高級住宅街の一角(イッカク)に、一際目を引く屋敷があった。
錆びないようにコーティングされているせいか、太陽の光をたっぷり浴びて、キラキラと眩しい光を放つ、金色の門。
4、5メートルはありそうな門を、暗証番号で解除すると、その重々しいズッシリとした扉とは全く正反対の、軽い音を立てて、その扉は横へとずれる。
それは、普段、雨露(アマツユ)にさらされているとは思えない程、軽やかであるため、高級感がうかがえた。
門が視界から消えると、代わりに現れたのは、一度では見きる事ができないほどの、広大な敷地。
庭というより、庭園というべきほどの立派な緑。
何十人もの子供たちが一度に遊べるほどの、ユッタリとしてスペースに、設置された数々の遊具施設。
そして、この土地の南側には、おしゃれな形をしたプールがあった。
プールの底には、目が覚めるような鮮やかな蝶の絵が描かれていた。
風に吹かれ、水が緩い波を立てた。
そのせいで、描かれている蝶がまるで、その広げている羽を、羽ばたかせて舞っている様な錯覚を感じた。
そして、そのプールと反対側である北側には、屋根つきの車庫があった。
その中には、フェラーリが、赤と紺色とシルバーと・・・合計3台がおいてあり、他に国産車のスポーツタイプの車が2台と、セカンドカー的に使われているのだろうと思われるような、小型普通車が1台確認できた。
その大きな車庫から今度は、視線を変える。
この敷地の中で、一番大きく、そして、目を引くものに・・・。
それは、当たり前の事ながら、目の前にそびえ立つ、自宅と呼ぶには恐れ多いほどの、建物。
世界遺産と言われても過言ではないほどの、どっしりとした立て構え。
自宅としては珍しい、モノトーンの外壁。
とはいえ、所々に深みのある茶色や、グレーがかった色など、細かくみると、さまざまな色調が取り入れられている為、上品でいて、なおかつ、遊び心のある、親しみがもてる、暖かいものになっていた。
頑丈な扉を開けると、おしげもなく設けられた広々とした玄関ホールが迎えてくれる。
履物を脱ぐ前のタイル状で出来た玄関には、4人掛けのテーブルとイスが置かれており、そこで客人をもてなすようになっていた。
そこをあがると、ピカピカに磨かれたフロアーがあらわれる。
肩をすぼめなくても、悠々と行きかう事が出来るほどの広さの廊下。
長い長い廊下を歩いていくと、その先にはまた、扉が現れた。
扉の3分の1相当の大きさくらいが、すりガラスになっている。
背の高い人ならば、そこから中をのぞけるかもしれないが、かなりの長身でないと、のぞけないほど、その扉は、とても高いものだった。
その扉を開ける。
そこは、キッチンにつながる扉だった。
普通の家だと、キッチンとリビングと言える場所なのだが、この屋敷にとって、このキッチンと隣接しているスペースは、リビングとは呼ばないだろう。
なぜなら、このさらに奥に進んで行くと、40人は悠にくつろげるほどのスペースを持つ、巨大なリビングが存在するから。
高級ソファーが、ズラズラズラっと並び、普通の家には置けないほどの、巨大インチの薄型テレビが居座る。
そして、あとは、カクテルを作る為の、カクテルバーも設置されている。
なので、このキッチンのすぐ側にある、5人掛けのソファーと少し凝ったテーブル、そして、この広さにふさわしいテレビが存在するこの場所は、『ちょっとしたくつろぎスペース』と、言った方が合っているのかもしれない・・・。
そして、その『ちょっとしたくつろぎスペース』に、今日もくつろぐ、この屋敷の主の姿を確認する・・・。
レンジの音が、キッチンに響いた。
私は、あっつあつのカップの取っ手を、ふきんでくるむと、それをそーっとこぼさないように気をつけて、レンジから取り出す。
そして、それを、アイルランド型のキッチンテーブルに置くと、少し大きめのスプーンでユックリと大きく円を描いて、クルクルと念入りにかき混ぜた。
白い液体が、見る見るうちに茶色くなり、やがて、細かい細粒も見えなくなるくらい、液体とまざりあった。
それを確認した上で、私は、そのカップを、おそろいのソーサーに乗せると、ソファーに座って、新聞を読んでいる彼の元へと運んだ。
「雪、お待たせ。」
そう言いながら、彼の目の前のテーブルにスッとお皿を滑らせた。
熱々のカップから、白い湯気が上がり、その甘ったるい湯気は、やがて彼の鼻に命中する。
その甘い誘惑に負けた彼は、早々に手にしていた新聞を四つ折りにすると、自分の横にポンと乱暴に投げる。
そして、目の前のカップに左手を伸ばすと、甘い香りにいつの間にか笑みまで浮かべて、嬉しそうにそれを口にした。
外見からは、想像もつかないギャップに私は、ついつい突っ込んでしまう。
「まさか、ココアが好きだなんて・・・。
その外見からは、想像もつかないよ。」
と、いえばちょっとバカにしてるような発言を言っちゃった私だけど、当の本人は、
「そう?うまいぞ。」
と、全く気にしていない様子。
天才外科医。クールで近寄りがたい男。
と言われている彼が、実はココア好きだなんて・・・。
ねっ?やっぱり、ちょっと笑っちゃうでしょ?
そう思っちゃうと、余計ツボにハマっちゃって、私は、「プッ。」と噴出し笑いをしちゃう。
「なんで、そんなにウケてんだよ。」
と彼も言ってくるけど、よっぽどココアがおいしいのか、カップを口から放さないまま、今度はリモコンをいじり、テレビをつけた。
彼も私も、突然聞こえたテレビからの音に、自然と目線は移動する。
特に何かを求めたわけではない。
ホント、何気なく、“ただ見た”だけだったのに・・・。
だから、とんでもないうわずった声になった。
「えー!!何これ!!」
右手でテレビをさす。
その手も、もどかしくて上下に上げ下げして、アタフタ。
だって、テレビに映ってるのって・・・とんでもない内容で・・・。
動揺を隠しきれず、私はヘナヘナと尻持ちをつくと、側に座っている彼の膝に手を乗せて、しがみつく。
「どういう・・・事??」
事態が把握できない私は、同じテレビを見ても、信じられないくらい落ち着いている彼にすがった。
彼はというと、手に持っていたリモコンをテーブルにカタンと音を立てておくと、少し笑う。
「まっ、これが、当然といえば、当然じゃねぇーの?」
そう言った彼は、「よっ!」と軽く声をあげながら、体を少しテーブルに倒す。
少し前かがみになりながら、身を乗り出し、少し奥の方に放置してあったタバコの箱の隅に、人差し指を強くおしつける。
そして、それを、ぐいと手前にひっぱった。
テーブルにすべるようにして、タバコはスルスルスルっと彼の元へと進んできた。
それを、左手で持ち上げた彼は、そこから慣れた手つきで、1本取り出すと、口に加え、用済みの箱を、新聞の上にポイと軽く投げた。
「アイツはあー見えて、アメリカ屈指の名家ローゼン家の人間なんだ。
アイツの結婚となれば、マスコミが騒ぐのは当たり前だろ。」
「だけど・・・。」
私は、たまらず、彼に強い口調で反論してしまう。
だって、“彼女”は・・・。
結婚する彼女は、私と同じ普通の人間だもん。
なのに、こんなに騒がれたら・・・。
私は、“また”彼女の恋が、脅かされていくんじゃないかと、不安を持った。
その不安は、触れ合っている彼の体にも浸透したようで。
私の心の中を察知した彼は、左手でおさえていたタバコを、左の唇から、右端へと移動させ、さっきまで遊ばせていた右手で、ソッと支える。
開放された左腕はというと、私の肩にまわされた。
そして、彼の左手は、私の髪を優しくなでた。
私は、この左手が本当に好きだった。
男性とは思えない程の、細くて長くてスラっとした綺麗な指も好きだったけど、彼の指に私の髪がからみ、指先が細かく動くのを、髪を通して感じるのが好きだった。
“動いている”んだと、感じれる事が何よりも幸せだった。
その幸せをもっと感じたくて、私はソッと目を閉じた。
そうしたせいで、余計、テレビから聞こえる言葉が私を襲った。
それは、きっと、私の不安をさらに膨らませるものだったはずだけど、彼がそれをはねつけてくれた。
「桜は、ホント、心配性だよな。
安心しろって。
あいつらの恋は、ちゃんと成就してるから。」
その言葉に、私は伏せていた顔を少し動かす。
上に向けると、そこには彼の顔があった。
優しい瞳で、私を見下ろしている彼の眼差しが、私の目と合った時、彼は少しだけ笑った。
「“ブルーストーン”の力は、すごいんだろ?」
そうだよ。って答えようとしたけど、私の口は彼にふさがれてしまった。
彼がさっき言った、“ブルーストーン”っていうのは、石なんだけど・・・。
それは、ただの石じゃないの。
その石は、人の恋を成就させるという・・・とても、とても不思議な石なの・・・。
入社5年目にして、やっとここまで来た。
県外でも有名なホテルからのブライダルの依頼。
それも、名指しよ、な・ざ・し!!
やっと、・・・やっと、ここまで来たー!!
