ヴェトナム旅行記
7月13日〜21日 




平成17年7月13日(水)  VSタクシードライバー
ベトナムの南、ホーチミン空港に降り立ちました。
来たぞ、来てやったぞ!ベトナムめ!
 
お願いだからぼったくらないでね、よろちく。
 
さて、空港からタクシーでお目当てのホテルへ向かうんですが・・・。
まずは最初の難関。
 
空港からどうやってぼったくられずに、お目当てのホテルまで行くか。
 
ぼったくられ対策を練る僕。
 
1、「地球の歩き方」を片手にまずは空港内でホテルまでの位置を確認。
2、必ずメーターを回すように言う。
3、遠回りしないか地図を見ながら行く。
4、「一律10ドルでどうだ?」などの誘いに乗らない。
5、ドライバーが薦めるホテルには行かない。
6、メーターがきちんと作動しているか確認しながら行く。
 
よっしゃ、OK。ぼったくり対策は完璧。
タクシーに乗り込むや否や、「メーター!メーター!」と叫んだ僕。
 
メーター祭りかよ。
 
しばらく走ると、何やらドライバーが窓に貼られているシールを指差す。
英語がわかんないドライバーはしきりにそれをアピールする。
よく見ると・・
 
「ドライバーに1ドルの手数料を、料金とは別にお支払いください。」
 
????
 
めちゃくちゃちっさい字で書かれてるし、社名も入ってない。
片言の英語で
 
「うちの会社はそういうシステムだから。」
 
とドライバー。
そして、
「メーターで行くと10ドルくらいかかるから、ホテルまで6ドルでどうだ?手数料込みで。」
 
絶対嘘や〜ん。
 
本には街までメーターで4ドルって書いてあるし・・。
でも嘘だと分かっていても、英語の通じないドライバーとやり取りできない。
しばらく走って、他のタクシーを捕まえられないところまで来てそれを言う辺りも賢いですなぁ。
 
しきりに「NO!」と答えると、車を降りろと言うドライバー。
 
ふざけんなよ、こんな人気のないところで降ろされても困るぜ。
畜生・・・・新手の商法だなぁ。
「会社のシステムだから」の一点張りだし。
 
打開策が見当たらない。
 
そうこうしているうちに道を見失ってしまった。
これでは遠回りされて、ほんとに10ドルいってしまうかもしれない。
もとより、改造メーターでどれだけメーターを回されるかもわからんし・・。
 
とりあえず、まずは安全にホテルに到着することが先決。
訳の分からんところに連れてかれるよりはましだと思い、ぼったくられるのを覚悟で6ドルと交渉してホテルに向かわせる。
 
その間に打開策を考えよう。
 
ホテルに着くまで、ドライバーは金額交渉が成立したので安心して無駄話を始める。
しかもメーターのスイッチを切った!
 
そうか、なるほど。
6ドル全て自分のポケットに入れてしまう魂胆だな。
 
 
それから15分ほどして通りに止まった。
そこが目当てのホテルの前だということを確認して、僕はタクシーを降りる。
 
そこで僕が移動中練った打開策を実行に移すことにする。
 
ドライバーの顔、車のナンバー、窓のシールをデジカメに収める。
 
そして一言、
 
「警察に行って、ほんとかどうか確かめるから6ドルの領収書頂戴。」
 
これにはドライバーも顔色を変え、「領収書はないから、4ドルでいい。」って。
 
 
こちとらただの日本人じゃねーんだ。
スリランカ産なんだよ、ナメんな。
 
 
 
そういうわけで無事にホテルに到着。
ホテルに着いた僕は、しばらく休んだ後、街を散策することに。
 
ああ、それにしてもホーチミン、中々いいじゃないですか。
お土産やさんも軒を連ね、一般市民はやさしい。
特にベトナムのおばちゃんは素敵だ。
人懐っこくて、ぼったくらない。
 
途中飲み物を買ったときに10000ドンと100000ドンを間違えて払ったら、おばちゃん真剣に怒ってたもんな。
 
「あんた、こんなの間違えて出しちゃダメだよ!これは10000ドン、ほら、0が4つあるだろ!こっちは5つ、数えてみなさい!」
 
「いいかい?!買い物した時は、おつりもちゃんと見るんだよ!」
 
もうね、「おばちゃんのお節介」ってのがいかに人情溢れる、温かい文化なのかということが身に染みた。
世の中のおばちゃん方。
自信を持ってお節介を焼いていただきたい。
 
 
それにしても暑い。
スリランカよりも暑いのではないか・・・。
 
たった1時間足らずでバテバテになってしまい、ホテルのクーラーで涼もうと帰ってきた。
 
 
停電。
 
 
しかも僕のホテルのある一角だけ。
僕には停電の神がついているのだろうか。
折りしもスリランカを出国してまだ1日目である。
こうも停電に縁があるなら、停電とお見合いでもしたら良縁がみつかりそうである。
 
しかも2ドル余分に払って、わざわざクーラー付きの部屋にしてもらったのに、これじゃあ意味がないじゃないか。
テレビだってただの箱ですぜ。
ファンだってただのアンティークですぜ。
 
