旅のアルバム


旅で出会った素敵な風景やエピソードなどをご紹介致します。
51回目の更改からヨーロッパぶらり旅を仙人の目線で掲載して参ります。1997年の思い出をボケ老人の記憶で辿り、皆さんのお気に召すか判りませんが、自分史を作成いたしますね。

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ロンドンの休日 1
今日からお婆ちゃんと2人で思い出作りの、ヨーロッパぶらり旅に出発です。写真は出発前の一時、手持ちぶさで、ぶらぶらきょろきょろしているよ。お婆ちゃん今度は我が輩に向かってシャッタを切ているよ。仙人も負けずに、思い出作りの為にお婆ちゃんを撮ったよ。せいぜい置き引きに遭わぬようにして下さいよ。ヨーロッパについたら沢山悪いのがいるからね。出発時のチックインは簡単に済ませて、いよいよレッゴーだね。飛行機は滑るように快適に飛行して、茨城大子上空を通過し新潟からナホトカ上空を通り、バイカル湖を左下に見ながら飛行し、モスクワ北方のウラル山脈を通過してヘルシンキに向かって飛行して行きました。お婆ちゃんは高所恐怖症の性か、飛行機に乗ると直ぐに寝てしまいますよ。このルートは何回乗ってもバイカルとウラル山脈上空は気流の乱れがあり、飛行機がガタガタと揺れますよ。ウラル山脈を通過するときは、必ず日本の英霊に対し冥福を祈って黙祷していますよ。身近な人が、此処で亡くなっていますからね。また安全な飛行をお願いしています。
ロンドンの休日 1

ソ連のサンクトペテルブルクを通過しヘルシンキが近づくとカーナービではない機内のテレビにエアーナビが映し出されて、今何処に向かっているか、高度と速度が表示され機長の説明が放送されていました。ヘルシンキからストックホルムを通り、コペンハーゲンを通過して南東へ向かい、ドイツから北海上空を通り、オランダのアムステルダムを経由してロンドンのシュスロー空港に向かっていました。お婆さんは機内食の時だけ起きて、跡はスヤスヤ寝ていましたよ。よくマアー眠りますね。かく言う仙人さんは殆ど眠らず、外の様子や本を読んでいましたね。コペンハーゲンを通過したときは、数年前アンデルセンを辿る旅をしたときの思い出を思い浮かべて上空から様子を見て居ましたね。バイキングの国をね。いよいよロンドンが近づいて来ましたね。機長が現在のロンドンの天候や到着時刻を克明に説明していました。サンキュウ・・・
ロンドンの休日 2
ロンドンの休日 2

ロンドンの休日 3
ロンドンのシュスロー空港に無事着陸しました。皆さん慌てる人もなく、ゆっくりと飛行機を後にして行きました。関税を通過するとき、旅の目的を聞かれ、一寸したハプニングが起こりましたよ。税関の可愛い女性看視人が「カンコ、カンコ」と言うていたので、仙人さん頭をひねって、英語のカンコの単語を盛んに、思い浮かべていた処、後ろからお婆さんが「日本語だよー」と教えてくれた。仙人さん「オーミステーク、エックス、キューズミー、「観光です」と日本語で答えて、にこやかに「オーケー」で通関を済ませました。多分サイシンで来るものと思っていたが、発音の悪い日本語で来たので、全然理解できなかったね。まだ日本人の修行が足らんね。ロンドンでの第一発のドジだったね。これからもドンドンやるよ。旅の恥は掻き捨て。得意のパントマイムがあるよ。写真下は空港出口に有る超音速旅客機コンコルドの勇姿のモニュメントですよ。素晴らしいですね。だが、残念ですがトラブルが多く、今は廃止されてしまいましたね。
ロンドンの休日 3

ロンドン随一の観光名所テムズ川からの眺望は、威厳に満ちた堂々としたビックベンとウエスト・ミンスター寺院です。此処での老夫婦の思い出写真です。ツーショットの写真は久し振りですね。川の堰堤の側には沢山のプロマイドや雑誌などを売る屋台が並んでいたよ。やはり観光名所、沢山の観光客で賑わって居ました。ビックベンの時計はロンドンの東、電車で30分の処にあるグリニッチ天文台の時刻を世界標準時としている時刻と連動している。大変有意義な時計台ですよ。
名所 ビックベン
名所 ビックベン

バッキンガム宮殿衛兵交代式 
ようやくバッキンガム宮殿の衛兵交代式のパレードが荘厳な内に始まりました。白馬に跨った先導者の後に黒と赤の衣装に身を飾った軍楽隊が、一糸乱れぬ行進と演奏により、本当にメルヘンの世界に誘って呉れるような行進ですね。本当に素晴らしいセレモニーです。誰も声を出す者はなく、ただシャッターの音だけが聞こえていましたね。
バッキンガム宮殿衛兵交代式 

