1、進路相談を持ちかけられて
●NHKテレビに、100年インタビューという番組があって、100年たっても色あせない、100年後の日本人にも見てもらいたいインタビュー番組と銘打っている。その人の経験に基づく人生哲学、苦悩、挫折、今をどう生きて、何をめざしているかを、各界のエキスパートに聞くとある。その番組で、著名な建築家の安藤忠夫氏が「好きなことを好きだというだけで、思う存分やればいい。それが人生を豊かにする」…と言っていた。なるほどそうだろうと思う。ただ儲かるとか有名になるとか、そんなことを計算しては、もうそれだけで値打ちがなくなるという。そうだろうなと思う。そうであって欲しいと思う。ノーベル賞の小柴昌俊氏も同じようなことを言っていたと思う。
●だが、そう言って憚らない人は、いわば選ばれた人ではないかとも思えてくる。安藤氏や、小柴氏のような、不遇な境遇に生きた人が大きな業績を残されたのは、やはり“選ばれた人”だと思えてもくる。
●この自分はどうだ、自分にも、いくつかの「好きなものとの出合い」はあった。絵を描くこと、筆で文字を書くこと、小学校のときの図画と習字だが、それが好きだった。だがそれだけで“好きで好きでたまらない”という域には程遠かった。小学校のあのときに私が絵画とか書道とかの道に進めるようなシステムの中に入れられていたら、どうなっていたかはわからない。いずれにしても私の育った時代とか環境とかが、書画への関心を伸ばしてくれるようなものではなかったことは確かである。そればかりではない、野球も水泳も、その後の登山も、それこそ好きでやった時期があったが、それとても“好きで好きでたまらない”というところまでは行かれなかった。チャンスがなかったということなのだろうかとも思う。よくいえば興味関心が多岐にわたっていたとなるが、あちこち気が移る、そんな拡散的な性質だったのだろう。
●自分の出合った、人びととか、事件とか事象とかが自分の生き方をきめてきた、少なくともそういう側面を蔑ろにはできなかったと私は思う。一時期、私も数学に憧れ、数学に熱中したときがあったが、数学では「飯は食えない」とアドバイス?してくれた先生がいた。そのせいにするのは卑怯だが、あのとき、「飯は食えないかもしれないが、夢は食える」とでもアドバイスしてくれたら、どうなっていただろうと思っている。
●寺田寅彦の随想にほれ込んだ時期もあって、同人誌のようなものをつくってエッセーを書いていたこともあったが、それとても物書きに没頭したとは言いがたい。
●今になって思うのは万事が中途半端、全力で打ち込んだものがなかったと思う。だからはっきり言って、私は自分にどれだけ力があるかわからない。これは自惚れで言っているのではなく、何か一つのものに打ち込んで全力を発揮するという体験があったとは言えないからだ。
●そして、これが今になって寂しくも思い、残念にも思うものである。
●今、その自分が、若い学生や、若い教師たちから、その進路について「どうしたらいいと思うか」と相談されるときがある。そんなとき何を言うのか、言ったらよいか、わからない。私はただ自分の紆余曲折を正直に吐露するだけである。
2、自分の気持ちを落ち着ける
●諸行無常だなあ、と思う。この世に変わらないものは何もないという。これは考えてみれば怖いことだ。
●今、愛し合っている二人、私の気持ちは永遠に変わらないと思っているし、誓い合っているかもしれない。だがそういう二人が結婚して数年のちには離婚しているものが1000人中40〜50人いるという。
●誰のことでもない、自分のことを考えてみよう。人の心、自分の気持ちはころころ変わるのだ。ころころ変わるからココロというのだと誰かから聞いた事があるが、そういうものも含めて人間なのである。
●人間だけではない、諸行はみなそうだ。諸行は無常なのだと釈迦は達観し、教えてくれた。それを自覚しようと、気がつかなくとも、ものは常に変わっているのである。
●こんなことを書いて来て、ふと一つの仮説を思いついた。それは箱庭療法という心理療法がベースになったものだが、箱庭療法はクライエントに箱庭を作らせることによってこころの病気の治療を行う精神療法である。箱の中の小さな世界である箱庭は、それを造る者のこころを反映させた象徴的世界であって、箱庭という枠に守られることによって、クライエントは安心して隠していた自らの世界を造り出すことができ、押さえつけていたこころを解き放って、本来持っているこころを取り戻すことができるという。
●自由に箱庭をつくっていって、何度も何度も箱庭を作らせていくと、次第に心が解放されていくというのだ。
●同じように、私がこうした自分の気持ちを文章にして、それを何度も何度も書き直していくことによって、私の心は解放されていくのではなかろうか。
●何かテーマ設定した上で、その範囲で自由に文章を書き、それを書き直し、書き直していく、この単純な活動が自分のこころを解放してくれ、癒してくれるのではなかろうか。
●これは一つの仮説だが、この場合別に証明し一般化しなくともいい。自分自身が実践してみて、情緒的な安定が感じられればいいのだ。少なくとも数年は続けてみよう。
●これは、孤独な世界のことだ。他に認められるなどとは無縁のことだ。覚悟しよう。
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