが印象に残っています。ラジオ放送時間には、銭湯がガラガラになった程の人気番組が、当時の新人、佐田啓二・岸恵子の主演で映画化されたのですから、劇場は、入場制限が出る程の超満員でした。
山田洋次監督で、高倉健・倍賞千恵子・武田鉄矢主演の、心温まるあの名作「幸福の黄色いハンカチ」も印象に残ります。
それに高峰秀子という大女優、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾年月」「カルメン故郷に帰る」も心に残りますし、木下恵介監督「楢山節考」「二十四の瞳」も大監督として記憶に残っています。
それと何よりもの、庶民的な大作「男はつらいよ」は渥美清という庶民の代表俳優の最後(48作)まで制作し続けたのは、国民的作品でした。
渥美清没後は、「釣りバカ日誌」が後を次いだ格好です。
しかし、その松竹も、映画産業の不振が続く、ここ10年程は、映画製作は数える程しかなく、配給と洋画の公開が大方の興業となってきました。
これから、シネコンがどんどんオープンしていく中、自社作品も既存館、シネコンを通じて、制作・公開をしてほしいものですね。
次は、ワイドスクリーンのビスタビジョンのお話です。
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シネラマが初めて公開されました。 |
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私は、その時、劇場の中央部、一番良い席に陣取っていました。
やがて、軽やかなブザーが鳴り、場内が静まりかえると、「お待たせ致しました、只今よりシネラマ第一回作品・これがシネラマだ を上映致します。最後までごゆっくりご鑑賞下さい。」と女性アナウンサーの声と共に、前方のベロアで出来たエンジの幕が少しだけ開き、映写が始まったのは、無声映画とチャップリンの映画、ナレーションが映画の歴史を語っています。この間約10分、
突然男性の高らかな声が場内に響き渡ります。
「ご鑑賞中の皆さん、お待たせしました。これがシネラマだ!!!」
前方のエンジの幕は両サイドと上に目一杯開き始めると、大音響と共に、なんとスクリーンは横幅30mもあろうかと思うダイナミックな画面全体に当時珍しかった、ジェットコースターの一番前に据えられたカメラが撮影。映し出された画面は迫力満点、まるで自分がジェットコースターの最前列に乗っている錯覚を味わされます。
画面の揺れに連れて、身体が右に左に動くのを押さえられません。
アルプスの飛行シーンでは、飛行機の揺れと共にこれも身体が左右に揺れて、実際自分がアルプス越えのシーンにいるようでした。
もう上映時間中、凄い迫力の連続でした。
シネラマ。それは3台の35ミリ撮影機で撮影されたフイルムを劇場内では、同じように3台の(後方・右・左から)プロジェクターで映写、画面の繋ぎ目は、劇場内のスタッフルームで調整しながらの上映です。
なんとこの時のスクリーン・アスペクト比は1×2.88
当然、スクリーンは、超湾曲サイズ、これにより、人間の視覚をカバー、恰も観客が映画の中にいるような錯覚を味わう事が出来ました。
当時のスクリーンは今までの布で出来たものではなく、細いテープ状が数万本組み合わされ、高画質を確保していました。
音響的にも1本の専用フイルムを使用、アナログながら、高音質、立体音響に観客は驚嘆されていました。
この世紀の映写方式シネラマも、仕掛けが大きすぎるのと、後発のシステムに押され僅か10年程で、消えてしまいました。
私が座っていた一番良い席は、大阪OSシネラマ劇場です。(今のOS劇場ではありません)他にテアトル東京・名古屋中日シネラマ劇場・わが京都にもパレス大劇場と日本では数館しかありませんでした。
時は1952年、もう52年も過去のお話です。
次は70mm・ビスタビジョンなど新たに登場したワイドスクリーンのお話です。
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ワイドスクリーンが初めて公開されました。 |
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映画は、ほぼ四角いスクリーンで映写していました。これをスタンダードと言います。
それが1953年、もう今から52年も昔の事です、突然映画に革命がありました。
それは、ワイドスクリーンの登場でした。
アナモフイックレンズという特殊なレンズが開発されたのです。このレンズは横幅を縮めたり伸ばしたり出来る画期的なレンズです。
