街で出会ったこと
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 1   ウオーキングというカタチ
更新日時:
H20年12月12日(金)
毎日荒川土手を歩いている。ウオーキングと称しているが、専門家という人がいるなら私の歩きはウオーキングとは言えないかもしれない。それにしてもウオーキングの専門家というのはおかしな言い方だ。だいたい専門家という言い方自体がおかしなものと言えなくもない。ま、それはそれでいつか書くとしてウオーキングについて書くとしよう。私のウオーキングのコースは家を出てまっすぐ荒川土手へ登りそこから川を上るようにして土手を往くコースである。距離はどのくらいか、片道2キロはあると思う、東武の堀切という駅の近くに草野球にグランドが二面あるが、そこへ降りる会談があって、その手すりに両手をかけて足伸ばしをする。それが自分できめたセレモニーでそれを済ますと来たコースを逆戻り。まっすぐ家まで帰って歩数計をみるとだいたい7000歩である。これを自分では定番と呼んでいる。その日の気分で堀切駅を過ぎて堀切橋を荒川区の方に渡って、渡るのは隅田川だが、都立汐入公園を通って、隅田川を下って水神大橋、その先の吾妻橋、さらに桜橋、言問い橋まで行って、橋を渡って墨田区へ戻ってくるコースをとる。長い距離の時は14000歩を越えることもある。まあ、気ままな散歩というところで、途中で写真を撮ったり、小さなものを買ったりしている。時間も一時間から二時間暗い、歩いている内に気がつくこともあってそれをこうした文にすることもある。これが私のウオーキングのカタチだが、できるだけ腕を大きく振って、心持ち大股で、しかも早足で歩くようにしている。途中でベンチに腰掛けて休むことも、草原に腰を下ろすこともある。終始一人である。ラジオをイアフォンで聴きながらということも多い。季節によって違うが汗をかいてシャワーを浴びるころの方が気持ちがいい。このごろはいくら歩いても汗が出るなどないので、やや物足りないこともある。気が向いて北千住とか浅草とかまで行って丸井とかルミネとか、松屋とかで買い物をして電車で帰ってくるときもある。まあ、これも気ままにやっている。

 2   荒川土手で
更新日時:
H20年2月23日(土)
 やや春めいてきたので荒川土手のウオーキングを再開している。歩いている人は少ない。遠くの景色がはっきりしないのは視力が落ちてきたからだ。視力を回復するのに目の体操とでもいうものが効果があるとPRするメールがあったが、真偽のほどはわからない。土手で対岸の四つ木方面を望むが、くっきりしていない。医者に聞いても年齢相応だといわれて、それでおしまいだ。まだ歩けるし、視力にしても朝起きてすぐははっきり見える。ということはパソコン画面、テレビ画面の見すぎが視力に影響しているということだ。読書にしても視力低下に輪をかけている(と思う)。私の一日は大部分パソコンで書いたり、録画した番組を見たり、本を読んだりの生活であるから、こうして歩くのは眼の体操にもなっていると思うのである。眼の体操とは何か。
 
