深夜、窓から見知らぬ中国人が3人侵入。
1人は丸刈りで明らかにアッチ系の人。
うつらうつらしながら、恐怖に怯え、身動きできない。
金品強奪か、はたまた命まで取られるのか。
声を出したいが恐怖で出ない。
思い切り叫ぶようになんとか奇声をあげた。
「ジョーーールソンーー!!」
と、ここで夢が覚めた。
ああ、僕はベトナムにいるんだ。
ベトナムにいるのに、そばにいるのはジョールソンなのか・・・。
今頃あいつはどうしているだろう・・・。
空港まで見送りに来て、僕の顔を見るなり号泣したジョールソン。
元気でやっているだろうか。
こうしてベトナムでの初めての朝はまだスリラン化が抜けきっていないまま幕を開けた。
昨日、列車のチケットは予約が必要だと知り、早朝そうそう予約をどう取るのかフロントのお姉ちゃんに聞きに行く。
するとフロントで朝食を食べていた日本人男性Oさんと遭遇。
話を聞くと仙台から1人旅をしているお坊さんだった。
年は僕より3つくらい下。
ハノイから飛行機でホーチミンに来たそうだ。
それはさておき、フロントのお姉ちゃんに駅に電話してもらい、チケットはまだあるかというのを確認してもらう。
駅まで実際に自分が行って、チケットが売り切れならその往復交通費だけでも損をしてしまうからなのだ。
チケットの余りがあることを確認してから、ホテルの前のツアーオフィスに出かけてみた。
ここでチケットの予約ができるかもしれないという憶測だ。
案の定チケットは予約できた。
手数料で5ドル取られたので、結局交通費より高くついたのだが・・・。
買ったチケットは
サイゴン(ホーチミン)→ダナン(ベトナムの丁度中間あたり)
ダナン→ハノイ
の2つ。
ただし、ダナン→ハノイのチケットはダナンでしか受け取れないとのことなので、領収書だけもらい、ダナンのツアーオフィスの住所を教えてもらう。
金額は62ドル。
そんなわけでうきうきでホテルに戻ると、Oさんが今日どこか一緒に回りましょうと誘ってくれた。
どこに行こうか検討した結果、Oさんも僕もさして特別見たいところはなかったのだが、唯一、ベトナム戦争当時の写真や軍事機器が展示してある「戦争証跡博物館」だけは興味をそそったので、そこへ行くことに決定。
どちらにしても1人で行こうと思っていたので、二人仲良く町をトボトボ歩く。
歩きながら、スリランカから来たことなどを話す。
「ベトナムはスリランカに比べたら食べ物も街も人も天国だ。」
と言ったら、かなりウケていたが、どうしてウケるのかわからない辺り、まだスリラン化が抜け切れていない。
二人してやっとのことで到着した博物館。
入場料を早速支払うと15000ドンと言われた。
おかしいなぁ。
本には10000ドンって書いてあったのになぁ。
おまけに無料の日本語パンフレットがもらえるって書いてあったのに、パンフレットは5000ドンだと言われたし・・・。
まぁ料金改定があったのだろう、とさほど気にせず中へ。
入り口を入るととても大きな立派な建物が建っている
そこでチケットを見せてさらに建物の中へ。
会議室。
内閣会議室。
宴会室。
応接室。
立派である。
各部屋は豪華そのものである。
でもとても大事なことに気づいたのはOさんが地球の歩き方を再度確認した時だった。
「ねぇ、みずたにさん。ここって、旧大統領官邸じゃない?」
イエース。ソノヨウデース。
目的地の間違いを中に入るまで気がつかなかった二人。
しょうがないので、とりあえず面白くもなんともない旧大統領官邸を見て周ることに。
途中「大統領夫人の間」ってところの中国語の説明に、
「第一婦人的部屋」って書いてあり、感動。
「ファーストレディ」は中国では「第一婦人」となるらしい。
なんだかんだ言って全て見て回った後、本命の「戦争証跡博物館」へ。
数々の生々しい写真。
ホルマリン漬けにされた枯葉剤による奇形児。
拷問部屋など目を覆いたくなるような展示品に涙がこぼれた。
僕が一番涙をこぼした写真。
それはまだ10歳にも満たないであろう幼い兄弟が重なり合って道端に倒れている写真。