そのレンズをスタンダードカメラの前に装着して撮影されたフイルムは、縮まった感じに撮影されていました。それをプリントに焼き、映画館で同じアナモレンズを映写機の前に装填し映写すると、横長の画面に写されました。
圧縮に対して拡大ですね。四角かった映画の画面はこのレンズのお陰で、縦1に対して横2.35もある横長のスクリーンが誕生したのです。これが世に言うシネマスコープです。
このシネマスコープは20世紀フォックスが「聖衣」を第一回作品として公開しました。それは今から半世紀以上も前の事です。
今まで四角い画面を見慣れていたのが、当時・京都宝塚劇場は(今の同劇場は改装され縮小されています)珍しもの見たさに、超満員の盛況でした。劇場内に入るのもままならず、館内の前のスクリーン横から入ったときの驚き、「すっげい!ごっついなあ」と驚嘆したものです。
このシネマスコープはフォックス社のネーミングでしたので、メトロスコープ、国内では東宝スコープ・松竹スコープ・東映スコープ等、社名を頭に入れたネーミングで長い間、映画界の花形として君臨したものです。
次はあの巨大湾曲スクリーンのシネラマのお話をします。
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東映時代劇全盛時代 |
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大型映画は東映!シネマスコープが徐々に日本映画にも浸透し始めた頃は、娯楽の王者、映画のシステムと内容にも大きな変化がありました。
私などの家は、京都の中京区にありましたのと、親父が自営で映画が大の好物ときたもんですから、良く夕食に、親父は「飯早よ食え、映画に連れてったる」。
急いでめしを駆け込み、自転車の荷台に飛び乗り、新京極まで15分で行ける距離でしたから、最終回にゆとりで間に合いました。
三条から新京極を入った所に京都座という東映の封切館がありましたので良く連れて行って貰ったものです。今のMOVIX京都の場所です。
当時の東映は、シネマスコープのワイドスクリーンを東映スコープとして、週替わりで、しかも二本立てという凄い本数を封切っていたのです。
例えば、大型時代劇、片岡知恵蔵・市川右太衛門などオールスターキャストの「忠臣蔵」と中村錦之助・東千代ノ助・大川橋蔵等が主演した50分映画、「紅孔雀」「笛吹童子」などが2本立て興業で封切られていましたから、毎週映画に連れて行って貰うのを楽しみにしていました。
高倉健・鶴田浩二など現代劇の若手俳優が銀幕を飾りだした頃には、やくざ映画が、時代劇と2本柱で公開されたものです。
私なんかも、高倉健の「網走番外地」などを見た後は、寒い冬でも、入館時は「寒い寒い」と言ってたのが、映画が終わって劇場から出るときは、肩を怒らせてご帰還とあい成ったものです。「悪い奴をやっつけた」と自分が主役にでもなった気分でしたね。もちろん他のお客さんもですから、愉快でしたよ。映画館の出口の情景は。
次は石原裕次郎・吉永小百合などが銀幕を飾った、日活映画のお話をします。
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映画は唯一の娯楽でした。 |
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現在のシネコンなどの新しい映像と音響の世界を語る前に、映画が歩んできた歴史は語っておく必要があると思います。
70mm超ワイドスクリーンの話まで、しばらくお付き合い下さい。
私の進化する映画の最終章は永遠に続くと思います。
映画。それは映像の世界です。ぱらぱらめくりの動画から活動写真の開発まで幾く年月が流れた事でしょう。最初に公開された映画は、今のように音は出ませんでした。無声映画時代です。映画の進行に合わせて、語り込む活弁士という人が、おのおのの劇場の舞台におられて、講談風に面白可笑しく、語って俳優の変わりをしていた時代が昭和の初めまで続いていました。
やがて日本も敗戦という悲しい時代が訪れ、それでも、立ち直るのにはそう時間が掛かりませんでした。
その時の娯楽と言えば、今のようにテレビもありません、唯一の楽しみはラジオ、それに映画でしたね。
ラジオでは、終戦の孤児を扱って頼もしく生きる少年達を描いた、「鐘の鳴る丘」。
それに今騒がれているヨン様騒動のメロドラマの様なものは、既にこの頃、騒がれたものです。その名は「君の名は」。
当時の銭湯がラジオの放送時間にもなると人っ子1人いなくなる程の人気ぶりでしたね。
現代っ子は何!銭湯。と言うでしょうが、そのころは家庭の風呂は、あるのが少なくて、殆どが銭湯に行っていました。
又、それが楽しみだった時代です。
近所つきあいも、親密にあって、凶悪事件も、今のように多くはなかったと思います。