1.まず思いっきり上に眼球を向ける。
2.次に下に向ける。
3.左に向ける。
4.右に向ける。
 
これを数回繰り返す。
 
その後右回り、左回りに眼球をぐるっと回ゆっくりまわす。
 
さらに・・・
 
親指を眼の付け根(上)に当て、。
少し指を中に入れるようにしてから際を数秒押さえる。
次に人差し指で下の付け根を押さえる。
コメカミのあたりをマッサージする。
 
具体的にはこういうことが「眼の体操」だと「ヨガ教室」では教えている。実際にこれは荒川土手でもできる。

 3   那須のジュエリー美術館で、私の違和感
更新日時:
H18年12月12日(火)
那須のジュエリー美術館で感じたこと。いわゆる宝物を見ていて、その細工の細かさ、緻密さには感心していたが、同時にここに解説されていることがそのまま信用できるものかどうか少々疑ってもいた。もっともその解説そのものも詳しく読んではいなかったが…、これが「○○王女の○○」などと説明してあるのが、どれだけ信憑性があるのか、疑わしいとも思っていた。
「これはそのレプリカ」とでも書いてある方がよほど率直で好感が持てるのにとも思っていた。もっともレプリカの表示は一切なかったが…。これは私の貧乏性の表れか。
 私は指輪とか腕輪、ブレスレッドというのか首飾りを見ていても、なんとなく違和感を持っていた。一緒に見ている一人が、「こういう装身具をつけていなければ、女王もただのおばさんと変わりがないよ」と呟いたのが、面白いと思った。装身具、勲章、バッジ、そして化粧、持ち物、そういうモノはその個人の身分とか地位とかをあらわすレッテルのようなものだと思った。
 映画などに見る西洋の王族、貴族のきらびやかに飾った衣装、あれは何だ。ああいうものを着ていなければ、ただの人と同じだという感覚。これはなかなかうがったみかたではないか。「馬子にも衣装、髪形」とは昭和のはじめまで通用していた諺だが、これを逆手に取ったのはアンデルセンの「裸の王様」だと気づいた。それは今、ブランド物の服装、持ち物、装身具をありがたがっている人々への皮肉でもある。
 もっともこの美術館の設立趣旨は、別の見方でこう書いてある。いわく
 「装身具は、人類の歴史とともに社会環境やその時代の精神を反映する最も身近なものであり、小さな美術品として次世代へ受け継ぐべき重要な文化遺産の一つです。しかし純然たる美術品とは異なり、個人のものとして広く深く人々の生活に浸透しているために学問的に体系づけることが非常に困難な対象でもあり、これまでに専門美術館は日本は勿論のこと、世界的にも類をみないのが現状です。1995年7月「穐葉アンティークジュウリー美術館」は那須高原の美しい自然環境のもと、ヨーロッパの宝飾文化の理解研究に貢献することを旨に、日本で初めての専門美術館として開館致しました。」云々、さらに「装身具が真の意味で華開いた英国の18、19世紀(ジョージアンからヴィクトリアン)に焦点を当て、英国王室にまつわる宝飾品をはじめとするアンティークジュエリーの逸品約300点を系統的に収蔵し、解りやすく展示することを心がけました。19世紀の産業革命は、著しい技術の発達、宝石貴金属の発見、さらには世界各地での古代遺跡の発掘をもたらし、装身具の世界にも多大な影響を与えました。台頭してきた資本家層の需要に伴い、それまでにないほどの質と量の装身具が生み出された時代で、ジュエリーが一部特権階級の富と権力の象徴から個人のものに、そして広く大衆に浸透し今日に至った宝飾史上注目すべき時代です。当館は、アンティークジュエリーの歴史とその世界の優れた工芸要素に光をあてることにより、ジュエリーを一時代の産物としてではなく、時代を超えた普遍的な人間の営みとして受け止めていきたいと思います。」  とある。
いやそういう趣意は理解しよう。だが、“それ、つまり宝石貴金属”は今でも「富と権力の象徴」であることは変わりない。
 だが私のように、それを人間の愚行と感じる者もいるのだ。宝飾文化の理解などというが、ある意味でそれは封建社会、格差社会の権力者の圧制、下層階級への差別の足跡を物語るものでもあると思える。私は自分の気持ちの中に負の文化という側面を拭い去れない。

 4   私の日々
更新日時:
H18年9月10日(日)
私はこれまで平凡な「苦あれば楽あり」ということわざを、「苦なくして楽なし」と読み替えてきた。そうして自らにくる”苦”を克服しようと自分を鼓舞してきたつもりなのだ。たまたま漱石の「草枕」を読み返して、あの有名な冒頭の部分はこのことを繰り返して述べていることに気がついた。漱石があげているのは、智と情、理性と意地、明と暗、日の当たるところと影の部分、喜びの深いときは憂いも深いこと、楽しみの大きい補で苦しみも大きい、などである。
 
今の私は、今の生活に慣れて、その中であれこれ不満や不平を言っているが、この自分が自分の10年前、20年前の生活へタイムスリップしたらどうだろう。テレビもなく電話もない、車も、住む家もまるで次元の違うような家、それが当時の「我が家」であった。万事にモノ不足、あの時代の、あの社会にあった「我が家」での生活ができるのだろうか。10年前、20年前の私はそこを生きてきたのだ。苦あれば楽あり、はそこでも働いていたと思うが、今の私にはあの当時はまるで苦のみ楽なし、としかいえない有様ではなかった、と今は思っている。時代が変わってきたとは、この自分も大きく変わってきていると言うことだ。今私はエアコンのきかないところには居られないと思っている。事実今ではどこへ行っても涼しいところがあって、そこに逃れられる。私たちには今は「苦なくして楽なし」が上滑りしてしまう時代になっているのではないか。ということは楽だけに慣れてしまって、ほんの些細な苦をことさら大げさに感じ、悪のように感じてしまう感覚が身に付いてしまっているのかもしれない。これは恐ろしいことだ。自戒しよう。
 
