| 61
第50回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵より第7曲リモージュの市場―第8曲カタコンブ―死者の言葉による死者との対話」 |
|
リモージュの市場:中部フランスの町リモージュは陶磁器業で知られ、エカチェリーナ2世ほかロシアの王侯貴族が豪華なセットをたびたび注文した。またペテルブルクの陶磁器工房でも18世紀初頭からフランス人職人が指導していたから、地方の小都市ながらロシアと浅からぬ縁がある。
カタコンブ:キリスト教公認前のヨーロッパ各地で、ひそかに信仰を守り抜いた信徒は地下の洞窟で永遠の眠りについた。ハルトマンは灯火を頼りにカタコンブを調査する自画像(後ろ姿)を描いた。「死者の言葉による死者との対話」は親友との対話を追想するプロムナードとなっている。
|
| 62
第49回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵より第6曲サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」 |
|
中世ヨーロッパのユダヤ教徒は迫害のたびに東方へ安住地を求めたから、ポーランド・ロシア一帯にはユダヤ教徒多数が住み着き、独特の宗教的世界を築いた。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」やシャガールの作品は、貧しく敬虔なユダヤ教徒を描いているが、産業構造の近代化とともに金融界などでの出世組やホロヴィッツなど優れた音楽家も登場した。ハルトマンは迫害と差別にあいながらも対極的なユダヤ人―金満家と貧者―を描き、1868年このスケッチ2枚をムソルグスキーに送った。
|
| 63
第48回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵よりプロムナード−殻をつけたひなどりのバレエ」 |
|
ヴァイオリンの名手ゲルベルは1869-82年ボリショイ劇場でバレエの指揮・作曲し、チャイコフスキーから「優れたバレエ音楽の作曲家」と絶賛された。彼のバレエ「トリルビ」の衣装デザイン画として、ハルトマンは大きな卵の殻の上部から両手と頭を、舌から両足を出した踊り手を描いた。
|
| 64
第47回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵より第4曲ビドロ」 |
|
日本では「ビドロ」が定着したが、ムソルグスキーは「サンドミェシのビドウォ」「荷車 le telegue は描かない」と友人スターソフに書いている(貴族出身のムソルグスキーは手紙でフランス語をよく挿入した)。サンドミェシはワルシャワの南、ヴィスワ川左岸にあり、原曲作曲当時はロシア領。かつて領邦国家の都として栄えながらオーストリアとロシアに支配された。ポーランド王朝時代の1570年、同国のプロテスタント諸派が連帯するなど、社会意識の強い変革の地として名高い。またポーランド語のビドウォは農耕に欠かせない「家畜、特に牛」「虐げられた群れ」を意味する集合名詞。ハルトマンはポーランド人抵抗者の処刑の図を残し、ムソルグスキーは抑圧された民衆の描写で定評がある。地平線のかなたから牛車が近づき再び遠ざかるこの音画にも、複雑なメッセージが秘められているようだ。
|
| 65
第46回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵よりプロムナード−第3曲チュイルリー」 |
|
ロシアの上流階級もファッションや宝石、家具、工芸品などフランス崇拝が根強く、パリはロシア人貴族や芸術家の憧れの地。ハルトマンはパリ滞在中にチュイルリー公園でざわめく娘と子供を描いた。
|
| 66
第45回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵よりプロムナード−第2曲:古城」 |
|
ハルトマンは古城の絵に、スコモローヒ(ロシアの詩人兼音楽師)の影を描いた。1571年モスクワ大公イヴァン4世は西ロシアの交易・文化の中心で自治の伝統を誇るノヴゴロド(ハンザ都市)を制圧し、同地の音楽文化を支えたスコモローヒ多数をモスクワに連行した。ハルトマンは、この史実を暗示したのかもしれない。
アルト・サクソフォンの甘美な音色が印象的である。
|
| 67
第44回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵より第1曲小人」 |
|
この組曲はムソルグスキーの友人の画家・建築家のヴィクトル・ハルトマンの死をきっかけに作曲されたもので、この第1曲が組曲の本当のはじまりになるのである。
ヨーロッパ各地の民話で地中の財宝を守るこびとの妖精グノームを表す曲である。
このこびとは近世ヨーロッパの王侯貴族のサロンで重要な役者となり、率直な風刺の台詞が人気を集めた。ロシアの図像表現にもこびとはよく登場し、ハルトマンはグノームの形をしたくるみ割のデザイン画を残した。
|
| 68
第43回「ムソルグスキー作曲ラヴェル編曲組曲展覧会の絵よりプロムナード1」 |
|
今週から15回連続でムソルグスキー作曲ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」をお届けする。
今回は冒頭のプロムナード。非常に印象的な旋律で有名である。
|
| 69