余談でしたが
この人気ドラマ「鐘の鳴丘」は中井貴一のお父さん、故・佐田啓二の主演で、又「君の名は」は同じく佐田啓二と今も健在の美人女優の岸恵子が主演したメロドラマとして、松竹で3部作として公開されたときは、長蛇の列が出来る程の満員盛況でした。
この頃の日本映画は殆どがスタンダードの白黒作品です。時は昭和27年頃、今から53も昔になります。
次は東映大型時代劇とやくざ映画の話でもしましょうか。
70mmはしばらく待って下さいね。
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大映映画は面白かった! |
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一世を風靡した映画会社、大映がありました。
この会社の看板スター、その人は、長谷川一夫、聴くところによると、その昔は映画会社が専属の俳優を抱えていましたので、他社に出演する事は、特例以外ありませんでした。
ましてや会社を移ろうとする事なら、それはもう、何が起こるか分かりませんでした。
この長谷川一夫も松竹下鴨撮影所で数多くの主演作を残し、退社、東宝に写るが、暴漢に襲われ、大事な顔(あご)に負傷しましたが、それがトレードマークにもなり、後にここ大映に移り、数多くの娯楽作品の王者としてあこがれの大スターでした。
ドーランで隠すのに苦労されたようですが大事な顔に傷をつけるって致命的に成りかねんですよね。
お得意は、銭形平次シリーズ、股旅ものシリーズ、又女形とヤクザものの二役は独特の色気があったものです。
流し目は、この人からですよ。
この会社、勝新太郎も看板スターでした。「悪名」「兵隊ヤクザ」では半二枚目を、座頭市シリーズでは、剣豪を見事に演じわけ、中村玉緒と結婚、往年は玉緒ちゃんを悲しませたが、純真な俳優でしたね。
もう1人の大スター市川雷蔵は「眠狂四郎シリーズ」を12本も製作、それは生涯の当たり役となりました。「朱雀門」「華岡清州の妻」等の名作も残しています。
女優陣もそうそうたるもので、大女優の京マチ子をはじめ、ミス日本の山本富士子、大好きだった若尾文子など豪華な俳優女優陣を抱えていました。
大映と言えば、あの有名な永田社長を思い出します。超ワンマン社長であったこの人は、数多くのエピソードを残しています。
その中でも、記憶にあるのは、京都市は中京区の三条通り商店街の中にあった、三条大映。もちろん大映映画の封切館。今はロードショーといっていますが、この頃は封切りと言っていました。
この映画館、当時の最新の設備を有し、劇場は、今こそ常識ですが、当時は珍しいスロープ式、完全冷暖房完備、の豪華な雰囲気の映画館でした。
今で言えば、下町にあった映画館のためいつもすいていて、ゆったりと映画鑑賞出来ましたが、「これでもうかるんかなあ」。
永田社長の鶴の一声、「儲からんでもいい、わしの出身地に、豪華な劇場を作れ」 それで出来た様ですね。
この大映映画、京都の太秦(うずまさ)に撮影所が有り、その前の通りを大映通りと言われていました。太秦には今も健在ですが、東映と松竹の撮影所があります。東映太秦映画村もここにあります。
修学旅行のメッカですね。
次は黒沢明監督・三船敏郎・加山雄三の東宝のお話をしますね。
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石原裕次郎、肩で風切る。 |
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私などの青春時代、テレビは録画の技術まで到達していなかったので、娯楽の王者はやはり映画中心でした。
東映は、時代劇とヤクザもの、松竹はメロドラマと軽喜劇、東宝は黒沢監督の用心棒、若大将と駅前喜劇、大映は悪名と座頭市、それに大御所長谷川一夫、これらはいづれ機会を見つけてお話ししますが。
映画の歴史で忘れてはならないのが、裕ちゃんこと、故石原裕次郎と、今も「北の零年」などで活躍している、永遠のマドンナ、吉永小百合でしょう。
京都では、新京極の京都日活と千本にあった千本日活が日活映画の封切館で良く学校帰り(駄目ですね)に憧れて通いました。
裕ちゃんは現東京都知事・裕ちゃんの兄貴が原作の「太陽の季節」で颯爽と銀幕にデビュー、「銀座の恋の物語」「嵐を呼ぶ男」「などで、またたく間に日活の看板スターに、あの有名な慎太郎刈り(角刈りとスポーツ刈りのような一世を風靡した刈り方)が若者男性のファッションでした。
裕ちゃんを生み出した日活は、小林旭、高橋英樹、赤木圭一郎などのスターを抱え、小林旭は「ギターを持った渡り鳥」など渡り鳥、流れ者シリーズで裕次郎と人気を分かち日活のドル箱でしたね。
