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「農業をやりたい。」そんなこと相談しても反対されるだけなのであまり人には話さなかったけど、どうしても意見を聞かなければならない人がいた。もし本当に就農するにしても、絶対に承諾を得ておかなければならない人がいた。
妻の真美である。まだ結婚生活も端緒についたばかり、鈴鹿でのコーポ暮らしが少しだけ安定しかけた頃だった。彼女のお腹の中には、初めての子供の命が息づいていた。
真美は三重県で生まれ育ち、東京でデザインの勉強をし仕事をしてきた、元グラフィックデザイナーだ。およそ農業などとは縁の無い暮らしをしてきた。仕事を辞めてまで選んだ僕との結婚生活に、彼女なりの夢を描いている事もよくわかっていた。そんな真美に、「実家に帰って農業やりたい」ということを打ち明けなければならない。
まずいことに、僕は結婚に際して「実家に田んぼは結構あるけど、農業やる気は全く無いから安心していいよ」と約束していた。まだたぶんその舌の根は乾いていない。
その時が来た。僕はまず、今日本農業は存亡の危機にあるのだという話から始めた。誰かがこれからの農業を担わなければいけない。自分にはその条件が整っている。転勤のあるサラリーマンより家族で一緒にいられる農業のほうが幸せではないだろうか。特に生まれてくる子供のために、自然環境のよい農村で暮らしたほうがいいのではないだろうか・・・。だから・・・農業をやらせてもらえないだろうか・・・!。よく憶えていないが、そんなことをしゃべり、真美の答えを待った。
もし真美が「絶対嫌!やめてほしい。」と言ったら、たぶん僕はやめていたと思う。妻の反対を押し切ってまでして、家族を幸せに出来る自信と展望は僕には無かった。
しばらく考えた後、真美は言った。「仕方ないよ。職業の選択は自由だから。嫌だけど反対はできないよ。」そして続けた。「でも私はやらないよ。」
嫌でたまらないのに、自分の気持ちを無理やり納得させて賛成してくれた真美の優しさに感謝した。しかしそれ以上に重い十字架を背負ってしまったという気持ちが強くした。
「もちろんやらなくていいよ。これからの農業は人を雇って企業的にやっていくものだから。」と僕。しかしこれは結果的に2つ目の大嘘になった。
ともあれ、真美のこの言質を得て、僕は就農に向けて具体的に動いていけるようになる。心に重ーいものを引きずりながら。
写真は当時妊娠7ヶ月の真美と一緒に岡山に遊びに来て、トラクターに試乗している様子です。このあとどんな激しい展開が待っているか何も知らず笑っている、のん気な2人です。
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