母の生活 母の思い

24時間付き添いの毎日 母にだってストレス解消は必要 その一部をご紹介
入院中・退院後の思い 生活も徒然に書き留めていきます。
1      何が嫌だった?何が楽しかった?
先日ふと思いついて入院中のことをayaに聞いてみました。「何が嫌だった?何が楽しかった?」
 
嫌だったことはもちろん「痛いことをされること」だったそうです。
オペの後の消毒や抜糸 それからセデーションなしでやったルンバール たまにやった末梢からの採血
鼻粘膜からの検査などなど。
 
じゃあどんなことが楽しかったの?
「おかあさんがいつも側にいること」「普通の日に学生さんやボランティアさんが遊んでくれたこと」
「日曜日にお父さんと3人でご飯を食べたりゲームをしたりしたこと」
「担任の先生がたまに来てくれて学校のことを教えてくれたり、遊んでくれたりしたこと」
 
 
なぜ急に私がそんな質問を彼女に投げかけたか・・・
今「守る会」の活動に参加しようと腰を上げ、患児たちの本音を聞いて何をサポートすべきなのかを知りたかったから。
 
彼女には私が活動に参加することは「ayaの様に長い間入院して、大きな病気と闘っている子供達に
何か楽しいことを届けるお手伝いがしたいんだ」と伝えてあります。
ayaからは「うん それはお母さんだから出来るお仕事だね。私が学校へ行っている間ならどんどんやって」と
返事をもらっています。
 
さてさてこれから私に何が出来るでしょう。少しずつ活動に参加しながら、無理のないように道を探っていくことにします。
2      初期治療終了1年 母の思い
早いもので発病から2年 初期治療終了から1年が経過しました。
思い返すとこの1年はあせりと戸惑いの1年間でした。
 
退院当初 1年間のブランクを埋めるべく、復学を果たしたばかりのayaに「早くみんなと同じレベルに追いついてほしい」
そんな思いを持ちました。
「集団登校にしっかり歩いていってほしい」「給食はしっかり食べてほしい」「勉強もみんなと同じにできるようになってほしい」
「遊びもみんなと同じようにやってほしい」・・・・小学校に入学式ですらすでに闘病中で行けていないayaにとって
そんな親の思いは無謀でしかなかったようです。
 
お友達関係でもいろいろありました。仲良しのお友達にとって「退院して学校に来ているから私たちともう同じ」という思いが
あったのかと思います。常に「どうしてこんなことも知らないの?」「どうしてこんなことも出来ないの?」
「どうして?どうして??」時には「出来ないんだったらもう一緒には遊ばない」なんて直に言われて落ち込むことも
あったようです。帰り道の車の中で、よくブツブツ言っていました。そんな中でも彼女は強かったです。
私がけしかけていたこともありましたが、「新しいお友達関係」を見つけていました。用途に応じてお友達を使い分ける(笑)
とでも言いましょうか?そんな感じでした。
 
娘がそんな学校生活を送るうち、あせりの塊だった私のほうにもある意味「あきらめ」の気持ちが出てきました。
「あせっても無駄。あるがままに なせるがままに ゆっくりと」ここまでたどり着くのに半年ばかりの日々が必要でした。
 
今やっと本当の意味で入院中から現在までを振り返ることの出来る心境になっています。
 
母親である私もご縁あってayaが最初に脳腫瘍の宣告を受けたT市民病院で、本業である歯科衛生士に復帰しています。
もっともフルタイムは無理なので週3日 一回当たり4時間というごく短時間勤務です。娘との闘病を経験したことで
今までよりやさしい歯科衛生士になれているのではないかと思います。
 
ayaの予後はいたって順調な様に思います。しかしながら最近になって定期MRI検査の折に、「髄芽腫の予後観察には必須」とされている「脊髄MRI検査」がなされていない事実を知りました。また入院中になされた治療に関しても、
「現在の標準」とされている治療が全うされていない事実も見えてきました。
良い言い方をするなら「必要最低限な薬 放射線しかしていないから、後遺症を残す可能性が極めて低い」ということ。
しかしながらこれは裏を返せば「初期治療が完全ではないから再発のリスクも高いかもしれない」ということにもなりまねません。今の私の最大の悩みはここにあります。主治医との話し合いの場が持たれることはそう遠い日ではないと思います。
 