フロントのお姉ちゃんに言ったら、
「アンラッキー。」と一言言われた。
 
 
そう言われて、ふと我に返り、
「そうだ、俺はアンラッキーが売りの芸人だった。」と拳を握り締めたのだった。
 
 
どんな自信だよ・・・・。
 
 
 
そうだ、そう言えば、JICAベトナムオフィスに到着の連絡を入れなければいけなかった。
早速電話する。
 
「お世話になります。スリランカから帰路途中にベトナムに寄らせていただいてます、15−1のみずたにです。今日ベトナムに到着しました。」
 
「ああ、ご苦労様です。せっかくなので、のんびりしていってください。」
 
「はい。ありがとうございます。ところで、列車でハノイまで行こうと考えているんですが、8日間で縦断可能ですかね?」
 
「さぁ、どうでしょう。」
 
 
どうでしょうって・・・・。
 
 
そんなに列車の旅は難しいのかなぁ。
確かに時間通りに来ないとは書いてあるけど・・・。
 
早速夜、電気も回復したところでもう一度「地球の歩き方」を参照。
スリランカ出国直前まではバタバタしていて、とてもベトナム旅行のプランを練る暇もなかったので、自分がこれからやろうとしている「ベトナム縦断計画」を再度確認。
 
明日は夜11:30の夜行列車で北へ向かう予定。
 
歩き方を読んでいると、
 
「長距離列車の座席・寝台を利用する時は、事前に予約をする必要がある。・・・・ピーク時は、1週間待ちと言われることもある。」
 
 
予約?
 
 
いるの?
 
 
いかん、早速明日の朝予約をしに行かなければ・・・。
 
到着そうそうよぎる縦断の旅への不安・・・。
 

平成17年7月14日(木)  おっちゃんが言ったんだ「そこが博物館だよ。」って
深夜、窓から見知らぬ中国人が3人侵入。
1人は丸刈りで明らかにアッチ系の人。
うつらうつらしながら、恐怖に怯え、身動きできない。
金品強奪か、はたまた命まで取られるのか。
声を出したいが恐怖で出ない。
思い切り叫ぶようになんとか奇声をあげた。
 
「ジョーーールソンーー!!」
 
 
と、ここで夢が覚めた。
 
ああ、僕はベトナムにいるんだ。
ベトナムにいるのに、そばにいるのはジョールソンなのか・・・。
今頃あいつはどうしているだろう・・・。
空港まで見送りに来て、僕の顔を見るなり号泣したジョールソン。
元気でやっているだろうか。
 
こうしてベトナムでの初めての朝はまだスリラン化が抜けきっていないまま幕を開けた。
 
昨日、列車のチケットは予約が必要だと知り、早朝そうそう予約をどう取るのかフロントのお姉ちゃんに聞きに行く。
 
するとフロントで朝食を食べていた日本人男性Oさんと遭遇。
話を聞くと仙台から1人旅をしているお坊さんだった。
年は僕より3つくらい下。
ハノイから飛行機でホーチミンに来たそうだ。
 
それはさておき、フロントのお姉ちゃんに駅に電話してもらい、チケットはまだあるかというのを確認してもらう。
駅まで実際に自分が行って、チケットが売り切れならその往復交通費だけでも損をしてしまうからなのだ。
 
チケットの余りがあることを確認してから、ホテルの前のツアーオフィスに出かけてみた。
ここでチケットの予約ができるかもしれないという憶測だ。
 
案の定チケットは予約できた。
手数料で5ドル取られたので、結局交通費より高くついたのだが・・・。
 
買ったチケットは
 
サイゴン(ホーチミン)ダナン(ベトナムの丁度中間あたり)
ダナンハノイ
 
の2つ。
 
ただし、ダナン→ハノイのチケットはダナンでしか受け取れないとのことなので、領収書だけもらい、ダナンのツアーオフィスの住所を教えてもらう。
 
金額は62ドル。
 
そんなわけでうきうきでホテルに戻ると、Oさんが今日どこか一緒に回りましょうと誘ってくれた。
 
どこに行こうか検討した結果、Oさんも僕もさして特別見たいところはなかったのだが、唯一、ベトナム戦争当時の写真や軍事機器が展示してある「戦争証跡博物館」だけは興味をそそったので、そこへ行くことに決定。
どちらにしても1人で行こうと思っていたので、二人仲良く町をトボトボ歩く。
 
歩きながら、スリランカから来たことなどを話す。
「ベトナムはスリランカに比べたら食べ物も街も人も天国だ。」
と言ったら、かなりウケていたが、どうしてウケるのかわからない辺り、まだスリラン化が抜け切れていない。
 
二人してやっとのことで到着した博物館。
入場料を早速支払うと15000ドンと言われた。
おかしいなぁ。
本には10000ドンって書いてあったのになぁ。
おまけに無料の日本語パンフレットがもらえるって書いてあったのに、パンフレットは5000ドンだと言われたし・・・。
 
まぁ料金改定があったのだろう、とさほど気にせず中へ。
 
入り口を入るととても大きな立派な建物が建っている
そこでチケットを見せてさらに建物の中へ。
 
会議室。
内閣会議室。
宴会室。
応接室。
 
立派である。
各部屋は豪華そのものである。
 
でもとても大事なことに気づいたのはOさんが地球の歩き方を再度確認した時だった。
 
 
 
