那須のジュエリー美術館で感じたこと。いわゆる宝物を見ていて、その細工の細かさ、緻密さには感心していたが、同時にここに解説されていることがそのまま信用できるものかどうか少々疑ってもいた。もっともその解説そのものも詳しく読んではいなかったが…、これが「○○王女の○○」などと説明してあるのが、どれだけ信憑性があるのか、疑わしいとも思っていた。
「これはそのレプリカ」とでも書いてある方がよほど率直で好感が持てるのにとも思っていた。もっともレプリカの表示は一切なかったが…。これは私の貧乏性の表れか。
私は指輪とか腕輪、ブレスレッドというのか首飾りを見ていても、なんとなく違和感を持っていた。一緒に見ている一人が、「こういう装身具をつけていなければ、女王もただのおばさんと変わりがないよ」と呟いたのが、面白いと思った。装身具、勲章、バッジ、そして化粧、持ち物、そういうモノはその個人の身分とか地位とかをあらわすレッテルのようなものだと思った。
映画などに見る西洋の王族、貴族のきらびやかに飾った衣装、あれは何だ。ああいうものを着ていなければ、ただの人と同じだという感覚。これはなかなかうがったみかたではないか。「馬子にも衣装、髪形」とは昭和のはじめまで通用していた諺だが、これを逆手に取ったのはアンデルセンの「裸の王様」だと気づいた。それは今、ブランド物の服装、持ち物、装身具をありがたがっている人々への皮肉でもある。
もっともこの美術館の設立趣旨は、別の見方でこう書いてある。いわく
「装身具は、人類の歴史とともに社会環境やその時代の精神を反映する最も身近なものであり、小さな美術品として次世代へ受け継ぐべき重要な文化遺産の一つです。しかし純然たる美術品とは異なり、個人のものとして広く深く人々の生活に浸透しているために学問的に体系づけることが非常に困難な対象でもあり、これまでに専門美術館は日本は勿論のこと、世界的にも類をみないのが現状です。1995年7月「穐葉アンティークジュウリー美術館」は那須高原の美しい自然環境のもと、ヨーロッパの宝飾文化の理解研究に貢献することを旨に、日本で初めての専門美術館として開館致しました。」云々、さらに「装身具が真の意味で華開いた英国の18、19世紀(ジョージアンからヴィクトリアン)に焦点を当て、英国王室にまつわる宝飾品をはじめとするアンティークジュエリーの逸品約300点を系統的に収蔵し、解りやすく展示することを心がけました。19世紀の産業革命は、著しい技術の発達、宝石貴金属の発見、さらには世界各地での古代遺跡の発掘をもたらし、装身具の世界にも多大な影響を与えました。台頭してきた資本家層の需要に伴い、それまでにないほどの質と量の装身具が生み出された時代で、ジュエリーが一部特権階級の富と権力の象徴から個人のものに、そして広く大衆に浸透し今日に至った宝飾史上注目すべき時代です。当館は、アンティークジュエリーの歴史とその世界の優れた工芸要素に光をあてることにより、ジュエリーを一時代の産物としてではなく、時代を超えた普遍的な人間の営みとして受け止めていきたいと思います。」 とある。
いやそういう趣意は理解しよう。だが、“それ、つまり宝石貴金属”は今でも「富と権力の象徴」であることは変わりない。
だが私のように、それを人間の愚行と感じる者もいるのだ。宝飾文化の理解などというが、ある意味でそれは封建社会、格差社会の権力者の圧制、下層階級への差別の足跡を物語るものでもあると思える。私は自分の気持ちの中に負の文化という側面を拭い去れない。
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