2200年前の有名なロゼッタ、ストンです。1799年ナポレオン軍がナイル河口の3角州で発見した石碑です。内容は重要なものではなく、メンフイス神官が布告した、一般的な取り決め文ですが、重要なのは三言語で刻まれていることです。古代エジプト文字(象形文字)民族文字、古代ギリシャ文字で刻印されていることです。この文字のおかげで古代文字の解読がが著しく進歩しました。写真のようにお婆ちゃんが真剣に説明員の説明を聞いていましたよ。
有名なロゼッタストン(大英博物館)
有名なロゼッタストン(大英博物館)

トウビーン・ギャラリー(パルテノン神殿宝物)
1817年にイギリスのトルコ大使だったトウビーン・トウマスブルースにより、当時アクアポリスの丘にペリクレスにより古代ギリシャ文明の粋を集めたパルテノン神殿に残されていた彫刻やメトープ(15面)フリーズ(163bの半分75b)を取り外し、イギリスに持ち帰り、此処トウビン・ギャラリーに展示されていました。大理石で作られた彫刻やメトープ、リレーフは大理石の切り出し場所の名を取ってエルギン、マーブルと呼ばれていました。2400年前に造られたギリシャ文明の粋を集めたリレーフ(浮き絵)彫刻は本当に素晴らしいですね。愛おしく何時までも見ていたい芸術品でした。この作者はペリクレスの指示で制作したアテナレムニアでしたね。その後この2人はフリーズの中に自分たちの姿を浮き彫りしたことが判り、神を冒涜した罪で裁判に掛けられて、処刑され、非業の最後をとげた。
トウビーン・ギャラリー(パルテノン神殿宝物)

ギリシャのアクアポリスの丘にあるパルテノン神殿には、現在神殿の最上部に飾られたメトープは1個だけ残されているだけです。後は全て持ち去れてしまった。人類にとって貴重な財産の哀れな姿がむなしく、アクアポリスの丘に残されています。持ち去られた殆どが、此処トービン、ギャラリーに展示されている。写真は、その一部です。どれを見ても2400年前の作品とは、思えぬ秀作ですね。
神々のメトープと彫刻
神々のメトープと彫刻

ウインザー城の衛兵交代式 1
おとぎの国からお出ましになったような出で立ちの、軍楽隊のマーチの演奏が賑やかに始まりました。太鼓や銅鑼の音、ラッパ、リコーダー、笛、バックパイプの独特のマーチの演奏が、広い城壁内に木霊して、独特のハーモニーになり素晴らしい演奏でしたよ。
ウインザー城の衛兵交代式 1

ウインザー城の衛兵交代式のセレモニーが終了して、隊員は衛兵大隊の宿舎に戻る行進が始まりました。軍楽隊のマスコット雄の大きな角を持つ羊に大隊旗を飾り、先導させての演奏しながら隊列行進、その後ろから小銃を担いだ衛兵大隊が整然とウインザー市街を行進して行きました。写真のようにね。軍楽隊は全員腰に小さなラッパを下げていましたね。昨日のバッキンガム宮殿の軍楽隊は3人だけでしたね。
ウインザー城の衛兵交代式 2
ウインザー城の衛兵交代式 2

チックアウト さらばロンドン(1997.6.14)
今日で霧のロンドンともお別れね。朝起きてホテルの窓から見るロンドンは、まさしく霧のロンドンでした。空はどんよりと曇り雨でも降りそうな雰囲気でしたね。7:00に朝食を取り、8:00にチックアウトしてオータールー駅へ、9:00発のユーロスターに乗り一路フランス、パリへ3時間30分の旅に出発しました。写真はお婆ちゃんのチックアウト姿です。下はオータールー駅に到着時です。
チックアウト さらばロンドン(1997.6.14)

発車15分前にユーロスターの乗車が始まりました。日本人観光客も沢山居ましたよ。このユーロースターはイギリスとフランス、ベルギー三国の共同合弁会社の経営で、各国とも口を出すが金は出さない方針で出発したが、三国だけでは資金調達できず、日本の銀行団の出資を仰ぎ、また技術面でも日本の全面的援助を受けて完成した。三〇年償還を目指しているそうですが、今だ赤字路線だそうですよ。3時間30分の旅路、車窓からの撮影は曇り空の中、ハイスピードの走行中の撮影で、見づらくてゴメンね。腕が悪いからね。今はパリ〜ロンドン間は2:35分に短縮されているそうです。
ユーロスター内
ユーロスター内