 古い映画を放映してくれることがある。山田洋次監督の「下町の太陽」という映画もその一つだ。下町の工場で働く寺島町子は、祖母と父親、そして2人の弟と共に、ささやかながらも幸せに暮らしていた。町子の恋人・道男は、2人の輝かしい将来を夢みて、正社員登用試験の勉強に精を出している。そんなある日、不良青年・良介から「君の弟を知っている」と言われた町子は、弟が良介から悪い影響を受けているのではないかと心配する。だが、不良だと思っていた良介が、実はひたむきな労働青年だったことを知り、深く感動する…。雑草のように強くたくましく生きる若者たちの姿を活写した、涙と笑いの人生ドラマ。倍賞千恵子が、一家を支えるしっかり者の長女を好演している…と解説している。映画の舞台は私が子どもの頃住んでいた町、向島区寺島町、荒川駅も四つ木橋も、荒川土手もその周辺の風景もでてきたし、吾嬬製鋼という大きな工場の姿もでてきて懐かしかった。吾嬬製鋼は社長の清岡栄之助氏が、昭和12年、当時の金額で50万を東京市に寄付され、それをもとに東京市立向島工業学校が設立された。それが私の母校でもあった。懐かしいが、それ以上に当時の貧しさが身にしみて映画を最後まで見ていられなかった。…映像のもつ力を実感した。
 
 母校が懐かしいと受け取られるような書き方をしたみたいだが、私の中学生のころはいい思い出はなかった。あったのかもしれないがいやな思いがありすぎて、いい思いなど消し飛んでしまったのだろう。いやな時代だった。軍事教練、ゲートル巻いて挙手の敬礼をし、軍隊調の言い方で何かを申告し、直立不動をしつけられた。文学とか美術、とか芸術文化は痕跡もない、まったく不毛の時代だった。ああいう時代に生きてきた自分を哀れに思う。…と書いてきて、自分は今の自分の生き方をどう思っているのか、昔の自分をかわいそうなどと思う自分は、今は堂なのか、かわいそうではないのか。いったいどんな生き方をしているものが他の生き方に口出しできるのか。いい思いがないというなら、いい思いをするよう何かをやったらいいではないか。何をすることが「いい思い」になるのかは個々のこと、一般論にはなりにくかろう。一般論にならないから、誰彼の生き方をうらやんだり、さげすんだりはできないはず、しても意味のないことだ。
 

 5   年寄りの耳?
更新日時:
H18年8月31日(木)
 ある大型店で出会った風景。久しぶりで出会ったらしい若い母親同士の会話。一人はがっちりした背の高い30台。もう一人は小柄で痩せすぎ、顔色があまりよくない。
「あら、久しぶり」とがっちりタイプ
「ほんと、久しぶり」とやや声高の小柄な方
「ねえ、あの人どうしてる?Sさん」
「いや私も全然、知らない」
・・・と共通の友達の名らしいのが、3,4人でてくる。が、それらの消息?は
「しらない」
「わたしも」ということらしい。
「学校が違っちゃうと、あえないわね」と上背のある方、
「そうだよね!」と小柄の方、
どうやら中学生の子をもつ母親らしい、小学校のとき子どもが同じクラスでPTA仲間だったようだ。
「そうね、学校って、みな同じじゃあないんだ」
「夏休みだって、長いとこと短いとこがあるらしいよ」
「Bちゃんのとこ、おとといで夏休みおわりだってよ」
「そう、わたしんとこは昨日から二学期だわ」
「うちは明日からだわ」
「昔は、どこの学校も始まりは9月1日だったわね」
「わたしんとこは今日から給食だものね、やったあ!っていう感じよ」
「あら、いいわね、もうけたワね」
「ラッキー!うれしい!って言っちゃったワ」
混雑したスーパーの一角で、大声でしゃべっているから、私のようなものにまで中身がバレバレ。それにしても学校給食が始まってラッキー!とはまことにストレートなお人たちだ。夏休みを短縮して授業時間を確保しようという動きは、給食回数の増加ということの方が喜ばれているということもあるらしい。



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