とはいえ、その雑誌は、会社の業績を上げる為のものであり、いえば、私はピエロ役。
でもね、私は、それでも、いいと思ってるんだ。
私は、大きな組織の中で生きてるんだもん。
そして、何より、大好きな仕事をさせてもらってるんだし。
会社が存続できるんであれば、これくらい、お安い御用ってね。
持ちつ、持たれつだと思うし。
だから、私は、この雑誌に左右される事なく、自分が納得できる仕事を一生懸命すれば、それでいいと割り切ってる。
なので・・・この雑誌での高い評価を、うのみにされちゃうと・・・ちょっと、困るんだけどな・・・。
「その雑誌で評価されているほど、私はすごくないです。
それより、先輩が、どうしてここに?
家の都合で退職されたんじゃなかったんですか?」
話題を変えようと頑張ったのに、
「ああ。ここは、オヤジの店で、俺が継いだんだ。」
と早々に答えた先輩は、私の目の前に辿り着くと、「はい。」と言ってエプロンを差し出した。
「いい花束、作ってあげて。」
って、笑顔で言わないでよ。
「あの、だから、私は・・・。」
と必死で否定してるのに、私の代わりに彼が先輩からエプロンを受け取ると、私の左手に握らせた。
「頼むよ、大事な人に渡す花なんだ。
君に、是非作ってもらいたい。」
目はサングラスで見えなかった。
でも、その声でわかるよ。
熱いまなざしで私を見て、お願いしてるのが・・・。
その熱意に、私は負けた。
もう、どうにでもなれ!
そんな、ヤケっぽい気持ちと、彼の期待に答えたいという気持ちとが、交差してた。
私は、覚悟を決めると、
「ちょっと、待って。」
と彼に一言断りながら、私は彼にエプロンをつき返した。
そして、強引に、手をひっぱって、右手を開放した。
そして、すぐさま、携帯を取り出し、桜にメールした。
「もしかして・・・急いでた?」
そう言った彼のトーンが、ちょっと元気なくて・・・。
なんか、少しかわいそうに思えてね。
私は、「いえ。大丈夫です。」と答えてた。
心配そうに見つめられたら、長々とメールなんて打てないでしょ。
だから、桜には、「ごめん。少し遅くなる。」とだけ、メールを打った。
私は、打つだけ打つと、すぐに携帯をバックにしまう。
そして、そのバックを彼が握っているエプロンと交換した。
「ねぇー、大事な人って、恋人?」
私は、エプロンを装着しながら、彼に質問する。
恋人なら、好みとかわかるじゃない?
でも、彼は、「いや。」と答えると、側にあったイスに腰をおろすと、長い足を組んだ。
「俺の先輩の家に持っていく花。
先輩の好みも、その御婦人の好みも知らない。
どんな花を選べばいいか、さっぱり、わからない。」
なるほどね・・・。
そりゃ、わからないわ。
私だって、わからないもん!
と来たら・・・別の角度から攻めるしかない。と考えた私は、彼に別の質問をした。
「さっき、お家が大きいって言ってたけど・・・すごく大きいの?」
「ああ、とんでもない広さ・・・だと思う。
俺も、初めて、訪れるから。」
「そう・・・。
ねぇー、そこには、子供さんとかいるの?」
「えっ?・・・・ああ。
確か・・・男が2人。」
「いくつと、いくつ?」
「んーっと・・・。」
少し考えた彼は・・・。
「1歳ちょいと、もう1人は、10ケ月くらいだったと思う。」
それを聞いた私は、少し考えて・・・。
「ねぇー、先輩。
ちょっと、あれ・・・見てもいい?」
私はそう言って、奥のある場所を指差した。
それを見た、先輩は、
「なるほど・・・そっちで、いくか。」
と私の頭の中をのぞいてしまったみたいで、楽しそうに笑ってた。
「いいよ。好きなもの使え。」
その言葉に、「ありがとう。」と答えると、私は、中に入って、土台となる物を物色した。
そして、それを持って、花のもとに戻ってくると、今度は花を選び始めた。
「あっ、ちょっと、いいか?」
今まで黙っていた彼が、急に口を開いた。
「何?」
と手を動かしながら言った私に彼は、店員が持っている花を指さした。
「あの花、2本共、入れてくれ。
すごく、綺麗だから。」
どうやら、あの2輪に彼も心を奪われたよう。
高い花!と叫んでいた彼なのに・・・。
私は、ププと笑いながら、「はーい。」とふざけた返事をしながら、彼のリクエストの花を、筒から抜いた。
私が、動き出して、15分後に、ソレは完成した。
私は、さらに、綺麗にラッピングすると、彼の目の前にそれを置いた。
私は、ドキドキした。
彼がどう判定を下すが、やっぱり、びびるじゃない。
彼は、黙ったまま、じっと、それを見てた。
見るだけ見て、そして、私の方に顔を向けた。
サングラスしてるから、怒ってるか喜んでいるか・・・。
サッパリわからなかった。
「どう・・・・かな?」
ビビリ過ぎて顔が引きつっているのが、自分でもわかった。
恐いよぉー!!
心で、そんな叫びを上げた時、彼の口が開いた。
「いいな・・・コレ。」
「えっ?」
意外な彼の言葉に、私は驚いてしまう。
すると、彼は、私にニッコリと笑顔を向けた。
「初めて見たよ。
こんな花束。
いや、花束とは、言わないよな・・・。
これは、・・・なんていうの?」
「フラワー・・・アレンジメント・・・。」
ボーっとしながら、棒読み状態でそう答えた私に彼は、
「フラワーアレンジメントか・・・。
覚えておくよ。
本当に綺麗だ。」
とさらに、じっくりと見てた。
「だけど、なぜ、コレに?」
彼は急にそういうと、今度は私に視線を戻した。
「俺は、花束と言ったはず。
それを、どうして、コレにしようって思った?
それに、ここに使ってる花。
色も大きさも確かに、バランスがいい。
だけど、俺がさっき店員に指さした花が、ほとんど入っていない。
目立つ花だから、避けたのか?
それから、この・・・フラワー・・・アレンジメント・・・だったか・・・。
これの大きさも、気になる。
俺は、大きな屋敷だと言ったのに、これは、おせいじにも大きいとは、言えない大きさだよね。
だけど、君の事だ。
全てに、理由があるんだろ?
是非、聞かせてくれないか?」
このアレンジメントが随分、気に入ったのか、彼は、心から知りたいようで、イスに座ると、私を見上げる形にはなったけど、すごく真剣な眼差しをしていた・・・ように思えた。
だから、私は、コレに辿り着いた経緯を伝えた。
「アレンジメントにしたのは、小さな子供さんがいるって聞いたから。
花束だと、どうしても花瓶に入れなきゃならない。
高い場所においても、低い場所においても、子供には、危険でしょ?
だから、万が一、落としても危害を最小にとどめられる、カゴにした方がいいと思ったの。
それも、このカゴは、すごく柔らかい素材で出来てるチョット高級な物でね。
主に、ブライダルでよく使われているから、普通の花屋さんには、なかなかないんだけど、ここにならあるかも?と思って見てみたらあったから、助かったわ。
少々、値は張るけど、お金はいくらかかってもかまわないって、さっき、あなた叫んでたから。
迷わず、使わせてもらったわ。」
そして、ニッコリ笑う私に、「ああ。それは、かまわないよ。」と彼も、納得スマイルをくれた。
「アレンジメントにした理由はわかった。
じゃ、今度は、花だ。
これにした、理由は・・・何?」
「それは・・・。」
というと、私は、論より証拠だと思って、私は2本の花を筒から抜いた。
1本は、よく花束に使われる華やかでいて、定番のユリ。
そして、もう1本は、主に生け花に使われるアヤメ。
それを、彼の目の前に差し出した。
「香りがキツイのは、どっち?」
私の言葉に彼は、遠のいていた鼻を近づける。
そして、鼻を離してすぐに、ユリの花をさした。
その答えに、私は、何も言わず、笑って答えると、すぐに花を筒に戻した。
この部屋は、暖房がそこそこきいている。だから、花を水から長時間遠ざける事は、かわいそうだったから。
花を戻しながら私は、詳しく、彼に説明した。
「幼い子供さんがいる家に、香りのキツイ花は、あまり好まれないわ。
それに、ユリといった花粉が存在する花も、あまり好まれない。
花粉を取って、使う場合もあるけど、花の寿命が半減すると言われるくらい、とても卑劣な行為に値する。
そうまでして、使わないといけないのであれば仕方ないけど・・・やっぱり、かわいそうでしょ?
だから、今回は、ユリを始め、花粉が表立ってわかるものは、使わなかったの。
そして、匂いも、極力しないものを使った。
大きさは、家が大きいからといって、大きいものがいいとは限らない。
よく言うでしょ、量より質って・・・。」
私は、そういうと、完成したアレンジメントに目を注いだ。
「でも、大きな家におけるように、生け花もイメージして、上品で品がある花を選んでおいたから。
アレンジメントでは、あまり使用しないものも使ってるけど・・・。
その辺は、おおめにみてね。」
そして、私は、彼のもとに近付くと、彼の手からバックを取り上げた。
「それじゃ、私はこれで。」
彼にそういうと、私は先輩を見た。
「精算など、後の事は、先輩にまかせます。」
私はそう言ったあと、彼の手にエプロンをポンと置くと、軽く一礼をして、店を出た。
ヤバイよー!!