フランス・パリへ GO
ユーロスターは定刻にゆっくりと、我々を乗せて出発しました。イギリス側は在来線を使っているのでドーバートンネル過ぎるまでは100q程度のスピードで走り、フランスに入ってから300q走行になり、本来のユーロスターの速度になりましたよ。数年前にスイスのジュネーブからフランス・パリまでTGVに乗車したがスイス側は在来線を走り(踏切が有る線路)100qぐらいのスピードで走行し、フランスに入り300q走行でしたね。それぞれの国情が現れていますね。ユーロースター内の案内放送も英語とトルコ語・ベンガル語で行われています。利用客が一番多い日本人観光客の為に日本語が有っても良いですね。
フランス・パリへ GO

ドーバー海峡駅(ホークストン駅)広大ですね。ここから貨物ルーシャトル(30両編成)電車が出ています。主に自動車運搬だそうです。料金は一日往復料金は一万円、片道料金は一万四千円だそうです。何か変ですね。これは平行して運行しているカーフエリと合わせたそうですよ。ヨーロッパ人はドライですね。驚いたよ。カーフエリーは所用時間は90分、ルーシャトルは35分です。20〜30分間隔で30両編成で24時間営業しているそうですよ。
ドーバー海峡駅が見えてきました
ドーバー海峡駅が見えてきました

ドーバー海峡真下100メーター通過中
いよいよドーバー海峡真下通過中、お婆ちゃんとお爺ちゃん、神妙に実感して確認していましたね。この海峡トンネルを渡る事も、今回の旅行の目的の一つでしたからね。ドーバー海峡はトンネル部分49q、対日本の青函トンネルは54q・海底トンネル部分はドーバートンネルは38q対23qと青函トンネルが短い、また深さはドーバートンネルは100b..青函は240bです。トンネル内は200q走行で20分で通過しました。フランス側海峡駅(カレー駅)に出て来ました。どんより曇っていましたね。写真の様にね。ここからは300q走行・パリまで260q・英国側は160qでした。
ドーバー海峡真下100メーター通過中

フランスは国土の70%は平野で、、広々とした農耕地が広がり、高い山は見渡す限り、見えませんね。此処カレー駅には一日数本停車するだけです。普通のロンドンからパリまでのユーロスターの停車駅は一ヶ所ベルギーの首都ブリュッセルへの乗り換え駅リール駅だけですよ。写真のように今にも雨が降りそうな空模様でした。この駅は貨物専用ルーシャトルの発車駅です。広いですね。此処は有名な漁港の港町ですね。魚の種類が多く美味しいそうですよ。
フランス側海峡駅カレー駅通過
フランス側海峡駅カレー駅通過

唯一の停車駅リールに到着
此処リール市は日本との非常に関わりの有る町ですね。トヨタ自動車や他の大手企業が有ります。また欧州主要都市を300q内に持ち、人口も一億人以上を有する欧州の中心的重要な国際都市でもあります。ここからはパリまで300qの高速でノンストップ 1時間半で到着でしたね。
唯一の停車駅リールに到着

太陽王の居室、写真上は天井画、写真下ルイ14世王の肖像画です。
ベルサイユ宮殿 
ベルサイユ宮殿 

ベルサイユ宮殿 
お婆ちゃんお目当ての鏡の間で記念写真、向かって左側には578枚の鏡がはめ込まれています。反対側には17の窓から陽光が差し込みますよ。この鏡の間では毎夜ダンスパーテーが催されて居たのでしょうね。豪華絢爛たるシャンデリヤの素晴らしい事、目を見張るばかりでした。このシャンデリヤが鏡に映り奥行きを更に広げて、本当素晴らしかったよ。
ベルサイユ宮殿 

写真上は鏡の間からお婆ちゃんル・ノートル氏設計の庭園を眺めていましたよ。この庭園は有名ですからね。庭園見ずして、ベルサイユ観光なし。と言われていますからね。ゆっくり見てください。写真中は窓から見える庭園の風景いです。やはり素晴らしいね。写真下は鏡の間からマリー・アントワネット女王の居間に向かう観光客。
ベルサイユ宮殿 
ベルサイユ宮殿 

ベルサイユ宮殿 
マリ アントワネット女王の居室です。黄金とオーストリヤから取り寄せたシュズラン織物で統一され写真の様に、本当に女の園の雰囲気が漂って素晴らしかったね。マリ アントワネットは、この部屋で公衆の面前でお産をさせられて居たので、母マリヤテレジヤ女王に手紙で恥ずかしさを伝えていた。しかしフラス王室の慣わしだからと諭されていたそうですよ。写真上はマリ アントワネットの寝台ベットです。素晴らしいね。写真下はアームチエア椅子です。これもシュズラン織りで統一され素敵ですね。写真見づらくてゴメンね。部屋の照明が実際は暗かったね。
ベルサイユ宮殿 