と、あまりの喜びと感激に、ガッツポーズをしてしまう私の背後で聞こえた脅えた声・・・。
「あの・・・主任?」
その冷ややかな声は、私の胸で沸騰している熱い熱い思いを、プシューと鎮火させた。
ハッとした私は、拳を握って力が入っていた右手を、急いで下におろした。
いけない、いけない。
私とした事が!!
後輩の前で、なんて、はしたないマネを!!
私は、慌てて咳払いをしてごまかした。
にやけた顔を、ピシっとして・・・。
よし!と気合いを入れて、私は後輩がいる後ろに、クルっと半回転した。
「成田さん。どうかした?」
私の問いかけに、
「あっ・・・えーっと・・・そのー・・・。」
とオタオタする彼女。
ホント、予想通りの答え。
私は、そう心の中で思った。
私の目の前にいる彼女は、成田さんといって、入社して1年が過ぎた、まだ21歳の女の子。
仕事をこなす腕は、2年目とは思えない程の凄腕なんだけど、トークさせると、新入社員と同格くらいにまで、格落ちしちゃうのよね。
彼女いわく、人と話す事に慣れなくて、話そうとすると、極度の緊張が彼女を襲うらしい。
これでも、だいぶ慣れた方なんだけど・・・。
さっきみたいに、急に話をふられると、こうなっちゃうの。
でも、私は彼女がすごく好きだった。
こんなだけど、頼んだ仕事はちゃんとしてくれるし、何より正確だから助かるの。
私が今、勤めている会社は、ブライダルの会社。
主に、自分の会社と系列のホテルや式場やチャペルで行う、ブライダルのサポート。
なんだけど、それだけじゃ、このご時世やっていけないのが、現実でね。
そこで、会社側で、いくつかのチームを作って、出張サポートみたいなのをするようになったの。
それをやり始めたのは、私が24歳になる年だったから、今から1年半くらい前かな?
その時、私は、入社4年目って事もあって、チームのリーダーに選ばれた。
そこで、私は、必死で頑張ったの。
最初は、とても小さな仕事から受けた。
例えば、披露宴のテーブルに置くブーケの発注とか。
そんな披露宴の一部とも言えないような些細な事から、私は始めた。
それでも、必死で頑張った。
その時の私には、仕事が生きる支えだったから。
やがて、私の熱心さも買われるようになり、私は少しずつ仕事をもらうようになった。
その甲斐もあって、今は、出張ブライダルコーディネーターと言われるほど、世間でも認められつつあった。
でもそれは、私だけの力じゃない。
私をサポートしてくれた、たくさんの仲間や、さっきも出てきた成田さんがいたから。
そして、そんな大切な仲間の成田さんは、今もまだ、オタオタ。
なので、私は、彼女の頭を、いつものように軽くポンポンとなでた。
「落ち着いて。誰も、取って食おうなんて思ってないから。」
私はそう言ったあと、私に目線を移した彼女に笑いながら言ったの。
「だって、成田さん、まずそうだもん!!」
そう言って、「アハハ。」と笑う私に、周りの仲間も声を出して笑う。
いつものように、こうやって、おちゃらけてあげると成田さんは、緊張がほぐれて、本来の彼女の姿に戻る。
ガチガチだった余計な肩の力が抜けた彼女は、緊張で引きつっていた頬を、プクーっと膨らませる。
そして、ちょっと、私を軽くにらんで・・・。
「ひどいです・・・。」
とさらに、口をとがらしながら、文句を言ってた。
成田さんの、こういう素直な態度を、見るたびに私は、いつも後悔してしまう。
『あの時』の私に、素直さがあったら、『あの人』を失わなかったかもしれないって・・・。
また、いつものように、そんな事を思ってしまった私は、自分に対して、複雑な笑いをしてしまう。
少し現実から外れかけた私の耳に、勢いよく近付いてくる足音が聞こえた。
私は、気になって、視線をそちらに注いだ。
長い廊下を、物凄い形相とスピードで、走ってきている彼は、まだ、遠い位置から叫んできた。
「主任!大変です!!」
こんなに切羽詰った大きな声・・・私は初めて聞いた。
それくらい、普段の彼は、穏やかにしゃべり、そして、すごく落ち着いている人。
彼の名前は、矢上(ヤガミ)くん。
私と同期で、とても頼りがいのある男の人。
そんな彼が、走りながら大声で叫んで、しかも『大変』って・・・。
イヤー!!
聞きたくなぁーい!!
って思うでしょ。
気持ちは、両耳ふさいで、イヤイヤと叫んで首を振りたかった。
だけど、さすがに、主任である私が、そんな子供じみた態度、取るわけもいかなくて・・・。
私は、逃げたい気持ちを必死で、とどめながら、やや脅え口調で矢上くんに言った。
「どう・・・したの?」
眉毛はよせぎみで、顔が少し曇る。
さらに、顔を正面に向けられなくて、右半分は少し後ろ向きになる。
そして、体は、右足を後ろにさげる。
いつでも、逃げるスタンバイオーケーな私のスタイルに、
「逃げる気、満々じゃないですか・・・。」
と彼は、小声でぼやく。
でも、その声はあまりにも小さくて、私には聞こえなかった。
一方の矢上くんはというと、全速力で走ったツケが回ったのか、とりあえずは、大きく深呼吸をして、乱れてる呼吸を、通常のものに戻す努力をする。
早く息を戻す為、急いで酸素を吸う彼の肺が追いつかず、時々咳き込んだりしてた。
だけど、それも、一瞬の事で、しばらくて、彼の呼吸も少しずつ、落ち着きだした。
でも、完全にまでは、待てない彼は、額から流れる汗をぬぐうのも忘れて、私に重大な報告をした。
「今さっき、全ての交通機関が、全面ストップしました。
これでは、ブルーのクロスは、取りに行けません。」
「へっ?」
どうしようもない事を言われると、人って、「えぇー!!」って驚きよりも、「嘘!!」って気持ちの方が勝っちゃって、バカな言葉を言っちゃうものなのよね。
この時の私も、あまりの驚きに、バカな言葉を言っちゃった。
でも、言って、すぐに我に返った。
周りの仲間は、あまりの驚きに、声が出ないようだった。
「冗談じゃないわよ!
明日の11時から、披露宴なのよ!」
何をふざけた事を言ってるのよ!と、鼻息を荒くして怒る私に、
「怒鳴らなくても、そんな事、わかってますよ。」
といつもの落ち着き払った口調で言い返した彼は、私の興奮にも乗じなかった。
「だけど、製作地である長野は、大雪の為、完全に全ての交通機関が停止してるんです。
正直、どうしようもないですよ。」
どうしようもないって・・・。
そんな事で、納得できるわけないでしょ?
私は、ポケットから携帯電話を取り出す。
カチカチとすごい速さでキーを押し、メモリーしてある航空チケットが手配できるHPを表示させる。
そして、それをつなごうとボタンに移動した私の携帯を、彼が素早くとる。
「ちょ・・・何するのよ!!」
驚きと苛立ちで、彼をすごい形相で見る私に、彼は私の方を全く見なかった。
見ないまま、私からぶんどった携帯電話をいじり、待ち受け画面に戻すと、パチンと携帯を二つ折りにして、やっと、私を見た。
「言ったでしょ。
全ての交通機関が停止してるって。
もちろん、空も無理です。」
「そんな・・・。」
力なく、情けない声を出す私に対して彼は、普通に私の右手を取ると、「はい。」と言いながら携帯を握らせた。
どうにかしたい。でも、どうにもならない。
その現実に、私は、「はぁー。」と重いタメ息を付く。
そのタメ息に、心が揺れたのか、
「仕方ないですね・・・。」
と矢上くんはいうと、あまり気乗りはしないけど、仕方なく口にするというような口調で、ある提案を言ってきた。
「全く可能性がない・・・わけじゃない。」
その言葉に、私だけじゃなくて、仲間もいっせいに、矢上くんを見た。
一度に熱い視線を浴びた彼だったけど、全く気にする事もなく、淡々とした口調で話を始めた。
「多少、雪は降ってるけど、飛行には問題ないと思う。
でも、飛行機は飛ばない。
それは、乗客が、この悪天候で、空港まで来る為の手段が、休止してるからなんだ。
「じゃあ、どうしたら、飛行機は飛ぶの?」
「飛行機は飛ばせない。
でも、『それに担(ニナ)う物』なら、飛ばせる。」
「それに担(ニナ)う物??」
サッパリわからない私は、首を左に傾ける。
もちろん、みんなも、キョトン。
それを見た彼は、これ以上待っても、答えは期待できないと判断したのか、それ以上は追求しないで、話を続けた。
「つまり、ヘリだよ。」
「ヘリぃ〜〜!!!」
すっとんきょうな大きな声が、同時にだぶって、巨大な声を出した。
道行く人が、「えっ?」と振り返っちゃうくらい、とんでもない声だった。
だけど、それに突っ込んでいる時間がない私たちに、冷静な矢上くんは全く触れず、いきなり、私にこんな事を言ってきた。
「もちろん、一般人が今からヘリを調達するなんてできないし、飛行はできるといっても、多少は雪などで空は荒れてる。
その悪条件でも、操縦ができるほどの、腕のいい操縦士が必要だ。
今からすぐに、ヘリと操縦士を用意できますか?」
「それは・・・。」
私は、言葉を詰まらせた。
普通に考えたら私にはできない。
そんな力ないもん。
でも・・・。
私は、離していた視線を矢上くんに合わせた。
私を見てる彼の目を見たら、わかるよ。
彼が私に、そんな無理難題を言ってきたのは、私には出来ると思っているからだよね?