その写真を撮った同行記者のコメントの説明書きにはこう書いてあった。
「銃弾が発射された時に、兄は身を投げ出し、弟をかばって銃弾に倒れた。その後、アメリカ兵が二人に近づき、弟と共に二人とも射殺した。」
戦争はいかん。
どんな形でどんな理由であれ、人を殺してはいかんのだよ。
アメリカが起こしてきた残虐なベトナム戦争の反省もせず、今もなお続いているイラクの戦争のことを思うと心が痛んだ。
人類は成長しないのだな。
昔からやっていることは変わりないではないか。
そんなことを思いながら、全てを見終わった二人。
外のベンチに座り、
ど〜〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・・。
テンション下がりすぎ。
二人して無口。
そんなテンションをなんとかしようと、二人は街角の飲み屋に入った。
僕は今日の夜11:30の列車でダナンへ出発する予定なので、たった一日だったけど友とのお別れ。
二人して飲んだのだった。
Oさん「そういえば、ベトナムと言えばアオザイじゃないですか。でもアオザイ見ないでしょ?」
僕「そう言えばそうですね。」
Oさん「アオザイのベトナム美人を見たいのにね。」
僕「そうですよねぇ。」
Oさん「なんかね、今丁度夏休みで学校が休みだから、アオザイの女性はいないそうですよ。」
僕って、思えばスリランカでもペラヘラ祭りのメッカ、キャンディに2年も住んでいたにも関わらず、一度もペラヘラを見たことがない。
2003年8月13日にキャンディに赴任した時には12日にペラヘラ祭が終わった直後だった。
2004年7月14日から2週間、弟の結婚式で一時帰国していたこの2週間でペラヘラ祭は終わってしまった。
2005年7月13日、スリランカを出国、今頃ペラヘラ祭だろう・・。
そんなタイミングの悪い男だ。
だから夏休みでアオザイが見れないくらい大したタイミングの悪さじゃないわけだけども、
それにしても残念だ。
民族衣装なのだからアオザイ女性の1人や2人と写真くらい撮りたかった。
アオザイが 見れないベトナム 青二才
夜、ホテルに泊まっているもう1人の日本人男性と談笑しながら時間を潰し、いよいよ列車に乗り込む時が来た。
問題はこんな夜中にどうやって駅まで行くかということだ。
タクシーやシクロ、バイクタクシーは料金交渉がめんどくさいし、夜は危ないような気がする。
そこで、僕はホテルの前に住む普通のおじちゃんに話しかけた。
「駅まで送ってくれませんか?アルバイトだと思って。」
そう、バイクを持っている素人おじちゃんに送ってもらうことしたのだ。
おじちゃんにしてみれば正規の料金でもラッキーなアルバイト。
しかもこっちは家を知っているから悪さもできないだろうし。
この作戦であっさり駅まで親切に送ってくれた。
サイゴン駅に到着した僕は、改札に向かう。
少々早く着き過ぎたが、ホームで弁当などを買い、時間を潰す。
売店でお姉さんに「水のペットボトルいくら?」と聞くと、近くのおっちゃんが、
「15000ドン。」と。
えらく高いなぁと思いながら、隣の売店に行くと「5000ドン。」
気が抜けねぇなぁ。
そうこうしていると、列車が来たので乗り込む。
僕が予約した寝台は4人部屋の上段ベッド。
これから15時間の長旅が始まるわけだ。
となりのベッドにやってきたのは、これまた驚くほど渡部篤郎のそっくりさん。
思わず笑ってしまった。
しゃべり方までそっくりだし。
下段には小さい女の子を連れた若夫婦。
この夫婦はとても親切で、ベトナム語がわからないって言ってるにもかかわらず、しきりに話しかけてくる。
まぁ勿論ベッドは狭いし、上段なので逐一上り下りしなきゃいけないけど、どこでも寝れる僕にはさして苦にならない。
外の景色を見ながら行こうと思ったが、よく考えたら夜の11:30。
真っ暗で景色どころじゃない。
仕方がないので寝ますか。
お休み、篤郎。

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