気づいたこと、気になること
人間は死ぬまで何かを表現していく生き物である、というのが私の持論のようになっている。私は生きている限り、いつも何かを見たり聞いたりして、何かを感じ、考えている。そしてそれをしゃべったり、顔の表情に表したりしている。意識しなくても顔にでてしまうという現れ方である。それを表現といわずに表出というらしいが、言い方はどうでも、私たちは生きている限り何かを表現、表出している生き物である。それを言葉にするのが話したり、書いたりすることで、絵や彫塑にするとか、身振り手振りにするとか、衣服とか持ち物、身の回りのモノにするとか、多くの表現の仕方がある。車の運転の仕方にもその人、運転手の人柄がでてしまうように、人間は何をやってもその人柄、性質、性格というモノがでてしまう。あらゆる表現、表出にはその人の人柄、個性というモノがでてしまう。私が気づいたことは、だれもが気づいていることとは限らないし、私が気になることは私だけが気になることとは限らない。でも私がソレを書くのは、私自身の確かめにはなると思う。

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 平成20年3月31日 月曜日    異次元体験をしてるみたい
ふと思いついたこと、私たちは浦島太郎体験をしている、あるいはタイムマシンに乗ってある時限を移動しているような”体験”をしているとでもいうのかしれない…ということ。たとえば秋葉原電器街に行ってみて感じることは、何に使うのかわからない機器が並んでいるような感じである。展示しているゲーム機に取り付いてしきりにプレイしている若者たちが、夢中になってやっていることが私には何がおもしろいのかわからない。彼らがやっていることで、デスプレイの何がどうなることが”勝つ”ことなのかもわからない。日本橋とか銀座の店のウインドウがまるで異次元のもののように思える。フランス語、ロシア語、イタリア語、こういう単語が理解できる人ばかりが来る街なのか。
月曜日の朝、デニーズというファミレスに行ってみた。10時前だというのに大勢客がいて驚いた。子供連れの一団がいてやや賑やかである。らしい。それはそれでいいのだが、子どもらはこういうことに慣れてしまって、自分は注文する人で、自分たちのオーダーに応えるのが店の人だという”当たり前”感覚が身についてしまって、オーダーに応えないのは店の怠慢のように思って仕舞わないか。それに苦情を言うのも”当たり前”という感覚になっていくのではないか…と思う。
 今の日本の子は、どこへ行ってもお客様気分で、お客様は神様でどんなわがままも許されるという環境にいるのではないか。とかく今の世はサービス過剰である。人々は過剰なサービスに慣れて、自分の思い描くサービスが与えられないと大袈裟に不満を感じ苦情を言う。民主党が高校教育を無償にするなどというプランを出したとか、出そうとしているとかテレビが報じていたが、サービス過剰もこれ以上になったらどうなるのだろう。
 「おイ、先公、お前は俺が分るように教えるのが仕事だろう、俺を分るように教えて、それで給料をもらっているのだろう。もっとしっかり教えろよ、もっと分るように工夫して教えろよ!」と怒鳴りだす生徒も出てくるのではないか。モンスターペアレントといわれている親たちがそうである。サービス過剰に慣れた日本人は、医者、看護師、役人・公務員、警察官、駅員、企業に従事する人たちは、“顧客である自分”に自分が望むようなサービスを提供すべきである、などと思っているのではないか。そんな傾向がありはしないか。…こんなことを連想してしまった。
 

 平成20年3月13日 木曜日    信頼とは?
ふと耳に入ったことばが妙に引っかかっている。テレビで何か面接試験か何かのことをやっていたらしい。一人の声で「…で、どんなこと聞かれるのですかね」、すると別の声が「別にどうっていうこともないことですよ。たとえばあなたは誰某さんを信頼していますか」というようなことです。…とこうだ。二人には「何気ない対話」なのかもしれないが、私はこの”信頼“ということばに「あれ…?」と思ったのだ。「信頼する」ということはそんな簡単な扱われ方でいいのか、と思ったのである。そしてこの自分は誰を”信頼”しているのか、考えてみた。「妻、息子、娘を信頼している」という言い方が当然のように浮かんでくる、だが、それも願望に過ぎないのではないかと思ってくる。そうだ、信頼したいとは思う。だが信頼していると断言できるのか…残念ながら自信はない。自分自身でさえも信頼していると断言できるとは思えない私である。そんな自分を、広げてみている。政治が信頼できない。役人が信頼できない。…と、こう並べてきて、そもそも他を信頼できるとか、信頼したいという願望なり、考えなりが、夢みたいなもので間違っているのではないかと思ってもみる。信頼などというのは、あることのない思想にすぎない。ユートピアと同じようなものだと考える。こう考えること自体が寂しいことに違いないが、どうも虚しくてならない。
 


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