私の親友の桜に頼んだら、きっと用意してくれる。
なぜなら、桜の御主人の雪さんは、絶大なる財力と権力を持つ梅澤グループの御子息だから。
きっと、私が頼めば、雪さんも快く力を貸してくれるのはわかってる。
私と桜の事を、矢上くんは知っている。
だから、彼は、私にこの提案を伝えた。
でも・・・。
私は、首を振った。
これは、私の仕事の問題。
それを、桜や雪さんを巻き込んでまで、解決できないよ。
頼っちゃいけない事だもん。
だから、私は、正直、悔しかったけど・・・すごく頼みたかったけど・・・自分の気持ちを必死で止めた。
私の姿に、矢上くんは、近付いてくると、私の頭をポンポンと軽く叩いた。
「これで、わかったでしょ?
俺たちには、どうすることもできないんです。」
彼のその言葉に・・・いや。
彼のその声に、私は驚いて顔を上げて、彼を見た。
もっと、私を責めるかと思った。
頼めばいいだろ?って。
でも、今の彼の声、何もかもお見通しみたいな声だった。
優しくて、包み込んでくれるような・・・そんな声に感じた。
不思議に思った私は、そのまま、彼の目を見て。
それで、気付いたの。
彼は、私がこういう選択をするのを知ってて言ったんだって。
出来ない事を受け止めるしかないんだと・・・彼は私に言いたかったんだと・・・。
よくよく考えたら、彼がこんなこと言い出すのもおかしいのよね。
私の性格を誰よりもわかっているのは、彼なのに・・・。
「ほらっ!ボサっとしてないで、先方に謝りにいく者と、代わりのクロスを手配する者とを、決めるから、全員こっち集合!」
彼は、そう言いながら、しょげてるみんなの顔を順番に見たあと、近くのソファーに向かって歩こうとしてた。
彼は、仕事の事では、上司に話す口調で私に話してくる。
でも、それ以外の時と、あとは、仲間の部下には、こんな感じでちょっと、口調が悪くなったりする。
この口調は、結構、後輩からは、恐れられていて、ほら、今も!
仲間のみんなは、そそくさと彼に言われた通り、ソファーに集まりかけている。
ところで、さっきから、話している『クロス』というのは、結婚披露宴で、招待客が座るテーブルにかけてある、あのクロスの事なの。
通常なら、こういうトラブルもちゃんと考慮して、こんなギリギリに納品する事はない。
だけど、このブルーのクロスだけは、特別だった。
綺麗な刺繍があり、裾の部分の斬新なカッティングが魅力的なクロスを、前々から、すごく気に入っていた花嫁さんは、ギリギリまで悩んだ結果、後悔はしたくないからと、パックではないこのクロスを、別料金を支払ってまで使いたいと申し出てきた。
でも、挙式、1週間前の事だったので、本来なら断るんだけど、心残りにならないようにと、彼女が選んだのに、こちらが受け入れないなんて、そんな残酷な事、私は絶対にしたくなかった。
でも、そのクロスは特注だし、さらに専門の職人さんが手作業で作る為、前日の夕方まで出来ないと言われた。
だから、郵送は無理なので、私たちスタッフが新幹線で取りにいく事になっていたんだけど・・・。
まさか、雪が降るなんて・・・考えてもみなかった。
私が・・・浅はかだった。
でも、そうやって、いくら悔やんでも、しかたないよね。
これから、どうするか。
それを考えなきゃいけない。
桜や雪さんに頼まないなら、先方に断りを入れるしか方法はない。
それが、現実だけど、でも・・・。
私は、どうしても、もう少しジタバタしたかった。
「ねぇー、待って、矢上くん。」
歩きかけた彼を呼び止めた私は、彼の元に小走りで近寄ると、彼に訴えた。
「まだ、諦めたくないの。
悪あがきだと言われるかもしれないけど、何とかできるように頑張ってみたい。」
だけど、矢上くんは、「時間の無駄です。」と、冷たい視線を私に送る。
「でも・・・。」
それでも、なんとか、彼を説得しようと私が口を開いた。
その時、ある声が聞こえた。
それは、意外な人物から飛び出したものだった。
「あのぉー・・・えーっと・・・私も・・・主任と同じで・・・。
あっ・・・きらめないで・・・・頑張・・・りません・・・でしょう・・・か・・・。」
突然の成田さんの言葉。
ここで、成田さんが何かを言うだなんて、誰も思っていなかった事に対しての驚き。
よりにもよって、はむかった相手が、矢上くんなわけで・・・。
彼に反論したという、目を疑うような現実を目の当たりにした驚き。
そして、最後は、極度の緊張のせいで、成田さんの変な日本語に、驚き。
トリプルパンチに、みんな口を開けて呆然!!
そして、言われた矢上くんも、満塁ホームランを撃たれた投手のように、頭が、スコーンと真っ白になっちゃったみたいで、ただ彼女に見とれてた。
それくらい、成田さんの行動は、インパクトがあった。
だけど、言った本人は、自分の文法のおかしさに、気付くわけもなく、『必死で、言わなきゃ!!』って思いが強くて、彼女の口は、止まらなかった。
「たっ・・・しかに・・・絶望かもしれないのですけど・・・。
ですから・・・時間はまだ、あるですので・・・。
みんなで・・・えーっと・・・頑張って・・・その・・・えっと・・・・。」
そして、成田さんは、顔を真っ赤にして、力尽きた。
こんなに、自分の想いを言った事なんて、彼女初めてだったんじゃないかな?
もう、頭の中、大パニックで、言葉なんてこれ以上出てこない。
真っ赤な顔面を両手で覆って、心臓のドキドキのせいで、肩を震わしている彼女を見て、私はそう感じた。
そんな彼女の体に、振動がドンドンと次々に与えられた。
真っ赤な顔のまま、手から顔を上げた彼女の周りには、仲間の姿が。
彼女の行動力に、他のメンバーが一斉に抱きついたり、頭を乱暴になでたり、背中を叩いたりして、彼女にふれる。
そして、口々に嬉しそうな声を上げた。
「やるじゃん、成田!!」
「そうだよ!やる前から、諦めるなんて、らしくないよね!」
「先方に詫びを入れるのは、最後まで取っておきましょうよ!」
そして、みんなの矢上くんを見る瞳は、何よりも強かった。
その瞳を見た瞬間、矢上くんは、
「やれやれ。」
とタメ息をつきながらひとり言を言うと、成田さんの元へ歩み寄り、彼女の肩をポンと叩いた。
「成田の思いはわかった。
だけど・・・。」
そこで、止まった矢上くんの言葉に、笑顔だったみんなの顔が一瞬凍りついた。
だって、そんな所で止められたら、続きは予想できるでしょ。
「ダメだ。」
てっきりそういわれると思ったのに・・・。
じゃ、矢上くんは何を言ったかって?
それはね・・・。
「お前の日本語、おかし過ぎるぞ。
4歳児でも、もっと、まともな日本語話すぞ!!」
突拍子もない矢上くんの言葉に、みんなは、
「えっ?」
「へっ?」
「はぁ?」
と口々に言って・・・。
そして、最後に少し冷静に矢上くんの言葉を理解した成田さんが、こう言った。
「ひどいです。」
って。まー、正直、矢上くんの言う通り、さっきの成田さんの言葉は何かと変だったけど・・・でも、彼女の心意気はすごいと思った。
何より、あの矢上くんを納得させちゃったんだから。
ホントすごいよ。
と私が感心した時、仲間のみんなも同じ事を考えていたようで、口々にこんな事を言い出した。
「でも、成田さん、すごいよなー。
あの、冷徹な矢上さんの心を動かしたんだから。」
「ホントホント。
でも、矢上さんって、ホント意地悪ですよね。」
「そうだよ。あんな、ヘリだの操縦士だの。
主任にどうにか出来るわけないのに、わざと困らせるような事言ってさ・・・。
矢上さんは、主任をいじめ過ぎなんだよ。」
とまー、これは、ほんの一部。
こんな感じで、成田さんの勇気にスッカリ乗せられちゃったみんなは、さっきまで、矢上くんに1言も反論できなかったくせに、今は何かが乗り移ったみたいに、言いたい放題。
その言われように、
「なんだよ、ひでぇー言われようだな。
俺、一人が、悪者かよ・・・おもしろくねぇーな。」
と言いながら、矢上くんは、ふてくされた子供のように、ブスっとする。
彼が、あんな事を言ったのは、私に諦めさせる為にわざと言った事なんだけど、みんなにはそんな事わかるわけもなくて・・・。
ちょっと、かわいそうに思った私は、彼の右腕に自分の左腕をトーンとぶつけた。
突然の衝撃に、「ん?」と言いながら私を見る彼に、私は、少し笑いなら、
「ごめんね。」
と謝った。
私の為にしてくれたのに。って思いも込めて。
てっきり、それで、多少の元気を与えられると思ったのに、彼ったら、なぜか、「はぁー。」とタメ息ついちゃって。
そのタメ息の意味がわからなくて、私は、彼の腕をグイと引っ張って、彼の顔を少し私の方に倒した。
「なんで、タメ息つくのよ。」
おもしろくなくて、少し怒り口調で言った私に、彼は、
「ホント、お前のその鈍感さ・・・変わってねぇーよな・・・。」
ってボソっというのよ。
小さすぎて聞こえないよ!!
