COLUMN

1    退職の経緯
更新日時:
H13年5月9日(水)
今年3月、俗に世間で言われる一部上場企業の、とあるアパレルメーカーを退職しました。よく、何故とかもったいないとか言われるのですが、ここにその理由を書こうと思います。
 
21年も勤めていると、必然的に慣れや要領というものを持っていますので、仕事自体が楽と言えば楽だったかと思います。しかし、ここ数年まったく自分自身が成長していないことに気がついたのです。また環境の変化と共に、自分が得意とする業務や好きなことが評価されなくなってきたことも事実です。
 
営業の仕事なので当然相手(得意先様)があるのことなのですが、それが会社の方向性と自分が考える事とギャップがでてきました。私自身本当に甘いのかもしれませんが、得意先様も会社もそして私もみんなが喜べる仕事がしたかったのです。
かっこよく言えば自分の価値観と今の仕事が一致していなかったと言うことです。
 
また、この時期会社の方でセカンドキャリア支援制度と言うものができ、転職の支援と退職金の+αの加算金があったことも大きな要因です。何せローンも残っているし4人と1匹を養わなければいけないので・・・
 
それと最後に一言、44歳にもなってくると感性は鈍化し、服(いくつものブランドを自信と信念を持って提案すること)がわからなくなってきたことも否めません。(本音)
 
・・・と、本人には言えませんが、快く賛同してくれた妻には感謝しています。
・・・と、今まで育ててくれた会社にも大変感謝しています。
また、この度のことで得意先様や同僚にご迷惑をおかけしたこと、この場を借りてお詫びいたします。

2    ホームヘルパーの勉強
更新日時:
H13年5月1日(火)
何故ホームヘルパーに興味を持ったのか?
初めは在職中に友人から、アパレルと老人福祉のテーマで事業化できないかしらという一言でした。しかし、上記のように志し半ばでリタイアしてしまったので、結論はでませんでした。しかし、介護の件一つ知らないのも今後の自分や家族の事を考えるとまずいと思い、この時間を利用して勉強しようと思いました。
学校は○チ○学館の速習コースで学びました。
まず驚いたのは30名のコースだったのですが、男は4名だったこと。感心したことは20歳の女子学生から60歳代の方までの年齢の広さ。そして先生の方々(元看護婦の方が多い)がすごく熱心なこと。
そこではシーツの敷き方を始めに、身体介助、食事介助を学びました。OJTじゃありませんが、一つ一つの実践です。私は体重が重いせいか重宝がられて、よくモデルにさせられました。車椅子では千葉駅を中心に実習しましたが、多少恥ずかしかったこともありますが、ちょっとした坂で苦労したり電話ボックスの利用の不便さ、目線が低いので人が手に持ったタバコの火が怖かったです。また、介助実習の中でベッドから車椅子(簡易トイレ)への移動で、力を抜いた人の体重はこんなに重いものなのかと思いました。(これでは腰を痛める人は多いはずだ)
ヘルパーの勉強はこういう実技が7日間、これ以外にはデスクワーク、レポート提出があります。
 

3    ホームヘルパーの勉強U
更新日時:
H13年5月1日(火)
いよいよ本番の実習です。
同行実習2日間、特養ホーム2日間、そしてデイサービス1日です。
同行実習はホームヘルパーの方と、利用者様のお宅へ伺います。2日間とも食事介助だったので、習ったことはあまり活用できませんでしたが、お話相手になることでお二人とも大変喜んで頂けました(これは今までの営業経験が生きた)。しかし、ヘルパーの方の食事の段取り手際よさ、そして気遣いには大変勉強になりました。
いよいよ特養ホームです、私自身今まで一度も行ったことがありません。行く前から緊張です。ほとんどの方が要介護4か5です、車椅子利用の方がほとんどでした。私自身何もできませんでしたが、私なりに一生懸命お話ししたり、歌ったり食事のお手伝いをさせてもらいました。忘れられないのは老人の方々の笑顔です。リハビリを一緒にしたとき、濡れた頭を乾かしたとき、ジュースを持っていったとき、太鼓をたたいたとき・・・。そして何より忘れられないのは、2日目の夕方、「明日はもう来ないの・・・」と言われたときです。職員の方も非常に熱心で、時には叱り時には優しく、本当に利用者の立場を考え自立支援を行っていました。
デイサービスは比較的元気な老人が、そこでリハビリをしたり食事をしたり、入浴をしたりします。しかし、車椅子の方や介助を必要とする方もたくさんいます。ここでは学校での実技が大いに役立ちました。しかし実際、排泄介助では服の脱ぎ着や身体の移動補助等、なかなかうまくいきませんでした。でも利用者の方が喜んでくれて助けられました。ここでも思い切りの笑顔と元気な声、身振り手振りは大いに受け入れていただけました。一番喜んでもらえたのは、やはりお話相手でしょうか・・・
この実習で勉強したことは、老人の方々の歴史やプライドは大事にしなければいけない事。あくまで自立の支援であること。孤独の方が多いので、お話しすることは変な薬より元気になることでした。
 
