老犬は良いものだ。
長い間家族として過ごしているうちに、その家の家風というか生活習慣というかそういうものに染まってしまって、知らないうちにジグソーパズルの一つのピースのようにぴったりはまっている。うちは自営業というか自由業というか、とにかく時間に不規則な家なのだが、不規則は不規則なりに規則のようなものがあって、老犬はそれに順応してひっそりと、しかししっかりと生きている。
我が家には去年まで16歳になる老犬がいた。その時は室内犬はその犬一匹で外には大型犬が二匹(6歳と9歳、ちょうど中年犬といった所か)いたのだが、その老犬の晩年半年という時に2歳になる同じ小型犬が来た。まあ若くてやんちゃで、聞き分けの無いやつで、どうしても飼えないというので仕方なく引き取ったのだが、もう2〜3年前だったら喜んで相手をしていただろうが、なんせよる年波には勝てず本当に嫌な顔をした。
この老犬は若い時は平和主義の典型のようにあちこちの犬と友達になって、家の近所だけでもチロ、ポチ、リュウという3匹の親友がいた。皆それぞれに年を取ってきて、最初に一番若いリュウが逝き、一昨年大親友のチロが逝った。リュウは病気で突然亡くなったのだが、チロは寝たきり生活が何ヶ月か続いた。散歩の途中で御見舞いに寄ると、見えない目と効かない鼻でうちの老犬をやっとわかって、もうやっとこ動く尻尾で静かにそして心に染み入るように喜びを伝えてくれた。チロもその家のジグソーパズルのピースだったのだと思う。
去年の夏、老犬は死んだ。一週間くらい前から、ちょっと危ないかなという状態だった。子供の頃から腎臓が悪く、年を取ってからは心臓も悪くして、毎日薬を飲んでいたが、最期はチロのように老衰だった。眼も耳も鼻も良く効かずヘレンケラーのようだと言われていたが、最後まで引きずる足でトイレに行ったり、水を飲みに行ったりしていた。ちょっとボケも入って夜中に一人で鳴いていたりもした。飼っていた犬が死ぬのは二回目なのだが、今回もこんなに悲しい思いをするのなら(置いていかれたような気持)、先に逝きたいと思った。犬とはいえ、世の中で同じような思いをしているのは私だけではないだろう。
老犬が死んで半年、あのどうしようもない新人犬が少しずつ本当にかわいくなってきた。相変わらずどうしようもないのだが、老犬がいた頃はどうしても比べてしまっていた。けれど人間も犬も慣れてきたのか諦めてきたのか、間合いというものがとれて来た。まだ多少ぎこちない部分もあるのだが、それなりに歩み寄る姿勢が出てきた。この新人犬が老犬になるにはあと何年もかかるが、そのうち阿吽の呼吸になれるのだろうか。外の大型犬もそろそろ老犬の部類に達してきた。何も言わなくてもこちらの態度を見て行動する様は、もうすでに老犬の仲間入りかもしれない。そうやって私達より寿命の短い犬達は、どんどん私を追い越して行ってしまうように思える。
今、私の家の一番目立つ所に、うちの動物の写真が何枚か飾ってある。新人犬の写真はまだ無いのだが、お見舞いに行った時その家の人が撮ってくれたチロと老犬のツーショットの写真がある。それを見るたびに私は「老犬クラブの納会」と思って、しみじみと悲しくそして懐かしく感じるのだ。
|