とんだ時間を使ってしまった!!
桜の所のお客さん、もう来てるんじゃない?
怒られるぅー!!
私は、競歩に近い歩きで、酒屋さんに向かって突っ走ってた。
どれくらい歩いてたかな。
やっと、酒屋さんが見えたその時、
「おい、待てって!!」
耳元でそういわれたかと思ったら、急に左肩が後ろに引っ張られて、私は後ろに倒れそうになる。
勢いよく歩いていたせいで、体制を崩してしまった。
うわぁー!こける!!
背中が地面に叩きつけられるのを覚悟して目をつぶったけど、私が感じた感触は、硬いけど暖かくて、頼れる物だった。
ん?と思って、ユックリ目を開けると、目の前には、見覚えのある顔が!!
私は、体を少し後ろに傾斜した所で、彼の胸に支えられて、留まっていたの。
だから、見下げた彼の顔が、私の視界のど真ん中に存在して・・・。
「きゃっ!!」
と叫びながら、私は慌てて体を起した。
なんで?どうして、彼がいるの?
わけがわからなくて、私は一人オタオタする。
そんな私の姿を見ながら彼は、少し呆れた声を出す。
「君は、一体、何回、呼んだら、気付くんだ?」
と言いながら、私の前に回りこんでくると、私の顔に触れ、グイと上に向けた。
私は強引に、彼の顔を見上げる形となった。
彼の幻想的な髪の際から、少し水滴が見えた。
こんなに寒いのに、汗かいてるなんて・・・。
相当、急いで、追いかけてきてくれたんだ。
そりゃそうよね。
支払いをしてから、競歩で進んでる私に追いついたなんて。
コンパスの長さが違うにしても、相当急いだだろうな・・・。
そう考えて、ハタっとした。
一体、彼は、何で、追っかけてきたの?
忘れ物とか・・・した記憶ないし・・。
私は、わからなくて、首をかしげながら、彼に聞いてみる。
「何か、ようですか?」
だって、全然思い当たらなかったんだもん。
真顔で聞いてる私に、
「君は、欲がない人だな・・・。」
と彼は笑いながら、ボソっと口にする。
「えっ?何?」
あまりに小さすぎて、聞こえなかった私は、彼に聞いてみたけど、彼から放たれた言葉は、また別の単語だった。
だって・・・言葉が、さっきより、長かったから・・・。
「お礼をしようと思って。
本当にコレ、助かったから。」
彼はそういって、花を私の見える場所にまで軽くあげると、その花の存在を主張した。
「何でも言ってくれ。
君に、どうしても、お礼がしたいから。」
って、真剣に言われても・・・。
お礼・・・えぇー!!何よそれ!!
そんな事、急に言われても、答えられないよ!!
第一、 初対面だよ。
言えないよ・・・。
でも、彼の真剣な態度。
それに、必死で追いかけてきた彼の誠意を見たら、「いらないです。」とも言い辛いし、きっと、言った所で、承諾してくれないのは目に見えてた。
ここは、さっさと、適当に何かをお願いした方が、いいと思った私は、何にしようか、ふっと頭を動かした。
周りを、スイーっと見渡して・・・。
「あっ!!」
私は、思わず声を上げた。
何かを思いついた私の態度に、彼は嬉しそうに食いついてくる。
「何か、見つかった?」
少し嬉しそうな声を上げた彼に私は、
「あなた、ワインに詳しい?」
と、いきなりこんな事を言っちゃったの。自分でいうのもなんだけど、すごいひらめきに興奮しちゃって、私は思わず、彼の右腕をつかみながら、さらに迫っちゃう。
「ワ・・・イン??」
そりゃ、突然そんな事言われたら、ビックリするってね!
でも、私は、それどころじゃなくて・・・。
イエスかノーか、早いとこ知りたくて。
私は、つかんでいる彼の手を、さらにグイと下に引っ張った。
「ねぇー、詳しい?」
必死で聞く私の姿が本当におかしかったのか、彼は、「フッ。」と声を漏らして笑うと、
「ああ。それなりに、知ってるよ。」
と口にすると、腕を振って、私の手をズルズルと下にずらすと、彼の手のひらの位置まで、私の手をずらした。
そして、お互いの手のひらが触れた時、彼は長い指を私の指に交互に絡めてきて、シッカリと握り締めた。
こんな手のつなぎ方、恋人の矢上くんともした事ないかも。
ドキドキもした。
焦りもした。
でもなぜか・・・すごく、安心した。
指先から感じる彼の体温が、すごく、心地よかったの。
「急いでるんだろ?
早いとこ、選んであげる。」
彼はそういって、ニッコリ笑うと、私とつながっている手をグイとひっぱると、長いコンパスで歩き出した。
もちろん、私は小走りで、必死で彼についていった。
ワインを主に扱っているすごくオシャレなお店に彼は、手をつないだまま入っていった。
彼のルックスに、店員だけでなくて、そこに居た客までもが、感嘆な声を上げて、見とれてた。
うっ!視線が・・・痛い。
だって、『コイツなんなの?』って目で、ギャラリーは見ててさ・・・。
容赦ないのよ。
なんか・・・自分が惨めに思えてきた・・・。
そんな感じで、私がだんだん悲しくなって来た頃、彼は急に立ち止まった。
そして、私とつないでいた手を離した。
何?彼も、視線に耐えられなくなったの?
もぉー!!余計、しおれちゃう・・・。
さらに気持ちが、沈む私。
だけど、そんな私の目の前に、ガサっという音が。
気になった私は、下げていた頭を上げて、目の前の音の主を見る。
それは、さっき、先輩の店で買った、アレンジメントだった。
明らかに私の方に、突き出している彼に、「えっ?」と聞いた私。
「片手が塞がって、選べないから、これ、持っててくれないかな。」
って言われて、納得したよ。
なーるほどねぇー。
そりゃ、そうだ。
うんうん。と頷きながら、私は両手で大切に、アレンジメントを預かった。
私がシッカリと受け取った事を確認してから、彼は手を離した。
そして、ワインがズラズラズラっと並べられているちんれつ棚を、流してみて行く。
あっ!そうだ!!
私はある事を思い出して、少し動き出した彼の背中を、早足で追いかけると、彼の後ろ姿に向かって言葉を投げる。
「あのね、ワインは4、5本ほしいの。
それから、あと、シャンパンも見てくれますか?
2、3本・・・。」
だって、シャンパンも数・・・すごいあるんだもん。
ワインとシャンパンだけで、こんなに、種類があるなんて。
私にわかるわけないよ。
よかったー、彼に頼めて。
足を止めて、私は、少し離れた場所で、ホッと息を付く。
彼はと言うと、何も言わず、とりあえず、ワインから見て行って、そのあと、シャンパンを見てまわった。
最後の棚まで行ったら、私の方に戻ってきた。
「ちょっと、聞いていいかな?」
と言い出し、さっきの花の時とはまるっきり逆で、今度は彼が、私に質問攻めを開始する。
「このワインは、プレゼント?」
「ううん。親友に頼まれたの。」
「なんで?」
「恩人の方に飲んでもらうのに、買ってきてほしいと言われたの。」
「他に言われた事は?」
「えーっと・・・。」
私は、桜の注文を必死で思い出し、彼に正確に伝えた。
「赤がよくて、種類は、何でもいいって。
きっと、本当は、それなりに、高価な物がほしかったんだと思うの。
でも、私、全く無知だから、わからないし。
だから、友人は、この中で値段が一番安いものでも、いいって。
この一帯のお店に売ってるものは、値段が一番下のものでも、それなりに高価なものだから。」
私はそう言いながら、チラっと値札を見る。
私の真ん前にあるのが、一番安そう。
ここにある物を、ざーっと目で追ったけど、これかな?って。
でも、これ、いくらだと思う?
4万円だよ。
あとは、7〜8万が、平均かな?
ねっ?すごいでしょ?
私には、その値段の高さの違いが、ホントに、全然わからない。
何が何だかサッパリで、ただただ、呆気に取られてた。
「なるほどね・・・。」
彼はそう言ったかと思ったら、「クス。」と軽く笑うと、スタスタと歩いて行った。
やがて、死角になる場所に入り込んじゃって、彼の姿を見失う。
でも、数秒後、彼は戻って来た。
さっきと違ったのは、彼の腕の中に、8本のビンが横たわっていた事。
彼が歩くせいで、緩(ユル)い振動がビンたちに伝わり、ビンがこすれ合って、ガチャンガチャンと軽い音を立てた。
8本も持って、重いじゃない!!と思った私は、慌てて彼の元に駆け寄る。
「少し、持ちますよ。」
とアレンジメントを持っていない方の手を差し出したけど、
「平気、平気。」
と彼は笑顔で答えると、そのまま私の横を通り過ぎて、迷わずカウンターに向かった。
彼の腕に横たわっているビンを、丁寧に店員が抜き取っていく。
そして、それを、ピッピッとレジに通していて・・・。
「あっ!!」
私は、もう1つ桜に頼まれていたものを思い出した。
彼から離れた場所で、突如叫んだ私に、彼はユックリと振り返る。
「何?まだ、酒いるの?」
って、ちょっと、呆れ顔で言わないでくれる?