私自身今回の実習は本当に勉強になりました。また、このような機会がなければ、きっと見過ごしてしまった世界かもしれません。変な意味での世間知らずにならなくてよかったと思います。何かに是非役立てたいと思っています。
短い文章で十分に書ききれていませんが、何かのお役に立てばと思います。

4    転職活動
更新日時:
H13年7月8日(日)
かれこれ実質的に辞めてから4ヶ月(途中有給消化が1ヶ月あった)は経つだろうか。今通っている転職支援会社にもそのぐらい通っている。場所は神田須田町というところで、JRの神田、御茶ノ水、秋葉原から10分以内で非常に便がよい。近くには藪そばやてんぷらのいもや等いろいろなお店があり、普通のものは若干安いのではないだろうか。
その転職支援会社(A社と呼ぶ)は元の会社の人は結構登録しているはずであるが、常時来ているのは5名ぐらいである。私は3月時点で定期を買ってしまったので、必然的にほぼ毎日行くようにしている。定期代はばかにならないが結果としては良かったと思う。
(今時点A社で自営、独立の方以外で就職決定したのは3名です。)
A社はたくさんのブースがあり、私は39番がほぼ指定席になっている。新聞8誌、雑誌も豊富、コピー、PCやインターネット使い放題、自販機も無料である。まったく快適な環境である。
 
3月の時点では職務経歴書の作成や履歴書の書き方、及び性格テスト等を行なった。その後PC研修や模擬面接等である。その間は(今もそうであるが)ヘルパーやコーディネーターの勉強及びAFPの勉強に利用している。
5月後半よりいろいろな人材紹介会社(商社系、銀行系、メーカー系、独立系)に行って登録をした。仕事の紹介はA社やそうした人材紹介会社より連絡がある。
私自身は結構よりごのみしているので、実際人材紹介会社経由で面接にいった所は2社だけである。他は電話だけで断ったりしてしまっている。どちらかというと、新聞の求人やB−ing等で一般公募するほうが多い。
現時点では一般公募の書類選考で2社落第、こちらからの断り7社、保留3社である。まあ断る理由の一番は収入面であろうか!それでも世間並みの提示はしてくれているのだが、自分を知らないのか自分を安く売りたくないのか、今ひとつ合わない。
 
一番大きな理由は、こうして仕事探しをしていてサラリーマンとして仕事をする事の限界を感じているのかもしれない。やはり以前いた会社の環境が良かったので(自由さ、権限委譲、良い仲間)自分にとってのそれ以上のものを探すのは難しいのかもしれない。いまさらデスクに座って管理なんて柄じゃないよ。会社勤めをしたとしても、外勤したいし自由な時間もほしい。そして常に人と接していたいと思う。やはり根っからの営業マンなのでしょうか。
 
そんなわがままなので私の担当のコンサルタントも困っているようです。しかし一つだけ失敗した事があります。そういう企業は外資系に多いのですが、私の英語はカタコトです。海外旅行やそういう女性のいる飲み屋さんでは通用しますが、ビジネス英語は歯が立ちません。もう少し勉強しておけばよかったかな?
 
しかしそうは言っても貯金は目減りするばかり、株は最近の状況でもっと目減りしています。さあ、そろそろ始めなければいけませんね。
介護の方で事業立ち上げの話もあったのですが、間にいろいろな人(企業)が入ってきてややこしくなり、今中断しています。私のポリシーの人の役に立ちたいには合致していたのですが・・・。
ファインナンシャルプランナー(FP)には魅力を感じています。ただ日本では独立してやっていける環境ではありません(米国ではほとんどが独立系)。日本のFPはほとんどがどこかの企業に属しています。
2025年には4人に1人が65歳以上の、世界始まって以来の少子高齢化社会を迎えます。やはりそこに向けての身体介護と財産介護が重要なポイントになると思います。勉強してしている事等を含め、何かそこに繋がる仕事をしたいと思います。夢や理想かもしれませんが、取り敢えずそこに焦点を当てていきたいと今思っています。
 
