未だかつて競馬場へは行ったことがない。テレビの競馬中継は、小学校4年の頃から観ていたんだけど、ただ馬を見ていたかっただけなんだね。だから、その頃の競走馬の名前はあまり覚えていない。
競走馬の名前を意識し始めはたのは、シンザンの頃かな。三冠達成を応援していた記憶はある。昭和39年(1964年)のことか。中学生だね。でもシンザンが特に好きだったわけではない。むしろ父親のヒンドスタンに興味を持ったみたいだね。というのは、その頃、日本の競走馬に自分の中では、拭いきれないB級感があって、日本の三冠(結果シンザンは五冠達成したが)も所詮、『井の中の蛙だな』と思っていたから、どっちかといえば輸入される海外の種牡馬の方に強い関心があった。「欧米か!?」とこずかれそうだが。馬そのものも競馬界も、なんか、どこか垢抜けしない感じがしてしかたがないんだなぁ。
近頃やっと「馬くらべ」のレベルでは欧米の域に達したようなのだが、未だ日本の競馬を「馬文化」の一端と表現するには、若干口幅ったい気がするのですが…。誰もそんなこと言ってないか?!
国内には、馬のいわゆる「Conformation」立ち姿、をきれいに撮る写真家がいない。これだけじゃ食えないからだろうね。馬を撮る人は沢山いるけど立ち姿、「ラウチスタンス」とも言いますが、これをキチンと撮れる人ってみたことないな。「食えない」がキーワードなんだね。
近代あるいは、現代の全ての文化形成の認識の要点は「食える・食えない」にあるような気がする。スマートではないな。
本当は、今をときめく花形競走馬を作るより、ハイペリオン、ネアルコ、ナスルーラ、ボールドルーラー、ニジンスキー、シアトルスルー、なんか作りたいというのが本当のところ。サンデーサイレンスは入れてもいいかな。
現役競争馬より、種牡馬体型の方がサラブレッド本来の姿だと思うし、牡馬好きのわたしとしては拘りたいところなんだけど、「食えない」…か。