最後に庭園の水神様と記念撮影ですね。パリは、この時期何時も天気は曇天が多いですね。短い時間だったが十分に堪能できましたよ。ブラボー・メルシーボーク・・・
次回はお婆ちゃんが尊敬している画家ゴッホが眠るオーベル村の観光を御紹介致します。乞うご期待 !!!
ベルサイユ宮殿 
ベルサイユ宮殿 

パリで一番古い朝市訪問
今日は朝食を早く済ませて、パリで一番古い朝市を訪ねました。住宅の裏通りの一筋の道筋に沢山の生鮮食料の青空市が並んでいました。お婆ちゃん果物店で身振り手振りと片言の世界語で話しかけ、展示商品をつまみ食いしていましたよ。結構図々しい人だね。挙げ句の果て、今度は日本人向けにお店の売り子になり、果物を押し売りしていたよ。最後に沢山の果物をぶら下げて帰ってきたね。お婆ちゃんは何処を旅行しても、果物だけは当たらないからと、沢山買って来て、珍しい果物を食べさせた呉れますよ。値段は東京より多少安いようでしたね。サクランボが1s600円ぐらいでした。
パリで一番古い朝市訪問

写真上は運河から見たオーベル村、ゴッホが描いたロマネスク様式の古い「オーベルの教会」が正面に見えます。写真下はオーベルの教会に昇るお婆ちゃん、相変わらずカラスのコスチュームですね。
オーベル村え 1
オーベル村え 1

オーベル村え 2
写真は、いよいよゴッポが下宿していたラヴァ亭に到着しました。今はオランダのゴッホの関係者が買い取りゴッホ記念館として営業していました。写真上左はお婆ちゃんが憧れていた「オーベルの教会」前での記念写真です。黒ずくめですので良く判りません。写真下はゴッホ記念館の入場券売り場です。
オーベル村え 2

写真上はゴッホの絶筆と言われている「カラスの群れ飛ぶ麦畑」です。写真下は仙人が訪問したときの麦畑です。画面が暗くてご免なさい。道の辺には色とりどりなポピーが咲き、その先は一面の麦畑でした。道の右側にはゴッホの眠る墓地が有り、道の左側に麦畑が広がり、ゴッホは、その麦畑の中で、黄昏時脇腹にピストルを当て自殺を図り、死ねず脇腹を押さえて下宿に戻り、後ろの階段から、こっそり自分の部屋に入り、板の間の上で血みどろに倒れて居るところを、大家が見付けて、ゴッホの友人ガッシュ先生に知らせ、またゴッホの弟テオにも知らせて来て貰ったが、最早施しようもなく、翌日関係者に看取られて息を引き取った。最後に弟テオに「誰も悪いんじゃ無いんだ、俺が悪いんだ」と言い残して絶命したそうです。ゴッホは、ここに来て2ヶ月で絵画82点、デッサン62点を残していました。1日に3点ぐらい描いていたンだね。これだけ名を残した巨匠も生前は数百点を描いても、売れたのは1点だけだそうです。本当に辛苦をなめ尽くした一生だったんだね。余りにも短い37才の生涯でした。
オーベル村え 3
オーベル村え 3

オーベル村え 4
写真はゴッホの眠る墓地に来ましたね。お婆ちゃん。念願が叶い嬉しいですね。よーくお参りをしてくださいね。1年後に後を追うように亡くなった、弟テオと共に写真のように、向かって左にゴッホ、右にテオが眠っていました。この2人は親子のように、弟テオが画廊を営み、兄ゴッホの一生の面倒見ていた。一説によると弟テオの画廊の経営が思わしくなく、その噂をゴッホが聞き、自殺前、ゴッホが1人、その日「もうお終いだ・もうお終いだ」と呟きながら歩いている姿を農夫が聞いていた。やはりゴッホは弟テオのパラサイトを気にして居たんだね。しかし墓は周囲と比較して、非常に質素ですね。数年前スイスのジュネーブに居たとき名女優オードリ・ヘップバーンの墓を拝見した、レマン湖の風向明媚な鄙びた墓地に同じような質素なお墓で感心しましたね。人間は土から生まれて土に帰る、そんな感が有りました。
オーベル村え 4

凱旋門の周りや上には沢山の観光客が見られましたよ。此処凱旋門には戦争で戦死した無名戦士が埋葬されている。24時間ご灯明がともされています。最上階には凱旋門の設計図や歴史が展示されています。ナポレオンは最初ゾウの形の凱旋門を命じたそうですが、結局現在の形になったそうです。観光バスはゆっくりとエトワール広場を周りシャンゼリゼ通りにはいってきました。
パリ市街 1
パリ市街 1

