ステキな写真集に出会った。
竹内弘真さんの『このほしのまん中で』だ。
スコーレでふと目にとまり、パラパラめくって、思わずひきこまれた。
アンゴラは内戦に苦しんだ国だ。
その歴史の中で生きる子ども達のポートレート写真集である。
一人一人、真っ正面を向く彼ら、彼女たちの視線に目をそらさないほどの生き方をしているかと問われている気が何度もしてしまう。
彼ら、彼女らは「子どものまち」という学校に通っているという。竹内さんが、その子どものまちと関わりあうようになり、写真集を出版するようになったいきさつが、写真集にはさまれた一片の文章に綴られていた。
2001年、子どものまちの生徒たち60人が反政府ゲリラによって拉致された時の話だ。
生徒たちは子どものまちを支援するNGO(国ではない)たちの必死の努力で、キセキ的に全員解放される。が、竹内さんはこの過程であるショックを受ける。
生徒たちが拉致された時、真っ先に「まずダメだろうな」と思ってしまった・・・と正直にその時の思いを回想しているのだ。
その時の判断とは一体何か。
竹内さんは自問する。
それまでの知識が、結果として「もうダメだろう・・・」という判断を生みだしたとしたら、それは何て「冷たい知識なのか・・・」−。竹内さんはそんなふうに書いている。そこから彼のアンゴラ通いが始まった。まず1人1人、そこにいるであろう人を思い浮かべられる想像力を勝ち取るために。
この文章を読んで、僕はショックを受けた。
僕の持っている知識は、果たして「冷たい知識」だろうか、それとも「あたたかい知識」だろうか。
スコーレを振り返る。
ホッシーが「小さな学校を作りたかった」と言う時のその一言。ホッシーはいつもぶっきらぼうにしか語らないけれど、その一言の中にも、竹内さんの語ることと、同じような問題提起があるように、今さらながら気づいた。
「国民一人一人」
「県民一人一人」
そんな言葉をよく聞く。その時、そのことを口にする人は、一体どれだけのリアルな顔を思い浮かべているのだろう。
メデイアの発達は一方向的な視覚化を進めた。
「中心」にいる人は、さも皆を知っているように映る。
が、現実はギャップを広げる方向にあるのだろう。
まずもって自分は「あたたかい知識」をはぐくんでいるだろうか。その言葉から受けたショックをこそ、忘れたくない。写真集をめくり終わり、竹内さんが自由の森の卒業生であることを知った。
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