それまでは友人の仕事を手伝いながら、勉強や研究をしていきたいと思います。そうは言いながらいつどこでどうなるか、切迫してきたらわかりませんが・・・
また事態が変化したら続編を書きます。
 

5    NY珍道中
更新日時:
H13年12月1日(土)
11月23日佐倉〜成田AP〜J.F.ケネディAP〜マンハッタン
佐倉に住んでいて良かったの一つが、成田APまでの距離。家を出て30分後には空港に着いていました。でもそこはガラーン・・・・
ノースウエストのディスカウントチケットで往復39,000円、空いていると思ったらコンチネンタルと日本エアシステムの合同便になっていて80%は埋まっていました。
J.F.ケネディAPに降りて、右も左もわかりません。バスが安そうだったのですが、どれに乗っていいかわからず、取り敢えずイエローキャブへ。カートを押していると「そのタクシー乗り場はマンハッタンには行かない、私の車に乗っていけ!証明書も持っている」(英語で)と親切だなと思いながら、もしかしたら白タク???ついて行くと駐車場へ・・・ヤバーイ!「すみません、両替を忘れたので戻ります」すると「=*<〜?」おまけにもう一人大男が現れました。なんか怒っています。・・・当然一目散で逃げました!タクシー乗り場に戻り「マンハッタンまで行きますか?」すると「オブコース」でした。
ホテル(インターコンチネンタルNY)に無事に着き、フロントのお兄さんが「ウェルカム=*〜?」???日本語がしゃべれる人がいるというので五つ星にしたのにーーー。でも「タバコが吸える部屋」だけは通じたようです。街に出てイベントの予約をしようとJCBプラザへ行きました(ここは日本人スタッフがいる)。ところがレイバーデーの関係でお休み。ガーーーーーン・・・どうしよう・・・(3日間休み)日本語はこれにてジ・エンド。もう開き直りました、一人で生きていこうと!
マディソン街に出てホットドッグとビタミンウォーターを買って(5ドル)歩き回りました。夜はステーキを食べようとデリに入りオーダーしましたが、スモールサラダは3人前、ステーキはB5サイズ、それにポテトフライが日本のマックのL2個分、プラスドーナツみたいなのが3個もついていました。OH!NO!
 
 
11月24日ブロードウェイ〜マディソンスクエアガーデン〜5番街〜マディソン通り
天気予報を見ながら今後の計画を立てる。日曜は天気が悪そうなのでミュージカルに決定、チケットを買いに出かける。いろいろ劇場を回りましたが、英語のしゃべりが少なく、上演が2時間以内のものを探す。結局シカゴに決定(看板の編みタイツにも惹かれたのも事実)窓口にて今度の日曜なので「ネックストサンデー、アダルトワン、ニアステージ」とかっこよく決める。チケットを手に意気揚揚と劇場を後にするが、何と12月2日のチケットでした。文句を言いに行くとネックストサンデーは次の日曜の事を言うらしい・・・勉強になった!!!
その後NBAを見ようと20分ほど歩いてマディソンに到着。でも、どこから入っていいかわからないし、どう買って良いかもわからない。取り敢えず人の多い方に行き、入場を試みるがボディチェックを受け、持っていた水を無造作に捨てられた。やはりナーバスなんだなー。なんとか月曜のチケットを手に入れましたがJCBが使えないを理解するまで5分はかかりました。(ミュージカル95ドル、バスケ82ドルでした)
Kマートに入りお買い物。ここでもレジでトラブル発生。わざわざキャッシュまたはクレジットオンリーに並んだのにカードはNOとの事。困っていると後ろに並んでいた数人が「ここにクレジットOKと書いてある!それはおかしいぞ」と応援してくれて無事買い物する事ができました。メデタシメデタシ・・・
その後ぶらぶら歩いて外人に道を聞かれたり、火を貸したり、今日発売のダイエットコークレモン味をただで貰ったりしながら、地下鉄に乗って5番街に移動。一応各ショップのウィンドウを写真に取りながらナイキタウンへ向かいホテルに戻る。
夜、飯を食べに再度タイムズスクエア方向に行き、はたしてそこには日本語の立ち食いソバの看板。即行で入りましたが、そこには日本人のお兄ちゃんがニッコリ・・・久しぶりの日本語でほっと一息。当然2Fのテーブルにも日本人が多いかなと思ったら、日本人に似た中国人とアメリカ人でした!でも海老天そばとかやくご飯で満腹です。次に目指すはハーレーダビットソンカフェ。ビールをオーダーし(4ドル)、ここはタバコが吸えるというので思いっきり吸いまくる。バイクに囲まれ、ビールを飲み、タバコを吸い最高の場所でした。後にも先にもタバコが吸えたのはここだけでした!!!
 