「ねぇ、みずたにさん。ここって、旧大統領官邸じゃない?」
 
 
イエース。ソノヨウデース。
 
目的地の間違いを中に入るまで気がつかなかった二人。
しょうがないので、とりあえず面白くもなんともない旧大統領官邸を見て周ることに。
 
途中「大統領夫人の間」ってところの中国語の説明に、
「第一婦人的部屋」って書いてあり、感動。
 
「ファーストレディ」は中国では「第一婦人」となるらしい。
 
なんだかんだ言って全て見て回った後、本命の「戦争証跡博物館」へ。
 
数々の生々しい写真。
ホルマリン漬けにされた枯葉剤による奇形児。
拷問部屋など目を覆いたくなるような展示品に涙がこぼれた。
 
僕が一番涙をこぼした写真。
 
それはまだ10歳にも満たないであろう幼い兄弟が重なり合って道端に倒れている写真。
その写真を撮った同行記者のコメントの説明書きにはこう書いてあった。
 
「銃弾が発射された時に、兄は身を投げ出し、弟をかばって銃弾に倒れた。その後、アメリカ兵が二人に近づき、弟と共に二人とも射殺した。」
 
戦争はいかん。
どんな形でどんな理由であれ、人を殺してはいかんのだよ。
アメリカが起こしてきた残虐なベトナム戦争の反省もせず、今もなお続いているイラクの戦争のことを思うと心が痛んだ。
 
人類は成長しないのだな。
昔からやっていることは変わりないではないか。
 
そんなことを思いながら、全てを見終わった二人。
外のベンチに座り、
 
 
ど〜〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・・。
 
 
テンション下がりすぎ。
二人して無口。
 
そんなテンションをなんとかしようと、二人は街角の飲み屋に入った。
僕は今日の夜11:30の列車でダナンへ出発する予定なので、たった一日だったけど友とのお別れ。
二人して飲んだのだった。
 
Oさん「そういえば、ベトナムと言えばアオザイじゃないですか。でもアオザイ見ないでしょ?」
 
「そう言えばそうですね。」
 
Oさん「アオザイのベトナム美人を見たいのにね。」
 
「そうですよねぇ。」
 
Oさん「なんかね、今丁度夏休みで学校が休みだから、アオザイの女性はいないそうですよ。」
 
 
僕って、思えばスリランカでもペラヘラ祭りのメッカ、キャンディに2年も住んでいたにも関わらず、一度もペラヘラを見たことがない。
 
2003年8月13日にキャンディに赴任した時には12日にペラヘラ祭が終わった直後だった。
 
2004年7月14日から2週間、弟の結婚式で一時帰国していたこの2週間でペラヘラ祭は終わってしまった。
 
2005年7月13日、スリランカを出国、今頃ペラヘラ祭だろう・・。
 
そんなタイミングの悪い男だ。
だから夏休みでアオザイが見れないくらい大したタイミングの悪さじゃないわけだけども、
それにしても残念だ。
 
民族衣装なのだからアオザイ女性の1人や2人と写真くらい撮りたかった。
 
 
アオザイが 見れないベトナム 青二才
 
 
夜、ホテルに泊まっているもう1人の日本人男性と談笑しながら時間を潰し、いよいよ列車に乗り込む時が来た。
問題はこんな夜中にどうやって駅まで行くかということだ。
 
タクシーやシクロ、バイクタクシーは料金交渉がめんどくさいし、夜は危ないような気がする。
 
そこで、僕はホテルの前に住む普通のおじちゃんに話しかけた。
 
「駅まで送ってくれませんか?アルバイトだと思って。」
 
そう、バイクを持っている素人おじちゃんに送ってもらうことしたのだ。
おじちゃんにしてみれば正規の料金でもラッキーなアルバイト。
しかもこっちは家を知っているから悪さもできないだろうし。
 
この作戦であっさり駅まで親切に送ってくれた。
 
 
サイゴン駅に到着した僕は、改札に向かう。
少々早く着き過ぎたが、ホームで弁当などを買い、時間を潰す。
売店でお姉さんに「水のペットボトルいくら?」と聞くと、近くのおっちゃんが、
「15000ドン。」と。
えらく高いなぁと思いながら、隣の売店に行くと「5000ドン。」
 
気が抜けねぇなぁ。
 
そうこうしていると、列車が来たので乗り込む。
僕が予約した寝台は4人部屋の上段ベッド。
これから15時間の長旅が始まるわけだ。
 
となりのベッドにやってきたのは、これまた驚くほど渡部篤郎のそっくりさん。
思わず笑ってしまった。
しゃべり方までそっくりだし。
 
下段には小さい女の子を連れた若夫婦。
この夫婦はとても親切で、ベトナム語がわからないって言ってるにもかかわらず、しきりに話しかけてくる。
 
まぁ勿論ベッドは狭いし、上段なので逐一上り下りしなきゃいけないけど、どこでも寝れる僕にはさして苦にならない。
 
外の景色を見ながら行こうと思ったが、よく考えたら夜の11:30。
真っ暗で景色どころじゃない。
 
仕方がないので寝ますか。
 
お休み、篤郎。
 

平成17年7月15日(金)  ダナン?何もないところだよ。
目覚めたらダナンに到着していてびっくりした。
やはりこの暑さのベトナム、スリランカで暑さには慣れていると思っていたが、どうやら予想以上に身体は疲れていたらしい。
ほぼ15時間眠りっぱなしだった。
 
