あこがれの国ギリシャ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
あこがれの国ギリシャ その1
 私たち夫婦はいろいろな言語を学ぶのが趣味です。ギリシャ旅行が決まって、2ヶ月前から現代ギリシャ語を集中的に勉強しました。夫が今年5月から私は2年前から仕事をリタイヤーしましたので、これまでのように旅行の日時をお盆とお正月の短期間に限定する必要がなくなったのです。夫は始めての海外旅行ですし、私は15年も前にドイツ人の友人に同行してドイツに行ったことがあるとはいえ、全く不慣れな海外旅行ですので、旅行会社のパック旅行を利用することにしました。パスポートの取得、所持金の調達、胃腸の悪い私のために持っていくべき食べ物の用意、9月後半の季節の変わり目の時期のための寒暖に備えた衣類の用意、旅行かばんの選択など未経験の私たちにとってはわからないことだらけでした。その上忘れてはならないのは携帯電話をレンタルすることでした。私たち夫婦は日常よく、携帯で連絡を取り合っています。また、この時期日本の動向にも目が離せません。たとえば安倍総理大臣の誕生、大相撲の千秋楽、パリーグのリーグ優勝の決定の時期です。携帯電話があれば海外で結果を知ることが出来ます。携帯電話のレンタルにも漕ぎつけ、心配された台風も大丈夫、私の体調もまあまあ、準備万端整って無事に出発の日を迎えました。
 
 平成18年9月18日(月)
 出国の日は翌日ですが、前日に成田空港近くのホテルで一泊する必要がありました。
 
 平成18年9月19日(火)
 朝、9時55分成田空港を飛び立ち、途中フランクフルトで5時間待ち時間の後、飛行機を乗り換え深夜にアテネに到着しました。フランクフルトでの待ち時間には旅行会社の好意で3時間行程の観光バスを用意してもらえました。フランクフルトのランドマークの一つレーマー広場でバスを降り、グループの全員16人は一時間の予定でガイドさんの案内で、ゲーテの生家、ゲーテハウスの見学に行くことになりましたが、老令の私たち二人だけはレーマー広場で、長旅の疲れを取るために休んで待っていることにしました。待っている間に入った喫茶店のウエイトレスさんとドイツ語で話し始めると、彼女がロシア人で、ロシア語とドイツ語が流暢に話せます。彼女はこの喫茶店のオーナーの奥さんだということがわかりました。ロシア語は私たちの得意な言語の一つですし、彼女にとっては故郷の言葉であるロシア語が使えることを喜んで、話がおおいに弾みました。住所を書いてもらい私と二人で撮った写真を送ってあげる約束をして別れました。
 
 平成18年9月20日(水)
 ギリシャでの移動は最後のミニクルーズで訪れた3つの島の中の移動を除いて、同じ貸し切りバスでしましたので、大きな荷物を持ち運ぶ必要がなく楽でした。
 
 前日アテネに着いたのが深夜でしたのでアテネ市内観光は少し遅めで、9時出発でした。それでも私たちは朝6時には起床しホテルの近くを散策をしました。アパートの立ち並ぶ路地裏を通ったり、スーパーマーケットで買い物をしたりしてアテネの人々の暮らしの様子を観察しました。
 
 市内を移動中アテネではこの時期恒例の教員ストに出くわしました。そこで現地のガイドさんの機転で、私たちは地下鉄でお昼ご飯の用意されたレストランへ行き、食事の終わったころにバスがレストランに迎えに来てくれることになりました。何時の日か私たちもアテネの地下鉄に乗ってみたいと思っていましたので、思いがけない幸運のように思いました。これもアテネ事情を知るための良い観光メニューの一つでした。アクロポリスの壮大さには圧倒されるばかりでしたが、さすが人類の宝ともいえる文化遺産だけあって世界各国から訪れる観光客の多彩さには驚かされるばかりです。フランス語、ドイツ語、英語、中国語、韓国語、ロシア語、日本語がそこここから聞こえてきます。それが面白く私たちは知っている言語を使って、行きかう人々に話しかけてみました。掛け合った言葉が通じたときはうれしい気持ちになりました。また私たちはギリシャ文字が読めるのでバスの車窓から見える広告の看板や道路標識に出くわすたびに読んでは意味がわかると喜び合っていました。同行者の人たちには加藤さんたちはまるで小学校の修学旅行のようだと笑われてしまいました。午前中でアテネ観光を終え、バスで一路カランバカに向かいました。カランバカへ着いたころはすでに日暮れでした。その夜はカランバカへ宿泊しました。
 
