アメージング・グレース
ニューヨーク市マンハッタン北部にあるハーレムの日曜日は、独特の活気に包まれる、地域にある250もの教会で一斉に礼拝が行われ、コンサート会場ではないかと思うほど、パワフルなゴスペル(賛美歌)がタンバリンのリズムや手拍子とともに歌われる。
「驚くほどの恵み、何と甘い響き、私のようなものも、救われた・・・・」。
賑やかな曲ばかりではなく、少し哀調を帯びた賛美歌「アメージング・グレース」も定番の一つだ、
ハーレムの「ニューホープ・コミュ二テイ・チャーチ」のテレンス・ケネデイ牧師は「苦難に翻弄された者が神の恵みで自分の道を見出す、奴隷として米国に連れてこられたわれわれの祖先の経験が映し出されている」とこの歌がアフリカ系米人(黒人)の「心の歌」となった背景を説明する、
「心の歌」としてきたのは、黒人たちにとどまらない、「人種や宗教に関係なく人を結びつける歌」とケネデイ牧師も指摘するように、2001年の米中枢同時テロ、2005年のハリケーン惨禍の現場などで繰り返し歌われ、レーガン元大統領は自分の葬儀でこれを演奏するように遺言した、
米国の第2の国家ともいわれる「アメージング・グレース」の根源はしかし、意外にも英国にある、作者のジョン・ニュウトンは英国国教会の牧師である、若いころ奴隷船の船長だった彼の経験から、曲は生まれた、
ある日、彼の乗った船が嵐に遭って難破しかける、必死に守に祈り、奇跡的に助かったニュートンは「神はわたしのようなものを救ってくれた、」と改心して、十数年後に牧師になり、多数の賛美歌を残した、
メロディーはスコットランド民謡ともアイルランド民謡とも言われ、アイルランドからの移民、黒人を通して、米国中に広まったという、
「米国を動かした賛美歌の物語」の著者、エース・コリンズ氏は「神への祝福や信者向けの『公式ソング』でなく、個人の経験を通じて作られた、初めての賛美歌」と位置ずけ、「いのりを通じて神とつながることが出来る」という『個人と神の関係』を綴ったこの歌は既存の権威を否定し、開拓、独立精神持って米国にやってきた人たちの心をとらえた」と米建国精神と合致した点を指摘する、
その後も1950〜60年代の公民権運動では、プロテスと・ソングとなったほか、同時テロなど第2次大戦後の「米国の激動期」(コリンズ氏)に歌われ、人々の魂を揺さぶり続けてきた、
同氏は「神は常にあなたを見守っていてひとりではないという歌のメッセージに多くの人が救いを見出すのだろう、『アメージング・グレース』は不安にさいなまれる米国を包み込む毛布のような存在」と評した。
歌のきっかけともなった奴隷貿易を、英国が廃止してから3月25日で200年、全米では目下、奴隷貿易に尽力した英政治家ウイルバーフォースとニュートンを描いた「アメージング・グレース」が公開中だ。
ニューヨーク 長門 雅子氏 執筆、
産経新聞 2007年4月2日 朝刊より、
心を癒してくれるこの曲は私の友だ、
英日両文を掲載しておく、
Amazing Grace! How sweet the sound
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now am found,
Was blind, but now I see.
Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appesr,
The hour I first believed!
Through many dabgers, toils and snares,
I have already come;
'Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.
The Lord has promised good to me,
His word my hope secures;
He will my Shield and Portion be,
As long as life endures.
Yes,when this flesh and heart shall fall,
And mortal life shall cease;
I shall possess, within the evil,
A life of joy and peace.
The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
but God, Who called me here below,
Will be forever mine.
When we've been there ten thiusand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.