話題閑休
 
退院してくる時に強く思ったことがありました。「私のような思いをする親御さんが少なくなってほしい」
 
何を言いたいのか。「振り返るとあまりにも孤独な、孤軍奮闘な入院生活だった」
周りには小児がんの子供さんがほとんど居ない環境。いてもみんな個室管理だから、よっぽどの偶然がなければ顔を合わすことはない。患児同士は皆無。院内学級もない。個人情報がしっかり管理されている昨今だから医療サイドから
どんな子供さんが入院されているのかという情報がもたらされることもない。
みんな個室でどんな状態なの?どんなことをしてやれば楽しいの?どこまでのことが許されるの?
うちの場合全てが手探り!病態や治療方法についての情報を探す術も限られている。
医療サイドともめて居心地が悪くなることを恐れるばかりに、DrやNsに言いたいことがあっても大半を飲み込むだけ。
自己消化することあるのみ。まがりなりにも本職は医療サイドの人間であるばかりに、余計にそうだったと思う。
取り乱すこともなく、涙を見せることもなく淡々と日々を送る私を、病院関係者は「冷静でしっかりしたお母さん」と
大きく勘違いされていらっしゃった様に思います。・・・・今現在も・・・・・
 
冷静に考えるとあまりにもつらい入院生活だったのではないか・・・。やっている時は一生懸命で深く考えることはなかったのだけれど。
 
こんな思いは私だけで充分。後に続く親御さんにはもっと違う闘病生活を送ってほしい。
闘う本人にはもっともっと子供らしくいてほしい。心からそう願っています。
このHPを続けているのもそうした手段のひとつ。そしてこの春からもう一つ「がんの子供を守る会」の活動に参加することでそれを実現しようとしています。
 
まだまだ落ち込んで、家の中にこもってしまうことも多い私の日常ですが少しずつ少しずつ歩き始められたらいいなと思っています。
 
退院後1年 母の徒然なる思いでした。
 
 
 
 
 
 
3      放射線照射・セカンドオピニオン
ayaの闘病に際して私は今までセカンドオピニオンを受けることはしていませんでした。
 
ayaの脳外科主治医や小児科医師団の方々は常にカンファレンスの場を持たれている様子がわかり
集学的治療がなされているであろう様子がうかがえましたし、何より脳外科主治医殿は言葉の端々から
信頼するに足るDrだと感じていたからです。
(脳外科主治医殿はフロアが違うのにしょっちゅう小児科ナースステーションに顔を出される方でした。)
 
退院時のムンテラの時も納得して退院したつもりでした。
が、実は私の心中では常に不安に思っていたことが一つだけありました。
 
「放射線の脊椎照射をなしえなかったこと」
 
ayaの場合放射線に対する感受性が高く(この表現が適正であるのかはわかりませんが)初回の2Gy照射で
治療開始時3500あったWBCが1800まで低下し、このペースで照射するのは危険と放射線医から
ストップがかかり、治療を中断せざるを得なかったという経緯からでした。
 
オペ直後の検査 入院中の定期的な造影剤を使用してのMRI検査 どの段階でも播種は認められなかった。
腫瘍は全摘できている。脊椎照射はあくまで予防照射・・・主治医からそう告げられ、今後慎重に経過を見守り
もし何かあったときに・・・・その時にまた照射しよう そういう方向で納得したつもりでした。
 
が・心中は不安で仕方がなかったのです。
 
「セカンドオピニオンをしてみたい。」
 
でも誰にセカンドを求めるの?セカンドをするとき資料がいるだろうけれど、それはどうするの?
資料提示を主治医に求めたら、今まで築いてきた信頼関係はくずれない?崩れてしまったらayaの予後は誰に見てもらえばいいの?ずっと悩んでいました。
 