おかげでほとんど景色が見れなかった。
「世界の車窓から」ばりの景色を期待しながら、優雅にのんびりと列車の旅をする予定が、優雅にのんびり寝過ごしてしまった。
 
ちなみに何故か下段の家族の子供が僕のベッドに潜りこんで寝ていた。
なんて忍び込みの上手な子だ。
くノ一として育てたら、立派な刺客になれると思う。
かわいかったので、ぎゅってしたらよだれがTシャツにべっとりついた、油断させておいての攻撃も見事である。
 
ダナン駅に降り立った僕は、まずはダナンからハノイまでのチケットを受け取る為に、ツアーオフィスを探した。
 
徒歩で30分くらいのところを道に迷って1時間半。
重いバックパックを背負ってこの炎天下の中死ぬかと思った。
 
住所が167番地になっていたので、そこに入ったらどうやらそこはホテル。
ホテルの従業員も確かにここは167番地だし、住所は合ってるがチケット等に関しては心当たりがないと言う。
 
ここで僕は気づいた。
 
騙された。
 
ホーチミンで支払いを済ませて、チケットはダナンで受け取れなどと言うのは嘘で、料金だけ受け取って、後は知らない住所を適当に教えただけ。
畜生。。。。
 
ホテルの従業員「隣のツアーオフィスで聞いてみな。」
 
隣ツアーオフィスなの??
 
行ってみるとそこが例のツアーオフィスだった。
 
住所を167番地168番地を間違えるなんて、なんて微妙な間違いなんだ・・・・。
 
何はともあれチケットを手にしていざお目当てのホテルへ。
 
安いゲストハウスのないダナンだったので、僕がベトナムで泊まったホテルでは一番良かったかもしれない。
 
まぁそれでもシャワーが壊れていて到着早々従業員が直しに来たのだけれど。
バスタブがあったので、久しぶりにゆっくり湯船に浸かれると思ったのに、出てくる水は黄色だし・・・。
 
なんか天然バスクリンみたいになってた。
 
浸かる気もうせて、仕方がないのでシャワーに。
湯船は日本に取っておこう。
 
 
シャワーを浴びていざダナンの街へ繰り出す。
ホーチミンからずっと思っていたのだが、一日僕はかなりの距離を歩くので、靴ではなくてサンダルが欲しかった。
安いサンダルを求めてダナンの街をさまよっていると、1人のベトナム女性が話しかけてきた。
 
「ニッポンジンデスカ?」
 
「あ、はい。そうです。」
 
「ナニガ ホシイデスカ?」
 
「ああ、サンダルを探しているんですけどね。どれも高いのばっかりで・・・。1週間くらいだけ使えればいいのでなるべく安いのがいいんですけど。」
 
「ソレナラ、イチバニ イッタホウガイイデスネ。」
 
「ああ、市場。」
 
「ハイ。デモ、モウオワリデスネ。」
 
終わりかよ。
 
「ワタシ、バイク モッテマスカラ、イッショニ サガスコトデキマスネ。ワタシ リョコウガイシャニ ツトメテマスカラ、シンパイナイデスネ。」
 
なんて親切な子なんだ。
こんな見知らぬ外国人と一緒に街を回るなんて、どちらかというと君のほうがシンパイしなきゃいかんと思うんだけど・・・。
 
そういうわけで、親切に甘えて安いサンダルを探しに行く。
女の子の名前はリーさんと言った。
見事、サンダルをゲットして、おまけにサングラスまで買ってしまった。
 
サングラスは値切りすぎておばちゃんを怒らせてしまった。
 
リーさん「アナタ ベトナムジンヨリ ヤスクカッタ(笑)。」
 
うん。相当おばちゃん怒ってたもんね(笑)。
 
そんなリーさんの親切心に心打たれ、スリランカから持ってきたお土産をお礼としてあげた。
日本に帰ったらメールするよ、と約束してお別れした。
そんなダナンでの素敵な出会い。
 
 
さて、夜は1人で飲み屋を探す。
ベトナムのローカル飲み屋は店先に椅子を並べて通りを眺めながら飲む。
そんなローカルチックが大好きな僕も地元ベトナムのおじちゃんたちと混じってベトナムビールを注文する。
 
 
のんびりベトナムの夜に酔いながら、というかベトナムビールを次々注いでくるおっちゃん達のせいでビールに酔いながら、ベトナム語でかかれたわけのわからない料理を注文し、訳の分からない料理を食べていると、突然後で口論が始まった。
 
まぁ飲み屋では時々見かける風景だが、
どうやら客と店側が値段のことでもめているようだった。
 
僕の真後ろで奇声とも取れる大声を張り上げて中々騒ぎは収まらない。
気にせず飲んでいたのだが、
 
 
ガシャーーーーン!!
 