 
11月25日セントラルパーク〜アメリカ自然史博物館〜セントラルパーク〜ブロードウェイ
天気の良いセントラルパーク。ここでチキンサンドとコーヒーのラージサイズをオーダー。ラージはどのくらいの大きさなのかと期待して待っていると???何と500CCペットボトルよりも大きい!ウーンこれでは戦争には勝てなかったはずだ、納得。
パーク内を30分ほど歩いて博物館へ向かう。ここでもチケットを買う時に「=*〜?」どうもいろいろなコースがあるらしい。取り敢えず「ベーシックコース、プリーズ」。中に入るとその規模の大きさとディスプレイに驚愕しました。めったに見れないものが無造作に置かれています。恐竜の化石など、日本だったら1ブースに一体で、尚且つガラス張りだろうなと感じました。3時間ほどいてダコタハウスから再度パークへ。自転車、ローラーブレード、ジョギング、徒歩等皆好き好きに楽しんでいます。途中ストリートジャズを楽しみました。
ミュージカルの前にマックへ。ここは日本と同じ、しかし老人が一人で食べている姿をたくさん見ました(食事ではここが一番チープでとれます)。いよいよショーの始まりです。よく言葉はわかりませんでしたが、キャスト等の表情を見ていると外人と一緒に笑えます。隣のレディにミントを貰って大変ハッピーになりましたが、問題が一つ。トイレに行く時はどうしよう、何て言おう!とずっと悩んでいました。休憩時間に席を立ってくれるといいなあと念じていましたが、全くその気配なし。よし困った時のイクスキューズミー作戦、しかし連発しすぎたせいか「ドントオリー」と逆に恐縮されてしまいました。ショウが終わりキャストが花を投げたのですが、幸運にもキャッチ、レディに上げたら大変喜ばれました。花は万国共通です。
外に出ると予報どおり大雨でしたが、笑ったのはさっきまでTシャツを売っていた黒人が「アンブレラ5ダラー」と傘屋に変身していた事です。スーパーでビールや水、サンドウィッチを買って帰りましたが、ハムの厚さ3センチのハムサンドと異様にすっぱいマカロニサラダは非常に不味かったです。
 
