<小児科転医> 2.23(水)午前
前日保育園より嘔吐したとの連絡が入り、やや早めに仕事を切り上げてお迎え。
この日は本来スタッフが手薄なため休みたくない日であったが、何となく予感があり仕事を休む。
T小児科を再度受診する気にならず転医を決断。しかし総合病院へは行ったことがなく不安だったので開業医のPクリニック受診
経過を話し、風邪のほかに嘔吐するには何か原因があるのではないかと思っていることを告げる。
尿検査 ケトン++
脱水症状を起こしているから点滴が必要だと告げられる。
その上で大きな病院でしっかり見てもらったほうが安心ではないかと言われその場でT市民病院への紹介状を書いてもらう。
待っている間も嘔吐あり。
昼食の後、たまたまその日はT市民病院の小児科が午後も診療していたこともあり、
さっそく受診することにする。
点滴をすればすぐに帰れると軽い気持ちで行ったので、着替えすら持たずに車で向かう。
車中でも嘔吐あり
<水頭症って何???>2.23 午後(T市民病院)
T市民病院 小児科外来 T医師診察
嘔吐が頻回であることが引っかかるとのことでCT検査を勧められる。
CT撮影の後再度診察
”脳内にいやな影のようなものが見られるので、すぐに脳外科の先生の診断を仰ぎます”
”自宅に帰すのは危険なので、すぐに入院になるかと思います”
????????と理解できないまま、脳外科の前でしばし待ち、F医師の診察。
CT画像を見せられ”小脳に大きな腫瘍があります。これが脳髄液の流れを妨げていて嘔吐の原因となっています。歩行障害などお母さん 今まで気づかれたことはありませんでしたか”と言うようなことを言われたのだと思う。
”すぐに入院して脳圧を下げないと危険です。水頭症を起こしています”
理解できないまま、入院を同意。ダンナにとりあえず早めに病院に来てほしいことをメール。
頭に中は相変わらず混乱したままだったが、F医師の指示でどんどん入院の準備が進んでいく。
(後に知るのだがF医師は当時この病院の副院長先生だったらしい)
小児科にベッドの空きがなくICUに入院となる。
すぐに脳圧を下げるためのステロイドの点滴が開始される。
断続的に嘔吐あり。
<告知>2.23 夜
夕方 仕事を終えたダンナ 到着
あらためてF医師よりムンテラ
”小脳に大きな腫瘍があり早く摘出しないと危険と思われる。
どのような性質の脳腫瘍なのかは摘出して生検してみないとわからない。
ただ今後の治療として 手術 化学療法 放射線療法などが必要になるであろう”
”腫瘍の大きさが大きいためもっと設備の整ったK大学病院へ転医したほうが確実なのではないか。”と告げられる。
・・・不思議と涙は出なかった。現実が受け入れられずにいたのかもしれない。
K大学病院というのは地元から車で1時間ほどの県外の病院のことであるらしかった。
F医師の出身大学でコンタクトが取りやすいという判断もあったと思われる。
元々私はK大学病院のある県の出身であり、その病院には友人がDHとして勤務していること、近所に元同僚が住んでいること、そして実家がK大学病院からは1時間ほどであるが通ってきてもらえる可能性があることなども考慮して、F医師の案を受け入れ転医することを決める。
F医師からは即座にK大学病院へ連絡が行き明日の転医が決定する。
私の職場には当面出勤できない旨連絡を入れる。
まだまだ頭の中が混乱していてきちんと話ができる状態ではなかった。
夜はそのまま付き添う。
ダンナは一旦帰ったが落ち着かないということですぐに病院に引き返してきた。
度々嘔吐 もう吐くものは胃の中になにもないはずなのに・・・
言葉もどんどん少なくなっていく。
付き添いベッドで横になるものの眠れないので、入院に必要なものをリストアップする。
早朝に家に一旦帰り荷物をまとめてくることとする
<大学病院に搬送 緊急オペ>2.24(木)
早朝ダンナに付き添いを代わってもらい自宅に帰る。
入院に当面必要そうなものを取り急ぎ詰め込む。ボストンバック3個になった。
部屋もとても汚かったがざっと片付けるだけにする。
学校に提出しなければいけない書類などをポストに投函し、病院へ帰る。
15分の道のりが果てしなく遠く感じられた。
病院に帰ると相変わらず断続的に嘔吐するaya。
小児科 脳外科のDrが代わる代わる様子を見に来られる。
”これから大変だぞ〜”の廊下でのつぶやきに不安ばかりがつのる。
12時 ICUを出て病院の公用車にてストレッチャーに乗せられたまま、
ステロイドの点滴を受けながら搬送。私は横に付き添う。
若いDrが一人付き添ってくれる。ダンナは自宅の車で後ろから付いてくる。
14時 K医科大救急入り口より入る。
すぐに脳外科病棟に入院手続き。即座にDr来室。簡単な診察の後MRI検査などに
向かう。
F医師からの指示で全て段取りが整っているようだった。
16時 これから後の主治医となるA医師よりムンテラ
水頭症症状改善のため緊急にバイパスオペ(第3脳室底開窓術)を行う必要がある旨
告げられる。
また現状のayaの状態は、単に栄養不良によりぐったりしているわけではなく
脳圧が高まっているため意識が混濁している状態”傾眠”状態にあることを
あらためて告げられる。
A医師の許可を頂き、脳神経集中治療室にいるayaと対面。
意識はあった。
卒園式に向けて親子で伸ばしていた髪の毛を短髪にしなければいけないことを
本人にどうしても納得させたかった。不謹慎だけれどそんなことを思った。
16時半 オペ開始
その間病院サイドの配慮かF医師からの指示か同じフロアの特別室を控え室として
使わせていただけることとなり、そこで入院の説明などを受けたあと売店にて
脳神経集中治療室入室時に必要なものを買い揃え、Nsに託す。
ここは面会時間が決まっているため、その時間以外は付き添えないとのこと。
病気のこともかなり堪えたが私にとってはこのことがとてもつらかった。
親にべったりのayaがこの中の個室で耐えることができるのだろうか????