 
食器の割れる音で後を振り返った。
相当エキサイトしているらしい。
 
一体どんな乱暴者が店内で暴れているのか。
顔をよくよく見ると・・・。
 
 
 
篤郎!篤郎ではないか!寝台列車でダナンまで一緒だった篤郎ではないか!
 
 
えらく酔っ払って興奮している。
ここは知り合いのフリをして僕が止めに入るべきなのか迷ったが、いかんせん僕も飲みすぎて立ち上がるのもままならない。
 
それからしばらくして篤朗は折れたらしく、料金を机に叩きつけて帰っていった。
 
僕もしばらくして帰ることにした。
そういうわけで今夜もおやすみ、篤郎。
 

平成17年7月16日(土)  その言葉、誰も予想だにしなかった
そもそも当初の予定ではニャチャンというダナンよりも手前で一泊し、スリランカではあまり満喫できなかったビーチでのんびり過ごす予定だったのにもかかわらず、列車の運行が心配だったために、予定を繰り上げすぎて、あっという間にダナンまで来てしまい、そして本日ハノイへ向けて出発することになった。
 
午前中は最後のダナンを満喫するために、街をうろうろ。
大体、この街をうろうろするというのは僕の本来のスタイルではない。
 
日本でもそうだったが、目的がないのにうろうろするのはあまり好きではないのだ。
買い物でも色々見てから最終的に選ぶというのがあまり得意ではなく、どちらかというと目的地と商品を定めて迅速かつ円滑にスケジュールを進めていくタイプである。
 
そんな僕が今や行き当たりばったりで旅行をしているなんて随分自分も変わったものだ。
 
これは明らかにスリランカでの生活や仕事がほとんどスケジュール通りに行かないことに慣れてしまい、「物事は流れに任す、焦らず、腹を立てない」というのが染み付いてしまっている証拠である。
 
昔のようなガツガツ感がなくなったのはたぶん歳のせいだと思うが・・・。
 
そんなわけで特別スケジュールを組んだわけではないが、うろうろしているうちに、市場へ行ってみようと思った。
 
その時シクロのドライバーが声を掛けてきた。
 
シクロとはベトナムにある「自転車タクシー」のことで、自転車の前の部分に座席をつけたユニークな乗り物である。
 
もしも事故った時は客が先に対向車に突っ込むという大変デンジャラスな乗り物で、ぼったくりや金額トラブルの多い乗り物でもある。
 
でもベトナムに来たからには一度は乗ってみたい。
 
そんなわけで、市場までシクロで行くことにした。
 
交通量の多いホーチミンとは違って裏道を走るシクロは中々快適であった。
後でドライバーが何やら話しかけてくるが、何を言っているのかわからないので無視。
 
値段交渉をして市場に着いた後、お金を払うと、
 
「お前が帰ってくるまでずっと待ってるから。」
 
とドラマばりのことを言われたのだが、
 
「帰りは歩いて帰るから待ってなくていいよ。」と断る。
 
市場で買いたくもないベトナムのスルメを買ってしまい、後悔しながら市場を出るとなんと先ほどのシクロがハチ公ばりに待っているではないか。
 
「待ってなくていいって言ったじゃん。」
 
「お前を待ってたんだ。」
 
なんか通じてなかったのかなぁ・・・。
 
「歩いて帰るからさ。」
 
「話が違うだろ!待ってたんだぞ!」
 
「いやいや。歩いて帰るから!」
 
「乗っていけよ!」
 
「乗らないよ!」
 
「じゃあ誰が乗るんだ!」
 
「お前自分で乗っとけよ!」
 
「じゃあ誰が運転するんだ!」
 
「じゃあ俺が運転してやるよ!」
 
 
そういうわけでホテルまで何故か僕が運転した・・・。
 
なんか違うベトナムの夏。
 
 
午後の2時になって、列車に乗り込む時間になった。
14:54の僕の列車は時間通りに来た。
 
さっそく乗り込むとすでに僕のベッドには誰か寝ている。
 
あれ?おかしいなぁ。ダブルブッキングかなぁ。
 
「すいません。ここ僕のベッドだと思うんですけど・・。」
 
「あぁ?!チケット見せてみろよ。」
 
「あ、はい。これです。」
 
「ちがうよ。お前の列車はこの次の列車だよ。」
 
え?
 
発車しそうな列車を勢いよく飛び降り、駅員に聞くと
 
「あと、30分くらい待ってて。」
 
やっぱ遅れてるのか・・。
 
自分の列車は結局1時間遅れでホームにやってきた。
そうして列車に乗り込むと、すでに僕以外のベッドは埋まっていて、部屋の人に挨拶を済ます。
どうやらここは6人部屋でホーチミンからダナンまでの時の4人部屋よりちと狭い。
 
僕らはまるで囚人のように狭いところに6人押し込められ、自由にベッドの上で座ることもできない。
 
ふと真横のおじさんを見て僕は驚愕した。
 
この狭いベッドに所狭しと、足を放り投げているいかついおっちゃんがいる。
 
しかも安岡力也ばりのそのおっちゃんの左腕には「169」という刺青のような番号が書いてあった。
 
元囚人???
 
指にはギラギラの金の指輪。
首には金のぶっといネックレスで、口ひげにパンチパーマのそのおっちゃんは明らかに前科者の雰囲気を漂わせている。
 
 
このおっちゃんの隣で寝るのか?!
 