サングラスしてるから、目はわかんないけど、声のトーンとあと、眉の下がり具合でわかっちゃう。
まるで、私が酒飲みみたいに言わないでよ。
私は、缶ビール1本で十分酔える人間ですよーだ!!
と心でアッカンベー。
そして、顔は・・・大真面目。
だって、頼まれたもう1つだって、私にはわかんないもん。
急いで彼の元に歩み寄ると、彼の腕をグイと引っ張る。
「あの・・・チーズも買わなきゃいけないの!」
「えっ?」
お酒と思い込んでいたようで、いきなりチーズと言い出した私に彼は、不意打ちをくらったようで、それ以上の言葉は言わなかった。
そうこうしてるうちに、8本共、レジをとおってしまった。
「あの・・・他、何かお探しですか?」
少し遠慮しがちで、そう声をかけてくれた店員さん。
かといって、店員さんに言ったら、絶対高いもの出されるでしょ。
わけがわからないから、絶対勧められた物、買っちゃうもん!
だから、私は躊躇した。
「えーっと・・・。」
と言ってごまかしながら、彼の腕をさらにひっぱって、助けを求めた。
初対面の人なのに・・・。
店員さんよりも、怪しい人かもしれないのに・・・。
なぜか、私はこの人に頼っちゃったのよね。
そして、彼はというと、
「袖、伸びるよ・・・。」
と笑いながら言うと、
「すぐ戻るんで、ちょっと待ってもらえますか?」
と店員さんに言うと、彼は私の手に優しく触れ、ソッと私の手を、自分の腕から離した。
そして、何も言わず、チーズが保管されている場所へと向かった。
ここからでも、わかるくらい、チーズの種類は多かった。
でも、彼は、迷う事無く、ささっと何個か手に取ると、アッと言う間に戻ってきて、それを店員さんに渡した。
「すごい・・・。」
彼の華麗さに、思わず感心してしまう私に、
「そう?君が、さっき、これを作った時の方が、俺はすごいと思ったけどね。」
と彼は言いながら、私の手から、アレンジメントをとても優しい手つきで、丁寧に取った。
あっ、そうだ。
支払いしなきゃ。
私は、財布を取ると、カードを抜き取ったんだけど・・・。
「全部で・・・97万5780円です。」
「・・・・・。」
な・・・何言った?今・・・・。
きゅうじゅう・・・・なな??
嘘でしょ。
私のお給料、何ヶ月分よ・・・。
目の前が真っ暗になるとは、この事をいうのね。
なんて思いつつ、クラクラめまいがする焦点を必死で合わせて、なんとか立っていた。
そして、私は握っているカードを店員に渡したんだけど、店員は、「これは・・・。」と少し困った顔をしながら、レジの備え付けの機械にシュッと通した。
店員が思った通り、私のカードは、エラーの音が鳴った。
「嘘・・・なんで?
これ、使えるカードなのに。」
と焦る私。
確かに、私、カードってあまり使わないけど、でも、これは、ちゃんと有効期限も大丈夫なものなのに。
どうして?
さっぱりわからない私に、店員さんは少し言いにくそうに言った。
「このカードは、支払いの上限が、一番低い設定になっているものですので、30万円までしか使えません。」
えっ?そんなのあるの?
カード使わないから、そんなの知らなかった・・・。
って事は、もう1枚使えばいいって事?
そこで、私は、もう1枚のカードをカウンターに出した。
「これも使うわ。」
でも、店員は、
「これも・・・同じだと思います・・・。」
と困った顔をしながらも、カードを機械にシュッと通す。
さっきと同じ、エラー音がなった。
「やはり、これも上限30万円ですね。
あと、1枚か2枚・・・。
カードお持ちですか?」
と優しく聞いてくれるけど、そんなにカードばっかり持ってるわけないでしょ。
ワインもシャンパンも、そして、チーズも。
彼は、そんなに高価な物を選んだわけじゃない。
この店の中では、かなり値段の低いものを選んでくれたんだけど・・・。
トリプル エス エリア をなめていたよ・・・。
しょうがない。
こうなったら、桜に電話して、雪さんの誕生日を聞いて、雪さんのカードを使うしかない。
本来は、カードがないと使えないんだけど、雪さんは、この街では、超有名人だからね。
カードがなくても、雪さんと知り合いだと証明できれば、パスできるってわけ。
私は、仕方なく、携帯をバックから取り出しながら、店員さんに謝る。
「ごめんなさい。
ちょっとだけ、待ってもらえますか?」
そして、私が二つ折りの携帯を開けようとした時、私の携帯に、彼の手が触れた。
それは、まるで、開ける事を阻止してるようだった。
なんだろ?と思って、私は動かしていた手を止めて、彼を見る。
「何?」
すると、彼は、「いいよ。」とだけいうと、私の携帯を強引に奪い取り、それを私のバックにストンと落とした。
えっ?それ・・・どういう事??
彼の言葉の意味がわからない私は、彼に、
「いいよって・・・何が?」
と聞いたんだけど、彼はというと、私ではなく店員さんの方に体を向けると、さっき花屋で使ってた、ブラックカードを店員さんに渡した。
「これで、全額支払います。」
彼の言葉に、店員さんは、
「わかりました。では、こちらのカードは先にお返しいたします。」
と私のカードを彼に返した。
「ちょっと、待って!!
いいよ。あなたに払ってもらうわけには・・・。」
と言いながら、彼の腕をつかもうとした私の方に、彼は振り返り、私の胸に当てるようにカードを返してきた。
「言っただろ?
これの御礼がしたいって。」
彼はそう言って、チラッとアレンジメントに目をやった。
「お客さま。お待たせいたしました。」
いつの間にか、店員さんが、こちらに回ってきてて、彼に買った荷物をさしだし、さらにカードを返してきた。
片手が埋まっている彼は、
「あー、ちょっと、待って。」
と言うと、私にまた、アレンジメントを半ば強引に渡してきた。
そして、荷物を店員から受け取ると、さっさと店から出ていっちゃった。
「ちょっと、待ってよ!!」
私も、急いでお店を出る。
彼はというと、さっき来た道をすでに戻ってた。
私は花が風で散らないように、注意しながらも、彼に追いつこうと必死に歩いた。
さすがに、すぐには追いつけなかったんだけど、意外と早めに、彼の横に行く事ができた。
「ごめんなさい。
こんなつもりじゃなかったのに・・・。
お金は、必ず返します。
連絡先、教えてもらえますか?」
だけど、彼は、私の方に顔を向けると、
「いいって言ってるだろ?
お礼なんだから、素直に受け取って。
その方が、かわいいよ。」
と言って口元を少しだけ緩ませた。
かわいい・・・。
なんか、すっごく気障(キザ)な言葉だけどでも、彼がいうと、すごく新鮮だった。
「コレ、重いから、運んであげるよ。
車だろ?」
「あ・・・うん。向こうの駐車場に停めてあるけど・・・。
でも、いいです。」
私は、そういうと、彼が持っている荷物に手を添えた。
「すごく遠いから・・・。
ここでいいです。」
と言ったんだけど、彼は、
「女性は、かわいくないと魅力に欠けるよ。」
と言って、荷物を反対の方の手で持ち変えると、また、スタスタと歩いて行っちゃって。
全然、私のいう事を聞いてくれない彼。
優しい人なんだろうけど、ちょっと・・・強引かも。
でも、お金まで払ってもらって、荷物まで車に届けてもらって・・・。
これって、ちょっと、申し訳なさすぎるよね。
正直、心が痛んだ。
彼に、何か、お礼が出来ないかな?って。
その時、さっきの先輩の花屋の前を通った。
そして・・・。
「あっ!」
ある名案が浮かんだ私は、
「ねぇー、ちょっと、待ってて。」
と彼を大声で呼んで止めると、先輩の店に入った。
そして、急いで用を済ませると、彼が待つ場所に向かって飛び出した。
「急いでるんだろ?