当然この頃、無国籍アクション映画を次々封切った日活の劇場前は長蛇の列が当たり前の風景でした。
やがて、無国籍映画も落ち込みだした頃、裕ちゃんも「陽のあたる坂道」「乳母車」「太平洋ひとりぼっち」と文芸ものにも出演、新たな魅力を打ち出しました。
アクション映画の日活に、マドンナとして輝く女優の出現、それは吉永小百合でした。相手役には最近結婚した美空ひばりの一子、和也氏のお嫁さんの実父、浜田光夫。(ややこしい説明ですね)
このコンビでは「ガラスの中の少女」「キューポラのある街」「愛と死をみつめて」が大ヒット、無国籍映画のマンネリ化を助けた純愛映画として、当時のカップルのあこがれでした。
しかし、同じような内容の映画を週替わりで公開していくものですから、当然ながらマンネリ化が訪れます。
客足は遠のきます。テレビも面白くなり、プロレス、野球、歌番組、映画の放映が始まると映画館はガラガラの状態に落ち込み出しました。
やがて、この歴史ある日活もピンク路線に方針を変更、その名をロマンポルノといい、映画ファンから、そっぽを向かれる結果になったのは悲しい現状でした。
映画、それは、好企画、引きつける作品を公開しなければ、客は入りません。
テレビに娯楽の王者を奪われた映画界、
新東宝・大映が相次いで倒産、メディアとして、今残っているのは、東宝・松竹・東映の三社になりました。
シネコンなど最近の映画を語る前に、まだまだ映画の歴史のお話をするべきですね。
次は、大映のお話です。
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70mmが全盛の時代がありました。 |
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今、日本全国何処に行ってもロードショーが見られる時代になりました。
シネコン(シネマコンプレックス)のお陰ですね。
シネコンのお話は、いずれする事にして、今回は、ワイドスクリーンの頂点に立った70mmのお話をしましょう。
映画は、大型の時代に突入しました。今からさかのぼる事50年も昔になります。
シネマスコープは、アナモ・レンズで無理に引き延ばした状態ですから画像の荒れが目立ち、迫力の効果は、スタンダードよりはありますが、もっと綺麗な画面を要求すると、シネラマあたりかなあ。と思われますが、シネラマは、一本の映画に3台の撮影機と映写機が必要で大がかりになり過ぎて、見せ物的な事から脱皮出来ず、短命に終わりました。
そこに出てきたのが、35mmの約倍の幅を有した70mmフイルムを使った映画でした。
このフイルムのシステムは、70mmの幅そのままに撮影、映写するのですから、従来のスタンダードの4倍の画面設定が出来ます。
当然、スクリーン上に映し出される、粒子は細かく鮮明になり、スクリーンを大きくできる分、迫力ある映画が出来上がるという訳です。
当然、撮影機も映写機も70mm用に設置が必要です。音響面では、音用の溝も大きく取れる分、良質な立体音響が確保出来ますね。
パナビジョンというカメラが開発されましたが70mm(35mmもあります)に最適のカメラでした。
この頃公開された70mm(一部65mmサイズもあります)で今も名の残る映画に「サウンド・オブ。ミュージック」「ベンハー」「ドクトル・ジバゴ」「ウエストサイド物語」「南太平洋」「オクラホマ」など数多く制作されました。
当時、映画館の最高の位置に陣取ると、丁度視野イッパイに広がる巨大なスクリーン、まるで自分がスクリーンの中にいるような錯覚に酔いしれました。
ワクワクして映画館に通ったものです。
京都では、京都松竹座・東宝公楽、大阪では北野劇場・南街劇場が映画館もスクリーンも巨大でした。東京・名古屋・札幌・福岡など全国主要都市には数多くの70mm劇場が誕生しました。
それから、またたく間に、娯楽はテレビに写り、映画館の観客人口は、年々少なくなり、映画館も閑古鳥が鳴く状態になって、70mmも制作されなくなりました。
今、シネコンのお陰で、映画も復興の兆しが見えています。「タイタニック」「スターウオーズ」辺りから、映画人口も目に見えて増加傾向にあります。
でも、今は、音響重視の時みたいですね。撮影方法も35mmのフイルムが良質になってスーパー35のシステムが出来ました。
70mmは、もう過去の遺産になったのでしょうね。
歴史は繰り返して欲しいですが、無理でしょうか。
次は、シネコン(シネマコンプレックス)のお話しをしましょう。
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東宝映画は力があった。 |
