神社質問箱

神社やお祭りに関する基本的なご質問に宮司がお答えします。
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白旗神社の起源などについて教えて下さい。
 白旗神社は白幡神社とも表記し、主として源頼朝を祭神としますが、この他、源義家や源義経など源氏関係者、また、源氏の氏神である八幡大神(誉田別命・神功皇后)を主祭神とすることが多いようです。神奈川・千葉・茨城・山梨・静岡県など関東地方を中心に、富山・石川・秋田・福島・岩手県など東北から北陸地方にかけて、約70社ほど鎮座しています。
 さて、根本社についてですが、やはり源頼朝を開祖とする鎌倉幕府の所在地である神奈川県鎌倉市内に創建された社が起源であると思われます。鎌倉市西御門の源頼朝墓所付近に鎮座する白旗神社は、明治維新の神仏分離によって同5年に法華堂より白旗神社に改められたものですが、鶴岡八幡宮境内に鎮座する末社の白旗神社は、弘安4年(1281)の『鶴岡八幡遷宮記』(『神道大系・神社編20・鶴岡』所収)に同社が再建された記事が見られますので、源頼朝没後の正治元年(1199)から弘安4年までの間に創祀されたものであると考えられます。
 ご存知であるかとは思いますが、白旗とは平氏の赤旗に対する源氏の旗であり、源平争乱の際に敵味方を区別するものとして用いられ、源氏を象徴するものでありました。
 当八幡神社は源義家が氏神である八幡大神を祀ったことが創祀ですので、源氏に縁がある点で白旗神社とも関係があるといえます。
更新日時:
2002.02.17 Sun.
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厄除け祈願の意味などについて教えて下さい。
  厄除けとは、数え年で男性が25歳・42歳・61歳、女性が19歳・33歳・37歳の厄年(それぞれの年齢の前後を前厄・後厄と言います。)に神社を参詣して厄を祓い、神々の御加護を願う祈願のことです。数え年では正月に新たに年齢を1つ重ねるので、正月から2月の節分の時期に厄除け祈願を行うことが多いようです。しかし、現在は満年齢で数えるのが一般的ですので、自分の誕生日など良き日柄を選び、お参りする場合もあります。
 本来、厄年は長寿を祝う還暦(61歳)や古稀(70歳)などの年祝いと同じく、晴れの年齢と考えられていました。厄年を迎えることは、地域社会において一定の地位となることを意味し、氏神様の神社を管理する宮座への加入や、祭礼などの神事に深く関わるようになりました。このために心身を清浄に保ち、言動を慎む物忌(ものいみ)に服する必要があったわけです。厄年の「厄」が、神様にお仕えする神役の「役(目)」であると言われるのも、こうした理由によるものです。
 現在、厄年は晴れの年としての意味合いが薄れ、禁忌の感覚が強くなりましたが、人生の中でも体力的・家庭環境・あるいは社会的に転機を迎える節目の年に、常にお守り戴いている神様に、更なる御神徳を戴くようお願いをすることは大切なことです。
 新興宗教や寺院によっては、殊更に厄年が危険な年回りであることを強調して、人々の恐怖心をあおるようなことを述べている所もありますが、本来の厄年の信仰とは異なるものです。
 
更新日時:
2001.11.10 Sat.
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八幡神社の起源と関東地方の在所について教えて下さい。
 八幡神社は、八幡宮や八幡社と呼ぶ社も多く、更に地名等を冠した呼称の社も見られます。全国に本社(境内社を除く)は約9千社あり、その分布もほぼ全国的に見ることができます。
 さて、八幡神社の起源ですが、現在の大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(宇佐八幡宮)を根本社とします。御祭神である八幡神は、第29代欽明天皇の御代(540〜571)、豊前国宇佐郡の御許山に初めて現れ、大神比義(おおがみひぎ)によって祀られるようになりました(「八幡宇佐宮御託宣集」・『神道大系』神社編47 宇佐)。これが宇佐神宮の創祀とされています。
 奈良時代、八幡神は東大寺の大仏建立を助けるため上洛し、東大寺の守護神として鎮座(現・手向山神社)し、次第に仏教との習合を深めていったため、仏法守護の神として僧尼からも崇められ、「八幡大菩薩」の号が奉られました。
 平安時代には平安京の守護神として勧請され、都の裏鬼門(南西)の方角にあたる京都・男山に祀られたのが、現在の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)です。鎮護国家の神として朝廷の篤い崇敬を受けました。この神社の社前で八幡太郎として名高い源義家は元服の式を挙げ、その後、八幡神を氏族の氏神、また武門の神として仰ぎました。
 こうした縁もあり、源頼朝は鎌倉幕府を開くと鶴岡八幡宮を創建し、幕府の守り神としました。また、八幡神は厄除け・安産の神としても民衆から信仰を集めておりましたので、中世以降、宇佐から石清水、鶴岡八幡宮への分祀過程の由縁地や、これらの神社の各地の神領、また、源氏の武将による祈請などで各地に広く祀られるようになりました。
 現在、関東6県には約千百社の八幡神社があります。その中でも代表的な神社(神社本庁別表神社)としては、東京では江東区の富岡八幡宮、杉並区の大宮八幡宮、同区の井草八幡宮、神奈川県では鶴岡八幡宮の他、平塚市の平塚八幡宮の5社があります。ちなみに横浜市内には37社の八幡神社がありますが、旭区内では当社1社だけです。八幡神には、古くから都市や町など地域の守り神としての御神徳があり、当社が旭区の守り神として旭鎮守と申しているのもこうした理由によるものです。
更新日時:
2001.11.13 Tue.
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三社詣について教えて下さい。
 鹿児島にお住まいで三社の神社を巡拝する習慣があるとのことですが、この三社とは鹿児島市内の一之宮神社・鹿児島神社・川上天満宮のことでしょうか。『鹿児島県神社誌』によるとこれらの三社への巡拝は、島津家初代藩主の忠久公(?ー1227)が毎年元旦に先ず一之宮神社、次に二之宮(現在の鹿児島神社)、最後に三之宮(現在の川上神社)を参拝したことによるそうです。このことは第18代家久公まで続いたそうで、これが現在でも定例となっているようです。
 三社詣や五社詣、七福神巡りなど奇数の社寺に巡拝することがよく見られますが、奇数であることにはこの数が陽数であり、縁起の良い数字であるということからであると考えられます。中国の暦学において、9月9日を重陽というのは陽数が重なるからで、9は陽数の中でも最大の数として最も縁起の良い数となるわけですが、日本では「9」が「苦」の音と混同されて忌み嫌われる数となっています。
 平安時代以降、各国ごとに一之宮以下の神社の社格が定められます。これは時代とともにその順位に変化が見られますが、律令制下において国司がその国に赴任する際に巡拝する神社であり、やはり三之宮・五之宮といった形となっています。
 三・五・七という数の神社への巡拝は、地域などにもより異なりますが、古くから行われてきた慣習であるということができます。
更新日時:
2001.12.24 Mon.
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おみくじについて教えて下さい。
 お正月に神社を参拝した際におみくじを引き、今年の年回り(運勢)など占われた方も多いかと思います。
 一般的におみくじは、個人の運勢や吉凶を占うために用いますが、種類もいろいろとあり、その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶の順序の吉凶判断の他、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また生活の指針となる和歌などが記されている場合もあります。
 そもそも占いとは物事の始めにあたって、先ず神様の御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に物事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れとも言えます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋(とうや)などの神役を選ぶ際に、御神慮に適った者が選ばれるようくじを引いて決めることなどが古くから続けられてきました。おみくじもこうした占いの一つと言うことができます。
 さて、ご質問のおみくじを境内の木などに結ぶことについてですが、境内の木やおみくじ納所などに結び付けることにより、神様と御縁を結ぶことができるという信仰に基づくものと思われます。特に吉凶の区別はありませんが、場合によっては凶などのおみくじを結んで帰る習わしもあるようです。
 おみくじ自体、確かに吉凶が記されていますが、吉凶判断のみならず、記されている内容を今後の生活の指針としていくことが大切かと思います。その意味で引かれたおみくじをお持ち帰りになられても差し支えはありません。
更新日時:
2002.01.05 Sat.
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