ホント、ノンキだな。」
と呆れた声を上げた彼の目の前に、私は、今作ってきたもの差し出した。
それを見た瞬間、彼の呆れてた瞳が、みるみる優しい瞳に変わっていくのがわかった。
私は、彼の胸にそれを、優しくポンと当てた。
それを受けた彼は、自然と開いてる方の手をその花に添わした。
そして、その花を、本当に穏やかな瞳で見てた。
「あなた、この花、気に入ってたから。
色々お世話になったお礼です。
あんな大金支払ってもらって、コレが御礼だなんて、ホント失礼な話だけど・・。」
少しバツが悪くなる私。
だって、私が、差し出したのは、2本のカスミソウと、1本のバラで出来たシンプルな花束。
とはいえ、さすが、トリプル エス エリアだから、結構したわよ。
全部でえーっと・・・3000円くらいね。
でも、買ってよかった。と心から思った。
だって、こんなに、喜んでくれる彼の笑顔見れたんだもん。
贅沢をいうと、サングラス、取ってほしかったけどね・・・。
さすがに、そこまでは、初対面の人には言えなくて・・・我慢した。
まだ、その花に見とれている彼の手から、私は荷物を取った。
急に袋を引っ張られて、さすがの彼も気付く。
「えっ?」
と言いながら、こちらを見た彼に、今度はアレンジメントを渡した。
「あなたも、早く、コレを持って行かなきゃ。
本当に、ありがとう。
それじゃ、ここで・・・・。」
と言った時・・・。
「ハッ・・・クション!!」
と豪快なくしゃみをしてしまった私。
さすがに、12月ともなると、外は寒―い。
車だからと、マフラーもつけてないし、少し薄めのコートだし・・・。
うぅ・・・寒い。
私は、思わず身震いをしてしまった。
私の姿に、「アハハ。」と彼は、声を出しながら笑うと、片手で、器用に自分の首についているマフラーを取ると、私の首にかけた。
「えっ?」
と驚く私に彼は、手を止める事なく、私の首にマフラーをグルグル巻きにした。
そして、最後は、グイとひっぱって、私の口元をマフラーで隠した。
「これで、くしゃみもしないだろ?」
と笑いながら言った彼は、今度はその手を私の胸まである髪にそっと忍ばせた。
彼の行動に私は、ただ、目を奪われていた。
「花、ありがとう。
大事にするよ。」
彼はそう言ったあと、私の目に自分の瞳を重ねた・・・気がする。
サングラスのレンズが光って、わからなかったけど・・・。
そして、彼は、言葉の続きを口にする。
「また、どこかで、君に逢える気がする。
それまで、俺の事を忘れないように、これは君に預けておくよ。」
そして、彼は、手に絡めていた私の髪を少しもちあげると、私の髪にとても優しいキスをした。
私は、それから、どう歩いて、どうやって、桜の家に辿り着いたか、よく覚えていない。
ただ、あの人は誰だったんだろう?
名前・・・聞いとけばよかった。
本当に彼に、また逢えるのかな?
そんな事ばかり、私は、考えてた・・・。
「すみれ、遅いから心配しちゃった。
重かったでしょ。ごめんねー。」
桜の家を訪れるなり、桜はそう言って出迎えてくれた。
両手に重い荷物を持っている私の手から、急いで袋を全部取ってくれた。
「あっ、そこのスリッパ使ってねー。」
両手が塞がって、スリッパを出せない桜が、視線を送って、スリッパの存在を知らせてくれる。
「うん。ありがと。」
私は、ブーツを履いていたので、玄関の隅に腰をかけさせてもらって、ブーツを脱ぐ。
やっと、開放された私は、「よいしょ。」と言いながら、立ち上がって、スリッパを床に置き履いて、ふっと顔を上げた。
その時・・・。
「えっ?」
心臓が・・・・止まるかと思った。
だって、目の前にあるコレって・・・。
私は、少し先を歩いている桜を慌てて呼び止めた。
「ちょ・・・ちょっと、桜!コレ、何??」
目の前の花瓶にささっている花束を、指でさす私。
だって、この花、さっき、私があの人にあげた、3000円の花束なんだもん。
なんで、ここに?
えー???どういう事??
完全に頭が沸騰しそう・・・。
ビックリまなこで、花を見ている私の姿に、
「あー、それはね、さっき・・・。」
と桜が話し始めたんだけど、ちょうど、その時、上につながる階段から、雪さんが降りてくるのとが同時だった。
「おっ!すみれちゃん、やっと、来たか。
ごめんね。ワインとか頼んじゃって。」
といい終えて、雪さんが廊下に降り立った時、その後ろから雪さんよりも少し背の高い人が姿を現した。
「ホント、噂どおりの、豪邸だな・・・。」
と口を開きながらその人は階段を降り、彼も廊下に足を踏み入れ、そして、私に気付いた。
「あれっ!君・・・。」
と声を出したのは、向こうが先だった。
私は一瞬わからなくて、「えっ?」と驚いた声をあげたけど、目の前の人の顔が笑顔になって気付いた。
「さっきの・・・人?」
サングラスは取ってるけど、口元の動きでわかる。
さっきの人だ。
嘘・・・これって・・・どういう事??
状況が飲み込めない私は、またもや、棒立ち。
そこに、桜も乱入。
「えっ?どういうこと?
すみれと、アリシエさん、知り合い?」
そして、雪さんはというと、私の身につけているある物に気付く。
「ねぇー、すみれちゃん。
そのマフラーって、アリシエのだろ?
ってことは、つまり・・・。
2人は、どこかで、逢った事があるって・・・事?」
口調は落ち着いているように聞こえるけど、顔を見ればわかる。
さすがの、雪さんも、少し困惑しているようだった。
だって、言い終わったあと、私と『アリシエ』と呼ばれたその人を、何度も交互に見比べてたから。
「運命って・・・ホントにあるのかもな。」
彼はそういいながら、私の元に近付いてくると、さっきと同じように、私の髪を指にからませる。
「すぐに逢えたね・・・。
すみれちゃん。」
そして、さっきと、同じように私の髪にキスをした。
これが、彼と過ごす、とっておきの7日間のうちの初日となる、1日目の出来事だった。
「あっ、早瀬先輩、お疲れさまでした。」
エレベーターで、すれちがう後輩が、私に挨拶をしながら、道をあけてくれる。
私は、少し小走りになりながら、
「ごめんね。ありがとう。お疲れさま。」
と早口で挨拶すると、エレベーターを後にした。
そして、見向きもしないで、真っ直ぐ、正面玄関に向かって、進んでいたその時、
「すみれ!」
と私を呼ぶ声が。
えっ?誰?
と思いながら、私は足を止め振り返る。
明らかに、私をロビーで待ち伏せしていた様子の彼女。
私は、たまらず、大きな声で叫んじゃった。
「どうしたの!桜!!」
って。だって、今日は桜と逢う約束なんてしてなかったし、桜が会社まで来る事、今までなかった。
というか、それより何より、彼女は、幼い子供が2人もいるんだよ。
今、6時回ってる。
そんな時間においてきたの??
私は、彼女がどうしてここにいるか?っていうより、子供たちの事が気になった。
「ちょっと・・・冬真(トウマ)くんと聖(アキラ)くんは、どうしたの?」
たまらず、桜の元に駆け寄って、彼女にくってかかる私に、桜は落ち着いた笑いをする。
「大丈夫よ。果帆に頼んできたから。」
「果帆ちゃんに?」
確認する私に、「うん。」と頷いた彼女は、ソファーにおいていた荷物を手に取る。
果帆ちゃんというのは、桜の年の離れた実の妹で、今小学校3年生の女の子。
事情があって、桜と雪さんに育てられてるんだよね。
確かに、果帆ちゃんが見てるなら安心か。
そして、少しホッとした私は、次の疑問に気付いた。
「所で、どうして、桜がここにいるの?」
そう。コレが、一番気にしなきゃいけない事だったんだよね。
子供たちの事が気になって、後回しになっちゃったけど・・・・。
ホント、何で、桜がここにいるの?
だけど、桜は、答えずに、黙々とコートを羽織ると、私の腕を引っ張った。
「すみれと大事な話があるの。
でも、ここだと話辛いから、外出ない?」
私を見つめる桜の顔は、いつになく真剣だった。
ここまで、わざわざ来てくれたんだもん。
よっぽど、大切な事なんだと思う。
でも・・・。
私は、ロビーにある柱時計に、ソッと目をやった。
大切な時間が、どんどん過ぎていく。
それでなくても、私たちには限られた時間しかないのに。
今は、1分・・・ううん。1秒がもったいなかった。
早く、彼の元へいかなければ。
今の私には、それしかなかった。
私は、悪いと思いながらも、私の腕をつかんでいる桜の手に触れると、彼女の手を私の腕から離す。
そして、申し訳ない気持ちで、彼女を見た。
「ごめん、桜。
今、時間がないの。」
そう言って、私は頭を下げた。
だけど、彼女は、遠ざけた手でまた私の腕をつかんできた。
「桜?」
さっきよりも強く私の腕をつかむ彼女の力に、驚いた私は、それ以上は言えなかった。
ただ、黙って、少し戸惑った瞳で彼女を見た私に、彼女は少し私の方に顔を近づけてきた。
「じゃ、時間が出来るのはいつ?
アリシエさんが帰国する、4日後?」
「えっ?」
驚く私に桜は、つかんでいた手を引っ張ると、側にあったソファーに私を強引に座らせた。
そして、桜も、着ていたコートを再び脱ぐと、それを抱えながら、私の向かい合わせのソファーに座った。
そこは、ロビーと言っても、喫茶店とつながっているため、そこでコーヒーを飲む事も出来る。
桜は、私をどこかに連れ出すよりも、ここで話した方がいいと判断したのか、手をあげて、店員さんを呼ぶと、コーヒーを2つ頼んだ。
しばらくして、コーヒーが2つテーブルに置かれ、桜は私のコーヒーに砂糖を1杯と、ミルクを少し多めにたらすと、軽く混ぜて、私の前に差し出した。
私の好みを知っている桜ならではの技。
とはいえ、そのコーヒーに手をかけるべきか迷った私は、そっと桜を見る。
桜はというと、淡々とした態度で、自分のコーヒーを自分好みに変えると、それをすました顔で口にする。
それを見た私も、桜とここで、話をする覚悟を決め、まずは、首に巻いていたアリシエさんからもらったマフラーを取ると、コートも脱いで、横に置いた。
そして、桜が作ってくれたコーヒーのカップを口に運んだ。
それを、見届けた桜は、早速、口を開いてきた。
「今朝、すみれのお母さんから、電話があったのよ。」
「えっ?」
思わず、カップを落としそうになった。
今・・・桜、何て言った?