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今回は東宝映画のお話です。
この会社なんと言っても、巨匠黒沢明と三船敏郎を語らずして東宝映画はありません。
東映がオールスターを並べて華麗な時代劇を世に送っていた頃、黒沢・三船コンビで、男臭い時代劇を製作していました。
「七人の侍」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」など、わざわざモノクロ撮影、その迫力とカメラワークの凄さは今見ても新鮮そのものです。
白黒映像でしか表現出来ない迫力がそこにありました。
この書き込みに先立ち、「椿三十郎」のDVDをレンタルして見ましたが、演出のすばらしさと、三船敏郎の演技、(喋るときよりも、目と表情が良かった)の凄みに、改めて良いなあ!と感嘆させられました。
仲代達也との決闘シーン、刀が抜かれた途端、吹き出す血しぶき。「ブシュ!」と言う、たたっきる音。
日本の時代劇、人を切る瞬間の音はこの映画からです。
黒沢監督の映画、もうスクリーンで見る機会は、ほとんどないでしょうから、ビデオ・DVDでの鑑賞を是非ともお勧めします。見てほしいと思います。
あの頃の豪華なセット、配役、もちろん演出。スケールの大きさなど、今の映画会社(製作面)では、望む事は出来ないでしょうね。
特に「七人の侍」はハリウッドで「荒野の七人」と言う豪華な映画にリメイクされています。
黒沢監督は世界的な巨匠と言われ、あのスティーブン・スピルバーグ、スターウオーズのジョージルーカス監督もが尊敬する大監督でした。文句なしに「エライ!」監督でしたね。
東宝には豊田四郎監督がメガフォンを取って、「夫婦善哉」で淡島千景とコミカルな演技で認められた森繁久弥、警察日記では、町の駐在さん。駅前シリーズでは、おとぼけ社長が思い出されます。
もちろん東宝にも青春映画はありました。
原節子・池部良の「青い山脈」から始まったその青春映画は、加山雄三の「若大将シリーズ」で頂点に、大学生でボンボンの格好いい青年、日活の裕ちゃんとは対照的に良家の御曹司でスポーツマンという設定が魅力でした。
この東宝映画で忘れられないのが、円谷監督が率いる特撮チームが生んだ、怪獣、その名も「ゴジラ」の登場でした。
今年の正月にファイナルを迎えましたが、思い出せば、その第一回作品は、51年前に美空ひばり・雪村いずみ・江利チエミの共演した「ジャンケン娘」と二本立で、超満員の京都は京極東宝(今の同劇場の数倍の大きさ)で見たのが昨日のように蘇ります。
初めてゴジラが海の方から、あの音響と共にやってくるシーンには手に汗でしたね。
東宝映画、その会社は信頼おける日本の映画会社の代表格ですが、近年は、お化けと、小粒な軽い映画で濁しているようで寂しい気持ちです。
次はいよいよ70mm映画時代、ワクワクして劇場に足を運んだお話をします。
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映画の音響もこんなに変わりました。 |
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映画とは、映像と音響があってこそ、観ている者に、内容が伝わってきますね。
映画が最初に出来た頃は、音は出ませんでした。無声映画でした。
そのために、俳優は口をパクパク動かしていますが、観客は何を言っているのか分かりません。
そのために、映画館では、舞台のスクリーン横に活弁士という職業の人がいました。講談風に語って俳優の変わりをしていたのです。
やがて、偉大なるエジソンが蓄音機を発明したころから、映画産業も急速に発展してきました。フイルムの端に音専用の磁気を帯びた溝を刻み、映写時にヘッドでトレースするシステム(録音機と同じような構造)でスクリーンの後ろにセッチングされたスピーカから俳優の声が聞こえてきたときは、観客は驚きを通り越し、怖がったと聞いています。(そんなに私は年寄りではありませんから)
日本が戦争に負け、立ち直りつつある頃も、このシステムはそんなに変わり映えしていませんでした。この頃の音響はトーキーといっていました。大河内伝次郎、片岡千恵蔵など独特の声色は聞き取りにくかったのですね。
音響が変わりだしたのは、それでも50年程も昔の事です。
前にもお話ししていますが、シネラマ・シネマスコープと映像も新しい分野に突入した頃でした。
先ず、画面が横長のワイドスクリーンになりましたから、音も真ん中から聞こえるだけでは、せっかくの大画面も面白くありませんね。そこで考えられたのがステレオ(立体音響)でした。
横長画面のセンター(真ん中)・右・左から聞こえる映画が公開されました。
