ゲッチョのコラム



 1   校長室
更新日時:
H22年3月8日(月)
神奈川・厚木の小学校に授業に招かれる。
話を通してくれたのは、かつていた学校の1期生だった(気が付けば、彼女はもう40歳だ)。
なんでも彼女は小学校のパソコンの「先生」なのだという。いくつかの学校をかけもちしてまわっているそうだ。
ある日、職員室で仕事をしていると、聞くともなく、校長先生らの会話が聞こえた。
「骨」「盛口」
そんな単語が耳に入ったのだという。
「それって、ゲッチョのこと?」
びっくりして、校長先生らの話の輪に加わると、今度は校長先生らが驚いたのだそうだ。
「知っているの?」と。
なんでも校長先生は大の沖縄好きで、かつ生き物好き。沖縄に通ううちに僕の「西表島の巨大なマメと不思議な歌」に出会って、以来、「ファン」になってくれたのだそうだ。
たまたまそんな先生が、たまたま僕の話題をほかの先生にしていて、その日、たまたま僕の教え子が勤務の日だったことが重なって、僕が骨を担いで厚木に行くことになったのだ。
校長室には、石垣島で買い求めたというホラガイが3つもおいてあった。
子ども達に「ほら吹き」の練習をさせているのだそうだ。
変な先生である。
だから嬉しい。
1期生の彼女にも、25年ぶりに再会した。当時はまさか小学校なんていう場で出会うなんて思いもかけないことだったけれど。
3月、巡業の日々は続く。

 2   ネコとヤギ
更新日時:
H22年3月1日(月)
ヤンバルの小学校に授業をやりにいく。
小学5年生はひさびさなので、ちょっと緊張した。終わってみると、体力的にはぐったりしたが、まぁ、いい汗をかいたといえるだろう。
授業の前に、校長室でゆんたくをする。
例によって、このゆんたくもおもしろい。
今日の話はヤギをどこでつぶしたか?というもの。
シマによって、つぶす場所が、海とか川とか違うよね・・・というのが話題の内容だ。
「つぶしたら、ワラで焼いたね」
こんな話を聞いていたら、同席した20代の沖縄の女性が「ヤギを焼くんですか?」とけげんそうに聞き返した。つぶしたヤギを焼くのは、毛を焼いてしまうためである。
「うーん、ここに世代のギャップがあるねぇ」
話に興じていた校長先生と教育委員会の人が嘆息する。
今はそこらでヤギをつぶすこともできなくなった。当然、ヤギ料理が伝統の沖縄でも、若者はヤギを殺す場面を見たことがなかったりするわけである。
そんな話から、昔はネコは喘息の薬だったよねという話にもなった。
「ネコが死ぬと死体を木にぶらさげもしたな」
これは諸説あるが、たたらないようにと言う話を聞いたことがある。
「集落の決まった木に吊していたよ」
「海の見える木に吊したよ」
「おじさま」がたが話をすると、先の女性が「私は海岸の砂浜に埋めましたけど」と言った。
「ああ、そこにもギャップがあるなぁ」
また、そんな声がした。

 3   バーキのシマ
更新日時:
H22年3月1日(月)
南部にある、小谷という集落の方に話を聞く機会を得た。
この集落は、沖縄に引っ越して以来の、僕の散歩コースのひとつだ。
沖縄は急速に都市化したことから、農村部の自然環境が激変してしまった。
ヤンバルの自然も興味深いのだけれど、僕は雑木林のように、長い間、人と関わりの深かった自然についても、強い興味を持っているのだ。ところが、沖縄ではなかなかそんな自然が残されていない。そんな中で、小谷は例外的に、古い時代の面影を残している集落に思えた。
この小谷は、かつて家々の周囲をホウライチクで覆っていたという。それはホウライチクを使った竹細工が盛んであったからだ。
「僕は7つのときからバーキを編んでいましたよ」
そんな話を聞く。
バーキというのば、ザルの一種である。そしておじいさんが7つの頃から編んでいたバーキは、売り物だった。
「13のときからは、自分でつくったバーキを担いで売りにいきました」
こうも話す。
その道のりたるや。
朝3時に現在の南城市にある小谷を出発し、昼の12時に糸満に到着したというのであるから。しかも糸満で売り切れた場合、さらに那覇までバーキを売りに行ったという。
こんな話を、海の見える高台にある、おじいさんの畑でうかがう。
昔はよかったなど、とても思えない話だ。
それでもなお、今でよいのかとも思う。

 4   アンニンドー
更新日時:
H22年3月1日(月)
宜野座村の山手に、かつてアンニンドーと呼ばれる集落があったと、去年、聞いた。
そのときから、その集落で生まれ育った人の話を聞いて見たかった。
今回、その願いがかなう。
アンニンドーは、いつ開かれたのか、話をしてくれたおじいさんも知らないといっていたが、おそらく明治以降に開拓された集落ではなかったかと思う。
戦前、おじいさんが小学生時代のころ。
アンニンドーにはアンニンドーのイザリがあったという話が印象深かった。
イザリというのは、夜、潮の引いた海岸で、灯りをともしておこなう漁のことである。漁の対象は貝であったり、タコであったり、魚であったりする。現在は灯りはもちろん、懐中電灯なわけだが、かつてはたいまつが使われた。
ところが、アンニンドーは山中の集落だ。こんなところで、イザリをするとはどういうことか。
それは、夜の川でたいまつをもっておこなわれた漁であったのだという。
かつて、沖縄ではシマごとにそれぞれの固有の世界があった。
そのことを、またしみじみと思った。

 5   春の夜
更新日時:
H22年3月1日(月)
東京から造形作家のシノブさんがやってきた。
夕方、ヤンバルの海岸で落ち合う。
折悪しく、天気は雨模様。
それでも、夜、ヤンバルの道を車で行く。
今回はシノブさんの知り合いが、ヤンバルでカエルのサンプリングをするのを見学するのが主な目的だった。カエルのサンプリングといっても、カエルを標本にするわけではなく、カエルの体表をぬぐって、菌をチェックするということだった。カエルツボカビなどの侵入を防除するのが研究目的なのだろう。
雨の降る、夜のヤンバルの林道を、ごくゆっくりと車が走る。窓から目をこらし、カエルと見ると、網を片手にすっとんでいって、捕らえ、体表をぬぐう。
真剣なのだか、どこかおかしい。
リュウキュウカジカガエル、オキナワアオガエル・・・。
途中、車を止め、林道を歩いて、シリケンイモリのサンプリングに行くことになった。
豪雨である。
さすがにここは研究者チームに出動をまかせ、僕やシノブさんはそのまま林道を車で流すことにした。
ちょうど、ヘビ屋のタハラ君もこの一行をのぞきに来ていた。
そのタハラ君が、車を止めている。
何事かと思えば、ハブがいたのだという。
「太っていて、いいハブです」
タハラ君が言う。
「カッコイイ、王様だ、王様だ」
シノブさんがうめいている。
逃げようとするハブを、口にマグライトをくわえ、手にスネークフックと呼ばれる金棒を持ったタハラ君が見事にあしらう。しばしその様を見せてもらう。
タハラ君とわかれて、まだしばらく車を走らせた。
イシカワガエルが出る。ガラスヒバァも出る。
春の夜はなかなかににぎやかだった。
ハブがもう一匹、轢かれていた。
太っていて、いいハブだったのに。
 
後ろ髪を引かれる思いで、夜のヤンバルを後にした。
 



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