ビックリ眼(マナコ)で彼女を見ている私に、桜は続けた。
「すみれが、1週間も泊まらせてもらうそうで、ごめんなさいね。って、お詫びの電話だった。」
「・・・・。」
何もいえなかった。
私は、アリシエさんと過ごす為に、一緒に住んでいる母に嘘をついた。
桜の家に泊まると・・・。
よくよく考えたら、おかしいよね?
結婚して、子供までいる家庭に、1週間も泊まるなんて。
お詫びというより、勘ぐられたのかもしれない。
そして、桜は、わけがわからず、きっと、本当の事を言ってしまったよね?
それも、仕方のない事。
私は、桜に、口裏を合わせてくれるように、頼む事もできなかったんだから。
こうなって、仕方のない事。
私は、手にしていたカップをお皿に戻すと、桜に頭を軽く下げた。
「ごめんね、迷惑かけて。
お母さんには、ちゃんと説明するから。」
でも、桜は、「その必要はないよ。」と笑いながらいうと、「へっ?」と言いながら顔を上げた私にこう言った。
「口裏合わせておいたから。」
そして、桜は、少し私の方に前かがみになると、さっきの笑顔を消して、少し真剣な顔になる。
「おばさまには、冬真(トウマ)と聖(アキラ)の面倒が大変だから、すみれに助けてもらおうと思って、1週間泊まってもらうように頼んだといっておいたの。
でも、私は、すみれが、家をあけているのは、矢上くんと一緒にいるんだと思ってた。
だから、私は、おばさまに嘘を付いた。
でも、雪が、たぶん違うだろうって・・・。」
「えっ?」
戸惑う私に、桜は止まる事無く言葉を続けた。
「雪が言うには、アリシエさんは、雪と飲んでる間、何度も、すみれの事を聞いてきたって。
そして、家を出る時、お酒を飲んでいなかったすみれが、アリシエさんをホテルまで送って行ったでしょ?
その時、何かあったんじゃないかって。
あの日から1週間、すみれが家を空けることと、アリシエさんが日本を去る日が一緒なのが、ひっかかる。
もしかしたら、アリシエさんと一緒にいるんじゃないかって。
もちろん、私は信じられなかった。
偶然でしょ。って笑い飛ばしたんだけど、でも、どうしても、すみれに逢って真実を聞きたくて、ここにきたの。
でも、さっき、ロビーにいたら、矢上くんに偶然逢ったわ。
その時、言われたの。
すみれが、泊まりこみでお世話になってますって。
それを聞いて、雪の言った通りだったと、確信した。
正直ショックだったけど・・・でも、すみれの心が聞きたいって思ったの。」
「心?」
「そう。」と言った桜は、前かがみだった体をソファーに倒した。
「矢上くんが言ってた。
仕事が終わったら、すぐに帰るし、メール送っても返ってこないし、電話しても出てくれないって。
アリシエさんと、ずっと一緒にいるんでしょ?
彼と何してるの?」
「それは・・・。」
私は、答えられなかった。
やましい事はしてないの。
桜が言う通り、私はあの日・・・。
アリシエさんと出逢った日、彼をホテルまで送った。
その時、もう少し話がしたいと彼に誘われて、彼のホテルの部屋まで行った。
そこで、お酒を飲んでたくさん話して。
すごく、意気投合したの。
一緒にいて、居心地がよかったし、私がプレゼントした花を、ホテルの人に言って用意してもらった花瓶に挿して、大切にしてくれているのを見ると、優しい人なんだと思ったし・・・。
なかなか、彼と離れられなくて。
気付いたら、深夜を回ってた。
さすがに、もう帰らないとって思った時、彼に言われたの。
日本にいる間だけでいいから、一緒に時間を過ごしてくれないか?って。
仕事を休ませるわけにはいかないから、それ以外の時間は、俺にほしいって。
私は、その申し出に、素直に答えてしまった。
それは、ただ、純粋に、私も彼の側にいたかったからだと思う。
彼が日本を立つ7日後の事なんて、何も考えてない。
ただ、限られた時間を、彼と一緒に過ごしたい。
その思いだけしかなかった。
それは、桜にバレた今でも変わらない。
だから、自分の正直な想いを桜に言ってみたの。
「桜にも、矢上くんにも、恥じるような事はしてないよ。
ただ、食事を一緒にしたり、話したり、映画見に行ったり、ショッピングを楽しんだり。
そういう事をしてるだけ。
キスだってしてないし、まして、それ以上の事だってしてない。
そういう事じゃなくて、時間を一緒に過ごしてるだけだから。
彼に、日本にいる間だけでも、いい思い出を作ってもらいたいの。
私を側におきたいというのなら、その望みを叶えてあげたい。
ただ、それだけの思いだから。
何も心配しなくていいから。」
桜は、私が言う間、何も言わなかった。
ただ、黙ってコーヒーを飲みながら聞いていた。
そして、私が言い終わったあと、それを待っていたかのように、カップをお皿に置くと、私に目を合わした。
「アリシエさんに、いい思い出を作ってもらいたい?」
「うん。」
「それ・・・ホンキで言ってる?」
「えっ?」
桜の言ってる意味がとっさにわからなくて、聞き返してしまう私に、彼女は少しタメ息を付くと、一旦そらしていた視線をまた私に向けた。
「今のすみれは、嘘ばっかりじゃない。
そんな嘘で、塗り固められた物で、人にいい思いを与えるなんて、出来るわけないじゃない。」
桜はそう言ったあと、手を伸ばして、私の右手を握ってきた。
私の手を握る彼女の暖かさが、なぜか、すごく胸が痛くなるくらい、切なく感じた。
「親に嘘ついて、矢上くんにも嘘ついて。
でも、一番の大きな嘘は、自分の心にじゃない?」
そして、さらに、桜の手に、強い力が込められた。
「嘘ってね、1つつくと、その嘘を隠すためにまた嘘をついちゃうのよ。
そして、その嘘を隠す為に、また嘘をつく・・・。
すみれが大切にしたいって思ってる物を、そんな嘘ばっかりで、固めてどうするの?」
何も言えなかった。
たまらず、目をそらす私に向かって、桜は言葉を続けた。
「私はね、アリシエさんの心に潤いを与えるだけじゃなくて、アリシエさんがいなくなったあとの寂しいすみれの心を、その2人の思い出が、癒してくれるのなら、黙って、応援しようと思ってたの。
でも、今のままじゃ・・・。
嘘ばっかりの思い出じゃ、余計すみれが苦しむでしょ?
アリシエさんが去ったあと、平気な顔して、矢上くんのもとに帰れる?
すみれは、そんな器用な子じゃないでしょ?」
桜は、そう言ったあと、席を立つと、私の側に来てしゃがんで、また、私の手を握ってきた。
「だから、すみれ、お願いよ。
もう、アリシエさんとは、逢わないで。」
「えっ?」
戸惑う私に、桜は必死になって私に言ってきた。
まるで、言い聞かせるように・・・。
「彼は、あと4日でアメリカに帰るんだよ。
そのあと、日本にいつ来れるかもわからない人なの。
すみれには、すみれの事を愛してくれてる矢上くんがいるでしょ?
今まで幸せに、暮らしてたじゃない。
アリシエさんの事は忘れて、現実を生きてほしい。
幸せは、すぐそこにあるんだよ。
わざわざ、苦しむ道に進まなくてもいいでしょ?」
少し潤んだ瞳で、私を見てる桜。
私の手をシッカリと握っている彼女の手が、少し震えてる。
彼女の必死の思いが、ヒシヒシと感じれた。
彼女がこれだけ必死って事は、私は間違った道を歩いているって事なんだよね?
