磐田の It's  Amazing!


2    T・Mさんの証し
H19年11月8日(木)
 「教会に来てみませんか?」ある昼休みのことでした。勤務先の病院のロビーで同僚の看護士の方に声をかけられました。当時、キリスト教は特殊な人達のもので、自分には関係ないと思っていました。でも、こういう経験も悪くはないし、ちょっとだけなら教会に行ってみるのもいいかな?と軽い気持ちで約束しました。
 教会の中に一歩足を踏み入れると、見ず知らずの私を、教会の方々が喜んで迎えてくださいました。その瞬間、何か心に暖かいものを感じました。そこで、聖書から話しを聞いたり、バーベキューをしたりして、楽しいときを過ごすことができました。また、教会主催のキャンプに行き、多くのクリスチャンたちと共に過ごす中で、私は彼らの「自由な心」というものにとても惹かれました。今までの私は、クリスチャンに対して清楚とか、禁欲的というイメージを持っていましたが、ここで見たクリスチャンは快活で自由な雰囲気だったからです。どうしたら、このような快活で自由な心になれるのかということが、私にとっては不思議でした。そしてそのキャンプでの最後の夜、私はイエス様を心に受け入れ、洗礼の決心をし、クリスチャンとなりました。聖書のことも何もわかりませんでしたが、「クリスチャンのように生きたい」という気持ちもありました。
 クリスチャンになってから私は、あることに気付いたのです。今までの私は、自分の進路などについて自由に選択することはできたのですが、心が自由になることは決してなかったのです。私はいつも劣等感や自分の無力さというもので悶々としていました。学生時代も、就職してからもそうでした。なぜかというと、それは、いつも自分を中心に置き、自分の考えにとどまっていたからです。自分が生活の中心にいて、自分の考えというものに縛られていると、自分が負けたり惨めな思いをしたりすると、その結果だけにとらわれ、結局それが劣等感を招くのです。今までの生活は、まさにそのような日々でした。クリスチャンになり、イエス様を信じてからは、神様を中心に置き、聖書の御言葉にとどまる生活に変えられました。すると、たとえ自分が惨めな思いをしているように見えても、その現実に見える結果のみにとらわれず、そのことが神様の御心だと思い、神様がさらに素晴しいことをおこして下さるのだと心から信じて歩むことができるようになったのです。だから、もう、劣等感という鎖はなくなったのです。それこそが、本当の自由な生活です。
 頭のいい人がいます。スポーツ万能の人がいます。勘がいい人がいます。手先が器用な人がいます。話し方がうまい人がいます。人を指導するのがうまい人がいます。友達がたくさんいる人がいます。なぜか幸運続きの人がいます。・・・今までの私であればそういう人たちに劣等感を感じたり、妬んだりしたと思います。でも、今はそのような人たちに、ただただ尊敬の思いを抱くことができます。それは自分が何かやったからではなく、神様が私と共にいて、生活の中心になって下さったからこそできたことだと信じています。
 神様は私たちを心から愛して、それぞれ違う目的で創られました。魚は水の中を泳ぐことはできますが、空を飛ぶことはできません。鳥は空を飛ぶことはできますが、水のなかを泳ぐことはできません。神様は、魚と鳥とを、それぞれ違う目的で創られました。魚のことをうらやましがる鳥はいませんし、鳥のことをうらやましがる魚はいません。そう思うと、他人を見て劣等感や優越感を感じていた自分は、なんと愚かな、無意味なことを考えていたのだと、今、思うのです。
 『だれでもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』(第二コリント5章17節)
 この御言葉にあるように誰でもイエス様を信じたら、その人は新しく変えられるのです。昔の否定的、消極的、感謝のできない自分はなくなって、全てが新しく、喜びと感謝にあふれた人生を歩むことができるようになります。イエス・キリストは、特殊な人たちのためにあるのではなく、いつも私たちの近くにいて下さるお方です。
 私は神様に愛されている!私にも神様は、大切な目的を与えて下さっている!・・・今、心からそう信じて、喜んで歩んでいくことができます。そして、あなたにもその喜びを、自由を頂くことができるのです。
It's Amazing!
 



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