そんなことを考えながら半年ばかり悶々とした日々を送っていたある日 ふと思いついて登録だけしていて発言を一度もしていなかった「小児脳腫瘍の会」の「髄芽腫スレッド」に「HPを開設しています」のカキコをしました。
孤軍奮闘の私は思いをわかってくれる方との交流をもっとできればいいなと考えていたからです。反応は・・・未だにわかりません。
 
しかしある日「東 慧くんのお母様」からメールを頂きました。
「ICEで治療を受けられたようですが、放射線の脊椎照射がなされていないようですね。
きちんとした集学的治療がなされたのか、術後の検査がきちんとなされているのか把握されておかれたほうが良いですよ。後悔しないために」と丁寧な言葉で書かれていました。
 
そのメールへのお返事に「集学的治療はなされていると思う。納得もしているつもり。主治医は信頼できると思う。でも一抹の不安は隠せない。でもセカンドする勇気もなかなか持てずに悶々としています」と送りました。
 
このメールに慧君のお母様がお忙しい中、お知り合いの小児科医にメールで問い合わせをしていただきました。
 
以下転記です。
 
「お問い合わせの件ですが、発症からすでに1年9か月を無再発で経過しており、
悩ましいところです。化学療法の内容にもよりますが(ICEといっても抗がん剤の
投与量が様々なので)、標準リスクの約半分の方は脊髄照射なしでも治癒します
。もし、脊髄に今後大きくなって再発と認識されるはずの小さな病変が存在する
とすれば、今追加照射を行ってそれを予防するのも、再発が明らかになってから
照射するのと大差がないようにも思います。照射をすればかなりの低身長になる
でしょう。
ここまでくれば、3か月に一度の脊髄MRIで監視をしながらこのまま経過をみるの
がよいのではないでしょうか。」
 
このメールにどれだけ感謝して、どれだけ安心したでしょう。このコラムを読んでいただけた方には
きっとわかって頂けると思います。セカンドをしたいと思いつつ勇気が出なかった私。
間接的ではあるけれど、セカンドを受けることが出来たことによって納得でき、安心できたこと。
 
慧君のお母様から頂いたメールの一文を転記します。
 
「患者家族の思いは皆同じだと思います。
慧の時も、再発時にセカンドを考えたのですが、結局、戻って来た時の
ことを考えればその勇気が出ませんでした。見限られたら、次はどの病院に
慧を連れて行けばよいのだ、と。
しかし今にして思えば、大失敗でした。あの時点で他の病院又は先生に
診てもらっていれば、慧の運命も変わっていただろうと悔やまれます。
また結果は同じだとしても、裁判をすることもなかったかも知れません。
小児脳腫瘍のような難病にはセカンドはどうしても必要かと思います。
それによって誤診も医療過誤も防げるのではないでしょうか。
また慧のような悲劇も避けることが出来るのではないでしょうか。
しかし現実は、患者家族の真意は、子供のことを思うとなかなか勇気を
出し得ないのが現状です。
もし積極的に主治医の先生の方からセカンドを勧めてもらえれば、
患者家族にとってどれ程有り難いことか、また悔いを残さずに済むか、
とつくづく考えさせられます。またいっその事、セカンドを義務付けることが出来れば、
医療過誤も裁判も、悔恨も避けられるのではないでしょうか。」
 
そして問い合わせていただいた小児科医からも「ayaちゃんのケースではセカンドを求めても主治医との関係に何ら問題はなかったのではないかと思います。そして積極的にセカンドを求めることをぜひ広めてください」と回答があったことも書かれていました。
 
何だかまとまっているのかまとまりがないのかわからないこのコラムになりましたが、慧君のお母さんの思いをぜひ一人でも多くの方に紡いでいかなければ行けない・・・そう思ってキーを叩いています。
 