 
僕が恐怖におののいていると、その安岡力也が言った。
 
「おう!」
 
「はいっ・・!(汗)」
 
「タオル落ちたぜ。」
 
「ああ、はい。ありがとうございます。」
 
 
もうびくびくである。
しかも力也は僕に話しかけるたびに第一声が「おう!」なので何事かと思うのである。
 
結局、ダナンからハノイまでの列車もいつ小力也に文句を言われるか分からないため、ずっと寝たふりをしていたので、景色はひとつも見れなかった。
 
途中、この寝台列車は弁当が配られるのだが、それもまるで囚人への食事の時間だと言わんばかりに配給される。
それを受け取ると乗客はもそもそと食べ始めるのだ。
小力也も横でもそもそと食べている。
 
僕が水を取ってあげると、小力也はこう言った。
 
 
「チャンキュ。」
 
 
たぶん「サンキュー」のつもりで言ったのだと思うが、よりによって「チャンキュ」である。
このいかついおっちゃんが、「チャンキュ」と言ったのだ。
 
 
もう笑いを抑えるのに必死だった。
 
 
早くこのチャンキュ地獄から脱出したかったのだが、列車じゃあ逃げ場がない。
それこそ僕が脱獄犯になってしまうではないか。
 
 
そんなわけで囚人列車は無事にハノイに到着。
僕は列車を飛び降りると、思い切り笑った。
周りの人たちは不可思議に僕を見ていたが、あんたらにこのチャンキュ地獄が理解できてたまるか。
 
 
早朝のハノイはこうして始まった。
 
チャンキュ。
 

平成17年7月17日(日)  ご利用は計画的に
早朝のハノイは慌ただしかった。
昨日隣の小力也に怯えながらも、うとうととしたら夢で新宿のオフ会に参加している夢を見た。
 
当然だが、オフ会の参加者の皆は僕のことをHP上で何となく知っているだろう。
知っていなくとも、文章からなんとなくイメージが出来上がっていたり、どれだけ短くても送ってくださるメールには最低でも一度は返事を書いているつもりであるから、読者からしてみると僕の人物像は想像しやすいかもしれない。
 
ところが、僕にしてみたらはっきり言って皆の素性を知らない。
だからメールの端々まで目を通し、名前と少ないデータを頭に叩き込まなくてはオフ会で会った時に一致しないのである。
 
例えば○○さんは現在大学4年生で大学院試験の勉強をがんばっている、だとか、
○○さんは数回スリランカに行ったことがある、とか。
下手するととんでもなく長いメールを送ってくれたのに、結局データは「私人見知りです。」くらいしかなかったり。
 
だからその人のイメージは100%そのメールでの内容だけしかないのである。
だから夢に出てくる参加者の人たちも僕の夢に登場する時はそりゃあもう勝手なキャラとして登場させてしまった。
 
 
少し話がそれたが、とにかくそんな夢を見ながらハノイに到着した。
 
ハノイの駅に到着すると、そこはホーチミンとは比べ物にならないくらいとんでもないタクシーの量だった。
 
群がるタクシーの手を振り解き、まずは行き先を地図で調べるために道端の石に腰掛けた。
列車から降りた乗客は次々とタクシーに乗り込んでいく。
 
タクシーなんて腐るほどあるんだから焦る必要はない、と思いゆっくり地図を見ていざタクシーに乗ろうとすると、
 
 
 
タクシーが一台もいない・・・。
 
 
あんなに居たタクシーが乗客の全てを捕まえて一斉に出払ってしまった。
1人ハノイ駅にぽつーんと立ち尽くす僕。
それはもう人気が落ち目のアイドルに等しいくらいの落ちぶれっぷりであった。
もっと構ってよ、という気分である。
 
 
結局待てど暮らせどタクシーが来ない。
タクシーはどうやら列車の到着時刻をよく知っていてその時間帯にだけ駅に集結してくるのだろうか・・・。
 
仕方がないのでさっきからしつこく僕の後ろを追いかけてくるバイクタクシーに乗ることにした。
しかもこのドライバー、かなり歳がいってる感じで運転大丈夫なのかという感じである。
客もドライバーを選んでいるのか若いドライバーはあまり残っていない。
 
しょうがないので僕はそのおじいちゃんドライバーに乗ることにした。
運転はどうかわからないが、変なところに連れ込まれて凶器で脅されて金を出せと言われても、このドライバーなら勝てそうな気がしたからだ。
 
ところが、そんな不安はどこへやら、運転は中々だったし、道もよく知っていてとても親切なおじいちゃんだった。
いや、おじいちゃんは失礼なのであえておじちゃんにしておく。
 
そんなわけでホテルに到着すると、早速値段交渉。
クーラー、朝食付きで一泊16ドル+10%TAXのところを4泊するのだからと言い聞かせ、全部込みで60ドルで交渉成立。
 
近くには1時間2500ドン(約18円)のネットカフェもあるし。
 
 
部屋で休憩がてらテレビを観ていて思ったのだが、ベトナムのテレビは吹き替えが1人全役なのである。
例えば、一つのドラマに登場人物が5人居たとしてもその5人の声優を1人でやっているのである。
 