イライラした私は、
「小さくて、聞こえない!!」
と文句言って。すると、
「そんなに聞きたきゃ、聞かせてやるよ。」
と面倒くさそうに言ったかと思ったら、私のこめかみあたりに、唇を近づけてきた。
「俺は、お前に、“ごめん”って言わすために、あんな事言ったんじゃない。
お前に、そろそろ、気付いてほしかったから。」
「えっ?」
と驚いて、彼を見上げる私に、彼は言葉を止めずに私に向かって解き放った。
「誰よりもすみれの事をわかっているのは、俺。
そして、俺の事を誰よりもわかっているのは、すみれだって。
俺は、昔と変わらず、今も、すみれを愛してるし、必要としてるって・・・。
お前に、いい加減わかってほしかったから。」
そう言った彼は、今度は、少し膝をおると、こめかみあたりにあった唇と、私の耳のすぐ近くに移動させた。
まだ、何も言っていないのに、彼の息づかいが感じられて、私の神経は耳に集中した。
「まだ、アイツが忘れられない?」
そして、真っ直ぐに、私を見つめる彼。
私は何も言い返すことができなかった。
それだけじゃない。
私は・・・彼の純粋で真っ直ぐな目を見ることができなかった。
パッと目をそらしてしまった。
その態度が、彼の言った事に対しての答えを表していた。
下を向いたまま、何も言わない私に、彼は私の髪を優しくなでた。
そして、下を向いたままの私に、とても優しい声で言った。
「すみれの心にいつまでも居座る“アイツ”が、ホント憎らしいけど、それと同じくらい、うらやましい・・・かな。」
彼がそういい終わったと同時に、彼の手が離れた。
それに、私は反応するかのように、彼の方に、勢いよくパッと顔を上げたけど、彼と目が合う事はなかった。
彼は私を見ないまま、そのまま、仲間を見たまま、ユックリと足を一歩踏み出した。
彼が私を見なかったのは、偶然じゃない。
彼は・・・見なかったんだと思う。
私の困った顔を、これ以上見たくなかったのかもしれない。
だって、少し歩き出した彼が、とても小さな声で、
「今言った事・・・全部忘れてくれていいから。」
と言ったから・・・。
そして、仲間のみんなに、私たちの間に流れ始めた、少し重い空気がバレない様に、急に元気な声を出した。
「こら!やると、決めたんなら、いつまでも、じゃれあってないで、さっさと、こっち、こい!!
ミーティング始めるぞ!」
矢上くんの声にみんなは、緩んだ顔のまま、彼を見る。
みんなの注目を一気に浴びた矢上くんは、みんなを手招きしながら、自分は近くのソファーに腰をおろした。
表向きは、私が主任となってるけど、それは、ブライダルコーディネーターとしてのデザインの腕を認められてるだけ。
品物の手配や、流通的な事など、いえば、骨組み的な事は、矢上くんの力が大きい。
私たちのグループは、彼と私の2本の柱で出来てる。
それは、みんなも、ちゃんと理解してて、今みたいなトラブルが起きると、私でなく矢上くんの指示を仰ぐのは、暗黙の了解みたいになってる。
だから、ホント、さっきの成田さんの行動には、驚かされちゃった。
なんて思い返して、さらに、笑っちゃう私。
リラックスしたら・・・急に顔が熱くなってきた。
なんでかというと・・・。
さっき、矢上くんに言われた言葉を思い出したの。
忘れろって・・・忘れられるわけないよ。
『昔と変わらず、今も、すみれを愛してるし、必要としてる。』なんて・・・。
言われた直後は、動揺もしなかったし、心だってざわつかなかったのに・・・。
私は、そっと、胸に手をやった。
外にまで聞こえるんじゃないかと思うくらい、心臓はドクンドクンと物凄い速さで波打ってる。
そして、もう一つ。
信じられないくらい、熱を持っているのが・・・。
私は、左手である場所にそっと触れた。
彼の声を敏感に察知し、そして、彼の甘くて少し温度が上がった息を浴びた、左耳。
今頃になって、熱くほてってる。
それに触れながら、私は、自分の動揺する自分の心を、必死で抑えた。
私は、今、正直な所、どう思ってる?
冷静に考えられるほど、余裕なんて本当はない。
でも、ないからこそ、考えてみる。
少しでも早く冷静になる為に、私は無理に考えた。
彼に言ってもらった言葉、態度。
全ての事に対してだけど、正直、嬉しいとか恥ずかしいとか、そういう感情はなくて、どちらかといえば、ホッとした。
幼少時代の思い出の場所とかに行って、心が和むというか、ホッとする感じに似てる。
とても、懐かしいって・・・そう思ったの。
矢上くんとは、同期入社という事もあって、仕事で失敗した時は慰めてもらい、先輩の厳しさにはお互い分かち合ったりして、毎日のように食事に行ったり、飲みに行ったりしてた。
ただの同僚から、恋人になったのは、入社して1年が過ぎた頃だった。
お互い仕事にも、少しだけど自信が持ち始め、気持ちにもゆとりが持てた時期だったように思う。
告白は、矢上くんからだった。
正直、矢上くんに抱いている感情が、好きと呼べる物なのか、私にはわからなかった。
でも、彼と一緒にいて、居心地がよかったし、安心したし、それなりに、ドキドキもした。
でも、それが、好きと呼ぶ感情なのか、戸惑ったのは、事実。
だけど、かといって、矢上くんの申し出を断る理由とも思えなくて、私は、彼と付き合う事にした。
実際、付き合ってみて、すごく楽しかった。
毎日が、充実してたし、安らぎや安心もたくさんもらった。
公私共にたくさん、助けてもらった。
だから、私は、思ってたの。
これが、好きという感情なんだろうなって。
このまま私は、彼と結婚して、もっともっと、幸せになると・・・。
漠然と私はそう・・・思ってた。
あの人に、逢うまでは・・・。
“あの人”ってのいうは、私に、『本当の恋』を教えてくれた人。
私の人生の中で、輝いた7日間をくれた人なの。
胸が苦しくて切なくなる感情とか、どんなに人を傷つけてもほしいと思う自分の残酷さとか・・・。
そういう人の深い感情を、教えてくれた人。
私は、矢上くんという立派な恋人がいながら、他の人を愛したの。
そして、私は、彼との愛を貫く為に、やっきになった。
周りと、現実が、見えてなかった。
人の心を傷付け裏切れば、自分にも同じ痛みが与えられる。
そんな当たり前の事すらも、わからなくなっていた。
私は、本当に最低な人間なのに。
だけど、矢上くんは、いつだって優しかった。
別れたあとも、こうして、仕事のパートナーとして一緒にいられるのも、相手が矢上くんだったからだと思う。
誰よりも優しくて、誰よりも私を愛してくれている彼だから、出来ている事なんだと、彼には本当に感謝してる。
でも、時々、苦しくてたまらなくなる時があるの。
矢上くんに、憎まれて、罵倒されて、責めてもらえたら、どれだけラクになれるかなって・・・。
でも、そうされないのは、きっと、神様が、私に与えたバツなんだと思ってる。
過去もそして今も、知らず知らずのうちに、矢上くんを傷つけている私に対してのバツ。
それと、矢上くんが言ったように、2年経った今も、まだあの人を想っている私に対してのバツ。
私の心には、あの人がまだ居座ってる。
想っちゃいけない人。
一緒にはなれない人。
それだけじゃない。
もう二度と逢えない人。
そんなのわかってるのに、私の心からあの人が消える事はないの。
それくらい、私の中で、あの人は永遠だったし、どこかで私は、期待していたのかもしれない。
あの人と交わした“先の見えない約束”が、いつか実現する事を・・・。
私は、上着のポケットに手を差し伸べた。
そして、その中にある小さな物を右手で握ると、ポケットから取り出し、握っていた手を開く。
そこには、2年経った今も、輝きを衰えさせない、不思議な石の光がこぼれてた。
この石を見ていると、あの人の瞳を思い出すの。
この石は、どちらかといえば、鮮やかなライトブルーで、あの人の瞳の色は、深みのあるダークブルー。
全然違うじゃない!って思うかもしれないけど、でも、これを見ると懐かしいの。
私を見つめる、あの人の優しい眼差しを思い出す。
ううん。それだけじゃない。
あの頼れる腕も。
厚い胸も。
そして、少し甘い声で私の名前を囁くあの人の声も・・・。
この石を見るだけで、思い出すの。
あの頃に戻れたような錯覚を起す。
と同時に、あの人に無償に逢いたくなる。
今、どこにいるのかも知らないあの人を・・・。
完全に、思い出にタイムスリップしてしまっていた私は、何度か呼ばれていたことにも気付かずに、ただ、その石をジーっと見つめながら、その場に立ち尽くしてた。
「・・・にん・・・主任!!」
耳元で大声で叫ばれて、私はビクーと飛び上がる。
「うわっ!」
と声まで上げて驚いた私に、
「驚きすぎだ。」
と矢上くんはソファーから、腰をあげながら言い、みんなも、私の反応に大笑いしてた。
でも、彼女だけは、笑い事ではなかったようで、本当に申し訳なさそうに私に、頭を何度も何度も下げた。
「すみません。えっと・・・あのぉー・・・。
そんなに驚かすつもり・・・なかったのですけれども・・・。」
とまたしても、変な日本語になっている彼女を見て、彼女の焦りぶりを目の当たりにした私は・・・。
「えっと、気にしないで!!
