豆ぞ〜の
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俳句room


- 書籍紹介 -
 
    『やさしい俳句』山崎ひさを(善本社/1990)  
    『岸風三樓』山崎ひさを・平間眞木子・中村静子共著(蝸牛 俳句文庫/2000)
    『釉』 白石多重子(朝日新聞社/2005)
    
  連句の部
作品道しるべ
連句第二巻からの制作過程です。
道しるべ・序
連句第一巻『風薫る』が出来るまでを載せてあります。
連句道場
連句塾から引っ越しました。
連句作品集
歌仙(半歌仙)を巻きながら記載していきます。
進行中の作品は展開を楽しんでください。
薙と豆ぞ〜のなんちゃって塾
たまには薙の短歌もあります。
  豆ぞ〜句集
春の句
(*´ψψ`)
夏の句
(*・ω・*)ノ
秋の句
<("O")>
冬の句
(..*))
  俳句の本屋さん
飯塚書店
文芸書(俳句・短歌・川柳)を主とする総合出版社。
俳句や短歌の専門書はここにあります。
創業1949年だそうです。通販も出来ます。
  俳句のお手本
松尾芭蕉
俳句に興味がなくても皆様知っています。芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『奥の細道』はあまりにも有名です。芭蕉が隠密であり奥の細道がスパイ行であったという説があるとか・・ないとか・・
厳密には芭蕉の句は江戸時代の『連句』の発句であるようですが、その完成度が高いので独立した俳句と認められているようです。発句とは『俳諧連歌』の第一句(5・7・5で構成)のことでこの後に別の人が第二句=挙句(7・7で構成)をつづけて楽しみました。
与謝蕪村
俳人であると同時に優れた画家でもあった方。
絵画的で光に満ちた発句を数多く書き残し、鮮明なイメージを言語によって喚起することに成功したと言われます。
小林一茶
親しみやすく、わかりやすい作風です。小林一茶の人生は家庭的に不遇なものであったそうです。江戸へ出た一茶は、その日暮らしの荒奉公を何年も続け、厳しい生活に耐えなければならなかったのだろうけど、どういう経緯を経てか、やがて俳諧の道で頭角を現し、「信濃国俳諧寺一茶」 「乞食首領一茶」 などと名乗り始めたそうです。はるか昔、中学に入った年の夏のオリエンテーションで野尻湖での水泳合宿がありましたが、このとき、一茶の『これがまあ ついの住処か 雪五尺』という句に出会いました。このリンク先は小池覚さんという方の『SimGさんの草庵』というHPですがとても楽しいです。
炭太祇
 たん・たいぎ とよむそうです。ほとんど無名といえますが、もしかして正岡子規が『俳句の分類』作業半ばして、死んでしまわなければ、芭蕉や蕪村を超えた人気者だったかも知れないという凄い人だったようです。松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶が有名なのは、我が国の詩歌の近代化に取り組んだ正岡子規が、彼のライフワークであった「俳句分類」のために読んだ無数の俳書のなかから彼らを発見し名前を広めたためだそうで、同時代の優れた俳人でありながら、炭太祇は発見されずに終わってしまった不運の俳人・・?  
  自由律俳句のお手本
種田山頭火
17文字にこだわらない、季語なんて気にしない・・自由律俳句の作者の筆頭にあがるようです。ここまで滅茶苦茶だと俳壇主宰のあいだでは賛否両論のようですが、自由律俳句は尾崎放哉、種田山頭火の活躍した大正時代〜昭和初期以降衰退し、また平成になって見直されていると聞きました。ワタクシ豆ぞ〜としては好きな俳人。豆ぞ〜は酒飲みではないですが『ほろほろ酔ふて木の葉ふる』や『酔ふてこほろぎとねていたよ』など酔っ払い山頭火の句には好きなのがいっぱいです。
このサイトはお酒と山頭火の俳句を愛するendoyさんという方のサイト“おかえり.jp”の中の“酒と山頭火”です。
尾崎放哉
私はこの俳人の事は名前以外ほとんど知らないので、偶然見つけたサイト“おかえり.jp”の管理人“endoy”さんの紹介文を使わせていただきます。『尾崎放哉(ほうさい)は明治時代後半当時の超エリートでした。 一高、東大から一流企業へ就職し、結婚して出世街道を突き進んだ彼は、現在の我々にとっても理想的な人生の一典型であります。しかしある時から彼はその道を自ら逸脱し、妻とも別れて病に冒されながら孤独な世捨人のような生き方をすることになります。 彼をそうさせたものは何なのか。彼の日記や書簡、そして成書の数々には様々にその理由が垣間見えます。私は、彼があまりにも純粋過ぎ、そしてあまりにも周りよりも秀でていたために、世の垢にまみれることに堪えられなかったのだと思うのです。それを「心が練れていない」、「大人になりきれていない」と責めるのは簡単です。しかし、世の不条理に疑問を持つことなく、諦めて同化することが「世慣れる」ことであるならば、それは果たして他者を批判するに足る立派な生き方と言えるのでしょうか。敢えて『孤高の詩(うた)』という副題を付したのも、放哉の「水晶のように透き通った哀しみ」に満ちた俳句が、そういう周りとかけ離れた知性と感性から生み出されたのであろうという思いからのものです。我々は彼の俳句によって、ある時には深い孤独をえぐられるような痛みを感じるかもしれませんし、またある時は限りない癒しの感覚を得られることもあるでしょう。』・・・・・続きはendoyさんの“放哉 孤高の詩”をどうぞ。
  江戸時代の女性俳諧師
女流俳人
田捨女(でん すてじょ)・秋色(しゅうしき)・千代女(ちよじょ)・有井諸九(ありい しょきゅう)・榎本星布(えのもと せいふ)・田上菊舎(たがみ きくしゃ)・斯波園女(しば そのめ)・
 
  近代の著名俳人
・正岡子規(1867年 - 1902年)・河東碧梧桐(1873年 - 1937年)・高浜虚子(1874年 - 1959年)・種田山頭火(1882年 - 1940年)・尾崎放哉(1885年 - 1926年)・水原秋桜子(1892年 - 1981年)・山口青邨(1892年 - 1988年)・西東三鬼(1900年 - 1962年)・日野草城(1901年 - 1956年)・山口誓子(1901年 - 1994年)・中村草田男(1901年 - 1983年)・大野林火(1904年 - 1982年)・加藤楸邨(1905年 - 1993年)・古沢太穂(1913年 - 2000年)・鈴木真砂女(1906年 - 2003年)・森澄雄(1919年



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