ゲッチョのコラム



 131   緑の卵
更新日時:
H18年12月28日(木)
ナカムラ君が遊びに来る。
持ってきてくれたのがエミューの卵。
カラの色は濃い緑・・・だ。
これをユデ卵にする。
最近、ユデ卵を調べている。といっても白身と黄身の割合を計測しているだけなんだけど。ゆであがったエミューの卵を計ってみると、ダチョウのユデ卵から予測していた値と違ってびっくり。
ユデ卵ってかなり個性的かもしれない・・・と思い始めている。
ちなみに、味もダチョウと違ってまろやかでおいしい。調査のオマケ・・・として、こちらの方も楽しませてもらった。

 132   五稿目
更新日時:
H18年12月28日(木)
ヤンバル調査の帰り、イッぺーさんが泊まりに来る(うちには人が泊まるスペースがほとんどないので申し訳なかったが)。
イッぺーさんは西表でイノシシ猟の研究をしているのだという。先日、かつて使われていた、石の重みでイノシシを圧殺するワナを復元した話をしてくれた。この方法は現在禁じられている。がシマの古老の記憶が消えてしまわないうち、形だけでも復元し伝承を伝えていこうという試みだ。
その話を聞いて1つの資料を思い出す。
石垣島測候所の名物所長だった岩崎卓爾が、かつてそのワナを東京のアチックミュージアムに送ったと言う話だ。
ダンボールの中の資料をかきわけ、ようやく原典にたどりつく。役にたったのが、卓爾について書こうとしたボツ原稿だ。
卓爾についてまとめてみたい。そう思って何年もたつ。
ボツ原稿は4稿分。1000枚をこえる原稿用紙の山だ。それが少しなりとも役だって、ちょっとうれしい。
その山を越え、ようやく五稿目が形になるかもしれない。次に出す本は卓爾が1つのテーマとなる本になる予定だ。

 133   オボボベ・・・
更新日時:
H18年12月28日(木)
「僕の名はオボボベボボボベボベボボです」
「ハア?」
「これが前半です」
「・・・」
歌う人類学者、アンケイ先生に再会した。
宮古から帰った日の夜、ヤンバルへ向かう。
アンケイ先生をプロジェクトリーダーとする調査団の一員に、なぜか加えられることになったのだ。
アンケイ先生も先日発刊した『生き物屋図鑑』に登場する一人。このところケンゴ君、ノリト、ハカセ・・・とこの本の登場人物にたてつづけに会っている。
それはさておき、やっぱり先生はすごかった。
先の「名」というのは、先生がアフリカ調査をしている時、地元のソンゴーラの人々から与えられたタムタム名という。タムタム名というのは伝信用タイコの、タムタムで使う、いばわコードネームのようなものだ(ラクが行ったら、けっこうすぐうちとけるんじゃないだろうか・・・なんて思ってしまった)。
人類学者のフィールドワークや言動なんて、間近にみたことがそうないので、へへーっと思うことしきり。
プロジェクトの中で一人ういている我が身を振り返るのがとってもオソロシクはあるのだが。

 134   宮古調査
更新日時:
H18年12月28日(木)
あれ、何かヘンな音がするぞ・・・?
車がおかしいのかな?
そう思ったら後部座席で、ラクが床をふみならし、ひざをたたいてリズムをとっていた。スコーレ高等部2年のラクは万年リズム男・・・いわばクツワムシみたいな生徒である(実にそのリズム音がよいのだけど)。
そんなラクを含めたスコーレ関係4名で出かけた先は宮古島。ナメクジとアワモチのフィールド調査だ。
おりからの暴風雨の中。雨にぬれつつ林床をはいずって落ち葉をめくり、ナメクジを捜す。
「ゲッチョ、これ違う?」
夜間中学のスタッフの一人、好奇心旺盛娘のソラがこう声をかけてきた。
ビンゴ!アワモチに近縁の、肉食のイボイボナメクジ類だ。
森のあまり残っていない宮古へは、これまでそれほど行きたいとは思っていなかった。どうせ行くなら西表・・・と。しかし、宮古には宮古で、固有のナメクジやらカタツムリがいたりする。この島ならではの自然があるのだ。
夜。寒風の吹く中、今度は泥にはまりつつ、マングローブ林でアワモチ調査。
「いたっ」
今度は僕が発見。それも僕だけ4匹も。
フォッフォッフォッフォと笑っていたら、「年の功だね」
とソラに言われる。
何か違う気がするのだが、まあいいか。

 135   スーパーじさま
更新日時:
H18年12月21日(木)
エントモさんのお兄さん夫婦が岩手からやってきた。
「出てくる時はマイナス6℃だったのにね」ーそう言って笑う。
さっそく飲み会が始まったのだが、僕はエントモさんのお兄さんーマサキさんの話に聞きいっていた。
マサキさんの家はマッチ工場をしていた。そのマサキさんが子どもの頃、周囲には「スーパーじさま」が何人もいたという。
山を見るだけで、材木がどれくらいとれるか正確に見てとれる・・・という職人技のじさまがいた。このじさまの日当は、今から3〜40年前で3〜5万もしたという。今に直すとかなりの額だ。
マサキさんが今だに覚えているのは「ハヤシのじさま」。このじさまは話がうまくて、人生60年、今だにあのじさま以上に話がうまい人にあったことがないと言う。
「例えば寒スズメ捕るにはどーするか。ザルでパタンっていうのがあるだろ、あれはダメダ。まず米をショウチュウにつける。三日ぐらい陰干し。その米を庭にまくんだ。米をまく前に、小石もまいておく。その小石のそばにカキの葉もしいとくわけだ。スズメがやってきて米食うだろ。酔う・・・というわけ。いい気分になって、ああちょうどいいマクラがある・・・と小石に頭のっけてねるっつうわけよ。そうすると、そのうち下にしいてあったカキの葉がくるくる・・・っとまるまってね、それをザルもってって葉っぱごとひろう・・・っていうわけ。これがスズメとる方法」
「ウサギのとり方っていうのもあるんだよ。雪野原。足跡あるでしょ。あのヤブに入ってるな・・・とわかったら、そこでどなる。ウサギーッって。それでウサギ、ウサギ、ウサギ・・・ってだんだん声を小さくしていくと、ウサギは遠くへいったんだなーって勘違いして、そこをホラッってつかまえる・・・。オレが言うとウソだと思うだろ。でもじさまが言うとオレら本気にしたんだ。
そのじさまがしゃべるとその世界に入るんだよ。コタツに入ってミカン食いながら、じさまがどなるわけ。ウサギーッって。あと、カモのとり方ってのは・・・」
マサキさんの話は終わらない。
かつて、日本中のどこにでもスーパーじさまはいたはずだ。
いつから日本にスーパーじさまが生息できなくなったのだろう。



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