私が、ボーっとしてたのが、悪いんだから。
ねっ!だから、そんなに頭下げないでいいから。」
今度は私が慌てる。
彼女の肩に手を触れて、慌てて彼女の頭を上げさす私。
そりゃ、慌てるって!!
だって、私ったら・・・。
やだもぉー!!恥ずかしすぎ!!
部下の前で、しかも仕事中でいて、この緊急事態の時に、よりにもよって、酔いしれちゃうなんて・・・。
それ自体も恥ずかしい事だったけど、何より恥ずかしかったのは、2年経った今も、こうやって、昔を思い出して浸っちゃう私の、未練たらしさだった・・・のかもしれない。
こんなにも、あの人の事を考えたり、あの人を身近に感じるのは、きっと、これをいつも肌身離さず持ってるからよ!!
そして、私は、さっきまで、見とれていた物を見ようと、目を移した。
だけど・・・。
「えっ?」
私は、思わず声をあげた。
私の手の中にあるはずの物が・・・。
「ない!!何で!!嘘っ!!」
その声は、とてつもなく大きかったみたいで、側にいた成田さんは、飛び上がってたもん。
そして、矢上くんを始め、他のみんなも、どこかに向かおうと、私たちから少し遠ざかった場所にいたんだけど、私の大声に驚いて、足を止めて振り返ってた。
だけど、私は、みんなの視線なんて気にしてる余裕はなかった。
だって・・・。
私は、手をくまなく見た。
でも・・・ない。
なんで?さっきまで、私、持ってたのに!!
もしかして、成田さんの声に驚いた時に、思わず落としてしまった??
冗談じゃないよ!!
あの石は、あの人がくれたの。
私たちをつなぐ、たった一つの物なのに。
私にとっては、どんな高価な物よりも大事なものなのに!!
「主任?」
と心配そうに声をかける成田さんや、
「どうか、したのか?」
と私の元に歩み寄ってきて声をかけてくれた矢上くんの声も、私には聞こえてなかった。
少し前かがみになりながら、床をじっとみて、辺りをグルグル周って、くまなく見る。
お願い、出てきて!!
どこ?どこなのぉー!!
まばたきするのも耐えて、とにかく必死で床とにらめっこをして、私は必死で探した。
その時・・・。
「あの・・・、これ落とされましたか?」
そんな、か細い声が背後で聞こえた。
その声は、初めて聞く声だった。
今の私なら、石を探すのに必死で、誰かの声なんて、耳にとどめることなんて出来なかった。
現に、矢上くんや成田さんの声は、通過してたんだから。
でも、なぜか、彼女の声は、私の脳でピタリと止まり、私の顔を彼女の方に向けてくれた。
声で感じたとおり、私を呼び止めたその人は、全く初対面の人だった。
見るからに高そうなスーツを身にまとい、緩いパーマをかけている髪型が、どこかお嬢さまって感じをかもし出してた。
立ち振る舞いも、背筋を伸ばし、立ち方がすごく綺麗だった。
「間違っていたら、ごめんなさい。
歩いていたら、こちらの方角から、転がってきたもので・・・。
あなた様のでは、ないですか?」
彼女はすごく丁寧な言葉遣いと、優しい上品な物腰でそういうと、私の目の前に、とても綺麗なすらっとした手を出した。
その彼女の手のひらには、私の求めていたものが、存在した。
私は、思わず、彼女の手に向かって飛びつくと、その物体を彼女の手からひったくった。
そして、それを両手で握り締めると、それを胸に押し当て、喜びをかみしめる。
「よかった・・・。」
ホッとした声を上げながら、嬉しさにこわばっていた顔が、緩んで、思わずニコっとしてしまう。
「おい・・・。その態度は失礼だろ?」
呆れた声で、そういいながら、私と拾ってくれた人の間に歩み寄ってきた矢上くんは、私の頭を強引に下に下げた。
「すみません。
拾っていただいた、お礼も言わなくて・・・。」
「あっ!」
私は、下を向いたまま、そう言って・・・気付いた。
今、私が取った行動を・・・。
気が動転していたとはいえ、拾ってくれた人の手から、何も言わずにひったくって・・・。
自分のさっきの行動を思い出すと、顔から火が出る思いだった。
顔が、カーっと熱くなる。
私は、矢上くんがまだ、抑えている頭を強引に動かして、彼の手から逃れると、顔を上げて、彼女を見た。
「さっきは、失礼な態度を取ってしまって、本当にごめんなさい。」
力が入りすぎて、すごく大声でそう言ってしまった私は、さらに、乱暴に頭を動かすと、深々と下げた。
私の大声と、雑な態度に、
「声がデカイ!
みんな、見てるだろ!」
とまたしても、矢上くんに怒られる始末。
確かに、ここのホテルは、かなり名の知れた大きなホテル。
ここに来る人は、みんな気品があって、大金持ちの人間ばかり。
そして、私の目の前にいる彼女も、きっと、その人種に違いない。
見るからにわかるもん。
ううん。
彼女から漂っているオーラから、わかるの。
だって、あの人と同じ匂いがするから・・・。
私とは、全く違う世界の住人だという匂いが・・・。
そんな人が、こんなに雑な私の態度を、迷惑としか思えないのは当たり前。
だって、矢上くんが言った通り、かなり・・・注目浴びちゃって、視線が・・・痛い。
石を拾ってくれた恩人に、この仕打ちは・・・。
ホント、私って、どれだけ、バカなの?
普段の私は、もっと、出来がいいはずなのに、あの人がらみとあとは、仕事が絡んでくると、熱くてウザイやつになっちゃう。
そんな自分を嘆きながら、私は彼女にさらに謝る。
「こんなつもりじゃなかったんだけど・・・。
本当にごめんなさい。」
今度は少し浅めに頭を下げた。
あまり、目立たないように・・・。
でも、彼女は、
「そんなに、気になさらないで。」
とクスクスと口元に手をあてながらいうと、私にニッコリ笑いをした。
「それより・・・。」
彼女はそう言って、私の手を指さした。
「本当に大切な物なのですね。」
と言ったあと、ポケットから、一枚の名刺を出し、私の目の前に出した。
「わたくし、早乙女 枝里(サオトメ エリ)と申します。
その石は、何かの宝石ですか?」
あまりに、彼女がこの石の事を、気にしてくるものだから、私は不思議で、彼女の名刺を手にするだけで、何も答えられなくて。
すると、彼女は、名刺から手を離すと、握っている私の手から、わずかにこぼれている青い光を目で追った。
「今までたくさんの宝石を見てきましたが、これほどまでに、強い光を放つ宝石は初めて拝見いたしました。
ですが、その宝石は、あなただけのもののようですね。」
「それ・・・どういう意味ですか?」
意味が・・・わからなかった。
私だけの宝石??
このただの石が?
それって、あの人がくれた、大切な宝物だから?
思わず首をかしげてしまう私に、彼女は少しだけ笑った。
「その石が、あなた様にとって、宝石のような存在である・・・という意味ではありません。
その石自体が、あなた様を選んでる。
私はそう、思います。」
「石が・・・選んでる?」
半信半疑でそう聞いた私に彼女は、「そうです。」とハッキリとした口調で答えると、私の手に、自分の手を近づけてきた。
彼女の目が、石を貸して下さい。と言っているようで、私は、素直に、彼女の手に石を渡した。
その瞬間・・・。
「なんで??」
これは、私の声。
何に、驚いているかって?
