私がイエス様の話を聞いたのは、短大2年の9月ごろでした。一人のクリスチャンの女性が私の下宿に訪ねて来られました。初めての面識の人ではありましたが、その人の人柄にひかれたので、私の部屋に入ってもらいました。
その人と話しをしていくうちに、昔の事を思い出すことができました。それは私が中学生の時に、仲の良かった友達と喧嘩別れをしてしまったことです。私は気持ちを切れ変えて高校生活に期待しました。そこで、私にとって「親友」と呼べる友達を見つけようと思いました。しかし、現実は理想とは違い、「私の心のすべてを言えて、又、それを受け止めてくれる人」をと、願いつつも、「私の心の中の事を全部打ち明けたら、相手はどう思うだろうか」と思うと、たわいもない事は話しができるけど「ここぞ」という本音の話はできませんでした。それは反対に、私が相手の話を聞く立場であっても多分できなかったと思います。
そして短大に進学し、初めて親元をを離れて下宿生活を始め、友達もできましたが、たんたんと過ごす日々でした。そのような中で、教会の方と出会うことができ、イエス様の話を聞きました。その人があまりにも、イエス様の話しをする時に、嬉しそうで、「イエス様は何をするにも共にいて下さる神様なんだよ」ということを教えてもらいました。
又、私は、「死んだらどうなるんだろう」という不安やむなしさがありました。すると、イエス様は、私の罪のために十字架にかかって死んで下さり、地獄に行かれましたが、3日目に死の力を打ち破ってよみがえって下さったことを信じたら、罪が赦され永遠のいのちが与えられ、永遠の天国に行く事ができると教えてくださいました。それから2ヶ月ほと教会に通い、イエス様を私の罪からの救い主と信じて、バプテスマ(洗礼)を受ける事ができました。最初はためらいもありましたが、今は本当に「あの時洗礼を受けて良かった」と感謝しています。
クリスチャンになっても心のえらさを覚える事もありました。そのような中であっても「イエスさま!」と叫ぶ時、イエス様は確かに「人の考えに勝る平安」を与えて下さいます。聖書の中にこのようなみことばがあります。「まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこに在るだろうか。(申命記4:7)」
本当に私はこのような偉大な国民の中に入れられていることに感謝しています。
私が一番好きなみことばで「見よ。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。」とあります。
私に、このように言って下さる神様がいるので本当に感謝です。最高の神様、最大の心の師に感謝します。
It's Amazing!
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