要するにサザエさんに例えるなら、サザエさんもタラちゃんもカツオもワカメも中島も全て1人でベトナム語に訳しているのである。
いや、ベトナムでサザエさんは見かけなかったが、洋画などの吹き替えも全て1人でやっているのである。
 
 
もう臨場感も何もありゃしない。
 
 
しかも感情を込めてその役柄を一人一人演じていればまだ可愛げがあるのだが、様相はまさに通訳。
 
分かりやすく例えるなら、ベトナム語のわからない僕にベトナム人の友達がテレビの横で全てセリフを日本語に変えて説明してくれるようなものである。
 
そんなベトナムTV事情。
人が足りてないのだろうか・・・。
 
部屋に荷物を置くと、早々にシャワーを浴びて街の散策に出かける。
しかしハノイはまた格別暑い。
 
部屋にはホットシャワーもついているのだが、結局ハノイでは一度もホットシャワーを使わなかった。
 
 
さて、あまりに予定以上に早くハノイに着いてしまったので、これから4日間はどうしようと考えた。
オフ会での皆へのお土産はタイをメインにしようと思っていたのだが、ベトナムの方が安いのでベトナムで多少買い込んで行くことにした。
 
予定金額もベトナムで300ドルと見積もったにも関わらず、このままでは200ドルも使い切らずにタイ入りしてしまいそうである。
そういうわけで、手当たり次第にお土産を買いあさってみた。
 
 
まさかお土産だけで100ドルになるとは思わなかった。
 
 
どんなけ買ったんだという話である。
しかも、お土産を買いすぎたためにバックパックに入らなくなってしまい、
急遽もう一つリュックサックなるものを現地で購入。
それでも入りきらず、結局
 
 
 
自分の服を半分捨てました。
 
 
捨てたというか、掃除のおばちゃんにあげました。
そりゃあもう喜ぶおばちゃん。
 
「これ、わたしに全部くれるの?」
 
「ええ。入りきらないんで。」
 
「全部日本製かい?」
 
「う、うん・・・。」
 
 
ごめん、おばちゃん。ほんとはスリランカ製なんだ。
 
 
喜ぶおばちゃんを尻目にふと気づいたが自分へのお土産を一つも買っていない。
結局自分用にベトナムで買ったのはサッカーベトナム代表のユニフォームだけ。
ごめん、ベタで。
 
 
しかもさっき手放したばかりなのに、また衣類買ってるし。。。
 
 
しょうがない着て帰るか・・・。
そういうわけで観光客丸出しのベトナムユニフォームを着ながら近所の飲み屋でメインストリートを眺めながら、蒸し暑いハノイの夜を過ごしたのでした。
 

平成17年7月18日(月)  じゃあ、俺3番。
今日もハノイは暇だった。
 
いや、実は暇でもいいのだ。
ハノイは町を歩いて見るだけでもそれなりに色々あって楽しかった。
街には活気があるし、色々な商店街を見て歩くのは楽しかった。
 
今日も自転車に轢かれそうになりながら、昨日の続きのお土産を買いに出かけた。
何だかんだお土産を渡したい人は結構いるのだ。
 
もしかしたら、スリランカから別便で送ったスリランカ土産よりもベトナム土産の方が多いような気がするが、あくまで気がするだけだと自分に言い聞かせ、今日もお土産やさんを裸の大将ばりに訪問する。
実際ほんとに裸になりたいくらい暑かったのだが、数少ないTシャツを着こなしいざ出陣。
 
そういえば、スリランカに赴任した当初は必ずと言っていいほど「日本人か?」と聞かれたのに、1年くらいを過ぎたあたりからまず「日本人」とは言われなくなった。
 
必ず最初に言われるのは「韓国人?」である。
 
ここベトナムでもそれは例外ではなく、会う人会う人に「韓国人か?」と言われる。
 
多分日本に居た時よりはいい加減になっていた髪型や服装のせいだと思われるが、こうもあっさり日本人から韓国人になれるものだろうか。
ちなみに自分ではどこが日本人と違うのか気づいていないから重症だ。
 
もう最後の方はめんどくさいので、「そうだよ。韓国人だよ。」と言っていたし、相手が下手に片言の韓国語とか知っていた日にゃ、
 
「ドア、シメハセヨー。」
 
とか勝手にそれらしい韓国語を口走って危機を回避していた。
 
今日も何度「韓国人か?」と聞かれたが分からないが、「ソウデスヨー。」と適当にかわして買い物をする。
結局今日も自分へのお土産は買えず、ベトナムでは諦めてタイで買うことにした。
明日はハロン湾ツアーに参加するのでお土産を買う時間はベトナムではもはや皆無だ。
 
そんなわけで日本人的カンを取り戻す為に、今日はちょっと外国人が集まりそうなお洒落なバーにでも行ってベトナムビールでも飲もうと、外国人が集まりそうなお店を探した。
 
やっと入ったそのお洒落なバーにはサッカーボードゲームが置いてあり、何やらベトナム人と白人カップルがそれに夢中になっている。
 
サッカーゲームがあったらコーチの僕としては黙っちゃ居ない。
 
早速タイガービールを飲みながら、白人カップルに紛れてキャッキャとゲームに夢中になる。
すると小脇から12,3歳のベトナム少年が現れた。
どうやら俺と勝負しろと言っているっぽい。
 
