学校生活支援

ayaは入院期間の大半(約8ヶ月)を個室管理の下病室から出ることなく過ごしました。
 
当然弊害も出ました。そんな思い 学校サイドの対応 後悔していること
退院後の学校サイドの対応 学校サイドの思い 母の思い
そんなことを少しずつ徒然に書いていきたいと思います。
1      長期入院患児は転校生なのだろうか?
学校サイドとの思いのすれ違い点で悶々と思っていることがあるので書いてみます。
 
担任のT先生に、退院した後生活が落ち着いて夏休みに入った時に入院生活中のことについてインタビューさせた頂いたことがあります。その時の話の中で一番引っかかったのが”転校生と同じでしょ”という言葉でした。
「皆と同じペースで、同じ教材で勉強することを目標にしていたんですよ」とこちらから話をした時に
「転校生は元々同じ教科書ではないし、学習進度も違いますよね。でもそれでも何とかなるし、皆そうやって
 やっていますよね。ayaちゃんもそのような例の一つではなかったのかな?訪問教育を受けるってことは」
 
そうでしょうか?私は違う様な気がしてならないのです。
長期入院の患児はあくまで地元校へ戻ることを前提にしているはず。だったら、地元校にできるだけ自然に
戸惑いなく溶け込める方法をいつも教育サイドは提供すべきだと思うのです。
今の学校制度 教員配置からはそれを求めるのは無理なことなんでしょうか?
 
母のつぶやきです。
更新日時:
2006/10/30
2      地元校との関わりでうれしかったこと
訪問教育を受けなかったことで、結果論担任の先生にはいらぬ負担を掛けてしまったように思うことは
あります。でもayaにとって退院後の生活の中で”学校での居場所”を確保しておくことは絶対的に必要で
あったと思っています。担任の先生はその思いに答えていただけました。具体例としては
「教室の壁面に張られた自己紹介?の紙はayaも書かせていただいた」
「運動会の縦割りの団構成の中にはayaもちゃんと名簿に含まれていた」
「夏休みの宿題は全て提出 それを掲示していただけた」
「学習発表会に展示する絵画 工作は病室で作りみんなのものと普通に展示していただけた」
 
こんな些細なことなんだけれど、これがクラスの中でいつもみんなにayaというクラスメイトがいることを
意識してもらえていた要素だったのではないかとおもっています。
「クラスのみんなと同じことをすること」がayaにとって何よりの学習意欲を持ち続ける要素でした。
更新日時:
2006/10/19
3      訪問教育を受けなかった理由
入院直後私は化学療法とか放射線療法のことをよく理解していませんでした。
回数を何回やるかも理解していなかったし、化学療法の合間は退院できるものだと思っていました。
が、IVHが挿入され化学療法が始まり、骨髄抑制により白血球数 好中球数がどんどん少なくなっていく
現実を目の当たりにし、しかもその回復がとても時間のかかることを知ったときに初めて長期入院を覚悟しました。
教育問題を考えたときに、師長さんから教えていただいたのが”訪問教育”という制度でした。
それでも1学期の間は”しょせん1年生の勉強 母が何とかするわ。学校と連絡を取りながら”と考えました。
しかし3ヶ月が過ぎた頃ふと”やっぱり教育は教育者にやってもらった方が良くないかな”と考えました。
 
主治医の許可を頂き、師長さんにも伝え、学校サイドにも伝え、一時は2学期から・・・という空気になりました。
それがなぜ”受けない このまま母子学習でやっていく”ことに方針変更したかというと
ここにもまた地元校の対応という問題でした。
”2学期から訪問教育ということであれば、まずご両親で手分けをして双方の教育委員会に行っていただき
 相談してみてください。そこから転校手続きをして訪問教育がスタートすると思います。
 2学期以降の学習教材もそちらからもらって、学習をすすめることになります”
 
