入院直後私は化学療法とか放射線療法のことをよく理解していませんでした。
回数を何回やるかも理解していなかったし、化学療法の合間は退院できるものだと思っていました。
が、IVHが挿入され化学療法が始まり、骨髄抑制により白血球数 好中球数がどんどん少なくなっていく
現実を目の当たりにし、しかもその回復がとても時間のかかることを知ったときに初めて長期入院を覚悟しました。
教育問題を考えたときに、師長さんから教えていただいたのが”訪問教育”という制度でした。
それでも1学期の間は”しょせん1年生の勉強 母が何とかするわ。学校と連絡を取りながら”と考えました。
しかし3ヶ月が過ぎた頃ふと”やっぱり教育は教育者にやってもらった方が良くないかな”と考えました。
主治医の許可を頂き、師長さんにも伝え、学校サイドにも伝え、一時は2学期から・・・という空気になりました。
それがなぜ”受けない このまま母子学習でやっていく”ことに方針変更したかというと
ここにもまた地元校の対応という問題でした。
”2学期から訪問教育ということであれば、まずご両親で手分けをして双方の教育委員会に行っていただき
相談してみてください。そこから転校手続きをして訪問教育がスタートすると思います。
2学期以降の学習教材もそちらからもらって、学習をすすめることになります”
ネットで院内学級や訪問学級のことをいろいろ調べていた私にとってはとても意外な言葉でした。
転校手続きは仕方がないにしても、教材は地元校のものを使ってもらえると思っていたからです。
それから手続きも双方の教育委員会にご両親が出向いて・・・は無理な話でした。
私は付き添いを代わってくれる人もなく、病室に張り付いたままでしたし、ダンナもオペの前後に有給をかなり消化してしまっていましたし、仕事も立て込んでいて平日に休めるような状況下ではなかったのです。
何より懸念したのは先生の言葉に”教育は訪問教育の学校に任せるからね。こっちに責任はなくなるからね”というニュアンスが取れたからでした。退院してもayaの居場所がなくなるんじゃないか?
教室からayaの机が消えることでクラスのみんながayaの存在を意識してくれなくなるんじゃないか。
クラスの様子や学校の様子が今以上に伝わってこなくなるんじゃないか?
ものすごい孤独感におそわれました。担任の先生にもう来てもらえなくなるんだ。そんなことも考えました。
ayaの”みんなの元に帰りたい。そのために頑張る”という意欲がなくなるのではないか・・・そうも思いました。
訪問教育を受けることを止めた理由はそんなところです。
後日談で担任の先生にお話を伺ったところ
”何で止めるのよ〜教育を受けるベースがあるのならうけるべきでしょ。母子学習って限界があるわよ〜”って
思ったそうです。先生が来て頂けなるかもしれない懸念があったことを打ち明けると、お母さんから
アプローチが続いている限り多分行ったと思う・・・という返答が頂けました。
今ならどうするか・・・・
訪問教育を受けます。少なくとも双方の学校へもう少しいろいろアプローチをして、学校同士で話し合っていただくと思います。当時私はその土俵にすら上がらずに、避けて通ってしまったと思っています。
この辺りは入院生活での後悔の部分です。
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