確かに・・・私のやっている事は、普通で考えたら、おかしいのかもしれない。
出会って、すぐの男の人の所に転がり込んで、ずーっと一緒にいるんだもん。
私もね、会社に来たりして、現実の中に入り込むと、冷静に思ったりするのよ。
私は、何をしてるんだろう?って。
期間限定の恋人にでもなってるの?って。
だけど、仕事が終わる頃に彼からメールが来たり、彼が私に逢いたがっているのを感じると、私の心がざわつくの。
私も、逢いたくてたまらなくなる。
この感情が何なのかわからないけど、でも・・・自分では止められなくなるの。
逢いたくて、逢いたくて、たまらなくなる。
彼と過ごしてる時間は、本当に幸せなの。
普段見ている街並みが、とても輝いて見える。
暗くて寂しかった夜空が、とても、神秘的で心が洗われるような感じを持ったり・・・。
今まで、持たなかった思いや感動が、彼といたら味わえる。
いくら桜の頼みとはいえ・・・。
私のしてることが、間違っている事だとしても・・・。
アリシエさんとの時間を手放す事は・・・私には、出来なかった。
私は、桜の手を強く握り返した。
「桜・・・ホントにごめん。」
そう言って、頭を下げた私に、
「すみれ・・・。」
と悲しい声を上げた桜の声が聞こえた。
その時、テーブルの上に置いていた携帯が、チカチカと光った。
実は、何度もさっきから、止めどなく携帯が光っていた。
それは、誰からの物かわかってた。
でも、桜と話していたから、無視してたんだけど、あまりにも回数が多いし、これ以上は無視できない。
“カレ”に心配かけたくない。
そう思った私は、桜の手を離すと、
「ちょっと・・・ごめんね。」
と謝ると携帯を素早くつかみ、桜がいない方側から通って、ソファーから出ると、少し離れた場所へと行ってから、電話に出た。
「はい・・・。」
と私が言った途端、
「すみれちゃん?」
すごい勢いでそういわれた私は、「う・・・ん。」と戸惑っちゃって。
でも、私の声を聞いた相手は、
「よかった・・・・。」
と深くて大きなタメ息を付くと、そのまま、倒れちゃったんじゃないの?って思うくらいの大きな音を立てた。
「えっ?ちょっと・・・アリシエさん??」
驚いた私は思わず、大声を上げてしまう。
すると、向こうから、少し弱々しい声が聞こえた。
「今から会社出るって言ったきり、いつもの時間になってもこないし、電話しても出ないから、何かあったんじゃないかって、心配してたんだよ・・・。
ホント・・・無事で、よかったよ。」
アリシエさんは、そういうと、
「で、今、どこ?
何、してるの?」
と聞いてきた。
何って、桜と話してるんだけど、でも、彼に話したら、親に嘘ついて彼のホテルに泊まってる事もバレちゃうし、桜に反対されてる事も、勘付かれたら嫌だし・・・。
仕方なく私は、こう言った。
「ごめんなさい。今まだ、会社なの。
後輩から、ちょっと、相談受けちゃって。
でも、もう終わったから、今から、そっち行くから。
20分くらい待ってて。」
私は勘付かれないように明るくそういうと、電話を切った。
時間がもったいないので、携帯を切りながら、桜の元に戻った。
桜は、自分の席に戻っていた。
少し元気がない感じで、コーヒーを飲んでた。
桜には悪いけど、私・・・行かなきゃ。
もう、カレを待たせたくない。
そう思った私は、席に戻ると、座らずに、さっさと出る支度をした。
コートを羽織って、首にはカレがくれたマフラーをした。
さっさと身支度をする私に、桜は落ち着いた面持ちでこう言った。
「アリシエさんの所に行くの?」
だけど、私は、
「ホント・・・・ごめん、桜。
これコーヒー代・・・置いておくね。」
とだけいって、2杯分で1000円をテーブルに置いた。
「じゃ・・・ね。」
桜には悪いと思ったけど、桜にいくら言っても、反対されるのはわかっていたし、これ以上言い合っても、答えはでないし、時間の無駄だとわかっていたから。
だから、私は、去る事にしたの。
一方的にそういうと、カバンを肩にかけて、桜に背中を向けた。
そして、1歩歩き出した。
「どれだけ嘘をついたら、気付くの?」
後ろから聞こえた桜の声。
私は、次の一歩が踏み出せないでいた。
そんな私の元に桜は辿り着くと、私の腕に優しく触れた。
「アリシエさんにまでも、嘘ついて・・・。
嘘つかなきゃ居られない人と一緒にいて、一体何を得るっていうの?
後ろめたさと、後悔だけでしょ?
すみれもアリシエさんも、間違ってるよ。
人とのつながりって、『今だけが、よければいい』とか、『自分の思いだけ押し付けたらいい』とか、そういう物じゃないでしょ?
お願いだから気付いてよ!」
これ以上、桜の心の訴えを聞いちゃいけないと思った。
桜は間違っていない。
間違っているのは、私。
でも、もう・・・止められないの。
アリシエさんの側に居たいという感情を・・・止める事ができないから・・・。
「気をつけて・・・・帰ってね・・・。」
私はやっとの思いでそれだけいうと、桜の手を振り払って、正面玄関から外に出た。
外に出て、私は、ひたすら、早歩きで、駅に向かった。
競歩に近い速さで歩きながら、私はずっと唱えてた。
ごめんね、桜・・・ごめんね・・・って。
「おい、すみれ・・・おい!!」
急に腕を、グイと引っ張られて、私は歩きを止められた。
キキーという感じで止まった私は、正直キョトン。
ということで、そのまま、私の手を握っている人の顔を見上げて・・・。
「矢上・・・くん?」
そこには、まだ、外回りしているはずの矢上くんが居た。
確か、今日は、外での仕事があるからと、少し前に出て行っていたはずなのに・・・。
どうして、こんな所に?
驚きすぎて何も言えない私の姿に、彼は悟ったのか、質問がないのにもかかわらず答えをくれた。
「先方が予定入ってしまってさ。
急に明日に変更になったんだ。
おかげで、今から暇になった。
社に戻って、とっとと帰るかな?」
そう言った矢上くんは、急に何かを思い出したのか、「あっ、そうだ。」というと、私にこんな事を言ってきた。
「そういえば、すみれ。桜さんは?」
「えっ?」
と聞く私に、
「今日、一緒に、ディナーするんだろ?
桜さん、ロビーでお前待ってたぞ。」
と言ってきた。
そういえば、桜、矢上くんに逢ったっていってたっけ。
って事は、ディナーは、桜が矢上くんについてくれた嘘だ。
口裏を合わせなきゃ!!
とっさにそう思った私は、話を合わせた。
「あっ、そうそう、ディナーをする予定だったんだけどね・・・・桜、帰ったの。
聖(アキラ)くんが、ぐずって、果帆ちゃんだけじゃ、どうしようもなくなったからって。」
ちょっと・・・いや、かなり強引だったけど、矢上くんは意外と鈍感みたいで、
「そっか。まだ、小さかったもんな。」
と全く疑う事もなく、納得してた。
でも、私・・・気付いちゃったんだよね。
今、私・・・嘘ついちゃったって。
桜、言ってたよね・・・。
『嘘ってね、1つつくと、その嘘を隠すためにまた嘘をついちゃうのよ。』って・・・。
ホント、桜の言う通り。
私は、どんどん嘘をついてる。
それも、嘘をつくのが当たり前みたいに・・・。
しょうがないでしょ。って、開き直ってる自分が正直恐いと思ったの。
それにね、もう1つ気付いちゃった。
私だけじゃなくて、桜にも嘘をつかせてるんだよね。
私のお母さんに嘘を付き、矢上くんにも嘘を付き・・・。
そして、桜も、私と一緒で、もっと嘘を付く事になっちゃうのよね。
私を守ろうとして、私の為に・・・。
でも、私と違うのは、桜は嘘を付く行為に苦しむ。
彼女は、とても優しい人間だから。
関係ない彼女を、私は巻き込んでる。
彼女は、さっき、私に一度も怒らなかった。
迷惑かけられてるのに・・・。
ただ、彼女は私の事を、心配しただけ。
そんな優しい彼女を私は、裏切っていいの?
苦しめて平気なの?
アリシエさんとの時間を守ろうとすればするほど、桜は苦しみ、そして、私の嘘も増えて行く。
私は、一体、あと、どれだけの嘘をつくのだろう・・・。
あと、どれくらい、桜を苦しめるのだろう・・・。
それに気付いた時、私は間違っているとわかった。
桜がいったように、アリシエさんの元に行かない方がいい。
そう・・・思ったの。
私は、どうしていいかわからず、とっさに、側に居た矢上くんの腕にしがみついた。
ギューっと彼の腕にしがみつく私に、彼も少し心配する。
「どうした?すみれ?」
それでも、私は何も答えずに彼にくっついていた。
そんな私に彼は、それ以上は聞いてこなかった。
私の髪を優しくなでると、
「一緒に帰ろっか。」
とだけいうと、しがみついている私の手を離すと、私の肩を抱き寄せ、そのままユックリと歩き出した。
私は、彼の体側にある左手を彼の腰に回し、さらに右手を彼のお腹辺りに回して、両手で彼の体をサンドして、しがみつく。
まるで、タックルみたい。
今は、誰かの温度を味わっていたかったの。
そうでないと、自分が自分でいられなくなりそうで・・・。
必死で止めているブレーキが取れて、アリシエさんの元に行っちゃいそうで・・・恐かったの。
明るい日差し。
小鳥のさえずり。
冬なのに、春をイメージするくらい、暖かな日和だけど・・・・。
私の心は、ちっとも暖かではなかった。
私は、トボトボと力なく、歩き慣れた通勤路を歩く。
昨日、矢上くんのマンションに泊まった。
彼を感じたら、アリシエさんの事を綺麗サッパリ忘れられるかと思った。
いや・・・忘れさせてほしかったの。
だけど、昨日、彼にいくら愛撫されても、いくら体を熱くさせてもらっても、私の体は彼を受け入れる準備ができなかった。
彼が入る場所がちっとも、潤わない私を見て、矢上くんは強引に行うでもなく。
まして、私を問い詰めるわけでもなく、優しく抱きしめてくれた。
「今日は、ただ、抱き合って眠ろう。」
彼のそんな言葉に私は救われた。
彼は、一晩中私を抱きしめてくれてたけど、私は、一睡もできなかった。
彼の手前、眠ってるフリはしたけど・・・アリシエさんの事を考えると眠れなかった。
彼から、何度も何度も連絡があった。
今から行く。と言ったきり、私は彼に連絡をしなかったんだから。
また、心配してるかもしれない。
そう思ったけど、彼の声を聞いてしまったら、ブレーキが壊れてしまうのはわかっていたし・・・できなかったの。
私は、着替えをしに、一旦家に戻った。
そして、今、家から、会社に向かっている道中。
私は、ポケットに入れていた携帯を取り出してみる。
アリシエさんからの着信が、明け方の3時で、止まってた。
さすがのカレも、私が避けているんだと、悟ったんだと思う。
これで、カレから、もう連絡はないよね?
