ふと思いついたこと、私たちは浦島太郎体験をしている、あるいはタイムマシンに乗ってある時限を移動しているような”体験”をしているとでもいうのかしれない…ということ。たとえば秋葉原電器街に行ってみて感じることは、何に使うのかわからない機器が並んでいるような感じである。展示しているゲーム機に取り付いてしきりにプレイしている若者たちが、夢中になってやっていることが私には何がおもしろいのかわからない。彼らがやっていることで、デスプレイの何がどうなることが”勝つ”ことなのかもわからない。日本橋とか銀座の店のウインドウがまるで異次元のもののように思える。フランス語、ロシア語、イタリア語、こういう単語が理解できる人ばかりが来る街なのか。
月曜日の朝、デニーズというファミレスに行ってみた。10時前だというのに大勢客がいて驚いた。子供連れの一団がいてやや賑やかである。らしい。それはそれでいいのだが、子どもらはこういうことに慣れてしまって、自分は注文する人で、自分たちのオーダーに応えるのが店の人だという”当たり前”感覚が身についてしまって、オーダーに応えないのは店の怠慢のように思って仕舞わないか。それに苦情を言うのも”当たり前”という感覚になっていくのではないか…と思う。
今の日本の子は、どこへ行ってもお客様気分で、お客様は神様でどんなわがままも許されるという環境にいるのではないか。とかく今の世はサービス過剰である。人々は過剰なサービスに慣れて、自分の思い描くサービスが与えられないと大袈裟に不満を感じ苦情を言う。民主党が高校教育を無償にするなどというプランを出したとか、出そうとしているとかテレビが報じていたが、サービス過剰もこれ以上になったらどうなるのだろう。
「おイ、先公、お前は俺が分るように教えるのが仕事だろう、俺を分るように教えて、それで給料をもらっているのだろう。もっとしっかり教えろよ、もっと分るように工夫して教えろよ!」と怒鳴りだす生徒も出てくるのではないか。モンスターペアレントといわれている親たちがそうである。サービス過剰に慣れた日本人は、医者、看護師、役人・公務員、警察官、駅員、企業に従事する人たちは、“顧客である自分”に自分が望むようなサービスを提供すべきである、などと思っているのではないか。そんな傾向がありはしないか。…こんなことを連想してしまった。
|