この項で記している病院での一日の過ごし方は、動けないほど重症な人からみれば、「なんと不謹慎で乱暴で失礼な話なんだろう!」 とお叱りを受けるかも知れませんが、あくまで、これはごく一般的な患者(こういった仲間が多い)の立場から述べたものですから、その点、誤解のないようにお読みいただきたいと思います。
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がん病棟には、その性質上、長い間治療をうけている患者が多く、お互いに自然と友達づきあいというより、家族の一員のような間柄となり、なんでも心を割って話し合える仲間となる。病状の重い人を除いて、一日に何度と無く顔を合わせ、 「いやあ〜今日の身体の具合はどう?」 「う〜ん、まあまあだねえ」といった、その日の体調を気遣う会話から、「病院の飯は薄味でものたりない」とか、「あの看護婦や医者は、患者を思いやる気持ちにまったく欠けている」 などの他、治療に関しての説明不足の不満などなどの話をして時間を過ごす。
なにしろ病室でのベッド生活は単調で退屈そのものなのである。朝六時起床から、夜九時の消灯までの一日がとてつもなく長く感じるのだ。
起きるとすぐに、治療や検査の無い日には 「さて、今日は何をしようかなあ?」と、その日のスケジュールを考えないと、ただぼんやりと、無意味で無気力な時間を過ごしてしまいがちだ。これでは精神的にも、身体のためにあまりよくない。動けたら少しでもいいから身体を動かして、退屈な時には、何か有効な遊び?を考えて行動に移すことが、乱暴なようでとても大事なことなんだということが、少しずつ経験上判ってきた。これは自分が気持ちの上で、病人(がん患者)であることを忘れることと、「鬱」になりがちな気持ちに勝つということでは、大変重要なことなのである。
・・・とはいえ健康体の人達とは違い、これら諸般の行動が、当然の事ながら制限されていて、何でもかんでも自由というわけにはいかない。ましてや病棟の中である。おのずと良識の範囲内でのことということになる。 「医療情報の交換」をまず第一に、 気分転換のために「囲碁、将棋」を指したり、或いは、写真好きの人は「カメラ」いじりを楽しんだり、 また「絵」や「書」を書いている人などもあり、身の回りの整理整頓や、読書やテレビを観たりしている人も居るなど、過ごし方は様々である。
そのなかでも、特別版として「競馬の予想遊び」がある。これは、レースのある日は、朝病室を回ってくるスポーツ新聞を見て、やれ(6−3)だ(5−2)だと、気の合う連中が集まりにぎやかに始まる。 「今日はおれにまかせとけよ!絶対勝ってやるからな!」と豪語する者もいれば、「この前はさんざんだったからなあ〜」といやに自信喪失の者まで、いろとりどりで面白い。・・・みんな元気で癌患者とも思えない。入院してから気が付いたことだが、これにはさすがの私もいささか驚いた。 「えっ?これでいいの?」「この連中のどこが悪いんだろう?」・・といった感じで元気そのものなのである。文字通り、「病は気から」を実行している。
かろうじて点滴のキャリーに栄養剤や薬をぶらさげて歩いているのを見て、「あ〜やっぱり病人なんだな」 と納得するくらいである。(実際はそうでない人もいて、ストレス解消のために精神的に参加している人もいるにはいるが・・・)
そんなところに、ベテラン患者のNさんがやって来て、「おーい、みんなやってるな〜、これでいいんだよ、これで。気力を無くしたらこの病気には勝てねえぞ!頭の隅から嫌な病原菌を、少しでも追いださなけりゃあ、良いもんも悪くなるんだから・・・鬱になったり、考え込んじゃあ駄目だぞ!体調が少しでもよかったら、気持ちに張りを持たせて、こういったふざけたことで「キラー細胞」の活性化をはかり、病気のことを忘れたほうがいいんだ。それが一番なんだ・・・」 と、ちゃちを入れる。ストレスの鬱積は中枢神経から免疫細胞にかなりの悪影響を及ぼす。さすが、長年経験してきた貫禄か?人生達観の話をしてくれる。
確かに、「生き甲斐療法」といって、遊びにしろ何にしろ、物事に対して目的をもって対処し行動を起こすと、それに順応して、身体の中の細胞が良い方に働くということが実証されているのである。現に、その記録として、「モンブランに立つ」という、癌患者の登山記録を書いたものが出版されている。これは感動ものであり、是非みなさんにお勧めしたい一冊である。必ず生きる勇気が沸いてくるはずだ。このNさん自信も、白血病の重症患者だが、そんなことはおくびにも出さない。だから尚のこと元気ずけられ、周囲が明るくなっているのだろう。ちなみに、このNさんのニックネームは「珍念さん」と呼ばれて、皆の信頼はすこぶる厚い。私もこのNさんによってどれだけ勇気ずけられたか判らない。
また或朝には、廊下のほうがやけに賑やかで、男と女の声が入り交じって、何だかんだと云いあっている。何だろう?と出てみれば、廊下の長椅子の前で、患者と看護婦が並んでポーズをとり、その前で、写真屋(ニックネーム)のKさんが、盛んにシャッターを切っていた。ある者は看護婦を膝の上に乗せて「ニヤリニヤリ」とご満悦の態でYポーズをとり、また或女性患者は、「早く早く」と友人を誘ってカメラに収まっていた。なんとも微笑ましい朝のひとときである。これも、仲間同士の息抜きの場(生き甲斐療法)としては、許されるべき情景ではある。病棟の担当医の先生がたも、一時のことだからと黙認の状態である。Kさんは写真の腕前はかなりのものらしく、このところ、朝日の昇る風景を、病室の窓から、毎日のように撮り続けている。しかし、ロケーションが悪いため、「なかなか思うようなシャッターチャンスはないですよ」と嘆いていた。
しかし、これらの行動の一つひとつが、一見 「病人のくせに何をやっているんだか」と傍からは思われがちだが、これも精神的「鍛錬」と「自分自身への鼓舞」の一環であり、大切なのである。人間の頭は、閑なときほどろくなことを考えずに、余計なエネルギーの消耗と、おかしな妄想に陥りやすいものだ。「あれは**だ」「これは**かな?」と要らぬ神経ばかりピリピリとすり減らしていても、その割りには、良い結論も知恵も浮かんではこないものだ。こんな取り越し苦労こそ、「百害あって一利無し」なのである。
教訓! 心して良い治療仲間(友人)を持つようにせよ。
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