 
11月26日ウォール街〜バッテリーパーク〜トレードセンター跡〜チャイナタウン〜エンパイアステートビル〜メーシーズ〜ホテル〜マディソンスクエアガーデン
忙しい一日です。5番街から地下鉄で30分弱でウォール街へ行きました。もう地下鉄も慣れたもんですが・・・日本の癖でウトウトとしてしまいました、その時「=*〜?!!!」何か叫んでいます。ふと周りを見回すと・・・誰もいません!さては”サリンか”???ヤバーイ!!!結局終点で、降りて乗り換えろという事でした。ヤレヤレ
地上に出ると、ここがウォール街かと妙に納得。近くの屋台でベーグルとコーヒーを買い、ニューヨーク証券取引所横のビルの階段にてブランチ。レディウォッチをしながらモグモグと、私はどう見られているんだろうと日本では考えますが、ここでは自分でカッコイイなと思っていました。しかし、たくさんいたポリスには全く気にされず、ピザ屋やデリのちらし配りの標的にされていました。
自由の女神を見に行こうとバッテリーパークへ向かいました。海が見えてリスがチョロチョロして気分は盛り上がってきました。女神が見えたとき思わず「猿の惑星」のエンディングを思い出したのは私だけでしょうか・・・でも少しセンチメンタルになったのか目頭が熱くなってきました。
トレードセンター跡では本当に鳥肌が立ってしまいました。TVで見たときは、それでも他人事だったと思いますが、こうしてその情景を見ていると、本当にテロは酷い、人生のはかなさを実感しました。”何が起きるかもしれないので、やはり悔いのない人生をおくりたい。それが多少の失敗があっても構わない」
気を取り直し、美味いものが食べたいと思いチャイナタウンへ。屋台の春雨や焼きソバも魅力的でしたが、やはりここは本格中華でしょう!確か「湯***」と書いてあったのでそれを注文。来た来た美味そうな海老ソバ、何故かご飯もサービス???ご飯の意味がわかりました、それは海老入りのス−プだったのです。さらにトマト、セロリ、パイナップルまで入った酸っぱいスープでした。ウッ食えない・・・もったいないので海老だけ食べて、ご飯に醤油をかけて食べました。恐るべし、中国語!
その後エンパイアに行き厳しいボディチェックを受けたり、警察犬を撮っていて「ノーピクチャー」とポリスに怒られたりしましたが、次の地下鉄でまた違うトラブルが起きました。チケット(トークンとよぶコイン)を買おうとすると長蛇の列、すると10代の女性がそのトークンたくさん持っていて、売ってくれると言うのです。なんだ、アメリカにも親切な人がいるんだと感心して1ドル50セントを渡すと、するとヒューーーと走って何処かに行ってしまいました。!?!?やはりアメリカは怖い街でもあります。でもそれだけでよかったです。
メーシーズで市場調査を行いました。ここでもお決まりのボディチェック、しかしでかいデパートです。でもアメリカです、商品はたくさん床に落ちているし、無造作に積んであるサイフは安いものだと思っていたら、ほとんどは50ドル以上。オマケに服は同じラックに同サイズ同カラーが5枚以上並んでいました。”私が教わったものは何!お店に言ってきた事は何?”やはりUSAです。食べ物もそうですが”量”です。
いよいよ本日のメイン、そうNBAです。本場のバスケは違います、ダンクの迫力もそうですが、観客の声やジャスチャーはすごいです。楽しみ方を知り尽くしています、そして郷土愛、郷土チーム愛。今でもニューヨークコールは耳に残っています。また、身障者の方も車椅子で普通に観戦していたのは、日本との施設や意識の違いを感じました。
夜遅くなったので嫌な予感がしたのですが、ピタリ当たりました。街の表情が一変します。変な人がたくさん出てきて、SEXMAPを1ドルで売る人、私はホームレスと叫んでいる人・・・・・。そして私の身にとうとう降りかかりました。今まで道端に座っていた熊のような黒人がフラフラしながら近寄って来ます、で、腕を掴まれて「ギブミーマネーー」ひゃーーーーびゅううーー走って逃げました。
 
 
11月27日ホテル〜J.F.ケネディAP〜成田AP
振り返れば短い日々でした。2日目には「日本にかえりたーい」だったのですが、なんかすごく寂しい気がしました。もう、I LOVE NEWYORK です。
帰りはホテルのハイヤーで超リッチな気分。例のアカデミーショウとかで俳優が乗りつけるやつです。脚を伸ばしても私が短いせいでしょうが、前のシートには届きませんでした!!!一人だったのでエクアドルからの出稼ぎのドライバーと1時間弱の歓談。なんでもワールドカップで母国の応援で来日したいそうです。私の英語ももう完璧?日本のいろいろな事を教えたし、「ありがとう、おじょうさん、きれいね、渋滞」の日本語を教えました。これだけ知っていれば生きていけると・・・
空港では更なるボディチェックでした、3回はジャケットを脱いで、荷物をだしました。
やっとチェックインも終わりタバコを吸おうと探しましたがどこにもありません。結局ホテルを出て成田まで都合14時間の禁煙でした。飛行機のシートに座り周りを見回しましたが、ここにも日本人がいません。もう幾日日本語をしゃべっていないのだろう?すると何か騒いでいます、もういいかげん何も起きないだろうと思っていたら、起きました。第3エンジンから煙が出ています、「もう好きにしてよ・・・!」結局1時間ほど修理して出発しました。あああああああああ、やれやれ・・・
 
 
日付は日米まぜまぜです。
最後まで珍道中を読んでいただきありがとうございました。まだまだいろいろあったのですが書ききれません。
 
NYは本当にいろいろな人がいます、また貧富の差も大きいです。しかし皆一生懸命生きています。働いています。
バリアフリーも本当に進んでいます。
身障者も健常者もかわりません。
犬もたくさんいて人間の伴侶となっています。
健康に気を使っています。
タバコを吸う人はやはり自己管理が出来ていない人?
楽しみ方も上手です。
フレンドリーです。
でも飯はまずいし、ちょっぴり怖いです。
けれどNYなのでしょう。
 
 
でも私は生きていく勇気を学びました。
 
 



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