看護学校時代
看護師になるのが小さい頃からの夢だった。ものすごく勉強をして、倍率の高い看護学校へ入学した。
たった2年だけど初めて親と離れて生活をした。今思えばこの頃から、親と離れたことをきっかけに今までの迫害の影響が出だして爆発し始めたんだと思う。
看護学校は想像以上に厳しいところだった。レポート、グループワーク、実技テスト、ペーパーテスト。容赦なく来た。まともに寝れる時間も少なかった。アスペの私の苦手なことばかり要求される毎日だった。急な変更。同時進行、それも3つぐらい。器用さを求められる実技の数々。
友達はすぐ出来たけれどもめることが多かった。今までやられっぱなしの私が爆発。大泣きしたり、部屋で大暴れしたり・・・。私の行動があまりにおかしいので学校から実家に電話がかかってきたことも。私自身も何度も呼び出しを食らった。
5日間の実習が私の大きな挫折だった。コミュニケーションの苦手な私は受け持った患者さんと話せなかった。それが原因で留年になったわけだけど、私はその後私なりにものすごく頑張った。週に1回施設へボランティアに行ったり、コミュニケーションに関する本を読んだりしてなんとかしようとした。その一方入学当初からずっと精神科に通っていたのにもかかわらず、不安定さは悪化。学校での大きな孤独感により自殺未遂を繰り返した。胃もおかしくなって血を吐いたこともあった。努力もむなしくまた実習はダメだった。疲れ切った。もう自分は十分にやった。そう思って私は小さい頃からの看護師になる夢を諦めた。
介護学校時代
結構友達も多かったし、楽しい思い出も無いわけではない。写真を見ると私は楽しそうだ。
でもものすごい友達には心配と迷惑をかけた。いくら薬を飲んでも容赦なくうつ、恐怖、不安は私をつきまとい、忙しい私を苦しめた。学校でも泣く事が多かった。リストカットもかなりの回数していた。友達はなんとか私を助けようとしてくれた。
15日間の実習 私は平気だと思っていた。1日目でもうやりたくないとリストカットをした。理由は分からない。なぜか苦しくてたまらなくなった。結局5日目で実習は停止。
母は私を怒鳴り「もう耐えられない」と泣いた。父は「おまえは逃げっぱなしやないか いいかげんにせい」と怒鳴った。けれどどうすることもできなかった。
私が一番大切に思っていた友人から離れられるようになった。春休みにつぎはぎだらけの再実習を終えた後も、2年生になっても友人は話してくれなくなった。私は彼女と約束していた。彼女は何があっても私から離れていかない。味方だと。私はそれを信じた。彼女は裏切った。
私は彼女をひっぱたいた。別の友人に止められた私は過呼吸を起こし倒れた。
いつ死のうか・・・そればかり考えていた。母がアスペルガーじゃないかといったのはそんなときだった。そしてそこで初めてアスペルガーと診断され、医師に勧められるまま退学。医者の「今まで大変でしたね」という言葉が響いた。22年間の苦しみの原因が初めて見つかった瞬間だった。
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