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 [9]   永平寺参籠の旅 〜宿泊修行を体験して〜 by N,Y
この度、我々は以前からの願いの一つであった、あの福井の山里にある永平寺の宿泊修行体験に参加した。我々はというと、仕事を共にし、長年付き合っている気のあった飲み友達であり旅行友達である。車で行く事が多いが、今回の旅は久しぶりに列車の利用を選び、のんびりとした熟年男性6人の旅となった。
 
永平寺はご案内の通り、鎌倉時代に開祖された禅宗の一つ、曹洞宗の大本山です。約800年程前に道元禅師が中国に渡り、修行をつんで悟りを開き福井の山里に永平寺を建立して、真の仏弟子を育成する道場を開いたのが始まりです。永平寺は北陸観光の中心であり、参拝をした事のある人は沢山いると思いますが、宿泊修業体験をした人はあまりいないようです。そこでまだ余り知られていない宿泊体験談を中心にご案内したい。
永平寺参籠の宿泊修業体験には1泊コースと3泊コースがあり今回は1泊コースを選びました。2ヶ月ぐらい前に申し込まなければ、なかなか希望日の予約が取れないほどの人気には驚いた。
一緒に修行した方々は、全国各地から来ており、北は青森県から南は高知県から参加していた。20代の女性が多く参加しており、男女比3:7で女性が中心で平均年齢も意外に若かった。
 
1泊2日の修行内容は次のとおりです。
 一日目は入浴(16:00)〜薬石(夕食)〜映画・座禅〜開枕(消灯21:00)
 二日目は起床(3:30)〜座禅・法話〜朝課〜拝観〜小食(朝食7:00)
上山(チェックイン)の手続きを済ますと、雲水と呼ばれる修行僧に部屋に案内され、まずは寺院内での基本動作の教えを受けた。
合掌の仕方・廊下を歩く時の腕の組み方・座禅の姿勢などの基本的なことで、特に座禅の基本姿勢については、手の組み方(法界定印の型)・あぐらの組み方・呼吸法・視線の方向などを懇切丁寧に指導を受けた。ところで座禅とは何であろうか、何のために行うのか素朴な質問があろうかと思いますが、よくは解りませんが「仏法は座禅です。座禅はお釈迦様のお悟りの姿です。」と言われており「身を正し、息を整え、静かに座る」効して座禅を組み静かに自分自身を見つめなおす事により、悟りの境地に少しでも近づく、という事であろうと思う。
今回の修行で、この座禅が一番印象深く心の支えになっています。200畳の大講堂の静寂の中で座禅を組む、しかも背後にはお坊さんの静かな足音や気配を感じたあの緊張感、己とは何だろう、自分はどう生きてきたであろう、悟りとは何だろうとか、考えながらじっと姿勢を正して座禅を組む。時より正しい姿勢に建て直しお坊さんから注意を受けないよう、愛の”悟し棒”が「キシッ!」と静寂の中で鳴り響いたあのしなりの音、まさに心奥底まで鳴り響き思わず震え上がったあの緊張感はけして忘れません。
最初体験した座禅は20分程と聞くが(座禅の会場には時計持参は禁ざれている)1時間ほどにも感じた緊張感一杯の座禅であった。座禅を経験した後の自分は、何か特別な事を成し遂げた別な自分を見るような気がした。
翌早朝の4時から始まった座禅は、時間は前夜より10分程長い時間であったが2度目という事で多少余裕が出たのか30分が短く感じられた。
座禅のあと、朝課と呼ばれている、貫主をはじめ永平寺にいる殆どのお坊さんが毎朝5時からお勤めする読経に参加した。場所は永平寺の一番奥にある法堂でのお勤めで100人以上のお坊さんによる読経は、境内に響き渡り荘厳な儀式であった。5月15日から始まった100日修行が、8月末で終了した後であったので普段よりお坊さんの数は少なく、多い時は200名程のお坊さんが修行していると聞く。
 
食事についても関心があると思いますが、夕食を薬石・朝食を小食と呼び、薬石はまさに一汁一菜ではないが、これがまさしく精進料理なのか、肉類はひとかけらも無く、根菜類であしらえた煮物が5品にデザート付であり、満足感を感じるのに充分な量であった。また静かに音も立てずに食べるのも修行という。食器を置く音、箸の音はもとより、朝食の時に朝粥に”たくあん”が出るが、この”たくあん”を音を立てて食べてはいけないという。これも結構大変であった。
そして食事の前に合掌をし、5つの経句を唱えて食べる。まさに食べられる事に対する感謝、食卓にもたらされるまでにいかに多くの人々の手数や労力が費やされているか、その労力に対する感謝など、物を粗末にしない感謝の念を教わった。この事は私達の生活に関わりのある全ての事に感謝する気持、物を粗末にしてはいけない気持を忘れてはいけない、という事から発していると思う。今日自分がいる事、そしてこうして生きている事は全て皆さんのお陰であると思う気持にしてくれた。(その気持を忘れず、いつまでももち続けたいものですが、、、)
またその他の教えの中、皆さんにご紹介したい言葉は次の通りです。
「この世において、”無常”ならざるものはあるでしょうか、、、」・「貧欲の心がおこる時、人は美しい心を失います、、、」とか、特に印象深い言葉では「履物をそろえると心もそろう、心がそろうと履物がそろう、脱ぐ時にそろえておくと履く時に心が乱れない、誰かが乱しておいたら、黙ってそろえておいてあげよう。そうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう」という言葉でした。ともすれば自分の事しか考えられない殺伐とした自己主義が世の習いとなりがちであるが、この言葉をよく噛み締めて生きていきたいと思う。
その他に感心した事は、あの広い境内に張り巡らされている廊下が、きれいに隅々まで磨き上げられている事である。特に東司(お手洗い)は、それ以上に磨かれている。これは雲水(修行僧)の修行の基本中の基本であるという。
また雲水が起床して顔・頭・歯を清める水は、手洗い桶一杯だけであると聞く。これも全て最小限にとどめることが、命を生かす事であり、仏道に通じるという教えであろう。
 
今回の宿泊修業体験は「古寺は心を空にして、想像を働かせる場所である、古寺は感じに行く所、想像力、イマジネーションを働かせる場所である」とある住職は言っていましたが、まさに古寺を訪れて自分自身の心に少し触れたような気がした。
翌日、親穂高温泉の槍ヶ岳を望む露天風呂にゆっくりとつかり、修行の疲れを癒して、心づくしの料理を肴に岩魚の骨酒を楽しみ、非常に印象深く有意義な修業体験であったと、我々一同小さな達成感と幸せに酔い、夜の更けるのも忘れて語り合った。
update:
2001/11/13



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