もう、私たちの接点は、消えたんだ・・・。
そうなる事を、私は望んでいたはずなのに・・・。
実際、そうなった現実を目の当たりにすると、どうしようもない後悔が私を襲った。
悲しくて、泣き出したくなるくらいだった。
でも、これで、よかったの。
これで、桜にも矢上くんにも、嘘つかなくてすむ。
私は自分に、必死でいいきかせた。
そして、少し下向きに傾けていた顔を、空に向かってあげる。
今にもこぼれそうな涙が、流れないように、私は必死で上を向いた。
その時、すれ違う女の子たちの会話が、私の耳に入ってきた。
「ねぇー、あの人、モデルかな?」
「それか、芸能人かもね。
すっごく背が高かったし・・・。」
「それにしてもさー、変わった髪の色してなかった?」
「ホント!染めてるにしては、すごい色じゃなかった?
もしかして、外人とか?」
「でも、なんで、あんな所にいるんだろうね?」
彼女たちの何気ない会話。
でも、私にとっては、すごく気になる会話だった。
だって、私・・・。
いつの間にか足を止めて、彼女たちの方に振り返って、会話をしっかり聞いていたから。
今の話・・・。
「まさか・・・・ね・・・。」
私は、軽いタメ息をつきながら、苦笑いをした。
私は一体、何を期待しているの?
会社の目の前に、カレがいるとでも??
そんな事、あるはずがない。
そもそも、彼は私の勤めている会社なんて、知らないんだから。
カレが、私と連絡を取る方法は、携帯でしかない。
自宅の番号も、自宅の場所も何も教えていないんだから。
カレが、会社に来れるわけがないんだから。
「未練がましいな・・・。」
心のどこかで期待している自分に私はつぶやいて、そして、会社の正面玄関につながる道に行こうとした時だった。
「グイ!!」
といきなり腕をひっぱられた。
「きゃっ!!」
と声を上げる私。
この道は人の通りが多いため、急に足を止めると、後ろから来てる人にぶつかってしまうくらい、混雑してる場所。
突然、腕をひっぱられて、もちろん、私は足を止めてしまう。
そして、予想されたのは、後ろを歩いている人が、私の背中にぶつかって来る事だった。
だけど、私の腕を引っ張った人が、私の腕に触れていた手をそのまま、私の腰に回して、私の体ごと、自分の居る場所に引き寄せた為、私は混雑する道から、少し離れた安全な場所に避難させられた。
一瞬の出来事で、何が何だかわからない私は、
「一体・・・何?」
と困惑しながら、顔を上げて、目の前の人を見る。
「!!」
驚きすぎて、言葉は出なかった。
でも、私の本能が動いてくれた。
目が合った瞬間、私はパッとカレから目をそらした。
逢ってはいけない人だと・・・頭ではわかっているから。
だけど、心がざわつく。
離れたくないと訴える。
心の答えと、頭の答えがチグハグで、その答えの狭間で、私は、動く事も言葉を発す事も・・・できなかった。
ただ、彼に抱きしめられているままの私を、カレがユックリと離し、私を1人で立たせると、今度は少し足を折って、私と目線を合わせた。
「心配したんだよ。
時間になっても、全然来ないし、昨日、いくら電話しても、出てくれないし・・・。
何かあったんじゃないか?って・・・すごく心配したんだ。」
とても、優しい口調で話すカレ。
行くと言っておいて、行かなかったのは私。
怒っても仕方ない事なのに、カレは怒らない。
いっそうの事、怒って嫌いになってくれたらいいのに。
そんな風に思うくらい、カレの優しさは、今の私に取って、辛かった。
私の心は揺れている。
だから、彼にどんな顔をすればいいか、わからないから・・・私は、目を合わす事ができず、彼から視線をそらした。
そんな私の頬に、カレの手が、そっと触れた。
次の瞬間、私は、「えっ?」という声と、ビクッという体の反応をして、彼を見た。
触れられた事に、驚いたわけじゃないの。
カレの手から伝わってきた、信じられないくらいの“温度”に驚いたの。
たまらず、私は、私の頬に触れているカレの手を取ると、両手で握り締める。
やっぱり、頬が感じた“温度”は勘違いじゃなかった。
私は、両手で、カレの手を温めるように握りしめると、彼を見る。
「どうして、こんなに冷たいの?
まさか・・・ずっと、ここに居たの?」
私の言葉に対して彼は、ただ優しく笑う。
その笑顔が・・・私の胸を熱くさせた。
これ以上、彼に聞いちゃいけないとわかっていた。
彼がどれだけ、ここにいたのか。
知るはずもない会社をどうやって知ったのか?
知れば、きっと、私はカレから逃れられなくなる。
そう感じたけど・・・そんなの無理に決まってる。
こういう状況で、聞かないでいるなんて、・・・私には出来なかった。
「ここの場所・・・どうしてわかったの?」
私はそう言いながら、彼から手を離すと、ポケットから携帯の小さなカイロを取り出すと、カレの手に握らせた。
昨日から、とても寒くて。
私は、今朝、カイロを持って会社に来たの。
こんな寒い中、カレは、ずっといたの?
罪悪感いっぱいの瞳でカレを見る私に、彼は受け取ったカイロを自分の冷たくなった頬にあてながら口を開く。
「連絡しても出てくれないから、心配でね。
それで、雪にキミの会社を教えてくれるように、電話したけど、教えてくれなかった。
だから、キミと出逢ったあの花屋の店長に、聞いたんだ。
閉店間際ギリギリに、聞き出せたんだ。」
と言った彼は、少しだけ笑ってた。
「もしかして・・・。」
私は、少しびくつきながらそう口を開くと、次につながる言葉を彼に投げかけた。
「昨日の夜から、ずっとここにいたの?」
それに対しての答えを、カレは言わなかった。
カレが言った言葉は・・・。
「キミは会社を休まないと思ったから。
ここにいれば、いずれ逢えると思った。」
・ ・・って・・・そう言ったの。
その言葉で、私は理解した。
彼は、一晩、この寒空の中、ずっと私を待っていたんだって。
私が、曖昧な態度を取ったばっかりに、カレをこんな目にあわせてしまった。
私は、なんてひどい事を・・・。
そう思ったら、罪悪感で胸がはりさけそうになった。
そんな私の心がまるでわかったみたいに、急に私の手に、カレの手が触れた。
私は、ユックリと彼に目を向けた。
彼はというと、触れた私の手に、さっき私が渡したカイロを握らせた。
たぶん、私に返したかったわけじゃないと思う。
私に触れたかった。
でも、何もなければ、きっと、私はすぐに手を振り払ってしまうとカレはわかっていたんだと思う。
だから、すぐに私が振り払えないように、彼は私にカイロを持たせたんじゃないかと・・・なんとなく、私はそう・・・思った。
「すみれちゃん。どうして、急に俺を避けたんだ?
雪に何か言われたのか?
昨日、すぐに来なかったのも、後輩の相談じゃなくて、雪に何か言われたんじゃないのか?
一体、何を・・・。」
カレの言葉は、止まらなかった。
一度言葉を発してしまったら、自分でも止められなくなってしまったのか、彼は、私を問いただす言葉をドンドン口にした。
その速さは、とても速くて、間に私が返事をする隙間も与えないほど、早口だった。
カレのその口調が、彼の想いを現しているように思えたの。
私に昨日から、ずっとずっと言いたかった想いを言葉にして、ぶつけているんだと・・・。
私は、そう・・・感じていた。
カレの想いは、おさまらない。
そして、私も、カレの想いをただ受け止める。
そんな空間に、亀裂を入れたのは、私でもカレでもなく、それは・・・。
「すみれ!こんな所で・・・どうした?」
背後でそんな声がした。
私は、その声に引き寄せられるかのようにして、顔をアリシエさんから、声の主の方へと向ける。
そこには、矢上くんが立っていた。
私は、矢上くんの顔を見た瞬間、条件反射で、アリシエさんの手を離した。
勢いよくパッと離し過ぎて、カイロが下に、パタっと落ちた。
その物体に、矢上くんは目を奪われ、
「落ちたぞ。」
と言いながら、それを拾おうと、その場にしゃがみこもうとした。
そんな矢上くんの腕を私は強引にひっぱると、しゃがみかけた矢上くんを強引に立たせた。
「そんなのいいから・・・・ほらっ!
