世論調査というのがある。本日の読売新聞が見出しで、“宗教「信じない」7割”という見出しで発表した調査の結果は、調査の中身とそぐわない気がする。その元にあるのは、信じるか否かという聞き方、もっと言えば信じるとは何かという意味内容にあるのではないかと思うのだ。なぜか、理由はいくつかあるが、真っ先にその調査項目にたいするわたし自身の気持ちを考えてみよう。
調査の冒頭の設問「あなたは、何か宗教を信じていますか」と聞かれたら、わたしはどう答えるか。わたしはもうここから自分の気持ちが怪しくなるのだ。こういう設問に、単純にイエスかノーかで答えられるものかどうか、考えてしまう。
私は仏教関係の著書もキリスト教関係の本も好きでよく読む。筒井俊彦氏の「コーランを読む」(岩波書店)をも読んだことがある。カタチだけは宗教というものを信じているらしい。…が真正面から「何か宗教を信じているか」と問われれば、
「信じているらしい」とか「特定の宗派には属していないが、いろいろな宗派の教えには魅かれる」とか、あるいは「特定の宗教に帰依できたらいいと思う」などと言うことになろう。単純にハイでもイイエでもないのである。
だいたいこの「信じますか」という聞き方が二者択一では答えにくいのではあるまいか。、「家族を信じますか」、でも「学校を信じますか」でも、「役所を信じますか」でも「政府を信じますか」でも、「所属の会社を信じますか」でも、「所属の政党を信じますか」でも、何でもよい。信じるかと言われたら、信じたいとか、信じられるようになってほしいとはいえても、信じているとも信じていないとも答えられないのが正直な気持ちではないだろうか。
調査した側は「この調査の結果を信じますか」という設問も加えて発表し、その反応も加えて”調査というもの”を考えるのもよかろう。
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