驚くばかりの恵みなりき、
この身の穢れを知れる我に、
恵みは我の恐れを消し
まかせる心を起こさせたり、
危険をもわなをも避けえたるは
恵みのみわざというほかなし、
御国に着く朝いよよ高く
恵みの御神を称えまつらん。
式と会の区別を説いた校長
産経新聞平成19年3月19日(月)朝刊
「談話室」にこんなすばらしい記事が掲載されていました、
先日私は地区内の中学校の卒業式に出席しました、「蛍の光」を在校生が合唱し、卒業生が「仰げば尊し」を歌った、もちろん開式の言葉の後に国家斉唱があり、最後は蛍の光の曲で卒業生が退場して行った。式典終了後、待合室で来賓を前に校長先生が挨拶した、
「市内で蛍の光と仰げば尊しを共に歌うのは本校だけだと思います、しかし、この中学校の伝統として歌いました、多少肩苦しかったかもしれませんが、式と会とは違うことを校長の私も教頭も教務も何度も子供たちに話してきました、
式典は厳粛に、会は楽しくこのことを子供たちも理解してくれたと思います、そして、この違いを教えることが、この中学校を卒業して社会人となり、国際人となるとき、恥をかかせないことだと信じているからです、」
期せずして拍手が起きました、こういう場で拍手をもらったのは初めてです、といい、来賓は口々にそういうことを教えてくれなくっちゃという意味のことを言った、
式典と会とが混同され、それが当たり前のようになり、楽しければ良いような風潮さへ見られるが、子供たちは教えられて始めて分かるのである、私はすばらしい卒業式であったと、感謝すると同時に、教育者の重要性を再認識した、
千葉県習志野市の主婦、小泉栄子さんの投書ですがすばらしい校長先生ですね、私ももう一度この中学校に入学したくなりました、式典は厳粛に、会は楽しく、これで卒業式のあり方がはっきりしました、ありがとうございました、
産経新聞さん、小泉さん、記事を勝手に拝借させていただきました、どうかお許しください、
同体の大悲
今年の父の日に私は素晴らしい本に出会いました、
「本文」
中学一年生の時から不登校に傾き始めた強君は、神経内科の森下先生のお世話になりますが、真面目過ぎるほど真面目な性格が災いして、卒業後のアルバイトも長続きでず、とうとう自らの命を絶とうと思うようになります、
20歳になったある日、先生を尋ねてきた彼は、
「ねえ、先生、ぼくみたいなものを人間扱いしてくれて有り難う、これ、僕の記念や、」
と言って、熊の顔のついたキーホルダーをさしだしました。
先生はすぐ彼のお父さんに電話して、『お父さん、ごめん。私の力ではもう強くんを支えきれんようになった。彼、今夜、死ぬで!お父さん!頼むで!」と、
その晩、強くんはガソリンをかぶった、我が子の行動を見守っていた父親は、その瞬間、息子をしっかりと抱きしめた、父親もガソリンまみれになった、
「強!火をつけろ!」
父親は我が子を強く強く抱きしめた、父親の中で、強くんはオイオイと泣いた、父親も声を上げて泣いた、(森下 一著「不登校が教えてくれたもの」グラフ社刊。
このようにして強くんは生き延びたのでありますが「おまえが死ぬなら父さんも死ぬ」というこの父親の尊い姿に、私は同体の大悲という阿弥陀さまのお心を重ねていました。
「本文」おわり、
出典:石川欣也住職著
本願寺派布教師、大和郡山市高田町489、善正寺住職著書「同体の大悲」
他に「こころのともしび」「歌集、曼荼羅」「いのちたまわりて」
私にも2男1女が居りますが、今から考えると自分個人の小さな経験と僅かな知識の世界で子育てをしてきたように思います、子供には親に理解できない世界があり行き詰まったことも多々あったことと思いますが、子供にとっては私達両親は決して良き師ではなかったかもしれませんが、良く自立してくれました。子供は神様から授かったもの、決して親の所有物ではなく神様のものである、授かりものであることを自覚して子育てに励まなくてはならない。
石川先生、勝手に本文を借用しもうしわけありません、すさんだ世相を見るにつけ先生のお言葉を頂戴しました。有り難うございました。