 陰陽師と神主とは基本的に別のものです。古代の律令制下において、陰陽師とは陰陽寮におかれた官職で、中国伝来の陰陽五行説に基づく特殊な占法(陰陽道)により国家や個人の禍福吉凶を占い、それに対処する方術を施す祈祷者のことを言いました。
『令義解(りょうのぎげ)』には、陰陽寮の職員として陰陽頭(おんみょうのかみ)・同助(すけ)以下の事務官の他に、学生(がくしょう)に陰陽・暦術・天文等を教授する陰陽・暦・漏刻(ろうこく)の各博士、また技術者としての陰陽師6人がおかれたとあります。この役所の目的は、天体や天候の異常を報告すること、暦を作ること、漏刻(水時計)により時刻を知らせること、亀甲や筮竹(ぜいちく)等により占いを行うことで、中でも陰陽師が卜筮と相地(地相に現れた吉凶を見ること)を掌るとあります。
これに対して、神祇祭祀を掌るのは専ら神祇官(神主)であり各地の神社(官社)の祭祀を総轄していました。
このように陰陽寮と神祇官は別の官職であり、宮中の年中行事の中でも、大晦日の同日に陰陽寮が大儺(たいな・後世の節分行事)という疫鬼を払う行事を行う一方で、神祇官では百官の罪穢を祓う大祓式(おおはらい)が行われました。
しかし、時代とともに神道と陰陽道の行事・内容に習合が見られ、中世には陰陽道があたかも神道の一流派として考えられるようになりました。その後、平安中期の陰陽道の大家である安倍晴明(あべのせいめい)を祖とする土御門家(つちみかどけ)が、江戸時代に各派の神道説を取り入れて、土御門神道として一派をなし、各地の陰陽師を支配しました。
明治時代、同3年に出された太政官布告により土御門神道が禁止されると陰陽道は衰退しましたが、行事・内容の一部が神道の中に残され、現在に至っています。恵方や鬼門祓いなど陰陽道的な内容を神道の祈祷の中に見ることができるのは、こうした理由によるものです。
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