 平成18年9月21日(木)
 カランパカからメテオラへ、バスで移動しました。メテオラにはいくつかの切り立った岩山の上に中世に建てられた修道院があり、8キロ隔たったカランパカがメテオラ観光の基地となっています。メテオラの二つの修道院を見学出来ました。こんな断崖絶壁にどうしてこんな立派な建物が建てられたのか、中で暮らしている修道士さんの暮らしぶりはどんな風なのかと考えてしまいます。カランパカを後にして、デルフィへ向かう。 デルフィ泊。
 
 平成18年9月22日(金)
 デルフィの古代遺跡観光。
 古代の人々が国家や個人が重大事に直面するたびにデルフィの神託を求めて、ギリシャ中のみならず、周辺の多くの国々からやってきていたことを示す遺跡の数々に圧倒されます、まさに世界の中心だったことが偲ばれます。デルフィからオリンピアへはコリントス運河ではなく、ギリシャ本土とペロポネス半島をつなぐためにイオニア海の上に、最近新しく建設された橋を通ってオリンピアに向かいました。この橋の存在を知らなかった私たちは、バスが向かう方向が間違っているのではないかと思っていました。橋を通り過ぎると、ペロポネソス半島で第一の大都市パトラへ出ます。オリンピアに近いところでペロポネス半島にわたることが出来たのです。オリンピアについてすぐ、ホテルに着く前にオリンピアの商店街を見て歩きました。ギリシャの老人たちがよく手遊びに持ち歩いているコンボロイという日本のお数珠のような遊び道具を買いました。お店の前でたむろしていた老人たちにコンボロイの遊び方をたずねると気軽に教えてくれました。夫は気難しそうな店主と意気投合していました。履物のサンダルをギリシャでは「さよなら」というのです。「さよなら」とは日本語で別れの挨拶、ギリシャ語に訳すと「ヤーサス」だという夫の説明に、店主は面白がって、笑っていました。
 
 平成18年9月23日(土)
 オリンピア古代遺跡観光。
 紀元8世紀ごろ、ペロプスの神話に基づきオリンピック競技会が行われるようになったそうです。古代、戦争に明け暮れた人々が4年に一回オリンピック競技会を催しその間は一切の戦争が中止されたそうです。アーチ型の石作りの門を入ると4万人を収容できる観客席とトラックが目の前に広がります。古代の男たちが全裸で競技を競い合い、勝利者には大変な栄誉が与えられたそうです。
 
 オピンピアからエピダウロスへ。
 バスでペロポネス半島を西から東に横断してオリンピアからエピダウロスへ移動しました。ペロポネス半島の中央部は山々が横たわっていて、250キロの行程はずいぶん長く感じられました。アルゴス地方に近づくと前方の山のスカイラインがまるで兜をかぶって仰向けに横たわっているアガメムノンの姿を描いているように見えるのです。ガイドさんの説明に納得させられ、古代に思いをはせるに十分な光景でした。
 
 エピダウロスのギリシャ劇場見学
 ガイドさんはいつも携帯電話で現地と連絡を取って臨機応変に対処していました。目的地は大雨だそうです。もって行った傘が役に立ったのはこのときでした。予想どうりエピダウロスでは大雨で、ギリシャ劇場もまるで池のごとくでした。それでも何人かの観光客が水の中を歩いて舞台の真ん中まで進み、そこで美声を響かせていました。他のこの種の劇場が、半円形であるのに対してエピダウロスの古代劇場の舞台は円形であること、音響効果が良いことが特徴だそうです。観客席はほぼ半円形で1万4000人を収容できるそうです。
 
 エピダウロスからナフプリオンへ。
 ナフプリオンは美しい町でした。お花があちこちに咲いていて、家々の庭やベランダを飾っていました。日本ではポピュラーな夾竹桃、ブーゲンビリアも多く見られました。私たちの泊まったホテルの前庭や中庭にもきれいな花が咲き乱れていました。緯度の高いギリシャで、意外にも南国の植物、ソテツが大きく育っていました。ナフプリオン泊。
 