生意気な坊主だ。俺を誰だとおもt・・
 
 
5−0で負けた。
早かった。
 
 
きゃつは点数を僕から奪うたびに「あ゛――っ!」と卓球の愛ちゃんもびっくりな声を出しやがる。
 
 
あの声はどんな競技でも通用するんかな・・・。
 
結局外国人たちと戯れ、大和魂を思い出そうとしたはずが、ベトナム少年と白熱してしまったため、結局白人カップルとはゆっくり話せず終いだった。
 
帰り際にベトナム少年が言いました。
 
「兄ちゃん、日本人?」
 
「おお!お前分かるか、兄ちゃんが日本人だってことが。」
 
「うん。ナカタ1番!オノ2番!」
 
意味はわからんけど、兄ちゃんはうれしいぞ。
 

平成17年7月19日(火)  出会いは旅の醍醐味
早朝、ホテルにツアーのガイドが呼びに来た。
今日はベトナムきっての観光名所、日帰りハロン湾クルーズに出かけるのである。
クルーズというのは元々クールビズの略である、はずがない。
 
最近覚えた日本語がこれくらいしかないのだ。
知ったかぶりをしても見逃して欲しい。
 
そんなわけで、ホテルを出るとすでに今日ツアーに参加する予定の観光客さんたちがいた。
その中でもちょい白髪まじりのロサンゼルス出身のアメリカ人男性に話しかけてみた。
ツアーに出かけて友達もいないようじゃ、それはもうツアーではない。
1人ハロン湾を眺める僕の横で白人カップルがきゃっきゃ騒いでいたら、海に蹴り落としかねないので、今のうちに友達を探しておこう作戦だ。
 
その白人男性は、僕がスリランカでサッカーを教えていたというと、中々興味津々に色々と質問をしてくれた。
 
「スリランカは暑い国なのか?」
 
「暑いねぇ。ベトナムほどじゃないけど。」
 
「主食はなんだ?」
 
「毎日カレーだよ。」
 
「そうか!どんなカレーなんだ?」
 
と話が盛り上がってきた時、板尾似のガイドが言った。
 
「1泊2日のツアーの方はバスが別になります。日帰りの方はこのバスに乗ってください。」
 
 
せっかく仲良くなった男性は1泊2日ツアー参加者であったために、出会って15分でお別れとなった。
一期一会にも程がある・・・。
 
 
そんなわけで1人寂しくバスに乗り込む。
 
それにしてもバスの後部座席でドイツ人の(たぶん)女性グループが騒いでいる。
3人組なのだが、非常にうるさい。
ガイドの説明も聞かず、でかい声で騒いでいるではないか。
 
おかげでガイドの説明が何にも聞こえんじゃないか!
まぁ聞こえてもベトナム語なので何を言っているかはわからんが・・・。
 
バスに揺られること2時間程、いよいよ一向はハロン湾に到着した。
ハロン湾で船に乗り込む前にどうやらここで昼食を摂るようだ。
僕と一緒にテーブルに座ったのはイギリス人夫婦2人と韓国人男性2人、中国人男性2人。
 
食事が運ばれてくると、真っ先に自分達の器にご飯やおかずを盛り付け始める韓国中国人。
こらこら、イギリスレディがいるのにそれはないだろ。
 
僕が彼女の器を取り、ご飯を盛り付けると、イギリスレディがサンキューと言ってくれた。
その後、イギリス男性、そして自分。
 
それを見て中国人も気づいたのか、次々と運ばれてくるおかずはまずイギリス人女性から盛り付け始める。
 
 
イギリス人女性の皿が山盛り。
 
誰がそんなに盛れと言うた?!
 
そしていよいよハロン湾クルーズにおでかけ。
 
雄大な海に浮かび上がる断崖の山々。
素敵だー。来てよかった。
 
その強い日差しにも負けず、突起した山々を見ていると、先ほどとは違う韓国人4人組(カップル2組)が話しかけてきた。
 
「ニホンジンデスカ?」
 
「はい。」
 
「コニチワ。」
 
「こんにちは。」
 
4人は韓国の釜山大学の学生で、夏休みを利用してベトナムに遊びに来ていた。
若い男女が4人で旅行ですか。
うらやましい。
 
そして懐かしい。
 
色々とこの韓国の学生達と話していたが、僕が竹島問題のことを口にすると、寂しそうなそして申し訳なさそうな顔をしていた。
 
国の間では色々と揉めているが、実際はそんなことで揉めたくないと言っていた。
僕らは日本が好きだし、日本人に対してやはり憧れがある、と。
 
景色を見るのも忘れて、すっかり意気投合した僕らは、ハノイに帰ってからも一緒に食事をする約束をした。
 
夜8時、ハノイに到着した僕らは約束どおりレストランに向かった。
そこでスリランカの津波の話をし、Eメールを交換し、お開きとなった。
 
ベトナム最後の日に友達が4人もできたので上機嫌でホテルに戻りました。
 
 
追伸:9月上旬に若干スリラン化からお知らせが2つございます。
また9月にお会いしましょう。
 



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