パリ市街 2
此処コンコルド広場は国王リイ15世の栄光のために造られた広場で8.4fという広大なもので、1775年に完成した。その後歴史に翻弄され10数年後には革命広場と呼ばれて断頭台が置かれ、1793年1月18日にルイ16世が断頭台で処刑され、その後同年10月16日に妻マリ、アントワネット女王が断頭台で処刑され、市民2000人も、此処断頭台のツユと消えた、余りにも悲しい かなしい血に染められた歴史的広場ですね。断頭台の後にはプレートが設置されていますよ。今は広場の夜はモニュメントがライトアップされ、落ち着いた雰囲気を醸し出されています。観光スポットですね。
パリ市街 2

写真上はコンコルド広場の側にあるオランジュリー美術館です。此処には壁一杯に展示されたモネの大作「睡蓮」で知られている美術館です。写真中右側はマドレーヌ寺院です。此処はナポレオンがフラス軍の光栄の神殿として建築を命じたもので、途中でナポレオンが失脚してカトリック教会で使うことになり、1842年に完成した。その為、ナポレオンの好みのギリシャ神殿風の外側で十字架も鐘楼もない平屋の教会で世界的にも珍しい教会になりました。やはり歴史の産物ですね。写真下はマドレーヌ通りの様子です。ここからオペラ通りの間には日本人の飲食店が沢山あり、リットル・東京の感が有りますよ。
パリ市街 3
パリ市街 3

パリ市街 4
写真下はオペラ座の前の地下鉄入口でギャルソン、マラソンを待っているお婆ちゃんです。写真上はオペラ座です。1875に完成しました。ナポレオン3世様式と名付けられ、実に様々な建築様式を折衷したもので、第2帝政期を代表する華麗な建物ですよ。内部は豪華絢爛で眩しいまでのシャンデリヤなど、当時の社交界の華やかな雰囲気を髣髴させる。幻想的な天井画は、1964年にシャガールが描いたものですよ。素晴らしいね。
パリ市街 4

いよいよマラソンランナーが見えてきました。各店のユニホーム姿と、かっぽー着姿でお盆に大ジョッキ2個を乗せてのマラソンはユニークですね。中には飲みながら走っているランナーも居ましたよ。写真下の様に独特なコスチュームの月光仮面の様な姿で、星条旗を羽織って走っている人も居ました。
パリ市街 5
パリ市街 5

早朝のパリの風景
宿泊ホテルの窓から、早朝のパリ市街地の様子です。朝日がようやく差し込んできましたね。空は今日もどんよりと霞が掛かり、南の地平線には雨雲が立ち込み、ハッキリしない空模様ですね。朝食を取り、今日は観光バスで市内観光に出掛けました。写真下の奇抜な建物はラ・ビレット科学産業都市ですよ。此処には都市と自然・教育と娯楽の融合をめざして造られた55fの広大な施設ですよ。中でも約300坪(1000u)のスクリンを持つ円形の球形映画館は圧巻ですよ。中国を旅行したとき、西安の兵馬俑博物館に有った200u位のサークルビジョンのおよそ5倍ですよ。驚いたね。その他に色々なイベント設備があります。写真下左側はデフアンス第二凱旋門です。イヤにシンプルな凱旋門です。今時の建築家が設計するとこうなるのでしょうね。
早朝のパリの風景

ルーブル美術館は収蔵数、コレクションの数でも世界有数の美術館です。仙人も今回で二度目ですが、見られる数は ほんの一部分に過ぎません。この写真はルーブル美術館に、この旅行で立ち寄った証拠のようなものです。詳細は何時でもルーブル美術館のホームページで見ることが出来ますので、どうぞ、それを見てくださいね。
ルーブル美術館
ルーブル美術館

リュクサンプール公園
リュクサンプール宮殿はアンリ4世のお妃になったイタリヤのメジチ家のマリが、王の死後、故郷のトスカナ風の様式で造らせた宮殿です。1615に着工して10年の歳月を掛けて完成した宮殿です。革命の時は牢獄として使われ、現在は国会の上院として使われています。マロニエの美しい公園を散歩しつつ、お妃の立像やニューヨークのフランスから送られた自由の女神像の原型の立像を見ながら、パリ市民の散策は枯葉のメロデーに乗ってテレビや映画であまりにも有名な公園ですね。今日はお婆さんの手を取って恋人に還って散歩してきましたよ。しかし本当に素晴らしいマロニエの並木道ですね。
リュクサンプール公園

エッヘル塔に向かう途中にエッヘル塔の観光スポット.シャイヨー宮殿越にエッヘル塔を見学してエッヘル塔に到着しました。シャン・ド・マルス公園の芝生で記念写真を撮っていたところ、士官学校の衛兵が飛んできて芝生から出るように注意され、ボンジュ・パドン・ムシュと謝り、その場は済みましたよ。
エッヘル塔とシャイヨー宮殿
エッヘル塔とシャイヨー宮殿

