★ 朝、6時の検温・・・から夜9時まで、患者の体調管理をしているナース達の1日は、申し送りのスケジュール通りとはいえ、結構きつくて忙しいようだ。そんな彼女達を捕まえて、話を聞いてみると 「そうねえ〜、仕事が終わって寮に帰るとほとんどばたんきゅうかなあ〜。やっぱり疲れるわよ」 「休みの日でも、ゆっくり身体を休ませる時間てあまりなくって、掃除洗濯、買い物なんかで終わっちゃう事が多いのよね。」という答えが返ってくる事が多い。確かに疲れはあるんだろうが、そこは若さが故に快復力が早いんだろう。そんなわけで、親元から通っている看護婦達は、多少通いの時間がかかるかもしれないが、寮通いのナースたちの羨望の的であるらしい。親元組は食事の支度もないし、自分の自由時間も比較的とれるからだ。特に外科病棟や重病棟のナース達は、3交代制をとっているとはいえ、思わぬハプニング(緊急事態)などが入ることがあったりして、通常のスケジュールに支障をきたすこともある。それだけ疲れも倍加して悲鳴を上げることになる。
しかし、入院している患者達は、そういった内部事情をよく知らないから、我が儘放題を云いつけて彼女たちを困らせている者もいる。「○○さん。それは駄目です。出来ません」という対処は、この職場ではご法度とされているから、 「はいはい・・・」と申し受けて、やれ「屎尿便」だ。「水枕」だ。「喉が渇いた」「背中が痛い」などなどに、相手になったり、嫌な要求にも応えてしまうものだから、なお一層ストレスが溜まってくる。考えてみれば、この仕事はよほど好きでないと勤まらないように思えてならない。事実、勤めて3年位で他の職場へ移ることも多いと聞く。そんなこんなを考えてみると、朝早くから 「はあ〜い、おっ早うさ〜ん」 と、元気な声でやってくる看護婦は、よほど仕事に手慣れているか、患者の心理をよ〜くのみこんでいるからなのだろうと、ほとほと感心する。病院における彼女達は、あくまで 「天使のナース」なのだ。
★ またこんな事もあった。まだ勤めて間もない新人の看護婦が採血にやって来て 「すみません、採血しますけどいいですか?」というのでこれは病状を診るうえで欠かせない決まり(2日置きに採血してリンパ球などの主だった数値をチェックする)なんで、 「はい、お願いします」 と腕を出す。おもむろに血管を探っていたが、やがて「それじゃあ 、ちょっとチクッとしますよ」といいながら、針を刺す。・・・が、??入らない。血管にうまく入らないのだ。見ていて 「どうしたの?」 と聞くと、「すみませんもう1度やらせてください」 と、困った顔をしてこっちの顔色を伺う。まだ慣れていないんだなと気づいたから、間髪をいれず 「ああいいよ、落ち着いてゆっくりやんなよ」 と助け船をだしてやる。すると安心したのか、恐る恐る「すみません」といいながら、また針を刺す・・・が、自信のない手つきでこれも巧く入らない。2回も失敗して焦った彼女は、泣きべそをかきかき 「すみません、上手な人を呼んできます」と云いつつナースセンターへすっ飛んでいった。
やがて、べてらん看護婦が来て、1度で採血を済まし、 「はい終わりました」で解決した。やれやれである。そこで新米さんに、一言アドバイスしてやった。「何事も勉強と経験だよ。頑張って早く1人前になんなよ」・・・ と勇気ずけてやる。それを聞いて彼女はちいさくなって「はいっ!どうもすみませんでした。」 その云いかたが何とも可愛いかった。けれど、その後針の痕がズキズキと暫く痛かったのにはほとほと閉口した。
<医師について思うこと>
★ ある日、病室の隣人が、こんなことを云って愚痴をこぼした。 「Aさんはいいよなあ。しっかりした先生が担当で。俺なんかデーターが欲しいって云ったってくれやあしないんだから。さも面倒だ!という顔をしてさあ。そうかといって、黙ってりゃあ何も教えてくれないしね。やんなっちゃうよ。」 これはなにかというと、3日毎に摂る採血のデーターのコピーを、自分には全然くれないとという不満からくるものらしい。 「ふーん。俺にはちゃんと持ってきてくれるよ。最初からそう云ってあるからかもしれないけどね」 確かに、いろいろな検査や治療を受けて、それにたいする結果や経過、治療の効果を知ることは、いまの自分の病状がどんなであるかを把握したり、今後、どのような治療をしてもらいたいか、また、どんな方法があるのかを相談するうえで、たいへん意味があることなのだ。
これはひょっとして、 「医学に素人のあんた達に、いちいち説明したところでしょうがないだろう。」という医者の権威と奢りからくるものなのか。或いは、 「あんたの病状は担当医の俺が把握しているんだから任しておけばいいんだ!」という誠にもって、ひと昔前の古めかしい考えかたに固執していることからくるものなのか。・・・ ゆえに最近は、これらの問題も含めて 「インフォームドコンセント」 という言葉が盛んに使われるようになってきたし、実際に、これを求める患者も増えてきていることも確かのようだ。良い医者につくか、悪い医者につくかは、一種の賭のようなものなのだろうか?。これは、その患者本人の判断することで、他人がどうのこうのと云うべきことではないかも知れない・・・。だとすれば、患者にとって誠に不幸なことではないだろうか。生命を預ける者にとっては藁おも掴むおもいで頑張っているのだから・・・。
< 承諾書+???>
★ また、もうひとつこんなこともある。
手術前に必ずあるのは、医師と患者の間で交わされる「輸血承諾書」だ。「何が起こっても文句は云いません。」というあれである。医者自身としての一種の自己防衛でもあるのだろう。確かに100%まったく問題はおこらないという保証は何処にもないのだから・・・。医者にとっては取り交わしておくことは必要かもしれない。患者側もこれは納得して受ける人が多い。しかし、その裏にあるものは?・・・そう、裏金の請求(黙認)である。それかあらぬか、これらの話はどういう訳か、誰も居ないところで取り交わされる。これは真面目で実直な医者の立場からすれば、即、「とんでもない濡れ衣で、そんなことを期待して話し合いをもっているのではない!」 と、怒りの猛反論がくるかもしれないが・・・この件に関しては、退院した人達や、これから手術を受けようとする人達からも、少なからず漏れ聞こえてくる。 「あなたはどうするの?先生に渡しておいたほうがいいと思う?」 「そのほうが、真剣にやってくれるんじゃあないですか」 「う〜ん、医者も人の子だから、つい、そういう方へ傾いてしまうのかもしれないですねえ〜」 「かといって、治療は成功させて欲しいし・・・、むずかしいところだよね。」 これらのことが、日常茶飯事として当たり前になったのでは、我々患者にとって、実に憂うべき悲しいことであると思うが如何であろうか。
|