急がないと、遅刻しちゃうよ。
行こう!!」
私は、矢上くんの腕を強引にひっぱって、歩き出そうとした。
だけど、矢上くんからしてみれば、私がこの場を去りたい理由なんてわかるはずもなく、いたってノンキ。
「どうしたんだよ、急に・・・。」
と言って、私に腕をひっぱられながらも、その場にしゃがみこむと、落ちたカイロを拾う。
「それにしても、すみれ、早かったな。
俺のマンションから自宅に戻るだけでも、1時間はかかるのに・・・。
始発に乗ると、間に合うんだな。」
と私の方を見ていいながら、彼は立ち上がる。
「今の・・・どういう事?」
その声に私は、ただ、カレを見た。
サングラスで、カレの瞳の動きは読めなかったけど、でも・・・戸惑っているのは、彼の顔つきでわかった。
サングラスで隠れていない場所の筋肉の動きで、いつの間にか、わかるようになっている自分に、驚いたりした。
「なー・・・今のどういう事か、説明してくれ!」
今度は少し荒い口調で言った彼は、言葉を発したと同時に、私の腕をつかもうと手を差し出してきた。
カレが怒るのも無理はないよね。
だって、一晩心配しながら、ずっと待っていた人が、別の男と一緒にいたなんて。
しかも、その人の家に泊まっていたなんて・・・。
誰だって、怒るよね。
自分でも、最低だと思うもん。
だけど、あの時の私には、あーするしか方法がなかったし、今の私も、アリシエさんに最低の女だと嫌ってもらうしか方法がない。
だから、ちょうど、よかったと・・・そう思おうとした。
だから、私は、弁解しなかった。
このまま、アリシエさんに腕を捕まれて、ひどく罵倒されたらいい。
責められたらいい。
それで、カレが嫌ってくれるなら、それでいい。
そう思って、私は覚悟を決めた。
私の腕をつかもうと、すぐ側まで伸びてきている彼の手を感じながら、私は最後まで見届けず、途中で軽く目をつぶり、暗闇の中で、彼の腕を待った。
だけど・・・。
「あの・・・。」
という聞き覚えのある声が聞こえたかと思ったら、「パシ。」と何かがつかまれた音が聞こえた。
私は、気になって、ソッと目を開けると・・・。
そこには、私の腕をつかむ少し手前で、矢上くんにつかまれているアリシエさんの腕があった。
アリシエさんの腕をつかんだ矢上くんは、少し押し気味で、アリシエさんの方に向かって腕を突き返すと、まるで私を隠すように、私の真ん前に立ちはだかった。
「失礼ですが、すみれとは、どういう関係ですか?」
いきなり単刀直入に聞いた矢上くん。
言葉遣いは丁寧だけど、声は緊張感が走るようなピリピリとした声だったし、顔つきもいつになく真剣な眼差しで、私もどうしていいか戸惑ってしまい、動けないでいた。
そんな私にお構いなく、アリシエさんも、矢上くんの挑戦を受けて立つように、私から、矢上くんへと矛先を変えた。
「キミは、彼女とは、どういう関係なんだ?」
いきなりそう聞いてきたアリシエさん。
普通なら、『え?』って思うよね?
だって、質問したのはこっちが先なのに、なぜか、質問返しされてるんだから。
でも、矢上くんは、そんな些細な事は気にならない様子で、「俺は・・・。」と口を開くと、こう言ったの。
「恋人ですよ。」
って。そして、さらに、すました顔で、アリシエさんにお返しした。
「それで?あなたは?
あなたは、すみれとはどういう関係ですか?」
「俺は・・・。」
と何かを言いかけたアリシエさんの言葉を私が、さえぎった。
「彼は、アリシエさんと言って、雪さんの親友なのよ。」
突然口を開いた私の言葉に、アリシエさんも矢上くんも、ふいをつかれて、一拍反応が遅くなる。
だけど、やがて、理解した矢上くんが、アリシエさんよりも先に口を開いた。
「なんだ、そうだったのか。」
安堵のため息をつきながらそう言った矢上くんは、アリシエさんの方に一歩近付くと、彼に向かって右手を出した。
「いきなり、失礼な事言って、申し訳ありませんでした。
雪さんや桜さんと、僕も面識があるんです。
雪さんの親友とは知らずに、無礼な態度を取りました。
許して下さい。」
そう言って、軽く頭を下げた矢上くんは、顔を上げるとアリシエさんを見た。
そして、さらに握手を求めて、出している右手を前に突き出す。
アリシエさんの右手が、一瞬ピクリと動いた。
だけど、カレは、少しだけ上げかけた右手をまたもとの位置に戻すと、開いていた指をグーにして、拳を作った。
そして、カレは、私に目を移した。
私の目を真っ直ぐに見るカレの瞳が、何かを言いたそうだった。
だから、私はたまらず、カレから目をそらす。
そして、ほぼそれと同時くらいに、矢上くんがアリシエさんにこう言った。
「これからも、雪さんとの関連で、お逢いする事があるかもしれません。
よろしくお願いしますという事で・・・。」
と添えたあと、アリシエさんに握手を求めた。
だけど、アリシエさんは、少し顔を曇らせると、右手をポケットに入れた。
「あの・・・。」
と戸惑う矢上くんに、アリシエさんはさっきの顔ではなく、少しすまなさそうな顔つきで、矢上くんを見ると、「悪い・・・。」とまず謝った。
「えっ?」
と聞く矢上くんに、アリシエさんは、今度は自分の左手を目の前に上げると、ヒラヒラと揺らした。
「俺・・・左利きなんだ。」
その言葉を矢上くんは、素直に受け取り、
「あっ、そうだったんですか。
これは、失礼しました。」
と言って謝ってたけど、私は、「えっ!」と声を上げたあと、心の中で言ってた。
『嘘!!』
って。この数日、一緒に過ごしていたけど、アリシエさんは右利きだったはず。
なのに、どうして、左利きだなんて、嘘をつくの?
それは、つまり・・・。
私は少し考えた。
考えて、1つの答えが出た。
矢上くんと握手をしたくないって・・・そういう事?
もし、そうだとしたら。
矢上くんは、アリシエさんの言った言葉をうのみにしてる。
だから、このあと、迷わず左手を差し出すと思う。
でも、アリシエさんは、握手したくないから、こんな嘘をついたわけで、矢上くんが再度申し出をしたら、アリシエさんが何を言い出すか・・・。
そう思ったら、私は、これ以上、ここに居ない方がいいと悟った。
だいたい、私はアリシエさんとは、もう逢わないと決めたんだもん。
ここに、長くいる方がおかしい。
そう思いなおした私は、
「それじゃ、アリシエさん。
私たちはこれで・・・。」
と早口でアリシエさんにそういうと、私は矢上くんの腕をつかんで、思いっきりひっぱった。
「おいっ!ちょっと、待てよ、すみれ。」
と声を上げる矢上くんに、見向きもしないで、私は先に進んだ。
そして、私の背中に向かって、
「すみれちゃん。」
と声をかける、アリシエさんの声も聞こえてた。
だけど、バラバラに生き始めた私たちの運命は、もう止められない。
もう一度、交わらせる事なんて・・・出来ないの。
桜に、もう、嘘をつかせないと決めた。
誰にも、嘘をつきたくないと思った。
それを感じた時、私たちが一緒に居る事は、よくない事だと知ったの。
その現実を、私はもう、見て見ぬフリは出来ない。
だから・・・本当に・・・ごめんなさい。
私は聞こえるはずもない、アリシエさんに向かって、心で何度も何度もそう唱えていたの・・・。
私は、ソファーに腰掛けた。
そして、タメ息をつきながら、テーブルを見る。
さっきから、チカチカと点滅しっ放しの携帯。
発信相手は、見なくてもわかる。
アリシエさんだ。
アリシエさんが日本に来て、今日で5日目。
昨日の朝、アリシエさんと会社の前で逢ったでしょ。
そして、帰る時も、アリシエさんはいたの。
さすがに、逢えなくて、私は裏口から帰った。
もしかして、今日もいるんじゃないか・・・。
そんな不安から、今日は会社を休んだ。
有休もたくさん残っていたし、体が少し疲れているからと言い訳をして。
とはいえ、家にボーっといても、アリシエさんの事を考えて、余計苦しくて・・・。
それで、さっき、矢上くんのマンションに来たの。
合鍵をもらっていたし、矢上くんと一緒に過ごしていたら、アリシエさんの事も忘れられるんじゃないかと思って。
ズルイと思ったけど、今の私にはそれしか浮かばなかった・・・。
「7時前・・・もう時期、帰ってくるかな?」
そう言いながら、私は携帯が光っているのを無視して、手にしていた雑誌を開く。
視界に入ってくる携帯の光を、気にしないように、言い聞かせながら・・・。
でも、ずっと光っていた光が止まって、シーンとなると、それはそれで、気になるもので・・・。
私は、雑誌を置くと、変わりに携帯を手にする。
ユックリと、二つ折りの携帯を、パカっと開いた。
カレからの連絡は、昨日、何回があった。
今日は、7時くらいから昼前まであったけど、それを最後に止まってたのに・・・。
なのに、また、さっきから、鳴り出してて、そして今もまだ鳴っている私の携帯。
私の手のひらの上で、再びチカチカと光り出す。
私は、ビクつきながら、手の中にある携帯をじっと見てた。
もちろん、着信は・・・アリシエさんになってる。
私の指が、通話ボタンへと移動する。
どうしよう・・・出たい。 |