 平成18年9月24日(日)
 ナフプリオンからミケーネへ。
 ミケーネ遺跡観光。
 ホメロスの叙事詩イリアスに感銘を受けたハインリッヒ・シュリーマンが発見した伝説の英雄アガメムノンの居城跡です。遺跡の入口近くにある円形墓地からは「アガメムノンの黄金マスク」などの宝物が発掘されています。アガメムノンが20年の長きにわたって戦ったトロイとの戦争に勝って、トロイから凱旋した直後に、すでにアガメムノンの従兄弟アイギストスと情を交わしていた妻のクリュタイメストラはアイギストスと示し合わせてアガメムノンを殺害したとされる風呂場の跡もガイドさんに示してもらいました。父親殺害を許すことの出来ない、二人の子供たちエレクトラとオレステスが母親に復讐しようとするその後の血肉を洗う物語は、ギリシャ悲劇ではしばしば題材とされあまりにも有名です。またエレクトラとオレステスの姉で、トロイ戦争に向かう船団のために、アウリスの港で犠牲として捧げられる事となったイピゲネイア(アウリスのイピゲネイア)もその後日談(タウリケのエピゲネイア)と共にギリシャ神話やギリシャ悲劇で多く語られています。ミケーネ博物館にはミケーネ王国にかかわるさまざまな出土品が陳列され、当時の文化水準の高さを物語っています。
 
 ミケーネからコリントスヘ。 
 コリントス運河観光。
 ギリシャ本土とペロポネス半島を切り裂くように作られた運河で、幅はわずか23メートルしかなく、一隻の大型フェリーがやっと通ることの出来る程度です。携帯で連絡しあっていた私たちのガイドさんの話では、一つ前のバスの乗客27人中7人がスリに会ったそうなので、私たちはバスを降り、バックをしっかり抱きかかえながら、、運河のうえに渡された橋を徒歩でわたりました。おかげで私たちのグループでは、誰一人スリの被害に会わないですみました。結局、スリは同じ観光バスに乗り合わせていたイタリア人女性で同行の男性客が数人がかりで取り押さえて、身ぐるみをはがして調べたところ、下着の中にまで隠し持っていたお金やキャッシュカードが、いっぱい出てきたそうです。女スリに噛みつかれた人もいたとか、私たちのバスの中で大きな笑いの渦が沸き起こりました。
 コリントからアテネへ向かう。
 
  夜のアテネを自由行動で散策。
 アテネの繁華街プラカを夫と二人きりで歩きました。ギリシャの歌と踊りを見せるレストランに入りました。楽しいひと時でした。覚えたてのギリシャ語を駆使して、お店を探したり、お店で食べ物や飲み物を注文したりしました。帰りのタクシーでは、運転手さんとの会話も弾みました。多くのギリシャ人は「コンニチワ」「さようなら」「安いよ」など片言の日本語で日本人に愛嬌を振りまいてくれます。アテネ泊。
 
 平成18年9月25日(月)
 エーゲ海ミニクルーズ。
 いつもより早い行動開始です。朝6時に起床、7時出発です。フェリーでピレウス港より出帆して、サロ二コス湾に浮かぶ三つの島、ポロス島、イドラ島、エギナ島をめぐって帰ってくるクルーズです。それぞれの島に短時間留まり、観光すると同時に船の中のアトラクションを楽しむ工夫の凝らされた観光コースです。船内で食事をとりながら、ギリシャのダンスと歌のショウも楽しく企画されたものでした。舞台へ何人かのお客さんも引き出されて踊っていました。最後に訪れたエギナ島からアテネに向かう船上からピレウス港に近づいたころ、夕日がサラミス島の向こうに沈みいく光景を見ることが出来ました。絵のように美しく感激しました。
 
 ギリシャ最後の夜
 古代ギリシャの食事を味わう。
 古代ギリシャ料理を食べさせてくれるレストランへ行きました。グループの皆に評判が良くなかったようです。日本人の贅沢さのせいでしょうか。パン以外は残す人が多かったようです。塩気が強すぎたのも、不評の原因だったようです。
 
 ホテルに帰って、他の人たちは疲れてお休みのようでしたが、夫と私はギリシャを後にするのが、名残惜しくギリシャの夜をもっと味わいたい気持ちで、ホテルの最上階にあるバーへ行きました。バーの窓からはイルミネーションでライトアップされたアクロポリスが、うつくしい姿を見せてくれていました。リカベストの丘の全容もくっきりと見えていました。アテネのシンボル、アクロポリスの丘を目の前にしながら、私の好きなマルガリーターを飲みながら夫と二人で過ごしたひと時はアテネとお別れするにふさわしい時間でした。アテネ泊。
 
 
 平成18年9月26日(火)から9月27日(水)
 早朝アテネを出発し、ミュンヘンで5時間待機の後成田行きの飛行機に乗り換えて成田に向かいました。
 
 成田空港に朝10時に着き、夕4時20分発の便で中部空港に着き今回のギリシャ旅行を無事終えることが出来ました。
 
 「次回はクレタ島、サントリーニ島へ長目の日程でいけると良いとね」と夫と話し合っているところです。
    
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2007/01/08

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Last updated: 2007/7/15