ナポレオンの墓
此処はナポレオンの墓とアンバァリッドのドームとアンバリッド(廃兵院)として軍事博物館となり、古代から近代に至る軍事資料が豊富に展示されていますよ。前庭に並ぶ青銅の大砲の中には、日本の幕末に使われたものも有りました。
ナポレオンの墓

ノートルダム寺院に向かうセーヌ河沿いの道筋に、写真下の様に観光客向けのお土産品や絵・似顔絵を描く画家の店などが、沢山並んでいましたよ。写真上はセーヌ河を挟んでオルセー美術館です。オルセー駅を移転した後の駅舎を、そのまま改造してオルセ美術館として、主に印象派の絵画を展示しています。ゴッホやゴーギャン・ルソー・マネ・ルノワールなどですよ。
オルセー博物館とセーヌ河沿いの売店
オルセー博物館とセーヌ河沿いの売店

コンシェルジュリー(王室管理府)
左側にルーブル美術館を見ながらセーヌ河越にシテ島が見えてきました。尖り帽をかぶったお伽話の城を思わせるコンシェルジュリーが見えてきました。この王宮は14世紀初頭に造営した王宮です。太陽王ルイ14世によってベルサイユ宮殿に移転した後、牢獄として使用され、フランス革命時には、貴族や闘争に敗れた革命家達が、断頭台で処刑されるまで、此処に留置されていた。女王マリー・アントワネットも、此処に留置されて、今も独房が贖罪礼拝堂として残されています。非業の最期をとげた美しい王妃の哀れさが偲ばれます。
 
 
コンシェルジュリー(王室管理府)

観光バスはノートル橋を右折してシテ島に入ってきました。シテ島の高級マンションには日本の岸恵子さんや有名人が沢山住んでいるそうですよ。もちろんパリ警視庁も有りますよ。いよいよノートル・ダム寺院に到着しました。ノートル・ダム寺院はパリ発祥の地と言われているシテ島に有り、初期ゴシック様式の大聖堂ですよ。歴史的にも、今から800年前に再建され現在に至っています。その間フランス革命で一時荒廃したが、ナポレオンが正式に教会として再建して、彼の戴冠式、王貴族の葬儀や結婚式、戦勝を祝うミサなどが行われて来ました。写真上はノートル・ダム寺院全景です。丁度逆光で見にくくごメンなさい。写真右上は鐘楼です。写真中左から正面入口です。その右側は有名な北側のバラのステンド・ガラスの窓です。素晴らしい限りです。写真下は夜観光船のサーチ・ライトに照らされた寺院です。又、趣が違いますね。
ノートル・ダム寺院
ノートル・ダム寺院

ノートル・ダム寺院のステンド・ガラスの窓
ノートル・ダム寺院のステンド・ガラス窓から差し込む光で浮き上がって見える、素晴らしい映像、聖人達の肖像絵、そしてカラフルな花の絵など素晴らしい限りですね。写真の様にね。ブラボー・・・なお、寺院内は写真のフラッシュは厳禁で見づらいが御了承下さい。
ノートル・ダム寺院のステンド・ガラスの窓

写真上の主祭壇はルイ14世太陽王が奉納したピエタの石像で、十字架から下ろされたキリストを抱いて嘆き悲しむ聖母マリア像です。素晴らしい彫刻ですね。写真下は回廊に沿って14世紀初頭の彫刻でキリストの生涯と復活を物語ったものです。これも素晴らしい彫刻で、本当に見れば見るほど素晴らしく何時までも観賞していたい彫刻でしたね。しかし、観光客が多く、ところてんの如く押し出されてしまいましたよ。内部は非常に暗く観光客が多いので、スリにご注意下さいね。
主祭壇のピエタの石像
主祭壇のピエタの石像

セーヌ河デナー遊覧船観光 1
いよいよ正装してPM7:00から2時間のセーヌ河デナー観光遊覧船がバドー・ムシュ発着場から出発です。団体様客室でフランス料理と高級シャンパン・ワインを傾け、夜の町を眺めながら観光船は出発しました。最初はセーヌ河を下っていきました。空はどんよりと雨模様、遠くに入道雲が発達している様子が見えます。一雨来そうですね。しかし、遊覧船は透明の風防付き心配は無さそうですね。沢山の人々を乗せた観光船や水上バスがサーチライトを煌々と沢山付けてゆきかっていました。素晴らしい光景でした。
セーヌ河デナー遊覧船観光 1