それは、石の輝きがね・・・なくなったの。
彼女の手に置いた瞬間、輝いていた石の光が、まるで彼女の手によって、吸い込まれていくかのように、スーッと消えていったの。
そして、今は、ただ、青いだけの石になってしまっていた。
「どうして、なんで??」
大パニックの私に、彼女は、「大丈夫ですよ。」と笑顔で口にしながら、私の手に石を戻す。
すると、石は、どんどん光を集め、さっきと変わらないくらいの輝きを見せた。
さっぱり・・・意味がわからなかった。
昔、あの人が、私にくれた時・・・。
初めて、私が、この石を手にした時から、すでに石は輝いていたの。
だから、私は、この石は、光り輝いている石なんだと、思っていたのに・・・。
彼女が触れたら、石は輝きを失った。
という事は・・・。
「あなたは、石を操る人?」
だって、そうとしか思えないじゃない。
冷静に考えたら、バカな事を言っているとわかるけど、今の私は、平常心を失ってるからね。
自信満々で、このバカげた言葉を、言っていた私。
もちろん、この言葉に彼女は、噴出し笑いをしてた。
とはいえ、とても、上品な噴出し笑いだけどね・・・。
でも、笑い事じゃないよ。
気になって仕方ない私は、彼女にさらに聞いてみた。
「この石は、一体なんなんですか?」
でも、彼女は、「わかりません。」とまだ笑いながら口にすると、少し涙目になった瞳で私を見た。
「正直、この輝きを放つ石には、大変興味があります。
もしかしたら、私が、探し求めていたものかもしれません。」
「探し・・・求めていた・・・物?」
「ええ。」
と頷いた彼女だけど、すぐに、言葉を続けた。
「ですが、この石は、あなた様に触れた時だけ、輝きを持つ。
この石が、本来の姿。
つまり、このように美しい光を放つ宝石になるには、あなた様の中にある、何かが、源となっているに違いないと思います。
だから、この石は、自分の意志で、あなた様の側にいるのです。
このような石に、わたくしは、出会えて光栄でした。
どうか、この石を大切にしてあげてください。」
彼女はそういうと、軽く会釈をして、この場を去って行った。
彼女が言った言葉の意味を理解するのに、私は必死で、彼女に別れの言葉をいう事もできず、ただ手の中で光り続ける石を見ていた私。
「そんな石、持ってたっけ?」
矢上くんはそういいながらも、私の手からあるものをひったくった。
それは、石でなくて、彼女が強引においていった名刺だった。
この石は、今まで誰にも見せた事がなかった。
あっ、そういえば・・・2人だけいる。
さっきも話した、私の親友の桜と、その桜の御主人である雪さん。
この2人には、見せた。
それは、私とあの人の事をよく知ってる人物だったから。
それ以外の人には、見せた事がない。
もちろん、矢上くんだって、例外じゃない。
だから、彼が知らなくて、当然。
でも、勘のいい彼の事だから、私がこれだけ石を大切にしているのを見たら、あの人と関係があるんじゃないかと疑うかな?って思ったの。
深く追求されたらどうしようと・・・一瞬焦った。
でも、彼は、石よりも、さっきの人が気になったみたいで。
でも、私も、正直、気になった。
やたらと、石の事に詳しかったもんね・・・彼女。
だから、私は、左のポケットに石を入れると、側で名刺を見てる矢上くんに近付いた。
「ねぇー、彼女、何者だったの?」
すると、矢上くんは、名刺の上を人差し指でピンと弾いた。
「ん?」
と言いながら、そこに注目した私は、その欄を読み上げた。
「ジュエリー・サオトメ・コーポレーション・・・・・。」
そう口にした瞬間、成田さんも仲間も一斉に私を見て、こう叫んだ。
「えぇー!!」
って。
その叫び・・・わかります。
私も、ビックリし過ぎで声が出なかったから。
そして、声が出ないまま、隣に居る矢上くんを見て、ただ指を動かすだけ。
それには、矢上くんも、
「まっ、声がでないのはわかる。」
と笑いながら言うと、その名刺を私のポケットに入れた。
「彼女が、ジュエリー界で、今、最も注目を浴びている、早乙女コーポレーションの御息女だったとはな。
メディアを嫌う彼女だから、コレを渡されない限り絶対にわからない。
という事は、彼女は身を明かすというリスクを背負ってでも、その石を知りたかったんだ。
それくらい、すみれの持っている石に、興味と価値を感じた・・・って事かな?」
「価値・・・。」
私はそう口にしながら、彼が見る視線を追った。
あの人がくれた石。
あの輝きを放ち、私の元にいるのは、何か理由があるって事?
一体、どんな理由?
気になった私は、さらに考えこみそうになった。
でも・・・。
「主任!矢上さん!
時間がありません。
急ぎましょう!!」
仲間の1人が、私と矢上くんにそう呼びかけ、私も矢上くんも、現実に引き戻された。
そうだ。今は、この石に囚われている場合じゃなかった。
クロスをどうにかしなきゃ!!
っていうか・・・結局、どういう話しになったんだっけ?
話に参加してなかった私は、今から、みんながどこに向かおうとしてるか、サッパリで。
たまらず、歩き出そうとした、矢上くんの腕をつかんだ。
「結局、どうなったの?」
それに、対して、彼は、私の腕を反対につかみ返すと、私を強引に歩かせながら説明を始めた。
「とにかく、ここでは、動きづらい。
一旦、社に戻って、いろんな可能性を考えてみようという話になった。
でも、すみれと成田さんは、明日の準備と段取りの為、ホテルに行く予定になっていただろ?
だから、ここからは、別行動。
2人は、予定通り、向こうに行って仕事をこなしてきてくれ。
でも、車が、2台しかないから、とりあえず、俺が2人を乗せて、ホテルまで送るから。
クロスの事は、俺たちが考えてみる。
解決策が出来ても、出来なくても、連絡はこまめにするから。」
矢上くんの言葉に私は、ただ頷いた。
ホテルの表玄関につくと、すでに、車を移動させてきた社員が、スタンバイしていた。
1人は、運転席から降りた。
「じゃ、俺は、向こうに乗ります。
先に社に戻って、必要な情報集めておきますから。」
彼はそういうと、もう1台の車に乗り込み、その車は、さっさと出発していった。
すでに、後部座席に乗り込んでいる成田さんは、スケジュール帳を開いて、ホテルに着いてからの段取りを確認中。
みんな仕事に必死なんだ。
私も、しっかりしないと!!
私は、自分に気合いを入れた。
そして、車のとってに手をかけ、ドアを開ける。
そして、片足を入れ、体を半分車の中に入れた時だった。
突然、左腕を、ガシとつかまれた。
「えっ!」
と声を上げた瞬間、私は強い力でひっぱられて、外に無理やり出された。
「きゃっ!!」
その叫び声に、運転席に座って扉を閉めようとしていた矢上くんも驚いて私を見る。
フラつく足取りを、こけないように、足に力を入れて、地面に降り立った。
だけど、すぐさま、怒りがフツフツと込み上げてきた。
仕事仲間は、矢上くんと成田さんを除いては、みんな社に戻って行ったよね。
ということは??
誰?
普通、ドキドキするよね?
でも、私は、ドキドキよりも、『誰よっ!!』という怒りの方が勝っちゃって。
ほら、今、気合い入れてさ、仕事モードにしたでしょ。
だから、私は、熱い人間になっちゃってるからね。
私は地面をジッと見ていた顔を、髪を振り上げながら起す。
そして、私の手をつかんでいる人が、立っていると予測される場所に、顔を勢いよく動かしながら叫んだ。
「ちょっと!!一体、何なの・・・・よ・・・。」
最後は、勢いがなくなっちゃった。
だって・・・。
私の目の前で、ヒラヒラと風に揺れている物を目にした瞬間、心臓が止まるかと思ったんだもん。
私の腕をつかんでる人は、かなり遠くから全速力で走ってきたのか、顔を下に向け、「はぁはぁ・・・。」と、肩で荒い呼吸をしてる。
唾を飲み込むのも、酸素不足で、すごく苦しそう。
だから、顔なんて見れなかったから、普通なら誰かわからないはず。
でも・・・私にはわかっちゃった。
だって、こんな真冬に、コートも、はおらないで、スーツ姿で飛び出してきててね。
いかにも急いで来たって感じなのに、この人、首にアレつけてるんだもん・・・。
私とあの人との、永遠の約束。
あの人は私に、石をくれた。
そして、私があの人に渡したもの・・・。
それが今、目の前にあった。
あの人がくれた石と、全く同じ色・・・。
「嘘・・・なんで?
どうして・・・ここに・・・いるの?」
体のどこから、声が出てるかわからないくらい、へんな声・・・のような気がした。
自分で口を開いて言葉を発しているのに、自分じゃないみたい。
感覚が完全に、麻痺してしまってる。
でも、頭はしっかりしてた。
ここにいるはずもない人。
でも、誰よりも逢いたかった人。
目の前の人を見つめている私の目頭が、熱くなる。
その時、苦しがっていた彼が、ユックリと顔を上げた。
目の前の素敵な水晶に、私が映った。
私を見つめる、誰よりも愛おしいダークブルーの瞳。
今度はそこから、目が離せなくなってしまった。
午前11時を過ぎた昼間の街。
私が23年間、育ってきた見慣れた街は、変わるといえば、花が咲き、それが、散り・・・。
そういう些細な変化しかない、極々普通で何の変哲(ヘンテツ)もない街。
でも、この季節になると変哲な街も、夜になると、まるで宝石箱を開けたみたいに、きらめきを持つ。
でも、今私が走っているこの場所は違う。
昼間でも惜(オ)しみなく、色とりどりのネオンが光り輝いている。
私は、そんな街の中を、とても安全運転で通過してた。
ここは、意外と、死角になる場所が多くて、私はいつも、規定速度以上は出さない。
人身事故を起こしたらそりゃ、何かと大変だからなんだけど、それよりも、一番厄介なのは、このエリアに住む人々の存在かな?
何か。って?