第40回「J.S.バッハ作曲無伴奏フルート・パルティータイ短調」 |
|
ヨハン・セバスティアン・バッハは、この作品をおそらくケーテンで作曲しただろうと思われる。1720年代初頭に二人の異なった写譜屋の手になる「J.S.バッハ フラウト・トラヴェルソのための独奏曲」というタイトルのついた楽譜が一部保存されているが、もともとどの楽器のために作られた曲なのかは今もって明らかではない。
第1曲アルマンドのフルート版に関して唯一確かなことは、この作品の弦楽器、あるいは鍵盤楽器用の初稿が存在していたことで、そのため非常に難しいテクニックの問題が生じてしまったのである。フルートの歴史の中で作られたどの作品とも異なるこの楽章に対して、フルート奏者は常にその深奥に迫ろうとするのだが、決して完全には到達することは出来ない。
アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレー・アングレーズの4つの舞曲で構成されている。
|
| 70
第36回「ビゼー作曲カルメン第2組曲」 |
|
「カルメン」第2組曲は、歌劇中の名曲5曲を集め、これを管弦楽演奏会用に編曲したもので、もちろんこれらの曲は声楽曲であるから、声楽パートは他の適当な楽器が受け持つようになっている。
第1曲「密輸入者の行進」(第3幕) 山中の淋しい場所に、密輸入者のジプシー達が集まる。エキゾティックで、きわめて印象的な旋律の行進曲である。
第2曲「ハバネラ」(第1幕) 竜騎兵ドン・ホセの歓心をそそるために、カルメンが色っぽく歌う「恋は野の鳥」。
第3曲「闘牛士の歌」(第1幕) 闘牛士エスカミーリョの歌に続く、全曲中でもっとも有名な旋律の合唱である。
第4曲「衛兵の交替」(第1幕) 衛兵のラッパの旋律が聞こえ、続いて鼓笛隊の軽快な行進曲、その旋律に合わせて街の子供たちが合唱。
第5曲「ジプシーの踊り」(第2幕) 聴衆をして興奮の絶頂に誘い込むであろうこの曲は、第2幕の酒場の場面で歌われる。
|
| 71
第35回「ビゼー作曲カルメン第1組曲」 |
|
「カルメン」第1組曲は、歌劇「カルメン」全4幕の前奏曲を集め、適当に配列したものである。
第1曲「前奏曲」は、第1幕の幕が開く直前に奏される曲で、不気味で重苦しい「運命の動機」で構成されている。
第2曲「アラゴネーズ」は第4幕への前奏曲。終幕の賑やかな気分が出されているが、オーボエの咽び泣くような旋律が胸を打つ。
第3曲「間奏曲」は第3幕への前奏曲。非常に牧歌的な音楽であるが、はじめは「アルルの女」のために書かれた曲であるという。
第4曲「アルカラの竜騎兵」は第2幕への前奏曲。これは第2幕中で、伍長ドン・ホセがカルメンに逢いに行くときに口ずさむ歌の旋律が使われている。
第5曲「闘牛士」は第1曲「前奏曲」の前に奏される曲で、歌劇ではこの「闘牛士」と「前奏曲」がセットになっている。非常に有名な曲である。
|
| 72
第31回「レスピーギ作曲リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲第4曲:パッサカリア」 |
|
ロドヴィーコ・ロンカッリが1692年に出版したパッサカリアが原曲。さまざまなスタイルが目まぐるしく入れ替わるドラマティックな進行が特徴。
|
| 73
第31回「レスピーギ作曲リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲第3曲:シチリアーナ」 |
|
原曲は作曲者不詳(16世紀末)で、舞曲+2つの変奏という、全曲中でもっともシンプルな構成をとる。
|
| 74
第30回「レスピーギ作曲リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲第2曲:宮廷のアリア |
|
第2曲「宮廷のアリア」の原曲は、16世紀のバプティスト・ベサールによる複数の作品で、編曲で調性も拍子も異なる各部分が巧みに繋ぎ合わされている。全体を通して複雑なリズム構成をとるのが特徴。
|
| 75
第29回「レスピーギ作曲リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲第1曲:イタリアーナ」 |
|
今回から4回連続で、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」全曲をお届けする。
これは16〜17世紀のリュート(ギターの前身のような楽器)のための曲を集め、管弦楽又は弦楽合奏用に編曲した、魅力的な作品である。
第3組曲まであるが、この第3組曲が特に有名である。
第1曲「イタリアーナ」の原曲は作曲者不詳の16世紀末の曲で、近代フランス音楽を思わせる繊細な調感覚が特徴である。
|
| 76
第28回「ヨハン・シュトラウス1世作曲ラデツキー行進曲」 |
|
「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世の父親である、「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世の代表作。
1848年、死の前年に書かれた曲だが、当時は宰相メッテルニヒの反動政治に反発して革命が起ころうとする物情騒然たる時期。宰相から目をかけられていたシュトラウスが、政府側の兵士の士気を鼓舞する目的でこの曲を完成させたといわれる。
ラデツキーというのは、イタリアで武勲を立てたオーストリアの将軍の名で、これはその凱旋祝賀会で発表された。
|