船はグルネル橋をくぐると、アメリカのニュウヨークの自由の女神のコピーが河の真ん中に建っていました。写真の様にね。素晴らしい景観です。写真下のように遠くエッフェル塔と自由の女神像が夕暮れの川面の上に凛々しく立ち素晴らしい景観ですね。写真上は観光船のサーチライトに照らされた自由の女神と、写真上右側はサーチライトを煌々と照らして、船上2階に沢山の乗客を乗せて、上流に向かって航行していく水上バスです。川面にサーチライトが反射して写真の様に素晴らしかったね。運ばれてきた料理も忘れて船外の風景に見惚れていました。
セーヌ河デナー遊覧船観光 2
セーヌ河デナー遊覧船観光 2

セーヌ河デナー遊覧船観光 3
自由の女神の先のミラボー橋でユータンして上流に向かって唸りを上げて進んで航行してゆきましたね。先ほど下ってきたコースを今度は遡っていきました。やがてビル、アケーム橋をくぐる時、写真のように船のサーチライトに照らされて、それはそれは素晴らしかったね。しかし橋の橋脚に写真のようにペーントで悪戯書きされていましたね。何処の国にも悪ガキは居るんですね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 3

船はアレクサンドル3世橋に来ました。船のサーチライトに照らされた橋は、本当に素晴らしかったね。写真のようにね。橋の裏の構造美が素晴らしかった。日中に見た橋と船上から見る夜の橋は、まるきり違った橋に見えますね。しかし美しいね。惚れぼれしますね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 4
セーヌ河デナー遊覧船観光 4

セーヌ河デナー遊覧船観光 5
船は5個の橋をくぐりシテ島が見えてきました。シテ島の先端には沢山の若者が夕涼みのランデブをしている姿が船上から見えました。写真のようにね。この光景は日本でも度々放映されていましたね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 5

船は右側交通、左手にサーチライトに照らされたノートルダム寺院の素晴らしい景観を見ながら、サン・ルイ島を通り、その先でユータンして、セーヌ河を下りシテ島を左に見ながら、静かに流されるように進んで行きましたね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 6
セーヌ河デナー遊覧船観光 6

セーヌ河デナー遊覧船観光 7
船はシテ島を左に見ながら、船のサーチライトに照らし出された、素晴らしいコンシェルジュリーが見えてきました。写真のようにね。美しいでしょ。手前に大きな水車で航行する遊覧船が見えます。クラシック船ですか?昼間とは随分趣が違いますね。本当に綺麗ですね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 7

船はカルセル橋に帰ってきました。右手にルーブル美術館、左手にオルセ美術館が見えていましたね。写真の様にね。暗い夜空に煌々と照らし出された美しいオルセ美術館です。遠くに照明に照らされたエッフェル塔が見えてきましたね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 8
セーヌ河デナー遊覧船観光 8

セーヌ河デナー遊覧船観光 9
急に晴天の霹靂豪雨が降ってきました。船の透明な風防に雨が叩き付けています。もの凄い雷鳴、エッヘル塔に稲妻が落ちていく、この雨の中、船外には夜光虫が沢山戯れていました。写真のようにね。船旅は、アーと言う間に終了しました。しかし素晴らしいセーヌ河デナー観光船の船旅でしたよ。さっきまで降っていた雨もすっかり上がりました。まるでスコールですね。感動的な雨に煙るエッフェル塔、ロマンチックですね。旅の終わりは清々しく、素晴らしく締めくくってくれましたね。
セーヌ河デナー遊覧船観光 9

フランス・パリの旅の思い出に、午前0時からムーランルージュ(キャバレ)に行ってきました。写真のようにモンマルトンにある此処ムーランルージュの夜はイルミネーションが素晴らしく、日本の新宿劇場をしのぐ景観でした。写真の様にね。正装して前売り券(写真下右側)を持って入場して手荷物は全てクロークに預けなければ入場拒否される厳しさです。驚いたね。写真は全て御ハット、いやになちゃうね。入場してシャンパンを飲みながらのフレンチ、カンカンは素晴らしかったね。その他の綱渡りや手品、等の芸が披露されていました。中国の北京の茶屋の余興やスペインのパブラオと余り大差はないね。格式を重んずるフランスだからでしょうかね。午前2時を過ぎてホテルに還りました。ビーバーパリー!!! ブラボー・・・さらばパリー、メルシー、ボーク・・・
フランス最後の夜は午前様(1997.6.18AM0〜2.00)
フランス最後の夜は午前様(1997.6.18AM0〜2.00)

京都慕情
お婆ちゃんの踊りのお師匠さん仲間で2泊3日の京都旅行です。京都には今までに何度か行っていますが、飽きもせず良く行くねと呆れている。何故かと聞くと京都の雅がたまらないと言う。お爺ちゃんには判りません。愛犬アミと勝手気儘な留守番です。
京都慕情