簡単な病気ではない脳腫瘍 標準的治療法が未だ確立されていないこの疾患 でもその治療如何で自分の子供の将来が左右される。だからこそ病気のことをよく知り、一人の先生の意見だけではなく、出来れば多方面から意見を求め、子供にとっての最善を尽くしてやることが難病を持った子供の親としての仕事の一つなのだなと考えています。
 
セカンドを求めた結果 主治医と同じ見解であればそれは今受けている治療への自信となり、精一杯のサポートをしてやることの礎となるのだと、今回の東さんとの関わりから強く感じました。
 
昨年末東さんからサポートを頂いたお陰で、今年のお正月は本当に心穏やかに過ごすことが出来ました。感謝しています。
そして本来はもっと早く自分から積極的にセカンドを求めていれば、もっと早く気持ちが穏やかになっていたのだろうなと考えています。
 
これからはこの気持ちを少しでも多くの方に伝えながら、ayaの予後をしっかりサポートしていきたいと思っています。
 
「みんな幸せに」・・・・
 
 
 
4      母の仕事復帰について
退院後私はすぐにでも元職に復帰するつもりでした。
付き添い入院中も仕事関連の専門誌を読み、技術力を落とさないためのトレーニングもしていたほどです。
それが私の「娘をしっかり看病した後臨床復帰をしたい。だからこそ後悔しないように看病に打ち込もう」という
気力の源でした。だから長期入院が決定的になった後も「退職」ではなく「休職」という手段を選びました。
上司である院長先生も理解を示してくださり、入院前の時間より短時間の勤務になるであろという予測もあったけれど
「復帰を待っていただける」というありがたいお返事を頂いていました。入院中は治療の経過をメールで報告させていただいていたりもしていました。
 
しかしいざ退院後は結論的に退職の道を歩きました。後ろ髪を引かれたけれど・・・11年間も勤務させていただきましたから。
理由は根底には現行スタッフとの在籍時の目に見えぬ思いのすれ違いがあったんだろうと思います。
休職があまりにも唐突であったこともあるでしょう。私が休職することで現行スタッフがものすごく大変な思いをしたのに
私が1年後にすんなり時短で復帰することに対する現行スタッフのいろんな思いもあったんでしょう。
全て私のほうに否があったんだろうと思わざるを得ない状況下の中、悩んだ末退職を選びました。
 
退職を決めた後も、元職の歯科衛生士に復帰したいという気持ちは持ち続けています。
面接させていただいたこともあります。その時に決まって言われるのが
”なぜ11年も勤務されたのに退職なさったのですか?”ということです。
”娘が長期入院を必要とする病気に罹り、付き添い入院していたからです”
”もう大丈夫なんですか?” ”はい大丈夫だと思います。定期検査は必要としますけれど”
”でもまだ退院後間もないんですよね〜”ここら辺で話が止まります。
 
はっきりいわれたこともあります。”いつ急に休まれるかわからないスタッフはいらない”
多分元職場のスタッフも同じ想いだったんでしょう。
 
そんなことがあった後、私はあせって仕事に戻ることを止めました。
やっぱりしっかりayaが体力がついて、学校生活が順調になることを見届けてから仕事を探そう。
今はまだ風邪を引いて学校を休むことになっても、義母にお願いしてという気持ちになれないから
仕事は無理だ。そう悟っています。
歯科衛生士の仕事のパート需要はどうしても夕方に多いのだけれど、ayaの生活のことを考えるとそれは無謀。
いつか午前中だけでもいいから力を貸してくれないか・・・と言っていただけるDrに出会えないかしらと思っています。
5      退院後の生活で気をつけていること(その2)
<掃除>
入院前があまりにも出来ていなかったから・・・というのがあります。今は専業主婦なので時間がありますから。
部屋の中に埃がたまらないように気を遣っています。お天気の良い日は出来るだけ外気を入れるようにしています。
空気清浄機を入れています。子供部屋と寝室です。
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Last updated: 2007/9/6