19時 オペ室より退室
A医師 ムンテラ
脳圧が下がったため嘔吐は止まった様子。しばらく付き添った後控え室に戻る
21時半 集中治療室よりコール。目覚めた後寂しくて耐えられなかった様子。
熟睡するまで傍らに付き添う。M医師 T医師など代わる代わる様子を見に来てくれる。
実は私はこの時点ではまだ今回のオペがあくまで緊急オペで、腫瘍摘出オペは後日改めてになることを理解していなかった。
<オペ翌日>2.25 (金)
8時 熱38.2
飲水オッケーとなりお茶から口にしてみる。
その後本人が希望するのでりんごジュースも少し飲むものの嘔吐。
10時半 M医師よりムンテラ
腫瘍摘出オペは来週水曜日と決定。
それまでの検査の日程などの説明。
12時 初めての食事 全粥から。一口目は美味しかったようだが後は拒否。
その後はテレビを見たりしてすごす。
15時 検温 37.1 解熱 経過順調。
19時 夕食 ご飯はおかゆだが他は普通食。 3分の1量ぐらい食べる。
結局この日は夜眠りに付くまでここで付き添ったが、Ns Drから苦情はなかった。
<実家じじ 実姉面会>2.26(土)雪
体調がよくなったのか機嫌が良い一日。
食事は普通食となる。
実家より面会。親のための食料を差し入れてもらった。
本日より控え室として使わせていただいていた病室退去となり、私は病室からはるか離れた家族待機室なるところに移動。
ダンナは次回オペまで家に帰ることになる。
夜は私は家族待機室に引き上げるものの、夜中に呼ばれて狭いベッドで海老のようになって添い寝。付き添った。
<ayaのストレス???>2.27(日)雪
尿管抜去 食欲あり 機嫌は良い。排尿は病室内に置いたポータブルトイレにて。
夕方ダンナ 義母さんくる。1時間ほど滞在。
夜中に”いくらお母さんがいつもそばにいても、こんな生活はイヤだ〜〜!!”と突然泣く。
入院直前までの生活のストレスと、今現在のストレスを思いがけず知る事となる。
寝言だったようで、起床後本人に問いかけてみても覚えていない様子。
<アイソトープ検査 心電図検査>2.28(月)雪のち曇り
アイソトープ検査 心電図検査
今日はあまり食欲なし 遊ぶ元気もない。少し食事を取るもののその度に嘔吐
<脳血管造影検査>3.1(火)晴れのち曇り
脳血管造影検査
朝から絶飲食
9時半検査室へ そのまま全身CT撮影もこなし13時半 帰室
右足付け根よりカテーテル挿入。
16時半まで絶飲食続行。飲水オッケーとなる頃、お雛飾りとごほうびをもった若手医師来室。<
大人でもきつくて音を上げる検査 よく頑張った。
カテ挿入部を圧迫止血しているため、一日起き上がること禁止。
夕食も横になったまま食べる。
夕方栄養士さん来室 食事の内容の相談。偏食が強いことを話しておく。
18時 A医師より検査結果説明
<女の子の心理>3.2(水)雪
はじめての教授回診 穏やかで優しそうな教授先生で何だか安心。
10時半 オペに備えて麻酔科外来受診。はじめて車椅子で二人きりで集中治療室から出る。
エレベーター内の鏡に映った自分の姿を見てうつむいてしまう。
やはり短髪になったことがショックである様子。
私はこの日以来ayaとエレベーターに乗るときは、必ず後ろ向きに乗るようになった。
麻酔科の帰りにはじめて売店に行ってお買い物。
気分転換になったようで、とても機嫌が良い。
張り切って遊びすぎたためか17時の検温で 熱発37.7
明日のオペに備えて緊張感が高まる。
夕方 ダンナ当着 病院の向かいのビジネスホテル泊
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