実は、私が今、走っているここは、別名、『トリプル エス』と言われている場所で、一般人はあまり足を踏み入れない、特別なエリアなの。
走る街並みも、とんでもなく美しく整備されているし、すれ違う車も高級車はもちろん、送迎車が多い。
トリプル エスとは、『スペシャル』『セレブ』『スマート』の3つの事をいうの。
この単語を聞いて、ピンと来たかもしれないけど・・・。
ここは、お金持ちに超が付く人ばかりが、住んでいる場所。
1件の敷地が、学校くらいはあるのが普通だから・・・。
そんな住人と問題なんて、起してごらんよ。
最後のエスの『スマート』っていうは、別名クールともいいまして・・・。
庶民だからって、情けはない。
もらうものは、もらう。
そこは、平等なんだよね。
当たり前といえば、当たり前なんだけど、例えば車を傷つけたにしても、規模が違い過ぎるじゃない?
ちょっとの修理でも、こっちが、破産しちゃうよ。
だから、いろんな意味で、私はここには、なるべく来たくない。
まして、マイカーを運転だなんて・・・。
そんな、嫌々オーラを出しまくってる私が、どうして、こんな、一生、縁のない場所に、来ているかというとね。
理由があるのよ。
それは・・・。
と思ったその時、助手席にポンと無造作に置かれていた携帯がなった。
「嘘っ!走行中だよ!ちょっと、待って、待って!!」
と叫びながら、保留ボタンを押すと、急いで、車を横付けする。
そして、ハザードをつけて、車を停車させた。
携帯を手にとって液晶を見て・・・。
「えっ?桜(サクラ)??」
と漏らしながら、私は慌てて通話ボタンを押して、携帯を耳に押し当てた。
「桜、どうかした?」
挨拶もぶっ飛ばして、いきなりの私の言葉。
でも、礼儀正しい桜は、
「おはよー、すみれ。」
と明るい声で言ったあと、本題に入った。
「あのね、悪いんだけど、ちょっと、買ってきてほしいものがあるの。」
「はぁ?」
と私はマヌケな声を上げてた。
だって、今、私、どこにいると思ってるのよ!
ここは、トリプル エス エリアよ。
こんな所にある店になんて、入れるわけないでしょ。
驚きすぎて絶句する私に、桜はお構いなしに、お買い物リストを言ってきた。
「ワインを買ってきて!」
「えっ?」
「あっ、そうそう。
種類は、何でも、いいけど、赤でお願いね。
数は多めがいいから、4、5本は買ってきて。
それから・・・。」
「ちょ・・・ちょっと、待ってよ・・・。」
「あー、あとね、シャンパンも2、3本買って来て。
それから、チーズと・・・。」
「ストーップ!!!」
スラスラと買い物リスト言ってくれちゃうけど・・・何考えてるのよ!!
私は、桜の言葉を途中でさえぎった。
それも、彼女が言葉が出なくなるくらい、大声で叫んだよ。
さすがに、ビックリしたのか、受話器から聞こえた桜の声は、ちょっとビクついていたように感じた。
「パシリみたいで・・・怒っちゃった?」
申し訳なさそうにいう桜に、私も素直な気持ちになる。
「そうじゃないよ。
買い物は、全然いいのよ。
どうせ、私も今から、そっちいって食べるんだしね。
だけど・・・。」
私はそう言いながら、外の景色を見る。
この辺りに、ギッシリと立ち並ぶ店を、行きかう人たちを見て、私はちょっとタメ息を付きながら話してしまう。
「もう、トリプル エス エリアに来ちゃってるのよ。
ここで、買い物なんて、緊張するし、何より物価が、高いでしょ。
ワインにしたって、物すごい高価な物しかないだろうし・・・。
どれ買っていいか、わからないし、私には荷が重過ぎる。」
だいたい、そんな高価なもの、私飲まなくていいし。
缶ビールでいいんだけど・・・。
でも、桜が私に頼んだ目的は、別にあったみたいで・・・。
桜は、「実はね。」と、私に買い物を頼んだ真意を話しだした。
「さっき、急に連絡が入って。
雪の恩人が日本に来てて、今からこっちに来るっていってね。
それで、彼をおもてなしするのに、ワインとかが必要になったの。
雪、夜勤明けで帰ってきて、ビール飲んだせいで、今爆睡中でね。
子供たち置いて私が出れなくて・・・。
それで、ちょうど、今の時間なら、すみれ、もうそこまで来てるんじゃないかと思って。
この辺の店なら、一番安いの買っても、それなりに年代物だし、お酒に詳しくないすみれでも、買えると思って、今まで連絡しなかったの。
支払いは、雪の名前出してもらって、自宅の電話番号と彼の生年月日を言ってもらったら、カードなくても、彼のカードで引き落としに出来るから。」
桜はそういうと、
「雪の生年月日はね・・・。」
と、またしても、話を進めていく。
人のカードなんて・・・使えるわけないじゃない。
私は、「あー、いい、いい。」と慌てて桜を止めながら、携帯を肩ではさんで、空いた両手で、バックの中から財布を取り出して、カードを確認する。
クレジットカードが、2枚ある。
これで、支払えばいいわ。
持ってて、よかった。
だって、現金、2万しか入ってないもん。
きっと、これじゃ、ワイン1つも買えないよ・・・。
そんな事を思いながら、私は財布をバックにしまうと、受話器を持つ。
「カードあるから、立て替えておくから。
それより、赤ワインが4、5本と、シャンパンが2、3本と、チーズと・・・。
あと、何かある?」
もう・・・諦めた。
私がダダこねた所で、困るのは桜だもんね。
きっと、桜の事だもん。
私に頼もうか、ギリギリまで、悩んだんだと思う。
このエリアに入るのを狙って電話した。と言っていたけど、本当は違う。
ギリギリまで、葛藤してたんだ。
私と桜との付き合いは、小学校から。
だから、彼女の性格は、ちゃんとわかってるつもり。
私の親友の桜は、このエリアに住むくらいの名家で生まれた・・・わけではない。
彼女は、私と変わらないくらい、凡人だった。
でも、彼女が結婚した梅澤雪成(ウメザワ ユキナリ)さんという人が、神の左手を持つと言われるくらいの天才外科医であり、さらに、とんでもない良家の御子息でね。
桜も、こういうセレブの街で、生活する事となった。
桜の家は、このトリプル エス エリアの中でも、一番大きな屋敷。
ホント・・・半端じゃないからね。
でも、豪華なのは、見える所だけなんだよ。
家の大きさとか、雪さんが乗ってる車のすごさとか・・・。
そういう所はセレブだけど、中をのぞけば、私とほとんど変わらない生活をしている桜。
都内のホテル並みに大きな屋敷であるにもかかわらず、桜は、メイドや執事を雇っていなくて、全部1人で家事をこなしてる。
食事も、一般家庭が食するようなものだし。
実は、桜は、買い物も、このエリアではあまりしない。
「だって、高いんだもん!!」
って言ってね。
贅沢をしない桜が、これだけ高価な物を私に頼むって事は、今日来る人は、すごい人なんだろうな。
あっ、さっき、言ってたっけ?
雪さんの恩人だって。
あの雪さんの恩人って事は・・・とんでもなく、すごい人に違いない。
思わず、私は、ゴクと唾を飲み込んでしまう。
「あのさー・・・桜。」
ある不安を覚えた私は、恐る恐る桜に聞く。
「ん?何?」
私とは正反対なくらい、明るい声を上げる桜に、「気付いてよ。」と思いながら、私は聞いてみた。
「お客さんがくるのに、私が行っていいの?」
久しぶりに桜とおしゃべりをする。
ただ、それだけの目的で行く私だから、今日は遠慮した方がいいような気がして・・・。
「買った物だけ置いたら、私、帰るよ。」
と、返事を聞く前に遠慮したんだけど、
「あー、そんな、気を使わないでいいよ。
すごく気さくな人だし、どうせ、雪とずっと飲んでると思うから。
だから、来てよ、ねっ!」
「桜がそういうなら・・・ホントにいいの?」
再度確認する私に、
「うん。いいの!」
と明るく答えられたら、素直に、
「じゃ、買い物したら行くから。」
と答えてた。
それから、私は、車を走らせ、桜に頼まれた物がまとめて買えるお店に立ち寄った。
とはいえ、大きな敷地にいろんな高級店が立ち並ぶような場所だから、駐車場で車を停めてから、歩くは歩くは・・・。
酒はまだか・・・。
と私は、力なく歩いていた。
そんな私が、ある場所を何気なく通り過ぎた時だった。
「だから、君に任せると言っているだろ!」
この上品で静かな街には、想像できないくらいの、荒げた声。
私は、何気なく振り返る。
そこには、とても綺麗な花が店の外にまで、ダイナミックに並べられている花屋さんだった。
私は、仕事の関係で、花をよく目にする。
だから、わかるの。
ここにある花は、とんでもなく上質のもの。
安いものでも、1本500円はするだろう。
店の奥にあるあの綺麗なバラなんて、きっと、1本2〜3000円はすると思う。
さすが、トリプル エス エリアだ。
恐るべし・・・。
そんな事を思いながら、私は顔を正面に向け、その場を去ろうとした。
その時、さらに、口論が始まった。
「ですから、何度も言ってますが、わかるものが、席をはずしておりまして、私はバイトなので、わからないのです。
お客さまが決めて下さい。」
「俺だって、花なんて、わかんないんだよ。
だから、君に頼んでるんだろ?