ブランデンブルク門は1989.11.9に「ベルリンの壁崩壊」はドイツにとり、そして全世界にとって歴史的な瞬間となりました。この日を境に「陸の孤島」と言われたベルリンが再び世界の中心に返り咲きました。帝国議会議事堂は第2次大戦までドイツの政治の中心であったが戦後改装されて、再びドイツ国会の開催地となりました。(写真上左側)写真上右側は東ドイツと西ドイツの境の象徴的なブランデンブルク門で幾多の事件が有り、多くの人々の血が流されました。悲劇の門ですね。シャルロッテンブルク宮殿はフリードリッヒ1世のお妃ゾフイーシャルロッテの御用邸として1699年に建てられました。バロック建築の代表的な素晴らしい建物です。現在は美術館に成っていました。クーアフユルシュッテンダム通りベルリン随一のショッピングストリトでしたね。ベルリンのシンボルモニュメントの後に第2次大戦の記念館ウエルヘルム皇帝記念教会(日本の原爆記念館と同じ)が保存されていました。(写真下左側)写真下右側はベルリンの壁保存地区の壁に描かれたソ連のブレジネス書記長と東ドイツのホーネッカ国家元首の抱擁シーン等が風刺的にタンアートとして描かれていました。写真中左側はドイツ名物小豚の腿1本塩茹で、どんと出されて食べたが5分の1食べてギブアップした。味は良かったね。
ベルリンの休日
ベルリンの休日

スペインのマドリードの休日
マドリードの休日は午後から宮殿内の見学に行って参りました。内部は黄金で装飾された煌びやかさは、今まで見てきたフランスのベルサイユ宮殿やオーストリヤのシェーンブルン宮殿よりも素晴らしかったね。やはりスペインはインカ帝国からの黄金の略奪などで黄金にものを言わせて建設された宮殿だけのことは有るね。豪華絢爛たる内部の装飾や家具類は素晴らしいね。(写真下左側)写真は全てフラシュ厳禁でした。その後6:00から闘牛場へ、文化の違いは歴然と、日本の闘牛は力相撲、こちらは牛の屠殺そのもの、闘牛士と闘う前に長槍で両肩を刺されて大出血し、今度は闘牛士の華麗な舞いで飾り槍を10本ほど両肩にさされ、ヘトヘトになってから剣を肩胛骨から心臓に刺されて殺される。これを6回も見せられてはうんざりするね。おまけに殺された牛の肉は観客が買って帰る。しかし文化の違いから、とても小生には買うきはないね。写真上右側はショーの途中で闘志の失われた牛は観客のブービングにより判定員の協議で闘牛を中止して7匹の去勢された白い牛に案内されて屠殺場に向かいます。写真下右側は夜10時からパブラオで素晴らしいフラメンコショーを見たが本当に素晴らしかったね。フラッシュ厳禁。見づらくてご免。
スペインのマドリードの休日

ウインの休日は次回からオーストリヤのウインぶらり旅で詳しく御紹介いたしますよ。今写真の整理をしているところですので、乞うご期待!!!写真は美女と花に囲まれてバイオリンを弾くヨハン、シュトラウス像で記念撮影、ドナウ・クルーズ、メルクからデェルン・シュタインまでドナウの流れに身を任せて素晴らしいワッハウ渓谷を見ながら、船上に流れる美しく青きドナウのワルツの調べを聞きながら、水深平均6メータの青き早瀬にウットリしていると、はや目的地に着いてしまいました。聖シュテフアン大寺院前の記念撮影、(写真中左)中右側はシュウベルトの写真用の人形と記念撮影その下はモツアルトの像の前で記念撮影、写真下左側はバロック建築の素晴らしいカルル教会の前で記念撮影です。下右側は市民公園で朝野鳥にエサを与えている市民です。お婆ちゃんはエサを持っていないので野鳥は寄りつきません。
オーストリヤのウインの休日
オーストリヤのウインの休日

北京の休日
北京市内観光をして夕方7:00から夕食を兼ねて、天橋楽茶園で北京料理を食べながら古典京劇などを観賞してきました。日本の寄席とレビュー(宝塚)を小さく演出した様な小劇場の雰囲気でしたよ。北京の昔の物売り風景や小鳥の囀り芸、掛け売り風景、京胡の合奏、自転車芸、皿回し、艶やかな京劇など素晴らしかったね。その国々の特性があり、フランスのムーランルージュやスペインのパブラオの演出に勝るとも劣らぬものでしたね。次から次と出される料理も忘れて見惚れて、料理を食べ忘れてしまった連続でしたよ。10:00過ぎの北京の心地よい夜風に吹かれながらホテルに帰りました。シェシェ(謝々)
北京の休日



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