ネットで院内学級や訪問学級のことをいろいろ調べていた私にとってはとても意外な言葉でした。
転校手続きは仕方がないにしても、教材は地元校のものを使ってもらえると思っていたからです。
それから手続きも双方の教育委員会にご両親が出向いて・・・は無理な話でした。
私は付き添いを代わってくれる人もなく、病室に張り付いたままでしたし、ダンナもオペの前後に有給をかなり消化してしまっていましたし、仕事も立て込んでいて平日に休めるような状況下ではなかったのです。
 
何より懸念したのは先生の言葉に”教育は訪問教育の学校に任せるからね。こっちに責任はなくなるからね”というニュアンスが取れたからでした。退院してもayaの居場所がなくなるんじゃないか?
教室からayaの机が消えることでクラスのみんながayaの存在を意識してくれなくなるんじゃないか。
クラスの様子や学校の様子が今以上に伝わってこなくなるんじゃないか?
ものすごい孤独感におそわれました。担任の先生にもう来てもらえなくなるんだ。そんなことも考えました。
ayaの”みんなの元に帰りたい。そのために頑張る”という意欲がなくなるのではないか・・・そうも思いました。
 
訪問教育を受けることを止めた理由はそんなところです。
 
後日談で担任の先生にお話を伺ったところ
”何で止めるのよ〜教育を受けるベースがあるのならうけるべきでしょ。母子学習って限界があるわよ〜”って
思ったそうです。先生が来て頂けなるかもしれない懸念があったことを打ち明けると、お母さんから
アプローチが続いている限り多分行ったと思う・・・という返答が頂けました。
 
今ならどうするか・・・・
訪問教育を受けます。少なくとも双方の学校へもう少しいろいろアプローチをして、学校同士で話し合っていただくと思います。当時私はその土俵にすら上がらずに、避けて通ってしまったと思っています。
この辺りは入院生活での後悔の部分です。
更新日時:
2006/10/11
4      学習支援に対する学校サイドとの温度差
入院中のことを少し書いていきます。
 
長期休学になることについて、私は学校サイドに”教育支援”を求めていました。
復学したときにみんなと同じレベルで勉強させてやりたかったから。
 
担任の先生は先生の自宅から車で病院まで1時間半の距離を、折々にふれよく来て頂いたと思います。
そのことに関しては本当に感謝しています。でも後日先生とお話しすることがあって気づいたことは
”学校としての支援がなかった”ということでした。
そして病室に来ていただいたことに対するスタンスは、決して”学習支援”ではなく”お見舞い”という
スタンスだったことでした。校長先生や教頭先生から「学習支援」の「ことに対して何の指示も後押しもなかった様子でした。あくまで担任の先生の「プライベート」の域を出ていなかった様子だったと言うことです。
 
確かに当時市町村合併でバタバタしていて忙しかった。
学校自体も統合小学校新設に向けて、校舎新築、統合後のことなどで普通ではない状態だったことも
理解していました。が ちょっとは「学校全体」として気に掛けていただけているのかと思っていた
こちらの気持ちとに温度差がかなりあったんだと知ったときに、なんともいえぬ感情が走ったことは
事実です。
 
 
更新日時:
2007/09/06
5      学業のこと
休学していたのが小学校1年生だったということもあり、国語や算数はまずまず
付いていけているような感じはあります。ごく普通のお母さん方と同じように
自宅に帰れば宿題のプリントをみてやり、間違っているところは自分で再度考えさせ
調べなきゃいけないことは調べさせ・・・と自発的にやれるように仕向けています。
 
某通信教育は未だ継続しているので、学校の復習という意味で活用しています。
文章を読むこと 理解することに関してはちょっと弱いかなとも思いますが
周りのお母さん方の話を聞くと、やっぱり同じようなものだし、こんなもんかなって
今のところは考えています。
 
あとは毎日連絡帳は必ず見ること・・・これも普通のお母さん方と同じです。
更新日時:
2006/09/21
前のページ 目次 次のページ

HOME


Last updated: 2007/9/6