普通、適当に見繕ってくれるんじゃないのか?
金ならいくらでも出す。
君が好きなように、束ねてくれ。」
「と言われましても・・・。」
困った店員は、あげくに、涙ぐんでるし。
それには、その男の人もいい加減、腹が立ってきたのか、さらに店の中に入ると、目に映った花を、適当にサッサと、ひとさし指でさし始めた。
「大きな屋敷の住人だから、大きい花束がいい。
この辺の一番高い花を包めば、さまになるだろ。
全部包め。」
乱暴な口調でそう言った彼は、ポケットから財布を取り出すと、カードをポンとカウンターに投げた。
そのカードは・・・黒かった。
うわっ!この人、お金持ちなんだ!!
私は、遠くてもハッキリ見える黒のカードに、見入ってた。
初めて見る、ブラックカード・・・。
ホントにあるんだ。すごぉーい!!
そんな感じで、完全に足を止め、ジッと見ていた私。
でも、さっきのバイトの店員が、彼の言った通り、手当たり次第、高級花を筒から取り出し、カウンターに積み出して、私は正気を取り戻した。
信じられない!
本気で、彼の言う通りにするつもり?
あんな鮮やかな色と、立派なメインとなるような花ばかり集めて、さまになるとでも思ってるの?
バイトでも、それくらい、わかるでしょ!
私は、おせっかいとわかっていたけど、でも・・・。
自分を止める事ができなかった。
「ちょっと、待って!!」
気付けば私は、その店に入ってた。
花束を筒から引っ張り出した彼女から、有無も言わさず花を奪い取ると、筒に戻した。
「あの・・・。」
と焦る店員さんにお構いなく、私はカウンターに詰まれた花束を、とりあえず、全てサッサと筒に戻した。
「あんた・・・何してんだ?」
少しムッとしたような声を上げた彼を無視して、私はまず店員さんに言葉を投げた。
「あなた、花を愛してる?」
私の問いかけに、「えっ?」と声を上げた彼女に、私は手を動かしながら、言葉を続けた。
「ここで、働いてるのは、少なからず、花が好きだからでしょ?」
「は・・・い・・・。」
戸惑いながらそう答えた彼女。
「でも、今のあなたの態度は、花に対して失礼よ。」
私はそう言ったあと、カスミソウとバラを1本ずつ抜き取って、彼女の前に差し出した。
「1つずつ見ると目を引く花と、そうでない花とに分かれてしまう。
でも、こうして、2本を重ねると、両方が引き立ってこれだけでも、素晴らしい花束になるのよ。」
私は2つを重ねて出来た美しい花の存在に、思わず笑みをこぼした。
「でもね。うつくしさが倍になるのは、これみたいに、違う魅力を持っている物、同士だからなの。
これが、寂しい花と寂しい花だったら?
目を引く花と、目を引く花だったら?
寂しさが2倍になる。
美しさが喧嘩して、魅力が半減する。
花は、組み合わせ1つで、生きも死にもするの。
さっき、あなたがそこに置いた花たちは、この花束に、勝てたかしら?」
そう言って、私は、手に持っていた2輪の花を彼女に渡した。
その花を受け取った彼女は、その花束を見て・・・自然と笑ってた。
それを見て、私はホッとしたと同時に・・・ギョッ!とした。
私・・・何やってるのよ!!
花の事だけに、つい熱くなっちゃったけど、これってかなり、怪しいよね・・・私。
いきなり入ってきて、説教しちゃってるし・・・。
私は、慌てて、彼女に頭を下げた。
「あっ・・・ごめんなさい。
いきなり、失礼な事言っちゃって。」
だけど、目の前の彼女は、「いえ。」と言うと、まだ、その花を見つめてた。
「ありがとうございました。
すごく、嬉しかったです。」
そう言って、彼女はニッコリ笑った。
その笑顔につられて私も、笑いかけた・・・その時。
「おいっ!」
背後で声がして・・・。
うわぁー!!忘れてた!!
もう1人・・・客の存在をスッカリ忘れてたよ!!
私は、覚悟を決めて、勢いよく振り返ると、その客に向かって、頭を下げた。
何かを言われる前に、謝るのが得策だと思ったの。
だって、相手は、ブラックカードを持つ人だよ。
とんでもない金持ちか、とんでもないわけありの人か、どっちかでしょ。
これが安全策だと思った私は、彼が何かを言いかけた声をさえぎって、言葉を先に言う。
「すみませんでした。
勝手な事して。
それでは、私はこれで。」
頭を下げたまま、床に向かって、一方的にそういうと、私は彼の顔を見ずに、そそくさと、店を出て行こうとした。
だけど、彼とすれ違う瞬間、腕をつかまれた。
「落ち着きない人だね・・・。」
彼は、タメ息交じりにそういうと、私の腕をグイとひっぱり、私の顔を自分の方に強引に向かせた。
そういえば、私、この人の事、ちゃんと見てなかったけど・・・。
一言で言うなら、すごい。
どうすごいかって?
まるで、モデルみたいだった。
背は、すごく高くて、きっと2メートル前後はあるんじゃないかな?
服装は、膝くらいまである、黒のロングコートに隠されてて、ハッキリわからなかったけど、少しだけ見えるズボンが黒色で、スーツみたいに見えた。
そして、首には、少し鮮やかでいて、でも品のある綺麗なブルーのマフラーをつけていた。
その色は、特注かな?って思わせるくらい、見たことのない珍しい色だった。
そして、あとは・・・指。
細身ですらっとしていて、指先もすごく長くて綺麗で・・・。
この指を見ていると、なぜか、桜の御主人である雪さんを思い出してしまった。
あとは・・・そうそう!
最大の注目は、やっぱ、顔よね!
黒のサングラスをしているので、彼の瞳を見ることは出来なかった。
二重なのか、一重なのか。
目じりが上がった目なのか、下がった目なのか・・・。
全然わからなかった。
見えたのは、鼻と唇。
鼻筋がとおって、高くて綺麗な鼻。
口は少し小さめで、あまり厚みのある唇ではないけど、すごく色っぽく見えた。
そして、彼の外見での最後は髪なんだけど・・・。
それが、すごく幻想的だった。
髪型は、別にそんなに変わってるわけではなくて、前髪は目にかかるくらい長めで、横に流してる感じで。
サイドも耳にかかる程度で、後ろも、肩にかかるずいぶん前でカットされてる。
少し緩いウネリがあるので、軽くパーマをかけているのかもしれない。
ねっ?そんなに珍しくないでしょ?
なら、何が幻想的かって・・・。
それは、彼の髪の色。
色んな色が混じってたの。
グレイをベースに、白が多めの色。
同じく、グレイをベースに、今度は、青が多めの色でしょ。
それから、最後は、黒と青が混じったような・・・藍色っていうの?
なんか、すごく変わった色をしてたの。
染めてる・・・にしては、ちょっと違うような。
背が高いから、さすがに、生え際まで見えないからわかんないけど、でも、こんな色、染めて出せるものなのかな?と考えこんじゃって、私、彼に見とれてた。
逃げ出そうとしていた事も、スッカリ忘れて、黙って彼に囚われていた私に、彼は私が諦めたと思ったらしく、私を呼び止めた理由を言ってきた。
「君が、花束を作ってくれないか?」
一瞬、何を言われたかわからなかった。
わからな過ぎて、相変わらず、目の前の彼をボーっと見ている私に、店員さんが嬉しそうに声を上げた。
「是非、お願いします。
私も、あなたが作るもの、見てみたいです!!」
とさっきの2輪の花を握り締めながら、彼女は目を輝かせて私を見てる。
どうやら、彼女は、私の説教にヘコむどころか、喜んじゃったようで、私をまるで、拝めるみたいな瞳で見てるんだけど・・・。
確かに、この店員さんじゃ、花束に期待できないと思ったこの男の人の選択は、正しいとは思う。
思うけど、ここは、花屋だよ。
人の店であり、さらに、あのトリプル エス エリアの店だよ。
私なんかが、でしゃばれるわけないでしょ!
私は、空いてる左手を、バタバタと忙しく振る。
「私は、ここの人間じゃないから、そんなの無理よ!」
これで、逃げられると思った。
でもその時。
店の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
「じゃ、僕が許可したら、やってくれるかな?」
その声に私は、振り返った。
「あっ、社長!!」
その人を見た店員はそう言いながら、頭を下げる。
そして、私はというと・・・。
「嘘!なんで、田崎先輩がここにいるんですか?」
と指をさして、大叫び。
田崎先輩というのは、私の勤めるブライダルの会社にいた元先輩。
私が入社して、半年後に、家の都合で退職した。
その先輩がどうしてここに?
目を見開いて驚く私に、先輩はユックリと近付いてくる。
「早瀬の活躍は、これで、知ってるよ。」
と言いながら、先輩は、棚の上に置いてある雑誌を私に見せた。
その雑誌・・・。
私の事が、載ってる雑誌だった。
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