その内、シネラマでは、ジェット機が前面から観客の後方に、ミュージカル映画では、ホール全体に唄い踊るシーンを、何とか効果的に音も出来ないものかと考えられて、映画館の両横、後方とスピーカーをセッチングする事になったのです。
場内をめまぐるしく音が移動するシステム。6チャンネル・8チャンネルと超立体音響の迫力が映画の売り物の一つになりました。
やがて、家庭でも長年君臨したレコードがCD・MDに変わってきた時期を同じくして、アナログ(レコード・映画の磁気音響など)からデジタル(CD・DVD・パソコン)音響に変わってきました。
今、映画館の音響の多くはデジタル音響です。デジタルはコンピューターを使った音作りです、自由に音作りが出来ます。なにぶんデジタルは、数字を組み合わせて作りますからね。
音の強弱、高音・低音の調整、前面の音・後ろの音のバランス、音の広がりの調整等々後から好きなように組み合わす事が出来ます。
ですから、今の映画館は、センター(真ん中)・右・左・側面の左右の前方・後方・観客の後ろ右・真ん中・左から、異なる音が出てきますから、まるで球場のマウンドにいる、ピッチャーの気分にもなれるのです。
DOLBY・DTS・SDDSなど音響の種類別に多少異なった音響で、観客を楽しませてくれます。
今度、映画を見に行ったとき、音響にも気をつけた鑑賞をすれば、より楽しい映画鑑賞になると思いますよ。
次は富士山のマーク、松竹映画は楽しかった、をお話ししましょう。
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シネコンは見る側に好条件の映画館です。 |
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シネコンが日本に上陸してから、もう10年ぐらい経ちます。
正式にはシネマコンプレックスと言います。
シネコンが出来たせいで、今までの映画館は次々閉鎖に追い込まれています。
では、シネコン(シネマコンプレックス)とは、どんな怪物なのでしょうか。
シネコンは以前から国土の広いアメリカあたりにはありました。何故かと言えば広大な土地、広範囲な移動など、狭い日本と条件が異なるからです。
では、シネコンとは、何か。
簡単に説明しましょう。シネコンは一つの建物に映画館が5つ以上、通常は8館、多くなると12館程あるのが日本の基準です。
呼び方は8館あれば8スクリーンと言います。
ではシネコンの大きな特徴を言いましょう。
今までは、映画館と言えば、系列に準じて興業されてきましたね。例えば東宝映画はその系列の映画館でしか見られませんでした。
しかし、これだけのスクリーン数を一つのビルの中に持った興行主は、各社の映画を公開しょうと思います。
ですから今の興業は、ほぼ全系列の映画が一つのシネコンで公開出来るシステムになってきました。
松竹も東映も東宝も、洋画でも全ての作品が、そこへ行けば見られるわけです。
便利になりましたね。
まだまだ、魅力はあります。
例えば、8スクリーンのシネコンを見ると、箱(劇場)の大きさが異なって出来ています。500名・400名・150名のように、収容人数が違うように出来ています。
何が便利か、と言いますと、ヒット作、準ヒット作、あまり人気のない作品、いい作品だけど公開日から日数が経って来た作品、とお客の入り具合によって、箱(劇場)を変えたり、上映回数を増減したり、同作品を2〜3館同時に公開したり、自由自在です。誰にも文句は言われません。
まだまだシネコンの魅力はありますよ。
従来の映画館は、繁華街にある所が殆どでしたね。でもシネコンの位置は、郊外が多くなっています。ショッピングセンターに付随したり、広大な土地があるように出来ていますから、駐車場があります。
車で行ける映画鑑賞。まるでドライブインシアターの様ですね。
そうなんです、ズバリ車で行く映画館なのですよ。
もちろん、今までの劇場を、シネコンに建て直している繁華街型シネコンもありますよ。
1館辺りの建築費の安さと建築期間の短さで、シネコンは全国的にオープンしてきました。
まるで、昔むかしのボーリング場の様ですね。
10年程前までは、新しい映画(ロードショー)は都会でしか見られませんでしたが、今はシネコンが竹の子のごとくオープンしていますから、大都会でも田舎でも同時にロードショー公開が見られるようになりました。
全国、映像文化平等時代に突入したわけです。便利になりましたね。
シネコンには、まだまだ便利な機能がありますよ。それは又、次の機会にお話ししましょう。
今度は、映画の音響について、お話ししましょう。
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